第15章「大洪水」
月が消える数時間前。
天岩戸の前にヨミトが立っていた。
「アマト…。」
「お前の企みは、ミナトによって打ち砕かれたようだな。」
中から、アマトの声がした。
「ミナトが、オロチを倒したことは知っている。…ヨミト。お前はオロチという存在によって人間に恐怖を与え、人間の心を恐怖で支配しようとしたのだろう。」
「既に人間は恐怖に支配されている。オロチはただの前触れにすぎない。これから起こる本当の恐怖…本当の支配のな。」
ヨミトはアマトの鏡を天岩戸の前でかざした。すると鏡がアマトに反応して光り、天岩戸が開いた。
「ここはお前の立ち入れる場所ではない!去れ!」
アマトが強く言った。
「もう、お前は俺に逆らえんのだ…。」
ヨミトは天岩戸の中に入り込んだ。
そして、空から月が消えた。
ミナトたちは、ヨミトの宮殿に到着した。
しかしどこにもヨミトの姿は見当たらなかった。
「あった!」
奥の部屋で、ミナトは三宝の一つである剣を見つけた。
ヨミトが儀式を行った部屋である。
台座には、三つの宝が並べられていたはずだが、ミナトの剣しか置かれていなかった。
「どさくさに紛れて、取り戻したぜ。」
ミナトは剣を布で巻いて背負った。
「…でもこの様子では、ヨミトは既に三宝の力を得たようね…。」
エスリンが言った。
「もう後戻り出来ねー状況だってことだろ。とにかく、ヨミトはどこに行きやがったんだ?」
「多分…アマト様の所だわ…。」
エスリンの碧の目が光った。
エスリンの目に映っているものは、アマトの持っている水晶玉にも映し出されていた。
アマトは、エスリンの目を通して、地上を見ているのだ。
ヨミトは、アマトの手から水晶玉を取り上げた。
「お前はいつも、これを使って世界を眺めていたな…。」
だが、ヨミトには何も見えなかった。水晶玉は、アマトとエスリンを結ぶ物。他の者が見ても、意味がないのだ。
アマトは身動きも出来ずにいた。ヨミトの力で、押さえつけられていた。
「これから、お前に面白いものを見せてやろう。」
ヨミトがにやりと笑った。
ヨミトは両手を伸ばして、天を仰いだ。
暗闇に包まれた地上世界。
世界に突如、雷鳴が轟いた。
「さあ、見るがいい。」
ヨミトは、水晶玉をアマトに投げた。水晶玉は、アマトの目の前の空中で止まった。
雷の力で破壊されていく地上の風景が、水晶玉に映っている。
「これは…!」
「そう。お前の負の力…それを俺が得たのだ。」
「何ということを…!」
アマトは青ざめた。
「これから、太陽と月が戦うのさ…水の中で。」
「何!?」
そして、ヨミトはアマトを連れて天岩戸の外に出た。
空が急に明るくなった。
太陽が浮かんでいる。
人々は、暗闇から解放された。
しかし、奇妙なことに、月も出ていた。
太陽と月が両方出ることは、この世界では有り得ないことなのだ。
太陽と月が、交代交代に出てきて、地上を照らす。
しかし今、太陽と月が並んで出ている。
人々は戸惑った。
「ヨミト!お前は一体、何を考えている!」
アマトはヨミトに拘束された状態だったが、意識は強く保っていた。
ヨミトは再び両手を伸ばして、天を仰いだ。
地上に、雨が降り出した。
大雨が、地上に降り注いでいた。
「これは…ミナトの力…?」
「雨を降らせるだけではない。洪水を起こすのだ。」
「止めろ!そんなことをしたら、地上は…!」
「そう。滅びる。水が、全てを流し去ってくれる。」
「そうはさせるものか!」
アマトは拘束された状態で、全身から眩い光を放った。
「無駄だ。俺の支配からは、何者も逃れることは出来ない。」
ヨミトは、くく、と小さく笑った。
「…だがさすがに、姉上の心までは支配出来ないようだが。」
「お前に姉と呼ばれたくもない!よくもこんなことを!」
アマトは怒っていた。地上を破壊されて、生き物を殺されて、アマトの怒りは頂点を超えていた。
地上は、大雨に飲み込まれ、雷によって破壊されていく。
動けないアマトに、ヨミトが近付いてきた。そして、アマトの頭を両手で掴んだ。
「お前の命を吸い取る。」
ヨミトの手は、アマトから命のエネルギーを吸い取っていく。
アマトの全身から力が抜けていった。
「エスリン…!…ミナト…!!」
アマトは、心の叫びを上げた。
「アマト様…!」
「どうしたんだ?エスリン。」
「アマト様が…苦しんでいる…。」
「姉上が!?」
「アマト様は…ヨミト様に…。」
「くそ!天界に行きてーけど、天界に通じる高天原には、今の俺は入れねー!」
「俺が竜になって飛んでいけば、天界に行けるかもしれない。」
「そういや、竜人族は神と同じレベルなんだっけ?だったら、もしかしたら行けるかもな。」
「ぐずぐずしてられない。シーロン、お願い!」
シーロンが竜に変身すると、真っ先にエスリンが飛び乗った。その後からミナトも乗った。
「行くぞ!」
ミナトたちは、天界目指して猛スピードで飛んでいった。
月の国を出ると、海の国は凄まじいことになっていた。
大雨が降り、雷が鳴り響く嵐の中を、ミナトたちを乗せたシーロンが飛んでいく。
「これは一体何なんだよ!まるで…。」
一面の海。
荒れ狂う波がまるで巨大な怪物のように、陸地を削り喰らっていく。
地上の陸地はほとんど水の怪物によって削り取られ、消滅していた。
全てを飲み込む大波。暴風雨。水の力が世界を破壊していく。
「これも、ヨミトの仕業なのか!?」
雷がミナトたちを襲ってきたが、シーロンはすばやくかわしつつ飛んでいた。その速さは風のごとく、電光石火。
「振り落とされるな!しっかりつかまってろ!」
シーロンは大声で言い、更にスピードを上げて飛んだ。
前方に、高く高くそびえる山が見えてきた。高天原だ。
この山を越えると、太陽の国、天界がある。
シーロンは上昇し始めた。
遥か下にある東の都だけが残っていた。
都の中心に奉られたアマトの剣が、都を守っていた。
天界の神々たちは、地上の異変に気付いていたが、どうすることも出来なかった。
気付いたときには、もう遅かったのだ。
ヨミトは三宝の力を手にし、アマトをも超える存在となってしまった。
その正体は、悪。
悪魔よりも狡猾で残酷な神。
自然界は巨大な負の力で乱れ、混乱を極めた。
神々も混乱していた。
制御出来ない力に支配され、世界は乱れた。
白銀の大きな竜が、翼を広げて天界に現れた。
太陽神殿の前に、竜は降り立った。
その背中から二人が降りると、すばやく竜は人の姿になった。
「アマト様…!」
「待てよ!エスリン!」
一人駆け出そうとするエスリンを、ミナトが押さえた。
「アマト様が危険なのよ!」
「分かってるよ。でもお前はいつもの冷静さを失ってる。少し落ち着けよ。」
「…でも…。」
「大丈夫だ。姉上はヨミトなんかにやられたりしねーよ!」
ミナトはにっと笑った。
「…そうね。」
エスリンは落ち着きを取り戻したようだった。
「ここが天界…。」
シーロンは、初めて来た天界をぐるりと眺めていたが、すぐにミナトたちに向き直った。
「今は感心している場合じゃないな…。とにかく、その天岩戸という場所に行こう。そこにいるんだろう?」
「ええ、おそらく。」
エスリンが頷いた。
「もう追い詰めた。ヨミトを…。ここで。」
ミナトは、きっと顔を引き締めた。
三人は、天岩戸に向かって走り出した。
天岩戸は、太陽神殿を出て、ずっと奥に行った所にある洞穴だ。
アマトしか立ち入ることの許されない、神聖な場所である。
しかしそこに、ヨミトが足を踏み入れてしまった。
アマトだけの空間は、ヨミトによって乱された。
そしてアマト自身もまた、ヨミトによってその命を危険にさらされていた。
「ふふん。来たな…愚か者どもが。」
ヨミトは、ミナトたちの気配に気付いていた。
ヨミトの足元に、アマトが倒れている。
「ヨミト!!」
叫んだのはミナトだった。
「姉上に何をした!?」
倒れているアマトを見て、ミナトの怒りが更に高まった。
「アマト様!」
エスリンが叫んだ。アマトからの返事はない。
「何をしたって…?命を吸い取ったのだよ。」
ヨミトは、片足でアマトの頭を踏み付けながら言った。
「やめろ!!」
ミナトは激昂した。
「死なせはしない。アマトには最後まで見届けてもらいたいのでね。世界が滅ぶさまを。ただし、もうアマトが目覚めることはない。アマトの意識は残っているが、それだけだ。それだけで世界の滅亡を見ることが出来るだろう。」
アマトの体は植物のような状態になっており、意識だけが
「よくも姉上を…。」
「お前の性格は分かっている。このように…。」
ヨミトはアマトの美しい金色の髪を掴んでそのまま持ち上げると、いきなり地面に叩き付けた。
「てめー!!」
「わざとこんなことをしてみると、お前は怒る。そして、我を忘れて殴りかかってくる。」
ヨミトのセリフが終わらないうちに、ミナトはその通りの行動を取っていた。
「だから、お前はバカなのだ。」
ミナトは軽くあしらわれ、突き飛ばされた。
「地上に大洪水を起こしたが、面白いな。ミナトの力は面白い。お前も天界に洪水を起こしたことがあったが、世界を滅ぼすのに最も効果的な力だな。」
「そんなことに…俺の力を使うな!」
「さて、それよりここへ来たということは、アマトを助けに来たのだろう?だがアマトは助からない。それが分かっただろう…。」
「てめーを倒せば、姉上は助かる!」
「例え俺を倒しても、無駄だよ。アマトはもうだめだ。それに、世界ももう終わりだ。」
「終わりじゃない!俺がいる!!」
「バカに何が出来る。」
ヨミトは、ミナトに青い炎を放った。
「ぐあっ…!」
ミナトは青い炎に包まれて、苦しんだ。
「ミナト!」
シーロンが、ヨミトに向かって炎の玉を放ったが、全てヨミトの前でかき消えた。まるで、ヨミトの前に見えない壁でもあるかのように。
「仲間が増えたんだな…その者は…竜人族。」
「月の神がこんな者だったとは。その上、ミナトの兄…いや、ミナトの兄とは思わない。悪いが全力で倒させてもらうぞ。ミナト!」
シーロンは竜に変身した。そして、空中に飛び上がって勢いをつけて、ヨミトに向かって体当たりした。が、それはヨミトの幻だった。ヨミトは、いつの間にかシーロンの背後に立っていた。
(幻…!?)
ヨミトは顔色一つ変えずに、竜の姿のシーロンに向かって左手をかざし、青い炎を放った。葵炎はシーロンに巻き付いて、全身を覆った。冷たい激痛がシーロンを襲った。
「グアアアア!」
シーロンは竜の姿で、苦しみ悶えている。
「あっけないものだな。」
ヨミトはにやりと笑った。
横から光が飛んできた。ヨミトは正面を向いたまま、それを右手で受けた。それはエスリンの光で作った矢だった。
「もう、俺にはカオスも関係ない。」
光の矢は、ヨミトの手の中で消えていった。
「そんな…。」
エスリンはすばやく後方へ下がり、風の刃を飛ばした。しかしそれも、ヨミトの見えない壁に当たって消えた。
二人が倒れて苦しんでいる。エスリンは一人、ヨミトに立ち向かっていた。
「あとはお前だけなのだ。使鳥…エスリンよ。」
ヨミトは目を鋭く光らせて、エスリンを見つめた。
「アマトの持ち物であるお前を手に入れる…。」
「お前なんかに従うものか!」
エスリンは光の矢を作り出し、ヨミトに向かって放った。光の矢はヨミトを貫いたように見えたが、またもそれは幻だった。
「あっ!」
エスリンの背後に回ったヨミトは、エスリンの羽を両手で捕まえた。
そして、その羽をへし折った。
「ああ…!」
エスリンはそのまま倒れた。
「確かに滅んだ世界でたった一人生きるのは退屈かもしれん。お前が俺の使鳥になれば、少しは退屈な世界も紛れる…。」
ヨミトの目が、赤く光り出した。
「三宝の力によって、俺が全ての支配者になった。例えば、こんなことも出来る…。」
空に浮かんだ太陽と月が、ゆっくりと上昇し始めた。
太陽は月に、月は太陽に向かって半円形に動いている。このままでは、二つが衝突してしまう。
「…俺の力が強い今、太陽は消滅する。月だけの世界になる。闇の世界だ。俺の世界。お前も、俺の世界の支配物となるのだ。」
「絶対に私は、拒否する!」
エスリンの体が光り出した。
「エ…エスリン…?」
ミナトは苦しみながら、エスリンの姿を見ていた。
光に包まれたエスリンの体が、大きな鳥の形となって、空に浮かび上がった。
「何だ…一体…。」
ヨミトは天を見上げた。
光の鳥は、輝く光の羽を無数に降らせた。
黄金の羽がひらひらと散っていく。
静かな天界の空に。
しかし、その下では、地上が大洪水によって破壊されている。
時がゆっくりとした流れの中にあるようだった。
太陽と月が衝突しそうになっている。
その間に小さな光があった。
その光が、二つを戻し始めている。
太陽と月は下降を始めた。
羽は徐々に消えていった。
そして、光の鳥の姿も消えていった。
倒れていたエスリンも消えていた。
「エスリン!?」
ミナトは立ち上がった。苦しみが消えていた。
「さようなら。」
どこからか、エスリンの声がした。
「エスリン!!」
ミナトは辺りを見回したが、どこにもエスリンの姿はなかった。
ただ、一本の羽が、ミナトの上に落ちてきた。
金色の美しい羽。
羽を手に取った瞬間、ミナトは感じた。
エスリンがこの世界から消えたということを。
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