ぱぴこ

あにょこーにょ

ぱぴこ

ぱぴこ


 今日も飛花《ひか》くるりは、ドラッグストアに寄ってから、自宅へと帰宅しようとしていました。エコバックを忘れたくるりは、たくさん本が入ったリュックの中に、なんとかパピコと麦茶パックを詰め込み、ゆらゆらと重さを感じながら歩いていました。


 ひんやりとしていて、くすりっぽい匂いのドラッグストアの外は、雨上がりであるせいか、いつもよりすこし暑さが和らいでいました。暗くなりかけていて、遠くに見える住宅街からもれ出る光を追いかけるように路地を歩くと、野良猫になっている気分でした。ベルベットみたいな手触りのいい真っ黒の毛、澄んだ黄金色のひとみをぴかぴかさせて、生きているということを踏みしめていました。


 その帰り途、

「あ、」

くるりは思わず声をもらしました。向こう側から、太田健が歩いてきたからです。くるりは困ってしまいました。太田さんに声をかけるべきなのか、よく分からなかったからです。太田さんと目があいました。少し太田さんの目が大きくなり、瞳がきらりと光りました。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 お疲れさまって言ったって、太田さんが今日、何していたのか、知らないけれど。

 今しかない。くるりは、そう思いました。今を逃せば今度会えるのはいつになるのか分からないのです。くるりは道路の向こう側に渡って、太田に近づきました。太田はくるりが近づいてきたことに意外そうな表情を見せました。

「いま、どこで働いているんですか?」

 太田さんは口を開きかけて、また閉じました。一瞬の困り顔。逡巡。その話から始めるか、と言わんばかりに。

「うん、今はね、辞めちゃったから、色々ね。」

 濁された答えに、くるりは返答に困ってしまいました。どんな顔をしていいのか、分かりませんでした。


 くるりはリュックの中で拘束されたパピコのことを思いました。すこしずつ、やわらかくなっていく二本の茶色いチューブ。抱き合った男女みたいな形。

 いや、そんなことどうでもいいのです。くるりは話を続けることにしました。この時間を何度も、何度でも延長戦に持ち込もうと思いました。

 アイスなんて、冷凍庫に入れれば、なんとでもなるから。しかもパピコなら特に。

「髪、切ったんだね」

「ばっさりいっちゃいました」

「うん、最初誰だかわかんなかったよ」

「暑くて、なんだか寝にくくて」

 くるりは、言い訳がましく付け足しました。

「髪が長いと、寝にくいことってあるのか、そうか」

「いや、私だけかもしれないですけど。髪の毛切った時、切られた髪が束になって、すこしさびしくなりました。そういう経験って、太田さんにはありますか」

「うん。ある。そういう感覚。で、なんかよくわからんけど、遠足の前の日を思い出す」

「あ、それ、わかります。多分なんかの本でそういう描写、あった気がします」

「髪の毛なんて、死んだ細胞だから、切り刻んだって何もありはしないのにね」

 太田さんの言った言葉に、底知れぬ暗闇を見た気がしました。これまで、そんな太田さんを見たことなかった。

「……俺さ、いま、死体安置所で働いてんだよ。死体安置所ってね、お給料、結構いいんだよ」

 したいあんち。しなやかな蒼白い肢体が寝かされている。腐らないようにする薬品のにおい。冷たいかぜがすぅっと顔や、腕や、ふくらはぎを撫でて、ぶるり、小刻みにふるえる。ぴちょ……ぴちょ……。どこからかきこえる水の音。くるりはそのような想像をして、太田とともに働いていたとき読んだ本を思い出しました。

「死者の奢り、みたいですね」

 くるりは、死者の奢りのあらすじじゃなく、一番好きな場面を太田さんに話しました。くるりはひどく説明が下手で、へどもどしていたのに、太田さんはちゃんと話をきいてくれました。話を最後まで聞いてから、返事をする。彼のいいところはそこだ、とくるりは思います。

 最後に彼は、こういいました。

「切り刻むことを考えるんだ。死体をぐっちゃぐっちゃにね」



 くるりはそれから毎日、パピコを買って帰ります。願掛けのように、ジンクスのように、それを続けているのです。

 そんなくるりの様子を、私は毎日窓辺に置いてある金魚鉢の奥から眺めています。金魚鉢越しに見えるくるりは、チョコレートのように甘く、アイスクリームのように儚く、私の心を満たしてくれます。

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ぱぴこ あにょこーにょ @shitakami_suzume

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