憎悪

 スターバックスは商店街の中――写真を撮った場所から歩いて十分程度の所にあった。建物は商店街の中にあるにしては割と大きめで、二階は別のテナントを兼ねているようだった。

 ぼくはスターバックス――スタバに来たこともなかった。何だか居心地が悪かったが割と空いており、苦痛というほどでも無かった。ぼくはクランチアーモンドチョコ、男はコーヒーとドーナツを頼んだ。

「でも、偶然自殺が映っちゃうなんてな」

 男は席に座ると口にした。

「全部、映ってるの?」

「お姉さんがビルの屋上にいて、飛び降りるところまで……ほんとに偶然なんで、綺麗には映ってないですけど」

「ちょっと、見せてくれる?」

 スマートフォンを翳し、男に見せる。男は直視する。

「こんな高いとこから……辛かったよな」

 奇妙な感覚を抱いた。自分だけが知っていたという、特別感が抜け出していったような。それでも、どこかでほっとしている自分がいた。

「ニュースで見なかった? おれの姉さんについて」

「見ましたけど、ほとんど何も……自殺としか」

「だろうな。でも、本当は姉さんは遺書を残していたんだよ」

「え――じゃあなんで」

「遺書はおれが隠した。家族に触れないようにな」

「どうしてそんなことを……」

「犯人に復讐するためだ。目星は付いてる。姉さんの彼氏だ」

「なんで分かるんですか?」

「これを読んでくれ」

 男は自分の横の椅子に置いていたリュックから、折りたたまれた紙を取り出した。それをぼくに渡した。


 お母さん、お父さん、秀樹へ

 ありがとう。そして、こんなことになることをごめんなさい。

 言ってなかったけど、わたしには彼氏がいました

 新野義隆っていう、同じ大学の学生です

 優しい人だと思っていました 最初のうちは本当に優しくて わたしを気遣ってくれていました

 でも、だんだん態度が変わってきて

「おまえなんかおれの数ある女の一人」だって

 平然と浮気してるって告げられました

 彼にわたしのことだけ愛して欲しいって伝えても「うるさい邪魔だ死ね」

 酷い言葉ばっかり

 いっぱい、酷いことを言われて

 何回も説得したのに最後は蹴られました そのときのことは忘れられません

 頭の中が本当に真っ白になって何も考えられなくなりました

 もう辛くて

 彼のことを嫌いになりたくないけどどうしようもなくて

 考えても考えても辛いことだけ浮かびます

 それがなおさら辛いです もう耐えられません

 自殺なんてだめだって分かっているけど、本当に辛いです

 お母さん、お父さん、秀樹へ

 今までありがとう。本当にごめんなさい


 動悸が激しくなった――文章を直視しているのに、視点がぼやける。自然と目が滑っていた。あの時のこと――頭を締め付ける。こんなふうに悩んで、人が死んでいったんだ――人の死が急速に現実感を持って立ち現れてくる。この人の暮らし、この人の苦しみ――ぼくは何も知らないからと考えもしなかった。ただ、死を目撃してこの手に収めてしまったという現実に恐れおののくばかりだった。

「これ、隠したってことですよね……お父さんとお母さんには、見せてないってことですか」

「うん」

「なんで……」

「そのことを言ったら、親は彼氏を警察に突き出すだろう。そうなっても、どうせ数年で釈放だ。そんなのおれは許せない。絶対に、自分でやってやるんだ。姉さんの死に見合った、正しい罰を」

 男――秀樹は怒りに打ち震えていた。

「どうするんですか、これから」

「もちろん、復讐してやるのさ」

「ぼくも、なんか手伝いたいです。何か、できませんか」

 ぼくは自分の言葉に微かに驚いていた――平凡な暮らしに甘んじることしか出来ないぼくが、こんなことを言い出すなんて。

「ありがとう。きみ、写真好きなんだって?」

「はい」

「じゃあ、おれと新野……姉さんの彼氏を見つけ出す手伝いをして欲しいんだ。姉さんと同じ岸浜文化大学だから、おれが探ればすぐ分かる。そして新野に姉さんの死の原因になったことを自白させるから、きみはそれを動画にとって欲しいんだ」

 秀樹はまた、一息にまくし立てた。自分の言葉の響きに彼がとりつかれているように、ぼくには感じられた。

「ぼくが?」

「ああ」

「あと、新野はおれのこと知ってるかもしれない。だから、そこんとこ、きみに協力して欲しいんだ」

 喋った後、秀樹は自分のコーヒーを全て飲み干した。ぼくはなんとなく何も言えず、目を伏せて彼の表情を窺った。

「姉さんがビルから落ちて死んだ以上の苦しみを与えてやる。姉さんの死を見せて、おまえはこれ以上に無残な目に遭っていくんだって教えてやるんだ……」

 秀樹は呟いた。秀樹の表情、声色――危険な香りがした。

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