第16章「再生」

 世界に光が満ちていた。

 空の下には海と大地が広がっている。

 嵐は止んでいた。

 洪水によって、地上は荒廃したが、生き残った人々はいた。

 世界が完全に壊されたわけではない。

 今、世界に再び命が宿ったのだ。


「エスリン…。」

 アマトは目を覚ました。

 エスリンが別れを告げた夢を見た。

「お前は…。」

 アマトは悲しい顔をしていた。

「姉上!」

 ミナトがアマトに駆け寄ってきた。

「目覚めたんだな!」

「ああ…。」

 アマトは弱々しく微笑んだ。

 シーロンも、息を吹き返していた。その姿は人型に戻っていた。

 ヨミトはミナトたちに背を向けて、ただ立ち尽くしていた。

「エスリンは…?」

 ミナトは不安げに聞いた。

「…エスリンは死んだのだ。自らの命を世界に与えて。」

「…。」

「世界は再生した。それはエスリンの力による。エスリンには、浄化能力があった。それを最後に使い切って世界を救ったのだ。」

 ミナトはアマトの言葉を聞いて、思い出していた。ミナトが怪我をする度に、エスリンが治してくれていたことを。

「エスリンが死んだなんて…信じられねーよ…。」

 ミナトの心に、次々とエスリンの映像が浮かんできた。

「ミナト…。」

 アマトの目からどっと涙が溢れ出した。

 悲しいのではない。世界に溢れている、エスリンの慈愛の心に涙したのだ。

「エスリンーー!!」

 泣き叫ぶミナトを、シーロンは傍で黙って見ていた。

「驚いたな…。」

 ヨミトが呟いた。

「世界を復活させるとは。ただのトリだと思っていたが、カオスに守られていただけのことはある…。」

 ヨミトはミナトたちの方を振り返った。

「カイトが死んだときも、そうやって泣いたのか?ミナト。」

 ククク、とヨミトが笑った。

「お前はもっと泣くことになる。世界が一時的に復活した所で、俺には何の支障もない。また壊すだけだ。結局、トリは無駄死にしたというわけだ。」

「無駄な死なんかない!!」

 ミナトは強く言い放った。

「エスリンは俺たちを助けるために命を懸けたんだ!」

 ミナトの体に光が宿っていた。

 全身が、光り輝いていた。

 ミナトは両手を広げて青い光球を生み出した。光球は、ヨミトに向かって飛んでいき、ヨミトの体を包んだ。

「こんなことをしても、俺には効かない。」

 光に包まれたまま、ヨミトは笑っていた。

 だが、ヨミトの体は、光によってじわじわと焼かれ始めていた。

「何!?」

 ミナトは両手を広げたまま、動かなかった。

 じっとヨミトを睨み据えている。

 ミナトの碧の目が、ヨミトを捉えて離さなかった。

「こんな馬鹿な…。」

 ヨミトの体は、青い光に包まれ、焼かれていた。

「俺がやられるはずはない!」

 ぐっと体中に力を込めようとした。

 しかしヨミトの体からは、何の力も生まれなかった。

 あれほどみなぎっていた力が、全て失われていた。

「俺はやられぬ!俺はこの世界の破壊者なんだああああああ!!」

 青い炎に焼かれながら、ヨミトは叫んだ。

 ヨミトの焼かれる様を、ミナトは怒りに満ちた目で見ていた。

 アマトは、悲しい目で二人の姿を見ていた。

「…もう終わったのだ。」

 アマトが言った。

 目の前で青い業火に焼かれているヨミトは、それでも目をぎらぎら光らせ、不気味な笑みを浮かべていた。

「俺は終わらない!!世界を滅ぼすまで!!俺は生き続けてやる!!」

「終わったのだ!!」

 強くアマトが叫んだ。

 アマトの声に、ミナトは我に返った。

 ヨミトが青い炎に焼かれている。

 ミナトは怒りに任せてヨミトを攻撃したことを覚えていた。

 ヨミトは笑っているが、虚しい笑いだった。

 ヨミトは叫んでいるが、虚しい叫びだった。

 それはやがて炎と共に消えていくのだ。

 ミナトの心を激しい後悔が襲った。

 争い。アマトの望まなかった争い。

 それも、兄弟で。

 これこそ罪ではないか。

 それを犯す覚悟は出来ていたはずだった。

 だが、今目の前にいるのは、哀れな一人の兄だった。

「エスリンの心は世界に伝わった。私にも。それが伝わらないお前には、この世界に生きる資格はない。」

 アマトがヨミトを指差した。

「私はお前に、罰を与える。」

「罰だと?もうお前には何の力もない。神の王ではないのだ。まだ分からないのか。」

 ヨミトは焼かれながら、高笑いをした。

「分かっていないのはお前の方だ。私は復活した。エスリンの力のおかげで。三宝の負の力は既に失われている。エスリンが浄化したのだからな。」

「何!?」

「もうお前は、ただの病んだ神だ。浄化のしようもなく、救いようのないぐらいに病んでしまった者だ。」

 アマトは目を閉じて、天を指した。

 光に包まれたヨミトは、そのまま天へ上昇していった。

 光は小さくなり、やがて見えなくなった。

「ヨミト。お前を救うことは出来なかった…。」

 アマトは呟いた。


 闇の中に、ヨミトは一人で立っていた。

「ヨミト…。」

 女の声がした。

「待っていたわ…。」

 ぼうっと目の前に浮かんだのは、美しい一人の女だった。

「私は、あなたの母。ガイアよ…。」

 ガイアはヨミトに似て、漆黒の長い髪と瞳をしていた。

「お前が…母?」

「そうよ。ヨミト。お前は私の子。私の愛する子…。ただ一人の。」

 ガイアは険しい顔になった。

「あとの二人は嫌い。憎いカオスに似ているから。…でもあなたは違う。私の意志を受け継いでくれた。」

 ガイアは微笑んだ。

「意志?」

「ええ。私の望みを叶えてくれたわ。世界を滅ぼすという望みを。」

「…。」

「私は、お前が生まれたとき、願いを込めたの。私の望みを叶えてくれるようにって。その通りになって嬉しいわ。お前は本当に、私の分身のように、私が望んでいることをしてくれた。」

「俺は自分の意志で行動していただけだ。お前は関係ない。」

「それは違うわ…。私がお前を遠くから見守っていたのよ。世界がなくなりますように。そう祈りながら。」

「何を言っているのか分からない。」

「さあ、ヨミト。世界を完全に滅ぼすのよ。まだ間に合う。私がお前を復活させてあげるわ…。」

「うるさい!何故お前が…母などと…。俺は一人だ。俺は自分自身の力で生きて来たんだ!」

「ヨミト…母が嫌いなの…?」

「そんなものはいない。」

「酷い…。」

 ガイアの美しい姿が変貌した。青白い顔、薄い色の吊り上がった目、頭には髪がなく、長い黒衣を纏った姿に。それはある種の美しさがあった。退廃的な美といったもの。

「やはり拒絶されるのだな…。ガイアはそういう運命なのだ。」

 黒衣を纏った者は言った。男とも女ともつかぬ声。

「私はデウスとガイアの融合体。死の結晶。お前に会いたいというガイアの願いを聞き、お前の夢へ現れた。お前はこれから生きるか死ぬかを選ばなければならない。ガイアの望みを聞くのなら、お前を生かそう。元の世界に戻るのだ。しかし、それが嫌なら、死んでもらうしかない。」

「俺は誰の指図も受けない。」

「そうか…。ならば死ぬがいい。」


 白い空間。何もない。

 ヨミトはそこにいた。

「ここは何だ…?」

 感覚はない。意識だけがあった。

「俺は、死んだのか…?」

「死んではいない。」

「誰だ?」

「お前の父だ。カオスだ。」

「カオス…!?」

「お前の魂が消える前に、私がここへ連れて来た。」

「ここは死の世界ではないのか?」

「私のいる場所だ。肉体を持たぬ者の場所。」

「俺には分からない…。」

「お前がお前である限り、お前自身は死なない。私がお前をここへ連れて来たのは、お前に謝りたかったからだ。」

「何故?」

「私は気が付かなかった。お前がガイアに呪われていたということに。私はガイアに酷い仕打ちをした。それはもう取り返しのつかないことだ。私の過ちのせいで、お前が苦しむことになってしまった。今更遅いが、私はお前にも酷いことをしたと思っている…。」

「俺は思うままにしていただけだ。呪われたなどと思っていない。」

「…ヨミト。お前はこれから、生まれ変わるのだ。私がそこへ導いてやろう。」

 ヨミトの意識は、カオスに導かれて、光の方へと向かっていった。


 世界は救われた。

 人間たちに、活気が戻っていた。

 以前の世界とは違う。もう、悪魔も魔物もいない。

 少しずつ、世界は復興していった。


「私の予見の通りだった。ミナトが世界を救ったのだ。」

 アマトは穏やかな微笑みを浮かべた。

「…俺は何もしてねえ。」

 ミナトの気持ちは沈んだままだった。

「ミナト…。お前には、随分と苦労をかけてしまったな。」

「苦労なんて…どうってことねえよ。」

 ミナトは一人駆け出した。


 水の宮殿。

 エスリンが残していった羽を手に持ち、ミナトは窓の所に座って外を見ていた。

「ミナト。」

 そこへ、シーロンがやって来た。

「シーロン!」

 ミナトは嬉しそうに笑った。

「しばしのお別れを言いに来たよ。」

「え…。もう行くのか?」

 ミナトは寂しそうな顔をした。

「ああ。故郷には戻れないけどね。やるべきことはまだある。」

「姫様を迎えに行くのか?」

「ああ。…ミナトも来ないか?」

「俺は…ここにいる。」

「そうか…。」

 シーロンは心配そうな顔をした。

「その羽は…エスリンの?」

「ああ。あいつが残していったんだ。」

「ミナト…。エスリンは世界を救ってくれただけでなく、俺たちも助けてくれた。あのとき、エスリンの心が伝わってきたよ。本当に優しい心を持っていた。」

「うん。」

「元気出せよ。」

 シーロンが、ミナトの肩をぽんと叩いた。

「ああ…。」

 ミナトは、シーロンに抱きついた。

「ありがとう…シーロン。」

 ミナトは泣きながらシーロンにしがみついた。シーロンもミナトを抱きしめた。

 二人は最後に固く握手をした。

 シーロンは、また来る、と言い残して、竜の姿で飛んでいった。

 ミナトはその姿をいつまでも見送っていた。


「そうだ…。」

 ミナトはふと思い出して、懐から何かを取り出した。

 それは、小さな緑色の種だった。樹海の主からもらった種。

「約束したからな。いい所を見つけるって。」


 太陽神殿。

「姉上。」

「ミナト…どうした?」

 アマトは優しい表情で微笑んだ。

「俺はしばらくの間、旅に出たいんだ。だから、海の国の王には戻れない。それに俺にはもう…そんな資格はないし。」

「ミナト。己を責めるな。ヨミトのことは誰が悪いわけではない。ヨミトを救えなかった私が、神々の王として、姉として力不足だっただけだ。私はむしろ、お前の行動が一番、ヨミトを救ったと思うのだ。ヨミトは今、おそらく転生している。」

「…転生?」

「何かに生まれ変わることだ。もう、神ではないが、何かの生き物に生まれ変わり、また私たちとどこかで出会うはずだ。ヨミトは既に救われている。」

 アマトは優しい目でミナトを見つめた。

「…そうか。兄上は今、他の生き物に生まれ変わってるのか…。」

 ミナトの顔に、明るい笑顔が戻った。

「じゃあ、エスリンも…?」

「エスリンは…どこかでお前を見守っているのだろう。」

 アマトは微笑んだ。

 ミナトも笑って空を見上げた。

 明るい日光の中、鳥が飛んでいた。


 ミナトはアマトに旅の許しをもらい、再び人間界へと飛び出した。

 樹海の主からもらった、緑の種を持って。

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