第10話 終わりと始まり

「ここが氷見君の部屋……」


「そんなにキョロキョロしても何もないよ?」


 更科さんが俺の部屋に来て最初にしたことは深呼吸だった。


 普通は中に入る前にするものな気がするけど、それはまぁ別にいい。


 そして今は俺の部屋を見回している。


「氷見君はエッチな本とか持ってるの?」


「何を聞いてるのかな? 持ってないけど」


 更科さんのテンションが少しおかしい気がする。


 無言で歩き出したかと思えば、俺のベッドの下を覗き込んだ。


「ほんとにどうしたの?」


「男の子の部屋にはエッチな本が隠されてるって聞いたから」


「誰に?」


「光莉さん」


 だろうと思った。


 俺の部屋に入り浸っている光莉ならそういう本がないのを知っているだろうけど、面白半分で更科さんに言ったのだろう。


「……」


「今度はなに?」


 更科さんが俺のベッドを眺めて固まった。


「一分だけ目を瞑っててくれない?」


「別に気にしないからいいよ」


 前に光莉にも同じことを言われたことがある。


 その時は光莉が俺のベッドに潜り込んで寝ていた。


 見ていなくても音で大体わかる。


「ほんとに? はしたない奴とか思わない?」


「特には?」


 光莉もそれを気にしていたけど、別に気にするようなことではない。


 むしろ気にならないのかこっちが気になる。


「人のベッドって使えるタイプなの?」


「さすがに知らない人のはあれだけど、氷見君はね」


「俺は?」


 更科さんが何も言わずにベッドに入った。


「氷見君の匂い」


「なんでみんな同じことを言うのか」


 光莉も姉さんもそれを言う。


 そんなに臭うのか。


「女の子って匂いフェチが多いんだよ」


「それって好きな匂いならでしょ?」


「つまりそういうこと」


 俺の匂いは光莉と姉さんと更科さんにとっては好きな匂いということなのか。


「氷見君も入る?」


「ほんとに君達はそっくりだね」


 さっきから光莉と姉さんと同じことばかり言う。


 当たり前だが一緒には入らない。


「なんだか落ち着いて眠くなる」


「帰り遅くなるよ」


「泊まる」


「俺はいいけど、ちゃんと家の人に言った?」


「大丈夫、あの人達は私が家に居るかどうかなんて興味ないから」


 ほんとに眠いのか、更科さんの口が軽い。


「親との仲はよろしくないと」


「まぁね。間違いで産まれた子らしくて」


 ちょっとした興味本位だったけど、とんでもないことを聞いてしまった。


 この話は終わりにして話題を変える。


「そういえば更科さんって勉強出来る人?」


 更科さんの噂は見た目のことばかりで他は何も知らない。


 仮にも彼氏なのだから更科さんのことを色々と知っておかなくてはいけない。


「いじわる言う氷見君なんか知らない」


 更科さんが壁の方に顔を向けてしまった。


「勉強が全てじゃないよ」


「今更遅いもん。はい」


 更科さんがこっちを向いて手を広げた。


「なに?」


「ん」


 両手を強調するので多分抱きつけということなのだろう。


 よくわからないけど、とりあえず更科さんに近づくと今までに見たことのない速さで俺に抱きついてベッドに抱き寄せる。


「捕まえた」


「酔ってるの?」


「酔ってないもん。氷見君の匂いだぁ」


 完全に寝ぼけている。


 早く寝かしつける為に俺は更科さんの背中を軽く叩く。


「子供扱いしてる」


「してないよ。ねんねしようね」


「してるじゃん! でもいいや。好きな人にこんな風にされて嬉しいし」


 やはり完全に寝ぼけている。


 俺のことをいるのかいないのかわからない好きな人と勘違いしてるぐらいだから。


「氷見君は好き?」


「好きかな?」


 質問の意図はわからないけど、更科さんをという意味なら嫌いではないから好きだ。


「私ね、ずっと氷見君のこと好きだったんだよ」


「……え?」


 ちょっと言ってる意味がわからない。


 それが面白いのか、更科さんは楽しそうだ。


「氷見君は知らないだろうけどね、私が男子に囲まれてる時に氷見君が助けてくれたの」


(……全然記憶にない)


「多分氷見君は廊下が通れなくて苛立ってたんだろうね。怖い顔で『どけ』って言って男子達を遠ざけてくれたの」


 それはただ俺が邪魔な奴らに邪魔だと言っただけではないのだろうか。


 それでなんで更科さんが俺に惚れるのか。


「私ね、本当に困ってたの。家で色々あって人間不信気味だから、知らない男子に囲まれててどうしようって。だからそんな私を無意識だったとしても助けてくれた氷見君に一目惚れしちゃって」


「それで俺に恋人役を頼んだと?」


「うん、きっかけが欲しくて。氷見君のことは水沢君に聞いたの」


 俺が姉さんに弱いことを即座に見破ったのではなく、あの腐れ外道の入れ知恵だったらしい。


「あいつから更科さんは前に付き合った相手を不登校にしたって聞いたけど」


「正確には付き合ってないよ。ただ告白してきた相手にごめんなさいしたら学校に来なくなったの」


 それをあいつが拡大解釈したか、わざと大きく言ったのか。


「多分私のことが信用出来なかったんだよ。聞き方が酷かったから」


「あいつなことはどうでもいい。話をまとめると、更科さんは俺が好きで本当に付き合いたいと思ってるってこと?」


 更科さんが小さく頷く。


「なるほどね。じゃあ──」


「返事はしないで」


 更科さんがまっすぐに俺の目を見る。


「氷見君が光莉さんのことが好きなのはわかってる。だからまだ返事はしないで」


「返事をしないでとうするの? 俺が光莉を好きだとしたら、このまま恋人ごっこを続けると?」


 そんなのは俺が断る。


 俺が光莉を好きかどうかは俺自身わからない。


 だけど好きだとしたら更科さんと付き合うフリなんて出来ない。


 そんなの光莉に失礼だ。


「その気にさせる」


「期限は?」


「氷見君が光莉さんを好きだと理解するまで」


 それが妥当なところだろう。


 そもそも好きがわからない俺をその気にさせるのも大変だろうし、その気にさせたら光莉への好きも理解しそうだが。


「もしかしてさ──」


「違うよ、私は本気。その時に私じゃなくて光莉さんを選んだとしたら潔く引く」


「そっか」


 更科さんの目が本気なのがわかる。


 これ以上は野暮というものだ。


「じゃあまずは名前で呼び合うことから始めよう」


「俺もなんだ」


「光莉さんは呼び捨てなのに私は名字じゃ不公平でしょ」


 それは付き合いのアドバンテージだと思うけど、そういう理不尽は嫌いじゃない。


「いいよ」


「ちなみに私の名前知ってる?」


「……」


 みんな『更科さん』と言うから名前が出てこない。


「ゆ……」


「ゆ?」


『ゆ』が付くのはわかる。


 光莉が『ゆーちゃん』と呼んでいるから。


 だから『ゆ』なんとかなのだけど。


「光莉さんは知ってたのに……」


「嘘だろ……」


 光莉も俺と同じだと思っていた。


 クラスの奴ですら誰一人名前がわからないと。


「泣いちゃいそう。別にいいけど、期待してなかったから」


 酷い言われようだが、事実わからないから否定出来ない


「私は──」


「ゆき、そう結葵ゆきだよ」


 思い出した。


 前に一度だけ話題の更科さんとはどんな人なのかとミーハー心で見に行ったことがある。


 そして本当にたまたま更科さんが自己紹介をしていて名前を聞いていた。


 その後は特に何もなく教室に帰ったが。


「合ってるよね?」


「……泣いちゃいそう」


「間違ってた?」


「合ってるからだよ」


 更科さんが俺の胸に顔を押し付ける。


「大丈夫、更科さん」


「や」


「なにが?」


「名前」


 そういえばそういう話だった。


「大丈夫、結葵さん」


「さんいらない」


「注文多いな。結葵」


「ごめんね。……」


(まさか)


「俺の名前は?」


「……」


「あれ、知らないの?」


 自分は当てられたから余裕を持って煽れる。


 最低だ。


「まぁいいよ、俺みたいなモブの名前なんて覚えて──」


一楓いつか君」


「……そうやって人をいじめるのは楽しいか」


「調子に乗ってる一楓君が可愛くて」


 どうやら結葵の手のひらの上だったようだ。


「まぁいいや。これからもよろしく結葵」


「うん、よろしくね一楓君」


 こうして俺達の偽りの恋愛は終わった。


 これからは恋愛を理解出来るかが始まる。


 どうなるかはわからないけど、少し楽しみな自分がいるのは確かだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

更科さんと氷見君の恋愛事情 とりあえず 鳴 @naru539

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ