#3

「これを『ガトー作戦』と名付けよう」ステイシーが意気込んだ。

 家庭科実習室。笹塚ささづか教官と家庭科部部員に混じって、部外者の紘香ひろかとステイシーがいた。

 家庭科部部員は六名いたが、みな中等部の生徒だった。そこに高等部の生徒が二人紛れ込み、しかも大きな顔をしている。

 頭一つ抜き出た長身の麗人は、騎士団長のように「部下」に指示を出す。

「まずは生クリームや。鍋班、テンパリング班、ミキサー班、配置につけ!」大阪弁だ。

 参謀はもちろん笹塚教官だった。ステイシーは大きな声で笹塚教官の指示を伝えるだけだ。

 紘香は苦笑いしながら見守った。

「あなたも手伝うのよ」笹塚教官が紘香に言った。

「そや、ぼうっとしてたらあかんぞ!」

「ステイシーもね」

「お、おう……」

 笹塚教官に言われて、ステイシーも位置についた。

 ガトーショコラを何とか作ろう作戦。略して「ガトー作戦」が開始された。

 材料はこの学園の厨房にあるもので間に合わせるしかない。

 卵、成分無調整牛乳、無塩バター、薄力粉、砂糖。

 そこにどうにかして手に入れた板チョコとココアパウダー。

 生クリームがないので牛乳とバターでつくることになったのだ。既製品を買って持ち込もうとすると検閲する教官によっては排除されると笹塚教官が言った。

「ホイップには植物油脂が含まれているし、生クリームで添加物のないものでも、『何に使うの?』と訊かれるのよ。板チョコを持ち込むだけで精一杯ね」

 毎日精進料理ばかり食べさせる学園は、食事の素材にうるさかった。決してベジタリアンというわけではない。添加物だとか、遺伝子組み換え食品に過剰反応を示すのだ。そういうものをゼロにするのは困難と理解しつつも可能な限り排除する姿勢を見せていた。

 実際、板チョコを持ち込む際もひと悶着あった。検閲が成瀬なるせ教官だったのだ。

「このチョコレートは何に使うのですか?」成瀬が笹塚に訊いた。

「茶道部のお茶会のお菓子のひとつを作る際に利用しようと考えています」笹塚は丁寧に答えた。

 成瀬が成分表示を見て言った。

「アレルギー物質として大豆と書かれていますが、これは遺伝子組み換えでないものでしょうか?」

「特に書いていないから、遺伝子組み換えかもしれませんね。でも乳化剤のレシチンが大豆由来というだけで、ごくごく微量で体に影響はないと思いますが」

「そうですか……」

 没収されることを考えて寮長のジョアンにも板チョコを持たせていた。寮長経由で手にすることはできる。しかしそれで作ったものが成瀬の目に触れては同じことだった。

「良いでしょう」成瀬は承認した。

 そういうことがあってようやく板チョコとココアパウダーを持ち込んだのだった。

 生クリームは、出入りしている県内の牧場から入手した牛乳とバターで作ることにした。

 生クリームができないことには次の手順に進めない。冷やしたりするのに時間がかかるので、午前の授業が始まる前に生クリーム作成の手順を終えた。

「あとは見ておくから」笹塚教官が言い、紘香たちは午前の授業を受けた。


 そして昼休みに家庭科実習室に再び集合。チョコレートの湯煎作業を始める。

「温度は五十度から五十五度や」指示を出すステイシーの口が不自然に動いている。

「何、食べてるのよ」紘香は呆れた。

「ええやん、少しくらい」チョコをつまみ食いしている。「昼飯だけやと倒れてしまうわ」

 ジョアンに持たせていた板チョコを回収して良かったと紘香は思った。つまみ食いで、なくなってしまっては元も子もない。

 湯煎で溶かしたチョコレートと、出来上がった生クリーム、さらにバターを合わせて、またも湯煎。電子レンジがないために手間がかかる。

 ここからはボール・メレンゲ班の活躍だ。材料を順次混ぜ合わせていって、最後に薄力粉とココアパウダーを混ぜ合わせ、オーブンにかけた。電子レンジはないのにオーブンは立派にある。

「つづきは放課後ね」

 結局、笹塚教官が全工程をみたのだった。


 そして午後七時半。夕食後に紘香とステイシーは家庭科実習室にやって来た。試食会である。

「夕食の後だけれど」

「別腹やしな」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 笹塚教官と家庭科部部員六名もいた。

「今日は半分だけ食べましょう。もう少し寝かせてから、明日また味わうと良いわ」笹塚教官が言った。「違いを感じるのも試食」

「なるほど」ステイシーはすでによだれがあふれているようだった。

 笹塚教官が十二等分に切り分けた。

「一、二、三、四……」ステイシーが人数を数える。

 数えるまでもなく九人だ。

「三つあまるな。それは明日か?」

 しかしなぜか皿は十個用意され、ガトーショコラも十個載った。

「先生、二つ食べはるんですか?」

「いや、もう一人来るのよ。監察官が」笹塚教官が言った。

 すると、ほどなくして十人目が現れた。

「「え?」」紘香とステイシーは声が出てしまった。

 成瀬なるせ教官だった。

「試食会、お招きありがとうございます」

 丁寧に頭を下げる成瀬。紘香には皮肉に聞こえた。

「お茶会に出すには監察官の承認を得ないとね」笹塚教官が言った。

 笹塚の指示で家庭科部部員が紅茶をいれた。

「うわ、アールグレイや。これ好きやねん」ステイシーは喜んでいる。

 しかし紘香は主張の強い紅茶が苦手だった。

「甘いのには合うわよ」笹塚教官が言った。

 揃って手を合わせ、試食が始まった。

「うーーー、これよ、これ!」ステイシーが感動している。

 家庭科部部員たちも目を丸くし、そして笑顔になっていた。

 ずっと寮に住んでいて自宅に帰る機会がないとこのような菓子を口にすることはない。ひょっとしたら初めてガトーショコラを食べたのではないかと紘香は思った。

 口の中でとろける。そして甘い。

 店で買うものよりずっと甘かった。

 思わずティーカップを手にしてアールグレイを口の中に流し込んだ。苦みが甘さと交わった。

 確かに、このコラボは悪くない、と紘香は思った。

「おいしい……」紘香はつぶやいていた。

「シンプルな材料でつくるガトーショコラはこのような味なのですね」成瀬教官が訊いた。

「ちょっと予想以上に砂糖が効いているね」笹塚は言った。

「自家製の良さが出ていると思います」成瀬は無表情だが手と口は動かしていた。

「ありがとう、理恵ちゃん」笹塚教官が笑みを浮かべた。

 紘香とステイシーは「ん?」と顔を見合わせた。

 どうも笹塚教官と成瀬教官はいわくのある関係のようだ。キャラは全く異なるが歳は同じだ。

 このガトーショコラは笹塚教官から成瀬教官にあてたバレンタインチョコなのではないかと紘香は思った。

「お茶会に提供してもよろしいですかね」笹塚教官が訊いた。

「良いと思われます」

「よっしゃああああ!」

 ステイシーは極力声量を抑えて拳を握った。もちろんそれは実習室に響いた。

 ふだん味わえないまったりとした空気を紘香は楽しんだ。

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