第3話 動

風魔の郷は武蔵の国の奥深く、山間に開かれた辺鄙な場所にあった。

痩せた土地を切り開き細々と自給自足の生活をしていた。

江戸から三日をかけて懐かしい郷へ着いた伊三次は、畑仕事に精を出す昔仲間に声を掛けた。

「与治郎さんよ、暫くぶりだな」

「ん、伊三次さまか。郷を出て何年にもなるかの。今日はどうなされた」

「小太郎様に会いに来たのだが、庵におられるか」

「今時分は庵におられるはず。訪ねてみられたら」

「そうしよう」


郷の中でも一段上がった所にある庵が小太郎が住む家であった。

「ごめん、小太郎さまはおいでか」

奥から出てきたのは顔も知らぬ女であった。

「どちらさまで」

「伊三次と申す。そなた見ぬ顔だが」

「私は小太郎さまのお世話をしております小雪と申します。小太郎さまへ取次いで参ります」

暫くして案内された先には皺の増えた老人が座っていた。

「伊三次、暫くぶりだな。八年ほどになるか」

「久しゅうございました。ご健勝のよし何よりです」

「今日はどうした。忍び世界を捨てた者が帰って来るところでは無いが」

「率直に申しますが、喜三郎と与一郎のことで、尋ねたきことあり罷り越しました」

「なんの事じゃ」

「二人が亡くなったことはご存知でしょう」

「聞いておる」

「何をしに甲府まで行ったのか、誰の依頼だったのかを聞きたく」

「甲府に行ったまでは知っているが、それ以上のことは知らぬ」

「小太郎さま、事は将軍家の世継ぎに関わること。あの二人に直に依頼があったとは思えませぬ。小太郎さまへ依頼があったのではないですか」

小太郎は黙り込んでしまった。

「二人が何をしようとしていたのか分かりませぬが、邪魔に入った侍三人のうち二人を返り討ちにして亡くなりました。端から邪魔が入ることを知っておったのですね」

「相手の事を何故知っておる」

「今はひょんな事から十手持ちでしてね。相手の弔いを頼まれたのですよ」

「十手持ちだと、居酒屋の亭主だと思ったが」

「店もやっております。小太郎さま、邪魔が入ると知って二人を遣わしたと」

「何故そう思う」

「二人が投げた苦無に毒が塗ってあったからです。身に危険が及ばぬ限り毒を塗った苦無は仕込みませぬ」

「二人が亡くなった場所へ行ったのか」

「二人は甲府へ行く前に私に加勢を頼みに来ました。店があるゆえ仕事の中身も聞かず断りました。断ったことで二人が亡くなったとも思え、後に訪ねて来た楓から場所を聞き探ってみたのです」

「折角入り込んだ御家人を辞め、店をやっているとは聞いていたが、そこに訪ねて来たのか」

「はい、店を始めた頃に二人とも訪ねて来たので知っておりました」

再び沈黙が流れた。伊三次は小太郎を睨み口が開くのを待った。

「邪魔が入った訳ではない。二人はそ奴らの邪魔しに入ったのだ」

「やはり、全てをご存知のようだ。話してくれませぬか」

「聞いてどうする」

「もう一人生き残った奴がいます」

「その口ぶりでは相手の素性も分かっているようだの」

「依頼主はどなたですか」

「言えぬ」

「恐らく大名筋ではありませぬか」

また暫く無言の間が続いた。

「風魔一族も私で終わりかも知れぬ。跡継ぎもおらぬし、腕のたつ者はお主を含めて殆ど出て行きよった」

「食えぬからです」

「皆が食えるように動いていたのだがな」

「河内狭山藩 北条氏朝さまからの依頼ですか」

小太郎は目を見開き驚いた顔をした。

「やはり」

「全てお見通しか。北条家とは細々とながら繋がりがあった。此度のこともな」

「解せぬことがあります」

「なんじゃ」

「幕府が動くなら伊賀者か甲賀者。何故風魔に頼んだのか」

「伊賀や甲賀が動けば幕府が動いたと分かるであろう」

「それで良いではないですか」

「相手は尾張藩と分かっていて、表立って幕府が動けば、尾張藩を咎めねばならぬ。家康が作った御三家に傷が付くような真似は綱吉公でもできぬよ」

「それで相手が分からぬよう風魔に」

「そういうことじゃ」

「しかし、幕府が風魔一族を使ったとなれば伊賀者や甲賀者が黙っていないのでは」

「幕府は風魔を使っておらぬ」

「あくまでも北条家が独断でということですか」

「そういうことじゃ。お主残った一人を始末するのか」

「仇ですからね。捨て置けませぬ」

「お主が郷に残っていたらの」

「食えませぬよ」

「此度のこと、氏朝さまには上首尾と伝えてある。尾張の策謀を止められたとな。そのために二人の手練を亡くしたことで、次の手は打てぬともな」

「氏朝さまからの返答は」

「褒められた。が儂が死ねば風魔を使えぬのかとも聞かれたわ」

「幕府の内情に手を出しても良いことはありませぬ。氏朝さまからの依頼も今後は断ったほうが良いかと」

「じゃがな伊三次、氏朝さまは我らを気にかけてくれている。これからも依頼があると思うぞ」

「動ける者がおらぬではないですか」

「江戸市中に散った者達がおる。お主も含めてな」

「皆、忍びでは食えぬゆえ郷を捨てたのですよ」

「太平の世ではあるが、忍びではないとできぬ仕事もある。現にお主は二人の仇を打とうとしているではないか」

「それはそれ、加勢を断った後ろめたさがあるからです。氏朝さまから依頼があってもお断りください」

小太郎はうなだれたまま、手を振り帰れとも言いたげであった。


その頃、めしや大虎ではひと騒動が起こっていた。

小僧の三吉が盆に酒を乗せ、客に持って行く際に、いきなり立ち上がった浪人者へぶつかり酒を掛けてしまった。

「小僧、何をする」

「申し訳ございません」

「謝って済むものか。大事な着物が濡れたではないか」

騒動に気付いた楓が表に出てきた。

「何がありましたので」

「小僧がわしの着物に酒を掛けたのだ。どうしてくれる」

それを聞いていた常連客は

「おめぇさんが急に立つからじゃねぇか、小僧は悪くねぇぞ」

「何を貴様、無礼であろう」

「無礼もへったくれもねぇ。わざと当たったんじゃねぇか」

「貴様、許さん。表に出ろ」

騒ぎを見ていた楓は

「浪人さん、お代は結構ですから、お帰り下さい」

「何を、人を乞食みたいに蔑みよって、許さん」

と刀に手をかけた。

楓はするすると近寄り、持っていた鉄箸で浪人の手首を打ち、相手の眉間に鉄箸を当てた。

手首が折れたような音がした。

「浪人さん、女だからと見くびってもらっちゃ困りますね。これ以上騒ぐのであれば、奉行所へ突き出しますよ」

浪人は打たれた手首が相当痛むのか、呻きながら店を出ていった。

「女将、あんた何者だ。怖がるどころか浪人を手玉に取りやがった」

と常連客も喜びながら酒を飲み続けた。


そんなことがあったとは、つゆ知らず郷から戻った伊三次は楓に小太郎との話をした。

「如何でした」

「思った通り小太郎さまが受けていた」

「依頼主は」

「河内狭山藩 北条氏朝」

「そうでしたか、しかし何故伊賀者や甲賀者を使わなかったのでしょう」

「小太郎さまが言うには、伊賀者、甲賀者を使えば幕府が動いたとなる。そうなれば御三家といえども無事では済まぬ。北条殿はそれを慮り風魔を使ったと言われた」

「なるほど。それでこれからどうします」

「松吉に奴の動きを調べてもらっているからの、狙える場所を探す」

「やる時は私も」

「相手は新陰流の達者だ。楓は苦無と吹き矢に毒を仕込んでいてくれ」

「承知しました」

「日と場所が決まるまで動くな」


翌日のこと同心の大久保が訪ねて来た。

「伊三次、暫くだな。身内に不幸があったって」

「ああ、身内といっても遠い親戚でね。ガキの頃面倒見てくれたんで、義理を欠く訳にもいかず、葬式に顔を出してきた」

「そうかい。ところで、志摩屋に入った賊のことだが、何か分かったか」

「いや、中々尻尾を出さねぇ。四谷まで足を伸ばして探っちゃいるが、手掛かり一つ見つからねぇ」

「そうか、立花さまからは矢の催促でな、早く捕まえろと五月蝿くて仕方が無いんだ。粘り強く探索を頼むぜ」


翌日から伊三次は動いた。

尾張屋敷から立花道場までの間、人知れず狙える場所を探した。

狙える場所は氷川神社の参道しかなかった。

昼間は参拝客も多いが、木立の上から狙うか、板塀の間からか。

迷うところではあったが、店に戻り楓と練ることにした。


「お帰りなさいませ」

三吉の大きな声で楓が調理場から顔を出した。

「伊三次さま、松吉が二階で待ってます」

「何事かあったか」

二階へ上がると松吉が慌てた風で

「親分大変だ」

「何だ、どうした」

「佐々木という奴が国元に帰るらしいです」

「なに、どういうことだ」

「この前屋台に来た三人の侍のうち、佐々木と安田という奴がまた来ましてね、蕎麦を食べながら話してたのを聞いたんですが、佐々木が不始末の事で国元に帰されるとか」

「いつ帰ると言ってた」

「ここ二三日内にって」

動きが早すぎる。氷川神社辺りで狙う刻はないと思える。

「分かった。もう屋台は出さなくていいが、志摩屋に入った賊の件もある。板倉屋敷で賭場が開かれているから、これからは賭場の出入りを張ってくれ」

「与平も使いますか」

「怪しい奴がいたら付けてくれ」

「がってん承知」

松吉を帰して楓を二階に呼んだ。

「何かありましたか」

「佐々木が二三日内に国元へ帰るらしい」

「それはまた急な。どうします」

「屋敷を張って後を付けるのは難しい。六郷の渡しの先で待ち伏せする」

「私も」

「店を開ける訳にはいかぬ。此度は俺一人でやる」

「駄目ですか」

「仕方あるまい。吹矢を二つ、苦無を五本用意してくれ」

「承知しました。くれぐれも用心を」


その夜から品川に向かい、翌朝六郷の渡しで舟に乗り六郷神社の茂みに身を隠した。

二晩の刻がながれ三日目の昼前に佐々木と思しき侍を見た。

笠を被っていたが、右目の下にでかいホクロがある。間違いない。

昼時ということもあり人の往来が少なかった。

境内と街道は僅かな距離。通り過ぎる佐々木の太腿を狙い吹矢を放った。

虫に刺されたと思ったか、袴の後を手で叩きそのまま歩き始めた首筋に二矢を放つ。

流石に虫とは思わず、首に刺さった吹矢を抜き

「何奴か」

と叫んだが、次第に足元がおぼつかなくなっていた。

姿の見えぬ刺客に恐れをなしたか、先を急ぐように歩き始めたが、四半刻と立たぬうち道に倒れてしまった。

二つの吹矢を拾い、佐々木に近付いた伊三次は

「お侍、どうしました。お加減が悪くなりましたか」

と通りすがりの旅人を装った。

呻きながら倒れた佐々木を介抱するふりをしていた伊三次の周りに、他の旅人も寄ってきた。

「どうなされた」

「このお侍が急に倒れましてな」

「それはいかぬ、近くに医者はおらぬかのう」

「宿場まではまだ遠い、どこぞの百姓家まで運べれば良いのですが」

そうこうしているうちに、佐々木が事切れた。

「亡くなってしもうた」

「気の毒なことじゃ、どこのお侍かわかりますかの」

「まず番屋か庄屋を探してください」

と願い亡骸を街道横に横たえた。

百姓家を見つけた旅人が戻ったときには伊三次も姿を消していた。


その夜、居酒屋に戻った伊三次は事の次第を楓に話した。

「仇が打てて良かったです」

「相手も最初の吹矢を虫と思ったのか、袴を叩いて歩いてくれたからの、その分毒が早く回ってくれた」

「ところで伊三次さま、私はこのまま此処にいてようございますか」

「十手持ちの仕事があるからの、ここままいてくれ」

「ありがとうございます。そのうち夫婦になれますでしょうか」

思わぬ言葉に声を無くした伊三次に、楓はニコリと笑った。

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