第4話 蠢
尾張藩士 佐々木を闇に葬った一月後のこと、風魔の郷から訃報が届いた。
風魔小太郎の死である。
戦国の世から続いた風魔の終焉とも言えた。
訃報を聞いた伊三次と楓は、ある種穏やかな気持ちであった。
その夜、郷を捨て江戸に散った仲間たちが大虎に集まっていた。
飾り職人の仙吉、大工の又太郎と、植木職人の房吉、船宿の船頭一朗太の四人。
みな上忍としての腕は確かであったが、伊三次と同じく忍び仕事に見切りを付けた者たちであった。
仙吉が先に口を開いた。
「小太郎さまが亡くなって、これで風魔も終わりか」
それに応えるかのように房吉が呟いた。
「とうの昔に終わっとるが、喜三郎と与一郎の事は悔やまれるの。相手が誰であったのか」
房吉の問いにどうしたものかと考えた伊三次だったが
「二人の仇は討った」
「それはどういうことだ」
伊三次は事の経緯を話した。
「北条の殿様も良かれと思って動いたことであろうがな」
「伊三次は十手持ちになったと聞いたが真か」
「ああ、ひょんな事から請けることにしたのだが、それで二人の仇を討てたようなものだ」
一朗太が浮かぬ顔で呟いた。
「これから先、また北条の殿様から依頼が来るようなことはあるまいな」
「小太郎さまが亡くなったのだ。ツテもあるまいし、厄介事は御免被るな」
皆も同意したようだ。
風魔の衰退と小太郎との惜別か、別れを惜しむように酒を飲み続けた。
翌朝のこと、浅草本願寺近くの回船問屋讃岐屋の番頭が訪ねて来た。
「伊三次親分さんはいらっしゃいますか」
調理場から顔を出した伊三次は、以前大久保に連れられ挨拶回りに行った先の大店の番頭だと思い出した。
「讃岐屋の番頭さんだね。どうかしなすったかい」
「ちょっと込み入った相談があるんですが」
「それなら二階に上がりやしょう」
二階は住居になってはいるが、店の客には聞かせたくない話ができる。
「どうしなすった」
「実はお嬢様のことで」
「讃岐屋の旦那には確か十六になる娘がいなすったね」
「はい、おさと樣と言うのですが、拐かしに会いまして」
「拐かし?どうして拐かしと」
「金を要求してきたのです」
「いくらだい」
「五百両」
「そりゃまた大金だ」
「お金はどうにでもなるのですが、お嬢様が無事に帰されるかどうか、旦那樣が心配してまして」
「そりゃそうだな。相手は分からねぇのかい」
「はい、旦那樣は御上には知らせないように言われたのですが、親分さんなら何とかしてもらえるんじゃないかと」
「旦那には俺んとこに行くと言ったのかい」
「はい、ここは飯屋ですから私が入っても怪しまれいと思いまして、お金を渡してもお嬢様が無事に戻るとは限らないと旦那樣を諭しました」
「それで金の受け渡しは、いつどこで」
「明後日、四谷増上寺の裏手に暮六つと投げ文に書いてありました」
「分かった、見張るには人手がいるな」
「人手を集めるのに些少ではありますが金子を用意しました」
「それは有り難い。明日から見張りをつける、必ず連れ戻すが、この事は大久保さんには伝えないようにな」
「それはどうして」
「奉行所に知れると大人数が動き回る。奴等に娘さんを殺されることにもなる」
「承知いたしました。よろしくお願い申し上げます」
伊三次は一朗太に繋ぎをつけた。舟も必要と考えたからだ。
「伊三次、何かあったか」
「少しばかり手を貸してくれぬか」
「何をすればいい」
「面倒見ている回船問屋の娘が拐かされてな、金を要求されている」
「拐かし?近頃増えているように聞くな」
「娘を無事に救い出すのが先だが、無頼の輩も許せねぇ」
「捕えて手柄にするか」
「いや、こういった輩は打首になれば良いが、下手すれば遠島になるやもしれぬ。遠島なら赦免で帰って来ることもある」
「もし戻れば同じ事をやるかもな」
「押込みや殺しもやりかねぬからの」
「なら房吉と仙吉、又太郎にも助けを頼むか」
「そうさな、手は多い方がいい。人手がいると言って二十両もっておるから五両ずつ渡すよ」
「それじゃ、お主の取り分がないぞ」
「無事に娘を取戻せば、それなりの礼金も入るだろうし、今回の下手人が初めてでなければ、これまで脅し取った金もあるだろう」
「悪党の上前をはねるか」
と一朗太が笑った。
その夜から忍び装束姿の四つの影が増上寺裏手に散った。
受取は明後日の暮六つだが、その前に辺りの様子を探りにくるはずと読んでいた。
四つの鐘が鳴った時、二人の影が増上寺裏手へ歩いて来た。
夜分に人が通る場所ではない。
恐らく奉行所の役人が見張っていないか確認に来たのであろう。
伊三次の狙いが当たった。
遊び人風の二人は辺りをブラブラと歩き回り、監視の目が無いことを確認したのか、揃って来た道を戻って行った。
房吉と仙吉に合図を送り、二人に尾行させた。
増上寺から南へ、赤羽橋を渡り三田を過ぎ正源寺近くにある廃寺へ入っていった。
房吉と仙吉は廃寺の床下に潜り込んだ。
微かな話し声が聞こえる。
「頭、役人の姿は見えなかったぜ」
「まだ油断はならねぇ。金の受け渡しは明後日だ。明日も探ってくれ」
「へい、しかし讃岐屋も慌てているんでしょうね」
「そりゃそうだ。可愛い娘を攫われたんだからな。讃岐屋の身代なら五百両なんざ端金や」
「明後日になりゃ、大金持ちだ」
「前に稼いだ三百両と合わせて八百両か、頭、俺達にはちゃんと分配してくれるんでしょうね」
「心配するな、百両づつ渡す」
「ありがてぇ。ところでこの娘はどうします」
「俺達の顔を見てる。金が入れば用済みだ。前と同じように始末しな」
床下から聞いていた房吉は、仙吉に合図して伊三次の元へ走らせた。
「伊三次よ、場所は分かった。正源寺近くの廃寺だが、奴ら金を受け取ったら娘を殺すと言っていた」
「やはり外道か。これから向かって奴らを始末しよう」
一朗太も連れ廃寺へと向かった。
「奴らは何人だった」
「頭と呼ばれた奴を含めて五人」
「一人一殺か。同時に攻めれば楽勝だの」
廃寺近くに着いた四人は、房吉を呼び攻め方を話した。
「娘はどの辺におる」
「寺の奥、厠の近くだ」
「裏から入れそうか」
「くたびれた廃寺だ。隙間があちこちにある」
「それなら、房吉と仙吉、一朗太は裏手から入ってくれ、見つけ次第殺して構わぬ。俺は正面から入って奴らを引き付ける。又太郎は俺の後ろに隠れてくれ。それから、できれば忍び刀で仕留めてくれ」
「何故だ」
「後から役人が来るやもしれぬ、苦無は使いたくない、仲間割れに見立てる」
「なるほど承知した」
三人が裏手に回った。
伊三次は忍び装束を脱ぎ、遊び人風の姿で廃寺の扉を開けた。
「何もんだ」
「おっと、塒にしようと来たんだが先客ありかい」
「なんだと、ここは俺達の塒だ。とっとと帰れ」
五人の視線が伊三次に向いた時、裏手から入った三人が一人づつ背中を刺していた。
それに気付いた頭ともう一人は慌てて逃げようとしたが伊三次の刀と又太郎の刀で心の臓を刺されて果てた。
伊三次は後ろ手に縛られていた娘に近付き声をかけた。
「讃岐屋のおさとさんだね」
「はい。あの貴方は」
「十手持ちの伊三次ですよ。助けに来ました」
「あ、ありがとうございます」
「おさとさん、これからお店へ連れ帰りますが、ここで見たことは喋らないようにできますか」
「何故」
「貴女を助けるため、悪党とはいえ、お裁きもしないで殺してしまいましたからね」
「わ、分かりました」
伊三次が廃寺の中を調べると仏像の裏に金箱があった。
金箱を一朗太に預け、おさとを連れ讃岐屋へと向かった。
九つになる頃合いだったが、戸板を叩き店の者を起こした。
「夜分にどちら様でしょう」
「大虎の伊三次です。お嬢さんをお連れしました」
小窓から見た手代か、奥に走り店の主、讃岐屋市兵衛を連れ、慌てて戸を開けた。
「親分さん、ありがとうございます」
「無事に連れ戻すことができたよ」
おさとも安心したのか、その場に崩れ落ちた。
「親分さん、このお礼は明日にでも伺います」
「ああ、もう遅いからな。おさとさん、ゆっくり休むんだよ」
そう言って讃岐屋を後にした。
房吉以下四人は金箱を持って大虎の前で待っていた。
二階で寝ているおきぬと三吉を起こさぬよう戸を開け、小上りで金箱を開けた。
奴らが言っていた三百両があった。
「六十両ずつ分けるぜ」
「いいのか」
「当たり前だ。皆の加勢を貰ってしのけた仕事だ」
「ありがたい。これでカカァの薬代が払える」
「仙吉、お前嫁を貰っていたのか」
「ああ、三年になるが飾り職の師匠の娘でね」
「あまり派手に使わないでくれよ」
「その辺は心得ている。伊三次よ、お前も楓を貰ってやったらどうだ」
「おいおい、なんでそんな話になる」
「昔から楓はお主に惚れていた。下忍の娘にゆえ、言い出せなかっただけよ。風魔も滅びた今、上忍下忍もあるまいて」
他の三人も貰えと煩かった。
その声に起きたのか、皆の後ろに楓が立っていた。
「皆さんの了解も頂きました。伊三次さま、嫁にしてください」
伊三次は口をパクパクとして何も言えなかった。
翌日の朝、讃岐屋市兵衛が番頭を連れ店を訪ねて来たが、店で話せる内容でもない。二階へ上げた。
「親分さん、この度は誠にありがとうございました」
「無事に連れ戻すことができて良かったよ」
「おさとに聞いたのですが、下手人共は金を受け取ったら娘を殺すと言っていたそうで」
「ああいう輩は顔を見られた奴を生かさねぇからな」
「下手人共は捕縛されたので」
「いや、娘さんを助けるのが先だからね、逃がしてしまいましたよ」
「そりゃ、この先また悪さをするのでは」
「たぶん大丈夫。金を取りそこねた奴らは必ず仲間割れを起こす。切り合いになって死ぬのがオチよ」
「そうであれば良いのですが。あ、これは此度のお礼でございます」
と袱紗に包んだ分厚いモノを差し出した。
「そうかい、ありがたく受け取っておくよ」
讃岐屋が帰った後、楓が上がって来た。
「礼金は如何ほどでした」
「袱紗を開けてみよ」
「ほう、百両ですか。それも小粒で」
「昨夜の悪党の上前が六十両」
「しめて百六十両ですか」
「人助けをした甲斐があるってもんだな」
と二人して笑った。
さらに翌朝の事、大久保が松吉を連れてやって来た。
「こりゃ大久保の旦那、松吉を連れて何かありましたか」
「伊三次の縄張りじゃないんだが、三田の廃寺で盗人一味が殺されていてな、丁度松吉が通り掛かったんでついでに連れて来た」
「三田の廃寺で盗人一味が」
「漁火の権八という盗人の頭と、手下四人が殺されていた」
彼奴等、盗人もやっていたのか。ならば盗人金もあったはずだが。
「どういう殺され方でした」
「背中からブスリだな」
「背中から。ドスですか」
「見た感じ刀かドスだな」
「背中からだと相手は顔見知りでしょうね」
「そうだな、知らぬ相手に背中は見せぬよな」
「仲間割れですかね」
「どうして、そう思う」
「顔見知りなら仲間でしょう」
「それもそうか。ところで志摩屋の件はまだ目星はつかねぇかい」
「なかなか尻尾を出さねぇ。これだけ探っても何も出ねぇってことは、もう江戸には居ないんじゃないかな」
「うむ。引き払った可能性もあるな。が引き続き探ってくれ」
と引き上げて行った。
松吉が何か言いたげだった。
「どうした松吉」
「親分、志摩屋の件ですけど」
「ん、何か分かったのか」
「まだ、怪しいってだけでして」
「怪しいだけで十分だ。何が分かった」
「四谷の賭場に入り込んで、親分の名前を出したんですよ」
「おう、それで」
「代貸の大吉という奴が、何を探ってるのかって聞いたんで、志摩屋に入った盗賊を探してるって言ったんです」
「それで」
「最近になって金回りの良い浪人が来るようになったって言ってました」
「ほう、志摩屋の一件から三月が経っている。ほとぼりが冷めたと考えて動き出したかもな」
「どうしやす」
「その浪人が賭場に顔を出したら塒を突き止めてくれ。気取られぬようにな」
「がってん承知」
やっと動き出したか。まずは浪人の身元を当らねばなるまいが、暫くは松吉に任せて店の調理場に入ることにした。
相変わらず店は忙しい。
が楓が仕切るようになって客足も一層増えたようだ。
一日の商いが終り、皆で湯屋へ行きさっぱりしたところで楓が改まって来た。
「伊三次さま、いつ夫婦にして頂けますか」
「お主本気か」
「皆も言ってましたけど、昔から伊三次さまをお慕いしておりました」
「飯屋の稼業もあるが、御上の仕事もある。この前は闇の仕事もやった。これからも闇の仕事をするかもしれぬ。いつ死ぬか分からぬぞ」
「それでも良いのです。私が支えます」
暫し考え込んだ伊三次であったが。
「分かった。近い内に祝言を挙げよう」
願いが叶った楓は目に涙を浮かべた。
それから三日後のこと、仕込みに精を出している刻、初老の侍がまだ暖簾を出していない戸を開けて入ってきた。
「伊三次殿はおられるか」
「まだ店は開けてないんだが、何用ですか」
「某、河内狭山藩の江戸留守居役をしておる渋谷新三郎と申す」
突然の訪問に不穏な空気が漂った。
居酒屋伊三次 闇稼業 三田久弘 @gosamaru623
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