終章「始まりの種」

 竜宮に帰ってきたシーロンは、早速竜王に会いに行き、事の次第を報告した。

「そうであったか。では地上は平和になったわけだな。嬉しいことだ。」

 竜王は笑った。

「竜王様。私は世界を知るために、旅に出たいと思います。」

 シーロンは言った。

「何?また竜宮を出るのか?それはならぬ。お前は私の跡を継いで竜王になれる者。これ以上竜宮を離れて行動することはいかん。」

「竜王様。私は王位を継ぐ気はありません。」

「その欲のない心が私の気に入っているのだよ。シーロン。お前が何と言おうと、次の竜王の座はおぬしで決定だ!姫も喜ぶだろう。第一、皆もそう思っておる。」

「…何としても旅を続けたいのです。約束したのです。」

「約束だと?誰と約束したというのだ?」

「私の友とです。」

「うむ…。おぬしは約束を決してたがえぬ男。ならば仕方あるまい。おぬしが戻るまで、私はしぶとく待つことにしよう。」

「ありがとうございます。」

 シーロンは深く頭を下げた。

「酷いですわ。」

 後ろから姫の声がして、シーロンは振り返った。

「私だけに会いに来ると言っていたのに…先にお父様に会っていたなんて。お話も、全部聞かせてもらいましたわ。」

「姫…。」

「私はいつまで、ここで待っていなければいけないのです?もういやです。ずっと待っているだけなのは…。」

 姫は、何かを決意したような表情になった。

「私も行きます!」

「姫!何を言い出すのだ。」

「お父様、お願いします。私もシーロン様についていって、世界を見たいのです。いつまでも世間知らずのまま、ただ待っているだけの生活なんてもううんざりです。」

「むむむ…。珊瑚。お前がそのようなことを言うとは…正直ビックリしたぞ。」

「お父様が反対しても無駄です。もう決めました。シーロン様が帰ってきたら、そう言おうと思っていたのです。シーロン様も、またどこかへ行くような気がしてたから。」

 姫は微笑んだ。

「分かった。好きにするがよい。シーロンも一緒なら、心配はいらないしな。私は一人寂しく、待っていることにする。」

 竜王は寂しそうな顔をして姫を見た。

「お父様。ありがとう!」

 姫は竜王に抱きついて喜んだ。

 その様子を、シーロンは微笑みながら見ていた。


 シーロンと姫は竜宮の門を出た。

「約束していたというのは、あのミナトという方のことですか?」

 姫がシーロンに聞いた。

「はい。…いや、ミナトだけじゃないんですが…。多分今頃、ミナトは一人でまごまごしているだろうと思って…。」

 シーロンは竜の珠を取り出し、変身した。白銀の竜がそこに現れた。

 姫も青い竜の珠を取り出し、変身した。青い竜がそこに現れた。

 二匹の竜は、地上を目指して泳いでいった。


「ここは一体どこなんだ?」

 ミナトは一人、迷っていた。

 樹海の主からもらった種を植えるにふさわしい場所を探しに出たはいいが、すぐに迷ってしまった。今までは、エスリンがいたから道に迷う心配などはなかったのだが。

「だめだ。俺はもう一人で何とかしなきゃ。人にばっか頼ってたら駄目だ。頑張るぞ。」

 ミナトは歩き出した。何もない荒野の中を、一人彷徨い歩いていた。

 しかし、ミナトは何か思いついたように立ち止まった。

「水のある所を探してたけど…、俺が作ればいいんだ。」

 そして、両手から水を発生させた。

 荒れた大地の中に、湖が生まれて川が出来た。

「洪水で流されちまったからな。ふさわしい場所なんてないんだ。それよりも、早く森を作らなきゃ。俺が作ればいいんだ。いい場所を。」

 ミナトは大地に種を植えた。すぐに芽を出すような奇跡は起こらなかったが、種を植えた部分が小さく光っていた。

 それを見守っているうちに、ミナトは眠りについていた。


「ミナト様…ですね。」

「誰だ?」

「私は、樹海の主です。」

 光の中に立っている人物には、見覚えがあった。

「樹海の主さん!」

「種を植えて下さったのですね。ありがとうございます。」

「いい場所を見つけるって言ったのに、自分で作っちまった。」

「いいのです。ミナト様がいいと思った場所が、いい場所なのですから。ところで…お礼がしたいと思って、ミナト様の夢に出て来たのですが…。」

「これって、夢なのか?」

「はい…。夢の中でなら、実現出来ることがあります。そしてそれが強い願いであれば、現実にも現れることがあるのです。」

「ふーん…。」

「ミナト様には、何か願いはありませんか?」

「…もう一度、会いたい奴らがいる。」

「そうですか…。しかしその方たちは、既にこの世にはいませんね。この世にいない魂を呼び戻すことは出来ません。思い出なら、夢の中で見ることは出来ますが。…待って下さい。ミナト様、その手に持っているものは…。」

「エスリンの羽だ。あいつが最後に残していったんだ。」

「ミナト様。それを決して失くしてはなりません。それにはまだ魂が宿っています。」

「エスリンの魂が!?」

「はい。ミナト様。エスリン殿に会いたいのですね。私に出来るかどうかは分かりませんが、祈りましょう。エスリン殿が再び、この世に現れることを…。」


 夢から覚めた。

 ミナトの手には、エスリンの羽が握られていた。

 周囲を見回したが、樹海の主の姿も、ましてやエスリンの姿なども、見当たらなかった。

「そんなことあるわけねえのに…。」

 ミナトはそう呟いて、種を植えた所を見た。

 芽が出ていた。

「あ!芽が出てる!」

 ミナトは嬉しそうに言った。

「これで森は再生するんだな。樹海の主さんも、いつか現れるかな。」

 空を見上げると、鳥が一羽飛んでいた。

「エスリン…?」

 ミナトには、どうしてもエスリンが死んだとは思えなかった。

 ヨミトも、カイトも、アマトが言っていた「転生」で、今どこかで違うものに生まれ変わっているのだろうか。しかし、エスリンの羽がある限り、エスリンが死んだとは思えなかった。

 森が再生すれば、願いが叶うような気がした。

 いつか、樹木がたくさん育って、大きな森になったとき。

 樹海の主と共に、エスリンが現れる。

 そのとき自分はどうなっているのだろう。

 また、エスリンに叱られるのだろうか。

 それとも、喜んでもらえるのだろうか。

 未来は分からない。

 でも、エスリンの喜ぶ顔が見たいとミナトは思った。


「ミナト!!」

 うとうととしていたミナトの目の前に、シーロンが立っていた。

「シ…シーロン??」

「何だ。もういい場所を見つけていたのか。てっきり、また道に迷っているかと思ってたが。」

 シーロンが笑った。その後ろに、姫がいた。

「あれ!?何で姫様が??」

「付いて来たんだよ。ミナトに会いたいってな。」

「ミナト様。前にお会いしたときは、きちんと挨拶も出来なくて、申し訳ありませんでした。私は珊瑚と申します。竜王の娘でございます。」

「な…何か…姫様って、こんなんだっけ?」

「私、あのときは泣き顔ばっかり見せてたから…。恥ずかしいですわ。」

 姫、珊瑚は頬を染めた。

「シーロン。何でここに来たんだよ。」

「お前が心配でな。それに、約束しただろう。また会いに来るって。それに、樹海の主との約束も。」

「それはもう俺が果たしたよ。ほら、ここに種を植えたんだ。あとは、森が育つのを見守るんだ。それが俺の役目。」

「そうか…。俺は世界を回ろうと思ってたんだが…。ミナトは来ないんだな。」

「うん。」

 ミナトは立ち上がった。

「俺は、海の国の王に戻るよ。二度と世界が駄目にならないように、俺が守らなきゃ。エスリンが復活させてくれたんだ。俺は海の国を守る。立派な王になってみせる。」

「ミナト…。」

 シーロンは、目を細めた。

「いずれ、シーロンも竜王になるんだろう?」

「いや…それは…。」

「そのときに会おうぜ。…そうだな、百年後くらいにさ。」

「百年後か。そんなに長い年月でもないな。」

 二人は約束をかわし、別れた。


 百年後。

 世界は洪水前の世界よりも、命に満ち溢れた、美しい世界になっていた。

 森、木々、海、山、川、湖、空、太陽、星、月。

 様々な自然の宝が詰まっている世界。

 その中で、人々や動物たちが暮らしている。

 その一つ一つに命があり、一つ一つに心がある。

 世界は、三人の王の力によって守られていた。

 天界の神々の王はアマト。

 海の国の王は、ミナト。

 もう一人の王は、人間の中から選ばれた王だった。


 樹海が広がっていた。

 ミナトが蒔いた種から育った森が、大きく成長したのだ。

 ミナトは、百年ぶりに地上にやって来た。

 水の雲を纏って、天から地上へと降りて来た。

 幼い少年の姿だったミナトは、青年の姿に成長していた。

 青い波のような髪。すらりと引き締まった、しなやかな体つき。

 碧の目には、昔と変わらない子供っぽさを秘めていた。

 ミナトは、樹海に降り立った。

 樹海の中心に、大きな木があった。

「待っていましたよ…。」

 大木の前の、穏やかな陽光の差す中に、樹海の主が現れた。

「樹海の主さん!」

 ミナトは微笑んだ。

「今日、ミナト様がここへ来ることは分かっておりました。」

 樹海の主は、にこにこと笑って言った。

「ああ。百年前、シーロンと約束したんだ。ここで会おうってさ。…でもまだシーロンは来てないみたいだな。」

「そうですね。でも、あなたを待っている者は、私だけではありませんでしたよ。」

「え?」

「さあ、降りて来て下さい。」

 樹海の主が、大木の上に呼び掛けた。

 大木の枝の上に、何かが立っていた。

「あ…?」

 ミナトは、驚いた表情でそれを見ていた。

 その者は、枝の上から、風のような速さで地面に着地した。

「ミナト。」

 美しい女性だった。

 しかし、その姿は変わっていた。

 明るい金色の長い髪。大きな碧の目。背中に生えた金色の翼。そして、鋭い爪の生えた足。

「エスリン!?」

 ミナトは驚きの声を上げた。

「久しぶりね。」

 ふふ、とエスリンは微笑んだ。

「そうか…。生き返ったんだな…。」

「生き返ったわけじゃないわ。生まれたのよ。」

「え…?」

「ミナトが植えた緑の種から生まれた、この森と一緒に。」

「どういうことだ??」

「私の魂が、宿ったの。彷徨っていたら、この世界に辿り着いた。」

「…よく分かんないなあ…。」

「ふふふ。まあ、そんなことはいいじゃない。…ミナト、よくやったわね。」

 エスリンは、ミナトを優しさに溢れた目で見つめた。

「神として、もう一人前になったのね。」

「そうかな…。エスリンにそんなふうに言われると、照れくさいな。」

 ミナトは、じっと見つめるエスリンから視線をそらした。

「でも、嬉しいよ。またエスリンに会えて。ずっと願ってたんだ。俺が一人前になったら、エスリンが戻って来るような気がして…。そう思って、ずっと頑張ってきたんだ。」

 ミナトは明るい笑顔を見せた。

「私も、嬉しい…。」

 エスリンは微笑みながら、涙を流した。

 上空が光った。

 見上げると、三つの影が空を飛んでいた。

 それが、こちらに近付いて来る。

「シーロンだ!」

 ミナトは手を振った。

 白銀の大きな竜と、大きな青い竜。その間を、白銀の小さな竜が飛んでいた。


 一つの種。

 それから世界が始まった。


 <完>

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水の神話 夏目べるぬ @natsuberu

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