第5話「二人で見上げた桜景色は、あまりにも綺麗すぎて泣きたくなった」

 眩しすぎる太陽の光が綺麗すぎて、青い空が眩しすぎて、私はどちらも苦手だった。

 曇り空や、雨の日がちょうどいい。

 雲や雨は惨めな自分を隠してくれるから。


「お邪魔しても大丈夫?」

「あ、七瀬ななせの隣にいるのは、もしかして……」

「私の大切なプリームラ」


 プリームラは、プリマローゼにおもてなしされる側のこと。

 私は、七瀬ちゃんにもてなしてもらう側ということを示す単語が飛び交う。

 体温が急に上がったような気がして、私は自分の顔が真っ赤に染まっていないか顔を覆いながら七瀬ちゃんのあとを付いていく。


「好きに使っちゃって」

「ありがとう」


 中庭に案内されると、何人かの生徒が空に向かって伸びる桜の花を愛でていた。

 二人組で行動している人たちが多くて、ここにいる人たちは『おもてなし制度』で巡り合った先輩後輩なという間柄なのかもしれない。


鹿野かのさん」


 布製の鞄からブランケットを取り出した七瀬ちゃんは、地面にそのブランケットを敷いて私を手招く。


「あの……」

「これでもう、制服は汚れないから大丈夫」


 ブランケットの上に腰を下ろして、七瀬ちゃんはそのまま体を倒して寝転んだ。

 中庭は私たちの貸し切りじゃないのに、七瀬ちゃんは自由奔放に動き回る。


「もう少し暖かくなると、最高のお昼寝ができるんだよ」


 一瞬だけ瞼を下ろした七瀬ちゃんだったけど、すぐに私のことを視界に入れてくれた。


「恥ずかしい?」


 首を横に振って、七瀬ちゃんの言葉を否定する。

 ここにいる生徒たちは、誰も私たちの行動を気にしていない。

 それに気づいた私は、急いで七瀬ちゃんの元に向かった。


「あの……その……」

「やっぱり恥ずかしいかな? 中庭で、横になるなんてね」


 七瀬ちゃんが用意してくれたブランケットの上に寝転がり、隣にいる七瀬ちゃんを見つめる。


(綺麗……)


 七瀬ちゃんは相変わらず綺麗な笑みを浮かべていて、躊躇いや不安を抱く私を叱りつけるような目とは縁遠い。


「桜の木を下から見上げると……」

「あ……」


 枝や咲き誇る花の隙間から、オレンジ色に染まりゆく空が見える。

 太陽と一緒になって輝きを放っていた青い空が、ゆっくりと橙色の空に溶けていく瞬間。

 今までの人生で気にしたことのない空の色が、今日だけは純粋に心惹かれた。


「凄く……綺麗です……」

「両想いだね」

「え!?」


 誰も私たちのことを気にしていなかったのに、特別大きな声を出してしまった私は周囲の視線をいっぱい浴びる。

 けれど、それらの視線は痛くもなんともない。

 穏やかな笑みで私たちを見たかと思うと、みんなの視線はどこか別の場所へと向かっていく。


「ふふっ、可愛い」


 七瀬ちゃんの笑い声が溢れてくる。

 笑顔の七瀬ちゃんを見て、自分の心が落ち着くのを感じる。

 でも、心は落ち着き始めているのに、心臓の動きは速まっているような気がする。


「ごめんね、笑って」


 七瀬ちゃんの手が、私の頭を優しく撫でる。

 七瀬ちゃんに触れられたところがくすぐったくて、身を捩らせて反応を示す。


「綺麗だと感じた瞬間が同じだったことが嬉しくて」

「それで、両想い……?」


 七瀬ちゃんと、見つめ合う。

 こんなにも近い距離で見つめ合ったことがなくて、恥ずかしいという気持ちが私に闘争を促そうとする。

 けれど、私の瞳に七瀬ちゃんが映って、七瀬ちゃんの瞳に私が映って、視界いっぱいに広がるすべてが美しすぎて離れられない。


「うん、鹿野さんと私は両想い」


 鹿野さんと呼ばれた瞬間、七瀬ちゃんは私に触れることをやめた。

 あ、もうすぐ2人きりの時間が終わってしまう。

 そんな予感が、私の心を励ます。


「……ろ」


 七瀬ちゃんを引き留めるための言葉を、私は知らない。

 どうやったら、七瀬ちゃんと一緒にいられるのか分からない。 

 七瀬ちゃんから逃げ回っていた私は、とうの昔に呆れられたはずなのに。


「鹿野さん……?」

「真白……」


 それでも、頑張ってみたいと思ってしまう。

 私も、綺麗なものに触れたい。

 綺麗なものに、触れていたい。


「真白……名前が、いいです……」


 綺麗に恋をしていたから、こんなにも苦しくなると知った。

 私の綺麗は片想いだと分かっていたから、逃げることで自分を守った。守ったつもりだった。


「……いいの?」


 でも、私が逃げることで、傷つけるものがある。

 

「私、真白ちゃんのこと、呼んでもいいの……?」


 初めて視線が重なり合うことで、七瀬ちゃんが泣いていたことに初めて気づいた。

 顔を上げることで、七瀬ちゃんを苦しめていたことに気がついた。


「ごめんね……七瀬ちゃん……」


 ずっと、謝りたかった。


「ごめんね……ごめんね……」


 本当はずっと、七瀬ちゃんと一緒にいたかった。


「七瀬ちゃん、ごめんなさい……」


 本当はずっと、七瀬ちゃんの隣にいるのは私がいいと思っていた。


「真白ちゃん」


 七瀬ちゃんの手が、私の頬に触れる。


「ごめんなさ……」

「泣かないで、真白ちゃん」

「七瀬ちゃんも、泣かないで……?」


 去年の七瀬ちゃんは、独りで桜を見上げていたのかなって寂しくなった。

 七瀬ちゃんの隣にいたかった。

 去年も、一昨年も、もっと昔から、七瀬ちゃんの隣にいたかった。


「……会いたかった」


 綺麗なものは、苦手。

 綺麗は、私を傷つけるものだと思い込んでいたから。


「ずっと、真白ちゃんに会いたいと思っていたの」


 だけど、初めて綺麗に触れたいと思った。

 自ら、綺麗に手を伸ばしたいと思った。


「やっと会えたね、真白ちゃん」


 瞳を滲ませた涙が姿を消す頃、夕焼け空と桜の花びらが私たちを包み込む。

 その穏やかで優しい時間に安心した私たちは、綺麗に笑う彼女に手を伸ばした。






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さくら。涙。あしたは晴れ。 海坂依里 @erimisaka_re

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