きりやのおしごと

夜切怜

きりやのおしごと

「きりやさんきりやさん。泣いている女の子を助けておくれ」


 ネットで見た都市伝説。

 少女は髪の毛を挟みでばっさりと切り、外に出かけた。

 

「きりやさんきりやさん。泣いている女の子を助けておくれ」


 都市伝説のフレーズを口にしながら、夕暮れの踏切に少女は向かっていった。


 普段の学校では見せない翳り――

 晩夏の風が少女の頬を打つ。

 生気のない瞳で少女は歩き出した。


「やほ!」


 脳天気な声とともに、腕を捕まれた。

 目の前に快活に笑っている少女がいた。


「あなたは……」

「踏切が上がってないよ」


 言われてみてはっとした。

 踏切警告音は鳴り響き、遮断機は下りたまま。


「あ……」


 少女ははっと気付いた。


「あんまり思い詰めるとよくないよ」

「ごめんね。ありがとう」


 素直に礼をいった。


「私は桐谷朱」

「桐谷……」


 聞き覚えがあった。さきほど呟いていた名前と同じだが、こちらは有名人。都市伝説なんかではない。

 学校で有名な美人双子姉妹だった。


「私を呼んだよね」

「あれは都市伝説のフレーズで」

「ふふ。波長が合わないとね。私はあなたを見つけられなかったなぁ。都市伝説か。そういうことにしておこうね」


 目の前にいる朱は妹。姉と違って明朗な性格だった。


 姉は姉で、腰まで届きそうな美しい長髪。スポーツ神経抜群、スタイル抜群。勉強は常に上位と非の打ち所がない。

 妹は姉より童顔だった。


「桐谷さん……」


 淡い茶髪が夕暮れに染まり、オレンジのような髪色をしていた。


「隣のクラスだよ! 吉田聡子さん!」


 名前を言われびっくりした。

 隣のクラスの人間まで覚えているなんて!


「かんかんうるさい音にも気付かないなんて、よっぽど考え込んでいたのね。――恋煩い?」

「は……はは……」


 乾いた笑いしか出なかった。図星ともいえるし、そうでないとも言える。

 背筋が凍り付いた。


 朱が、聡子の顔を覗き込んでいた。

 その瞳は、虚無そのもの。


 人間かどうか疑わしい、ガラス細工のような瞳が、聡子の顔を覗き込んでいた。

 意識が遠くなろうとした瞬間――


「なかなか、重症ね。――私よりお姉ちゃん向けだ」

「え?」

「いや、こっちの話。――死ぬの生きるの考えるはやめたほうがいいと思うよ?」

「そんなこと……」


 いつも死にたいと思っていた。

 死ぬ勇気がないだけ。


「本当に死にたくなったら、私のお姉ちゃんに相談して」


 そして朱はくすくす笑った。


「ちょっと口が悪いけどね。【きりや】のおしごとだよ」


 彼女の姉、桐谷藍。

 非の打ち所がない美女。

 その性格を除けば。


 普段は無口な美女だが、言い寄る男を再起不能にするほどの毒舌と、教師さえもやりこめる弁論家で有名であった。


「あなたの、お姉さん?」


「うん。大丈夫、大丈夫。死にたくなるぐらい鬱になるかもしれないけれど、悪い人じゃないからきっと力になってくれるよ」


 少し意地の悪い意味を浮かべて、朱はころころと笑った。


「じゃあ、またね。約束だよ!」

「またね」


 夕暮れに消えゆく少女に、知らず知らずのうちに手を振り返していた。



 聡子は制服のまま喫茶店に入った。

 待ち人はすでにいた。


 美人なのに、まわりの人間はまったく気付いていないことが不思議だった。

 朱の姉、藍である。

 美しい長髪に端正な顔立ち。文庫に目を落とす様は文学少女そのものだ。


「桐谷……藍さんですね」

「こんにちは」


 藍が挨拶した。人間味を感じさせない。悪意があるわけではない。

 人形が目の前にいるような感覚。

 喫茶店のおばちゃんに飲み物を注文し、二人は会話を始めた。


「妹から話は聞いたわ。詳しく話してくれるかしら」

「う、うん」


 静かな迫力の前に、聡子は今までの経緯を話した。

 今、彼女の胸を締めている、辛い思い。

 

 事の発端はバイト先の大学生の良に告白されたことだった。

 華奢で顔もよく、友人も多い。頭も良さそうで非の打ち所のない彼氏。

 麺――いわゆるビジュアル系のバンドマンだったこともポイントが高い。

 就職先は決まってないが、音楽で行くかシステムエンジニアを目指すか悩んでいるという。とてもしっかりしていた人間に思えたものだ。


 その後付き合い、一ヶ月後にはすぐに深い仲になった。

 夏休みはずっと彼のアパートに通っていた。


 若い男は彼女を求め、聡子は必要とされている気持ちで満たされた。

 寝不足が続く日々。友人たちとカラオケに行っている最中も眠ってしまうほど。


 それでも幸せだった。

 しかし、その幸せも長くは続かない。


 8月の終わり。彼女の夏休みが終わるとき、浮気が発覚した。


 聡子は悩んだ。

 良は別れたくないという。

 友人たちも応援した。


「浮気は男の甲斐性」「絶対手放しちゃだめ」「あんないい男滅多にいない」

 それでも。

 彼女の心が折れる出来事が起きたのだ――


 藍は静かに聞いていた。口も挟まない。

 思考がこんがらがって、ろれつがまわらなく彼女を何度も何度も辛抱強くフォローして、思考の整理を手伝ってくれた。


「何を見たの?」

「良のアパートに行ったら……他の女と寝てて……私が泣いて激怒したら……」

「したら?」

「……お前も一緒にやろうぜ、って……」


 藍の軽い嘆息。


「まあ、それがその男ってことなんでしょうけど。忘れたら?」

「でも……まだ好きかな、って。振られること考えたら怖くて」


 藍は一切の感情を見せなかった。


「モてる俺を好きになったのはお前だろ、って奴ね。昔からよくいるわ。そういう手合い」

「昔から……?」

「そう。あなたが想像もつかないほどの昔から」


 見てきたかのように語る藍。


「安心なさいな。そういう男は自分から振られる方向にもっていくから。――女の自尊心を守ることもできるし。男は振られて寂しさをアピールする。そしてクリスマスには別の彼女に愛を囁いているわ」

「そんな……」

「隣にいるのに、自分を見ていない男を愛せる? 疑心暗鬼に駆られながら、ね。無理よね。だから女は自分から愛する男を振るわ。自分の心が壊れないように」

「……」

「そしてそういう男は、そういう女の心境をよくわかってて、割り切って付き合っていけるのよ。「女を喰った」とはよくいったものね。あなたは残念ながら喰われた方。諦めなさい」


 容赦ない藍の言葉に、聡子は絶句した。


「貴女にも問題あるのよ。彼氏の何処に惚れたの? 音楽をやってるから? 本当に彼氏の生み出す音楽が好きだったの? 「音楽やってる彼氏」ってブランドが欲しかっただけじゃないの」


 胸をえぐる言葉。

 確かに、友達に自慢した。


 普通のふらふらしている男と違い、将来のことを考えている、いわば「当たり」の男だと思った。


「その男の最後の女でいられる自信あるの? 毎年、そいつが三十代はいるか、入ったあとまで若い子に次々乗り換えていくとは考えられない? あなた、25歳になってOLになったとき、その人が隣で笑ってくれている自信あるほどの女なのかな」


 具体的な年齢をぶつけられ、何も言えない。

 言えるわけがなかった。

 涙を抑えることが出来なかった。


 悲しい。

 悔しい。

 辛い。


 全ての感情が混ぜ合って、頭のなかをぐるぐる駆けめぐっている。


「女はね、リスクを背負っているの。わかるでしょ。あなたの彼氏はそのリスクをわかちあってくれるの?」


 首を横に振った。目を開いたら涙がこぼれそうで、ずっと耐えていた。


「リスクのことばかり考えても恋愛は出来ないよね」


 不思議と優しい、藍の声。

 良とわかれる。

 今の彼女にとってもっとも怖いことだった。


「かけた思いが深すぎるのね、きっと。すぐに忘れることはできないし、忘れる必要はないわ」


 でもね、と藍は付け加えた。


「死にたくなる気持ちはわかるけど、もっと有意義に死になさい。今あなたが

死んでも、それはただの彼氏へのあてつけにしかすぎないわ」

「あてつけ……」

「男なんて遊びの女が死んでも一週間すれば忘れるものなの。有意義な死を考えると、有意義な生を送ることが出来るわよ」


 真顔で藍がいった。

 言っている意味がよくわからなかった。


「だから、もう忘れなさい。忘れられなかったら、耐えなさい。友達と遊んで、気がまぎれるかも。あなたのことを好きだといってくれる男の子もいるかもしれないわ」

「ありがとう」


 桐屋さんのいうとおり、忘れるべきなのだ。


「藍さん、聞いてくれてありがと……」

「私は聞いただけ。ごめんね。何もしてあげられなくて」


 そこで意味ありげに呟いた。


「私が動いて言いような話ではなかったの」

「?」


 意味がわからなかった。


「なんでもない」

「うん。ありがとう。お金とか、色々問題もあるけど……勉強料だと思って頑張ります」


 そして聡子は席を立とうとした。

 びっくりするほど冷たい感触。藍が聡子の腕をつかんでいた。


「お金? どういうこと? それは聞いていないわ」


 先ほどとは比較にならない冷たい声。


「あの、私彼氏にお金を貸したんです。馬鹿ですよね。バイト代とか、ちょっと親のお金も持ち出しちゃった……」

「いくら?」

「五十万ほど……」

「付き合って三ヶ月経ってないよね?」

「う、うん……」

「なんで、そんなに出したの?」


 詰問されているみたいで、怖かった。


「もうすぐCD出すからって。売れたら返すって……」


 藍は軽い嘆息を漏らし、少し無言だった。


「あなたが思っている以上にインディーズのCDは売れないし、利益もないわ。メジャーですら、枚数が限られているのに」

「そんなに?」

「数百枚とかそんなレベル。多分完売したって、メンバーで分配すると10万円すら遠く及ばないわ」

「そんな……」


 自分の愚かさ加減に、ますます泣きたくなった。


「怒っているわけじゃないのよ」


 そっと、藍がささやいた。


「恋愛までなら、私は動かない。どんな形だろうとね。――高校生を弄んだあげく、金までだまし取る。許されない」


 怖かった。その先は聞かないほうがいい――そう思った。


「あなたは、何も考えなくていいわ。――すぐに忘れることなんて出来ない。心の傷なんてそう簡単には癒されない。だからこそ、今は友達に甘えなさいな」


 藍は伝票をもって立ち上がった。


「男のほうはね。――『きりや』のお仕事よ」


 きりや? 妹と同じ事を言っていた。問おうとしたときにはすでに藍はレジで支払いを行い、店外へ消えていた。




 深夜。

 ライブ終了後、良は誰もいないステージに呼び出された。

「すんげえ美人がお前に会いたいってよ。ステージ終わって人がいなくなったら来てくれってさ」

 小突かれながら、伝言を受け取った。「美味しそうだぜ」などと言われながら。

 ステージ衣装はそのままに向かう。多少動きにくいが、このほうが女たちへのウケがいい。


「お待たせ!」

 声をかけたが誰もいない。回りを見渡す。

 ステージのみ薄暗いライトがついており、ライブハウス自体は真っ暗だった。


「リョウさんですね。初めまして。桐谷藍です」


 小さなライブハウスの中央に、一人の少女が佇んでいた。

 ゴシックロリータ――V系のライブでは珍しくない衣装。

 漆黒のワンピースに身を包んだ少女が、そこにいた。

 ぞっとした。


 その少女は、あこがれのバンドマンに会いたいという感じではない。

 まったく人間味がない、人形のような美しさ。

 俺が会いに来てやったのに愛想よくしろよ、と良は不満に思った。


「そうだよ。君が俺に会いたいって言っていた子かな?」

「そうです」

「なんのよう?」


 鼻の下を伸ばしそうな勢いで良が聞いた。


「単刀直入に言います。今後は女性ファンを大切にし、手を出さないように御願いします。そして音楽活動に専念し大成してください」


 良が顔をしかめた。

 こいつ、捨てた女の友人か。


「お前、誰の友達?」

「そう聞くということは心当たりが多すぎるということですね」


 藍は冷笑を浮かべた。


「まあ、モテるからな。前向きに検討するよ」


 面倒くさそうな事態は避けたかった。さっさとこの場から退散するのが良策だろう。


「答えはNOってことかしら」


 良は藍から背を向けて楽屋に戻ろうとした。


「音楽センスがないからV系っぽくして、バンドマンを演じるのも楽じゃないわね」


 藍の辛辣な言葉に思わず振り返った。


「音楽をやっている自分、に酔ってるだけの男。音楽やっている男ってブランドで男も女も寄ってくるし?」


 藍がステージにあがっていた。手にはどこから持ちだしたのか、紫色の長い袋をもっていた。


「お前にそこまでいわれる筋合いはないな」

「数百人程度の海上も埋めれない程度の分際で? 女引っかけてチケットを捌かないと駄目なのは三流ね」

「なんだと!」

「観客が満員なのは合同ライブのみ、ってのは悲しいわよね。ファンと名乗る女たちはCDも買わない。客じゃなければ女を喰うぐらいしかやってる意味ない、ってことでしょ」


 図星だった。


「だからね。音楽やってる男というブランドを求める女。自称ファンの客ですらない女を喰う男。どっちもどっちなのは理解してあげる……けど」


 藍は包みを解いた。鞘に収められた日本刀が現れた。


「高校出ていない女の子を貢がせるのはNGってこと」

「なんだよ、それ……脅しか。殺されるほどのことはしてねーぞ」


 実際殺しはしないだろう。しかし、この女の無表情さが気になった。


「死ぬに値する罰かどうか。あなたの価値観ではそうであっても、当事者はどうかしら?」


 この女……本気か?

 耳が熱くなった。


「うわぁ!」


 良が絶叫した。

 耳が落ちていた。そのピアスは自分のもの。

 藍は刀を抜いていた。目にも留まらぬ早業だった。白刃は蒼い光を発して、あやしく揺らめいていた。


 殺される! この女本気だ! 


「殺しはしないわ。安心なさい。――女たちの思いを、受け止めなさい」


 藍は微笑した。

 その笑みはどんどん深くなり――

 藍は跳躍した。優雅な鷲のように。

 白刃を一閃。良に襲いかかった。


 良は凍り付いたかのように動けなかった。

 藍は接地した。何も怒らなかった。


「さよなら」


 今度は藍が背を向けた。

 助かった。


 ぐらり、鈍い男がした。

 天井から吊り下げられた照明が、ぶちぶちと音を立てて千切れていた。

 最後の一本が千切れ、良目がけて落下する。

 凄まじい衝撃を受け止めて、良は意識を失った。


 いつもの喫茶店。

 そこに桐谷藍はいた。

 聡子は浮かぬ顔で藍と同じテーブルについた。


「良のこと、聞きました。ライブ終了後、施設の不備で事故にあったって。――桐谷さんがやったの?」

「ええ」


 桐谷は否定しなかった。


「どうしてそう思ったの?」

「照明が下半身に直撃して、腕の腱もやられて。――噂によるともう女を泣かすこともできないって。当たり所が悪かったって聞いた」

「それはご愁傷様」

「桐谷さん、何者なの?」

「私たちは『切り屋』よ。因縁を断ち切るために生まれた――闇龗神くらおかみの遣い」

「くらおかみ?」

「イザナミがカグツチを斬り殺した時に生まれた神様、龍神よ。そのお稲荷さんが私達。妹と一緒にね」


 薄く笑っている。お稲荷さんは二匹いるものだ。


「貴船神社は聞いた事ある? 私達はね。女を泣かす悪党を殺さずにはいられないの。あなたは髪を切って私たちを呼んだ。それが【きりや】のおしごとってこと」

「格好いいね」

「ありがとう」


 にっこり笑った。初めて見る、藍の笑顔。


「誰も罪に問われないわ。そして貴女も私を忘れる」

「そっか」


 自然とその事実を受け止めることができた。


「でも桐谷さんのことを忘れるのは残念かな。もっとお話したかった」

「あなたが本当に困ったときは、また私や妹が見えるようになるわ。でも見えないほうがあなたのためね」

「それでもまた会いたいな」


 すがるように、桐谷を見た。


「じゃあ、また会えるよ。貴女が間違えなければ」


 桐谷が立ち上がった。


「あの男のもとへ行くか、もう二度と会わないかであなたの人生は決まる。――どうか賢明な判断を」

「良に関しては、間違わないつもり」

「嬉しいわ。さよなら。運が良ければまた会いましょ。――都市伝説ではない私と」


 桐谷が喫茶店を出た。


 聡子が喫茶店を出たとき、すでに桐谷のことは忘れていた。

 携帯から着信音が鳴った。良からのショートメッセージだった。


 内容を見た。

 怪我をしたので聡子に会いたい。まだ愛していると書いてあった。

 聡子はしっている。


 自分が最初にメッセージを受け取った相手ではないことを。

 たぶん、良がメールを送った上位十人にも入っていないだろう。


 嫌悪感さえ伴って、聡子は良のメールを全て消した。

 思ったよりさっぱりした心境だった。


 そして良のアドレスさえも消して、家路に急いだ。

 大切な何かが、まったく思い出せないことに不思議さを覚えながら。

 

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きりやのおしごと 夜切怜 @yashiya01

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