日常と予感
指定された場所――岸浜文化大学、そのすぐ近くのコンビニ。そこで炭酸飲料だけを買って、外に出る。ぼくは大きく息を吐いた。
結局来てしまった。
――岸浜文化大学はこの駅で電車に乗って、終点まで行けば見えるところにあるから。
ぼくは初めて電車に乗ることになった。不安だったので、昨日の夜は時刻表を布団にくるまりながらスマートフォンの画面で何度も確認した。が、いざ乗ってみると切符を買ってしまえば何もする必要が無く、思ったより簡単なのだと知った。
――真面目そうな服にした方がいい。少し高価そうな方がいいかな。
秀樹はぼくに服をくれた。ブランドなんか、ぼくには分からない。ただ、家族以外に何かをもらったのは初めてだった。
――とりあえず、これから活動するときはこれを必ず着てくれ。いざというときこっちから見つけやすいから。
ぼくは硝子に映る自分の姿を見た。確かに、少し高級そうにも見える。窓硝子に向かってポーズをとってみる。着ていると少し暑かった。
――新野本人に直接会うのは危険だから、他の人から新野について探ろう。普段どこにいるとかについて分かれば、そこから自白をとるための計画が立てられる。
大学の敷地に入り五人に話しかけたが、新野について知っている人はいなかった。誰かに話しかけるのは苦手だ。それでも、初対面の人たちなのでまだ気が楽だった。同じ集団の中で一人、暮らしていく息詰まる空間――普段の高校生活よりは。きっとこの人たちと二度と会うことはないので、ぼくの人生にほとんど影響はないだろう。
ベンチに座っている女の人に話しかける。これで六人目。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか」
「何?」
「ぼく、この大学を志望しているんですが」
「あ、そうなの!是非頑張って。おすすめだよ」
女の人は溌剌とした笑顔を見せた。声色、仕草――学生生活が充実しているのだろう。それはぼくにはないものだった。だが、どんなにいい大学でも、誰もが充実しているなんてことはあり得ない。現に、秀樹の姉――五十嵐秀美は、自ら命を絶った。
「ありがとうございます」
ぼくは微笑みを返した。
「あの、新野先輩ってご存じですか?」
「え、なんで?」
「ぼく、あの人に憧れてここを目指してるんです」
でまかせ。
「嘘! だって彼、めっちゃ雰囲気悪いよ。きみとは全然タイプ違うし」
ぼくは曖昧な笑みを浮かべた。
「聞いた話だけど、なんか、新野って不良と連んでるって噂だよ。どっかでタトゥーあるやつと煙草吸ってるの見たって」
女の人は喋り続ける。
「新野さんって何処で会えるか知ってますか」
「ごめん、それはよく分からないけど――でも、絶対、関わらない方がいいって」
それから五分程度談笑した。どれも、取るに足らない話だった。
「ありがとうございました。あと、最後にどうでもいいことなんですけど、五十嵐秀美さんってご存じですか」
――姉さんの話は出さない方がいい。姉さんは家族にも新野との交際について一言も知らせていなかったし、大学に対してもそれは同じだろう。どうせ無駄さ。それに、そこまで話したらいろいろ勘ぐられるかも知れない。新野と違って、何度も聞ける話じゃない。大学にとっても学生の自殺はセンシティブな話だろうから。
秀樹からは秀美については聞かなくていいと注意されていた。それでも、屈託のない明るさをもつこの女の人に、何故かぼくは疑問を――彼女の死をぶつけてみたくなったのだ。
「その人……! つい最近、自殺したんだよ」
「え――そうなんですか」
寝耳に水――と言ったふうの驚いた表情をぼくは作った。また、でまかせ。
「私はその人……五十嵐さんと話したことなかったからよく知らないけど、おとなしめな人だったらしいよ。だから、あんなことになったわけが分からなくて……遺書も何も、無かったらしいし」
「わかりました」
遺書――秀樹が隠した。新野に復讐するために。そしてぼくは、彼の言うとおりにここに来て、新野について調べている。
この人の何気ない話――ぼくの心の中で、蠢くものがあった。おとなしめで、自殺する心当たりを誰も知らない秀美。誰にも新野との関係を告げていなかった秀美。
ぼくが自殺したら世間は同じような反応をするだろうか。
「今日はわざわざありがとうございました」
ぼくはお礼を口にし、頭を下げた。歩き出す。
「頑張ってね」
女の人は最初と同じ、溌剌とした笑顔をぼくに返してくれる。ぼくは笑顔を向け、その場を後にした。一旦校門を出る。割れたアスファルトに出来た水たまりにゆらゆらと浮かぶぼくの顔――冷たい顔をしていた。
大学から最寄りのガストでぼくらは向かい合わせでご飯を食べた。秀樹はハンバーグを頼んだが、ぼくは晩ご飯があるからと言い、一番安いパンケーキを頼んだ。今回はぼくがお金を出しますと言ったが、「付き合わせてるお詫びだから」と秀樹は聞かなかった。
「そうか……新野についてあんまり分からなかったんだな」
「はい――素行が悪いとか、不良と付き合ってるとか、それぐらいしか」
「もっといろいろ、聞いて回った方がいいな。おれはその間新野を追い込めるように、準備してるから」
ぼくは何も言わず、パンケーキを切って口に入れた。頑張ってください――何故かその言葉は言いづらかった。既にぼくも彼の計画の片棒を担いでいるというのに。
「ありがとうな。おれの事情なのに」
「いえ……大丈夫です。どうせ暇なんで」
それからぼくたちは、黙々と食事にいそしんだ。思い詰めたように一点を見つめる秀樹を見て、ぼくは不安になった。秀樹から感じる危うさは最初にあったときと変わらなかった。
晩ご飯は鯖の塩焼きだったが、当然お腹は空いていなかった。宿題をしてからシャワーを浴び、自分の部屋でベッドの上に転がる。
日曜日は終わり、またいつもと同じような一週間が始まる。秀樹周りのこと以外、ぼくの日常に変化はない。今日もまた、ベッドの中で、五十嵐秀美が自殺した動画に見入る。これはどう考えても異常だと、ぼくには分かっている。それでも、あの日目にしてしまった光景は脳味噌にこびりついたままだ。
秀樹はどうするつもりなんだろうか――絶え間なく浮かぶ疑問。まだきみと同じく途中だから――ガストの帰りに質問したが、そう言って彼ははぐらかした。秀樹の復讐が達成されたとして、ぼくはそれをどう目の当たりにして、何を思えばいいのか――
考えても何も分からない。そのうち頭が痛くなってきた。早くこの糸がほつれたような感情から解放されたかった。何に対しても整理をつけられないまま、ぼくは眠りに落ちていく。
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