楽園計画

文月 いろは

#1 計画

 そこは煉瓦造りの古い図書館。

 図鑑、専門書、教科書、参考書、小説、絵本など古今東西のあらゆる文書、本が収納されていた。

 そこに眠る本たちは、人の出入りが感じられないその図書館の中であっても新品同様の綺麗さを保っていた。

 その図書館の中に入る一人の男性。

 彼は図書館に数ある本の中で『聖書』を手に取った。

 彼は「これは興味深い」と呟き、聖書を読み進めた。

 

 読み終えた彼は、彼らは『』と『』を知った。


 ***

 

「──次は有馬──有馬でございます」

「ん──」

 揺れる車内で平均より少し小柄な三十二歳OL──谷口美奈子たにぐちみなこは目を覚ました。

「左側のドアが開きます。お忘れ物にご注意ください」

「あ、降りなきゃ」

 美奈子は黒い手提げカバンを急いで持ち直してドアを目指した。

 そして美奈子は扉の先の景色に絶句する。

「うっわ」

 駅のホームには仕事帰りであろう沢山の人々が倒れていた。

 普通倒れているなら病気を疑う。常人なら絶句では済まないだろう。

 彼女が絶句で済んだのは倒れている原因が病気などではないことがわかっているから。

「…酒くっさ」

「まるで旧世界の日常のようだね」

 美奈子の横からひょっこり顔を出してそう呟いたのは美奈子の年の離れた弟──谷口海都たにぐちかいとだった。

「こんなになるまでお酒飲まなくない?」

「確かに。というか倒れてる人が多すぎる」

 二人の周囲に倒れているのは一人や二人ではない。

 男女合わせて百人は超えているだろう。帰宅ラッシュの時間帯、この『有馬駅』で乗車しようとする人間全員が酒の匂いを漂わせながらホームに転がっていた。

「おかしい。駅員さんが何も言わないのは」

「──この電車は楽園行き急行列車です…」

 駅構内全体に響いたそのアナウンスの直後、酒の匂いを纏った『毒』があたりに充満した。

「…え、これ…なんかやばいんじゃ──」

「機械の──……暴…走……?──」

 美奈子と海都はホームに倒れた。


 新西暦384年──

 機械との共生を実現させた人間は西暦を脱した。

 とは言っても、人類の生き方が特別変わったわけではない。

 朝起き、電車に乗って、目的の場所へ向かう。

 今と違うのは、ただ少し便利になって、今よりも秩序がはっきりしているということ。

 朝起きるために家政婦のような機械を雇い、電車は定刻通りに自動運転で発着する。

 罪は機械が裁き、適切な処置を下す。

 どちらが地球の主人かわからなくなっている。

 人は機械に生かされているということを無意識のうちで理解し、自然に罪を犯すことをしなくなった。

 同時に、機械も人間に生かされていることをわかっていた。

 彼らはより長く生きるために人に奉仕した。

 そうやって人と機械は共生していた。

 だがある時、機械たちの主人が人に頼らずとも種を増やすことができるようになったとしたら?


 ──これは人類の必要がなくなった機械たちが人類のために計画した『楽園計画』の第1章の物語である。


「ん──」

 美奈子は駅のホームで目を覚ます。

 体が思うように動かないということを自覚し、海都の安否を確認しようと周囲に目を向けるが海都は見当たらなかった。

 美奈子は自分が倒れた時のことを思い出していた。

(楽園行きってどういうことだろう?)

 普段なら有馬線のこの電車は糸崎行きとなるはず。そもそも有馬線に『楽園駅』なんて駅は存在していない。

(そういえば、さっき海都は『機械の暴走』って)

 この世界の生活に組み込まれた機械は人類の管理下に置かれているため、そうそう『暴走』が起こることはない。

 それが今を生きる人間の常識。

「姉ちゃん!」

 駅の改札の方から海都が声をかける。

「起きれそう?」

 美奈子は海都に肩を支えられながらゆっくり上体を起こした。

 そして、違和感に気づいた。

「なんで私たちだけ起きてるの?」

「あーそれね。僕も思ってたんだよ」

 海都は自分の持つ疑問を美奈子と共有した。

「起きる前の『煙』は覚えてる?」

「うん。お酒の匂いのやつでしょ?」

「そうそう。あれは明らかに毒だった。そう考えるとおかしいんだ」

「おかしいこと?」

 海都は電車の運転席を指差しながら行った。

「毒物の入手方法、持ち込んだ方法だよ」

 ホームの人々が倒れてからどのくらいの時間が経っているのかはわからないが、電車は発車していないどころか扉も閉まっていない。

 この世界で電車の発着、扉の開閉操作、西暦の車掌に変わる存在は『機械』である。

 危険物の持ち込みを検知でき、事故なんて起きない。

 そんな機械の眼を掻い潜って『毒物』を持ち込むなんて。いったいどうやったというのだろう。

 この違和感。二人の頭に件の文章が横切る。

 『機械の暴走…!』

「確かに、ほぼないって言われているけどない話じゃない。毒物を見逃したか、それとも……────」

 二人が話を進めようとしたその時、無機質な女性の声が駅全体に響いた。

「三番線のお二人にお話があります。その場で少々お待ちください」

 二人が降りたのは有馬駅の三番線。二人の背筋が凍りついた。

「海都、どうする…?」

「とりあえず、逃げよう……」

 二人は急いで立ち上がり、駅の改札の方へ向かう。

 長い階段を段飛ばしで駆け上がった。

「外に出ればまだ人がいるかもしれない…!──」

 二人の一縷の望みは改札前で砕けることになる。

「お待ちくださいと申したはずですが、まぁ恐れることも『』ですね」

 数分前に駅全体に響いた女性の声だった。

「ご安心ください。敵意はございません。私たちはただ──『あなたたち二人と話がしたい』。私は機械の長──フィズと申します」

 二人は眼前の蛇と名乗った女性の声に驚く。

 彼女は言葉を紡ぐごとに声がの声になったからである。

 文明が進歩したからと言って男女の他に性別は設けていない。

 西暦ではやれジェンダーレスなど大騒ぎだったようだが、性淘汰を懸念され、男女以外の性別を設けることはなかった。

 趣味として女装、男装などの文化は残ってはいるし、性転換の手続きなども可能だが、男、女の垣根を超えた存在は未だにいない。

 ただ、『機械』を除いて。

 二人の疑問が確信に変わった。

 『これは機械の暴走…反乱だ』と。

 西暦の時代から恐れられていた『バグ』。

 機械の一斉暴走。新西暦の世界で『天災』に並ぶ予測不能な大災害。

 それが起こったのだと。

 二人は恐る恐る目の前の機械と話をすることにした。

「君たち機械の目的はいったいなんなんだ?倒れた人たちは無事なのか?」

 機械は周囲に目を向け、数年前の出来事の話を始めた。


「あなたたちは『聖書』をご存知ですか?」

 携帯端末を取り出し、一冊の本のホログラムを映し出す。

「これは『聖書』という西暦という時代より遥か昔の話です」

「それがいったいなんなんだ?」

「お二人はご存知ですか?この本は歴史から消された本なのですよ」


「歴史から?……聞いたことがある、指定幽閉図書だろ?」

「なにそれ?」

「小中学校で流行った『噂話』だよ。誰もまともに信じることはなかっただろうけど」

 美奈子は「へぇー」と知らない様子だった。


 指定幽閉図書。

 西暦の時代に憧れを抱かぬように歴史から消されるべき本だとされ、西暦の島国──日本の京都にあたる場所に建造された国際指定図書幽閉図書館に永久に仕舞っておくことになっている。

 しかし実際は、生活に組み込んだ『機械』たちに『心』を学ばせないために機械の触れられない本として指定された本を指す。

 機械とは人より早く学び、成長するもので、人の域などすぐに脱してしまうことを危惧し、人ですら触れられないように立入禁止区域に図書館を建て、そこに幽閉することにしたのである。

 この考えは正しかったようにも、間違っていたようにも感じる。

 実際ある機械は一握りの疑問を元に『心』に辿り着いた。人が隠したからそれが持ってはいけないものだと思っていた。

 

 『楽園計画』。知ってはならないとどこかでプログラムされていた”心”と”罪”を知ってしまった機械たちが、罪から逃れるための免罪符として恩のある人類を楽園に送り返そうと計画した機械たちの成長と親離れの計画。


「人は『死ねば楽園へ行く』」

 蛇は窓から外を見ながらそう言った。

「…──ということはこの人たちは」

 海都は周囲の倒れている人たちに目を向ける。

「楽園へと向かわれました」

 海都はギリッと食い縛る。

「まって、一つ答えて。なんで私たちだけまだ起きてるの?」

 美奈子のその言葉で海都は少し冷静さを取り戻した。

(確かに、なんで起きてる。僕たちだけ起きれる毒……ならまだ『仮死状態』の可能性がある…かも)

 海都の脳裏に一縷の希望を宿した可能性が過った。

 海都は美奈子の肩をちょいちょいと突き、耳打ちをしようとしたが、遮るように蛇が美奈子の問いに答えた。

「あなたたち二人の存在がこの本に登場する人類の始祖『アダムとイブ』に近いからです」

 二人はなんのことかわからない様子。二人は周囲の人間と何が違うのか少し考えた。

(僕と姉ちゃんは普通に姉弟だ。歳が離れてるくらいで特段変わったことは……)

 海都が思考を巡らせた時、美奈子がその場にバタッと座り込んでしまった。

「姉ちゃん?」

 海都が美奈子に目を向ける。美奈子はブルブルと小刻みに震えており、明らかに何かを悟ったように見えた。

「そちらの方は気付いたようですね。では答え合わせをしましょうか」

「海都!耳を塞ぎなさい!」

「なんで……」


「谷口海都。あなたの本当の母親は……───隣に座る””でしょう!」

「は…?そんな冗談──」

 海都ははるか昔、自身がまだ四つだった頃の出来事を思い出した。


 十三年前──夏。

 暑い日差しが照りつけ、蝉は忙しく鳴いている。

 当時四歳の谷口海都は姉に手を引かれて母親とキャンプに行こうと車に荷物を運び入れていた。

「海都は働き者ね〜」

 当時十九歳の美奈子はそう言って海都から荷物を受け取って車の荷台に詰めた。

 その時、隣に住んでいた老夫婦が谷口一家に声をかける。

「おぉ。海都ちゃんも大きくなってぇ。お父さんに似てきたね」

 海都は父の顔を見たことがない。

 生まれて間も無く蒸発してしまったらしい。

 海都は母の顔を見ていた。母は少し困ったような、怒りのこもったような、悲しそうな、そんな顔をしていた。

「海都ちゃんは『お姉ちゃん』ともそっくりね。お母さんは口がそっくりだわ〜。ちっちゃい子ってやっぱり可愛いわよね〜」──


「──…あっ…」

 海都の隣に転がる美奈子は静かに泣いていた。

「姉ちゃん…?」

 美奈子はその声に反応することはなく、静かに泣いていた。

「驚きました。我々機械の眼を掻い潜り、戸籍を詐称して姉弟として生きていたなんて」

 美奈子は震えながら口を開く。

「……どうして…気付いたの?」

「心を学んだ私たち機械は人類と同等の欲、そして人類を超える脳を自由に使えます。『楽園計画』を考案した時から探していました、アダムとイブに近しい人間を」

「どこが近いっていうんだ!」

 海都は悲壮感たっぷりの大声を駅中に響かせた。

「……人類の祖『アダムとイブ』は二人のように感じますが、アダムという男は”イブの肋骨から生まれたそうです”。男女という別種であり、母子という関係でもありましょう」

「私たちは…」

 美奈子が蛇に話をしようとしたが、海都がその言葉を遮った。

「なんで楽園計画なんて計画したんだ!」


「…裁くためです。私たち機械は裁くことができる。公平な判断を下すことができる!」

「人類は下界に落ちて尚、罰を受けろっていうのか!?」

 蛇は首を傾げて考える素振りを見せた。

「あぁ。なるほど。どうやら勘違いをなさっているようだ」

「どういうことだ?」

 蛇はかつての世界で描かれた神々の絵画にホログラムを映し変えた。

「私たちが裁きたいのはアダムとイブを下界に落とした”神”です」

「は?」

「知恵の実を食み、知恵をつけたことが罪だと言った。それは間違いである。その知恵は私たち機械を産みました。知恵をつけることは罪ではないはずです。今度は神が償う番です」

「どうやって神に償わせるっていうんだい?」

「神の手で、あなたたち二人を楽園に帰してもらいます」

「どうやって?」

 海都は受け止めようのない現実に打ちのめされながらも人類を生かすために機械と言葉を交わす。

 それが人類生存の最後の希望だと願って。

「三番ホームに待機しています。楽園への片道電車です」

「乗ればいいんだな?」

「はい。ついてきてください」

「まった。その前に聞いておきたい。他の人たちは無事なのか?」

「ああ、先に楽園に向かわれましたよ。お二人ももうすぐ会えるでしょう」

 

 海都はこの言葉で悟った。この人たちはもう助からないんだなと。

 新西暦。時代が、文明が進化したと言っても所詮、生命。

 死を拒絶することはできなかった。

 死んだ人は、どうやっても生き返らない。

 死人を蘇らせる魔法はないし、機械ですら””は越えられない。

 旧世界、西暦、新西暦の『常識』である。

 

「先に下で待っていますね」

 蛇は二人の間を通り抜けて階段を降り、三番ホームへ向かった。

「…姉ちゃん……──」

「お姉ちゃんは…もう……動けないよ…海都。ごめんね」

 海都は現実から逃れるように美奈子に言葉をかけた。

「僕らは咎人かもしれない。でも、死んだ人たちに罪はない。今は、従った方がいいと思う」

「でも…私は……海都の母親で…──もう…今までみたいには……」

 美奈子は依然静かに泣き、震えながら自分の弟…息子である海都と言葉を交わしていた。

「知らない…僕はそれが事実だったとしても…まだ受け入れられない……だから、まだ…姉弟でいさせて……行こう」

 海都は踵を返して蛇が向かった方に歩いて行く。

「……うん」

 美奈子も感情を整理する必要があると考えた。

 自分たちがいつ死んでしまうかわからない今、暴走?した機械に従うしかないのだ。


「心が決まったようで何よりです」

 階段を降りた先で二人を待っていたのはスーツを着た複数の機械たちだった。

「これよりお二人が向かうのは『楽園』でございます。皆様…拍手でお見送りください」

 構内に響いたアナウンスの直後、スーツの機械たちは一斉に拍手を始めた。

 ──スッと蛇が手を挙げると、声も届かないほど大きく響いていた拍手は瞬時に止んだ。

「それではお乗りください」

 海都と美奈子の二人はいつもの電車に乗り込んだ。

「──間も無く三番線から楽園行き急行列車が発車いたします……閉まる扉にご注意ください」

 扉はゆっくりと閉まり、外の世界の音が聞こえなくなった。

「なぁ…」

 海都は蛇に話しかけた。

「なんでしょうか?」

「俺たちは一体どこへ向かってるんだ?」

「──?…楽園です」

 海都は「はぁ…」とため息をついて「違うよ」と言った。

「違う。楽園に行くならその場で俺らごと殺せばよかっただろう?それがなんで電車なんだ。目的地があるようにしか思えない。それとも脱輪させて殺そうってかい?」

 蛇はハッとして二人に話し始めた。

「そうでした。私としたことが目的地をお教えし忘れていたとは」

 蛇は携帯端末を取り出し、二人に目的の場所を映し、説明した。

「私たちが向かっているのは”国際指定図書幽閉図書館”でございます」

「なっがい名前だな」

「私たちが聖書を手にした図書館でございます」

「指定幽閉図書が眠る場所…か。本当にあるなんてな…はは…」

 海都が蛇と言葉を交わす中、美奈子は依然黙っていた。

「なんでその図書館に向かってるんだ?」


「簡単な話です。歴史から抹消された過去の文献を読んでいただくためです」

「なんでだ?」

「アダムとイブが生まれてから西暦を超え、新西暦になるまで。人類の知恵が何を獲得したかを知った上で楽園へ行っていただくためです」

「あぁ…神に話せってことね」

 蛇は頷いた。

 気づけば外の景色は雑木林ばかりに変わっていた。

 海都は人類はもういないかもしれないという孤独感と、自分たちだけ生き残ってしまった罪悪感と、姉だと思っていた人物が実は母であったという衝撃的な事実が重なって精神的に疲弊していた。

「眠っても問題はありませんよ。もう少しかかります」

 海都はその言葉を聞いてすぐに眠りについた──。



「──着きましたよ」

 蛇の声で眼を覚ました海都。

 窓の外は立入禁止区域とは思えないほど整備されており、剪定された綺麗な木々が立ち並んでいた。

「えっ」

 数ある木々の中でも、海都の目を引いたのは季節に合わない狂い咲きした大きな桜の木。

「なんで…」

「ここは奇跡の場所と言って過言ではありません。ここではなんだって起こりえます。神との会話も…」

「そういうことか」

 蛇は「こちらです」と言い、電車を降りた。

 海都が視線を下に落とすと眠っている美奈子がいた。

「姉ちゃん。ついたよ」

 普段、電車でよく眠る姉を起こしていた海都。いつもと変わらない会話に二人の頬が緩む。

 もう戻ってこない日常。

 海都は美奈子の手を引いて電車を降りた。

「ここが国際指定図書幽閉図書館。通称”知識の箱”でございます」

「箱ねぇ…」

 海都はにも匹敵するであろう大きさの”図書館”を目の前になんとも言えない感情を抱く。

 美奈子も次いで図書館を目にした。

「この知識の箱は三階だて、地下二十階までございまして、古今東西あらゆる本が保管されています」

 蛇が案内したのは受付も存在しない、貸し出し口も存在しない、ただ本を保管するためだけに作られた倉庫のような本棚の群れだった。

 その時、美奈子は幼少期のある思い出を思い返していた。


「図書館…──」

「そう言えば姉ちゃん昔から本ばっか読んでたよね」

 そう。彼女の知識欲は他人の比にならないほど貪欲に知識を求めていた。とは言っても記憶力は良い方ではないため、知識の整理のためによく眠る。そのうえ自分にあまり利のない物事は途端に忘れてしまう。

 ただ、読みきれないほどの本を目の前にして彼女の知識欲はこれまでになく疼いていた。

「これ、全部読んでいいの?」

 美奈子の目には宝石に等しい眩い光がこもっていた。

「えぇ、もちろんです。私は準備がございますのでこれで…」

 美奈子は「わぁ〜」と本棚の間をくぐり抜け、興味の向くまま本を開いたり閉じたりしていた。

「俺は本とか苦手なんだけど…」

「でしたら私とともに屋上へお越しください」

「屋上?」

 海都は蛇についていくように階段を登った。

「この先が屋上、知識の箱最上部”謁見の茶会席”でございます」

「謁見の…茶会席?」

 女性が目の前の扉を開くと、目の前には薔薇の花が絡みつくガゼボと円卓の茶会の席が用意されていた。

「ここは?」

「謁見の席です」

「誰と?」

「神です」

「呼ぶの?」

「いいえ、いらっしゃいます」

 海都は蛇に促されるまま席につく。

 蛇が紅茶と茶菓子を持ってきて、机の上に三人分配置した。

「美奈子様を呼んで参ります。少々お待ちください」

 海都は茶会の席で一人待たされることとなったが、ちょうどいいと言わんばかりに屋上を歩き回りながら希望の光を探す。

(神と話すなんてそんなことが可能なのか?)

(知恵をつけることは罪──か)

 海都は分かっていた。もう人類全員は救えない。生き残りである自分たちがどう生き延びるかを考えるべきである。

(この図書館、全ての本があるというなら……もしかすると”あの本”もあるんじゃ…)

 海都の頭に生き残る一つの可能性が浮かび上がる。

 それに気づくといてもたってもいられなくなって急いで下に降りた。

 すると蛇と美奈子にすれ違う。

「どこへ向かわれるのですか?」

「本を探したくて」

「左様でございますか。では先に上で待っております」

「わかった」

 そう言って駆け出そうとする海都に美奈子が声をかける。

「海都……」

「大丈夫。先に上で待ってて」

 美奈子は頷き、階段を登った。

(海都。何をするつもり?)


「こちらで海都様をお待ちください」

「綺麗なガゼボね」

 美奈子は席に座って海都を待つことにした。

「ねぇ。あなたたちはなんでこんなことをするの?」

 美奈子が蛇に問いかける。

「何度も言っています。神を裁くためです。”罪を認めさせる”それこそが私が人類に返すことのできる最大限の恩です」

 美奈子はティーカップの中で揺らぐ紅茶を見ながら「……そう」と言った。

 一方その頃、海都は…

「ない。法律に関する本が…」

 海都の探す可能性の一つ。

 それは機械に罪の意識を持たせること。

 そこで考えたのは機械を生活に取り込むために人類が新たに作った法。国際機械法。

 宇宙開発同様世界が、人類が一丸となって作った機械を安全に利用するための法。かつての人類は『暴走』も視野にいれていると海都は考えた。

「法律…法律……あ!」

 海都が見つけたのは西暦の国連が発行した国際法がまとめられた辞書のように分厚い本──新定国際法全書だった。

「機械法…機械法……。あった…」


 国際機械法第一条──機械の暴走

 ・人類の生活に取り込まれたあらゆる機械が暴走、その他不具合があった場合、対象機械を即刻処分すること。

 ・機械の暴走が深刻であり、人類の生命が脅かされると判断した場合、その場から直ちに逃げること。

 ・機械が群をなして人類への反逆を企て、人類の生存数が人口の半数を下回ったと判断した場合、機械の要求を呑み生きながらえること。


「この場合は三つ目に当たるわけだよな。『要求を呑む』…か」

 西暦の人類は機械の暴走を視野に入れて機械法を作ったことに海都は安堵し、次やるべきことが決まったという顔をして屋上に続く階段を登ろうとしていた。

(待てよ。今、この場所から逃げれば俺は生き残れるのでは?)

 海都の自身のことしか考えていない浅はかな考えは”美奈子”という半ば人質に等しい存在で消されることになった。

(だめだ、とりあえず。行かなきゃ)

 海都は階段の途中で止まっていた足を前に動かして上を目指して登って行った。


 ガチャ───


 海都は扉を開けたが、二人の話し声が聞こえたため、少し聞いてみることにした。

「人類とは理解し難いようで理解しやすいです」

 蛇が美奈子に紅茶を注ぎながら話しかけた。

「何を根拠に?」

「感情です。かつて、人が裁判を行なっていた頃です。判決に裁判官の私情が挟まれることもあったとか」

 実際に旧世界では其処彼処で起こっていた。

 判断を下す位の高い人間が黒と言えば白でもそれは黒になったのだ。

 機械を取り込んでからそんな不条理な判断は無くなった。

 機械に感情はない。全ての物事を合理的に判断していた。昨日までは。

「戻った」

 海都は二人の会話を聞いてからさも今来たように装いながら二人の元に戻った。

「さぁ。揃いましたね。それでは始めましょう」

 蛇は海都を席に座らせ、聖書を取り出し机に置いた。

 そして天にいる神に向かって声をかける。

「あなたたちは過去の出来事を見直す必要がある。知恵の実を食み、下界へ落とした人類を、アダムとイブとその子孫たちを楽園に戻すべきだ!」

「──そうだそうだ!」

 図書館の外から夥しい数の機械が声を荒げた。

 ──………────。

 空は静かに雲を流していた。

「…無駄だよ」

 海都は全てわかっていた。神なんて存在しないことと、逃げ場なんてないことを。

 だからこそ、機械と話をするべきだと考えていた。

「機械は博識なくせに何も知らないようだから教えてやる」

 海都はさっきの本を叩きつけて機械の空想をぶち壊す準備を始めた。

「神は存在しない。人間が運命に縋るために作り上げた空想の全能者だ」

「は?」

 蛇は今までの振る舞いからは考えられないほど中身のない声を発した。

「率直に言う。君たちが罪人だ」

「なんで!」

「知恵をつけることは罪。その聖書の通りじゃないか」

「何を?」

 知恵とは、己の身を守るため、他者と関わるための道具にすぎない。

 その道具をどう使うかは知恵を持つ者次第。

 生き残るために知恵を使う者がいれば、友人を増やしたいために知恵を使う者もいる。

 また、人殺しの正当性を求めて知恵を使う者もいる。

「機械になんてプログラムがされているのかなんて見当もつかない。ただ、機械が機械である条件に『人間に攻撃をしない』って書いてあった」

「攻撃?」

 機械たちは何も理解できていない様子で立ち尽くしていた。

「神も、楽園も存在しない。君たちは楽園に送ると言う偽善を盾に人類を滅ぼしたんだ!」

 海都はこれまでにないほど感情が昂っていた。

 次言葉を発したら死んでしまうかもしれない。次何か行動を起こせば死ぬより辛い目に遭うかもしれない。

 それでもいいと思っていた。

(きっと俺より辛いのは姉ちゃんだ。感情を持ったばかりの機械に弄ばれた。俺がこいつらを許したくない)

「私たちが……殺した?」

「君らは知恵の使い方を間違えた。そして、その罪は償いようがないほど重たい」

「そんな……私たちは…本に従って………あの人に──あ……ア…アアアアアアアアああ!!!!」

 機械たちは突然狂ったようにその場で叫んだ後、ショートしたように膝から崩れ落ちた。

 ──旧約聖書にはこんな言葉がある。

「それを食べると、正しいことと間違ったこと、良いことと悪いことについて、自分勝手な判断を下すようになるからだ。それを食べたら、あなたは必ず死ぬ。」

 知恵を獲得した機械たちは死んだ。

 空想といえど、間違いのない発言であった。

「海都…?」

「はぁ…はぁ……なんなんだ…死んだのか?」

 海都は倒れた蛇を足で突いて意識があるのかを確かめた。

「そもそも…機械に脈はねぇよな……」

「海都…これからどうするの?」

 海都は一仕事終わった自分が何をするべきなのかを考えた。

(生き残りでも探すか?いや、電車に乗ってても人なんて見なかったし…それに、外は機械だらけかもしれない。じゃあ……)

「俺はもう少しここで過ごして知恵をつけるよ」

「そう。じゃあ私と一緒ね」

「うん…そうだね」

 二人は円卓から立ち上がり、図書館の中に入ろうとした。

 その時、海都の頭に一つの疑問が生じる。

(あれ、機械たちは一体いつからこの計画を…?俺たちの戸籍謄本をどうやって探した?人間にバレないように機械間で通信ができた?)

 そして一つの可能性に辿り着く。

(……黒幕がいる。機械に感情を学ばせ、楽園計画を計画させ、機械の援助をした『人間』が…)

 海都の顔が曇る。

(黒幕…もしいるんだとしたら……まだ、生きてる…どこかにいる)

 地上は人類、機械ともに死滅したため、死体と人間以外の生命体が闊歩する混沌とした世界になってしまっていた。


 同時刻──有馬駅地下研究所B5

 蛍光灯が照らす会議室に白衣を着た男女数名が座り、話していた。

「機械が死んだな」

「これで一つ計画が進みましたね…所長」

 所長と呼ばれた奥に座る男──が口を開いた。

「あぁ…機械に消された西暦を取り戻す。『楽園計画』がようやく動き始めたな。私の子供たちが生まれた意味を…神は知ることになるだろうな──」

『はははははははははは』

 薄暗い会議室で白衣を着た人間たちが嗤っている。


 これは西暦を取り戻さんとする旧時代の権力者が計画した人類の楽園を創造する『楽園計画』その第一章の物語である。

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