第12話 幻蒼


 夏の夕焼けの光線が町を走り、空と地上を赤く繋げるころ

 ここは、流行りのポップソングも気の利いたジャズも流さない、少し古びた喫茶店。


 僕、霧島は深雲さんを待ち、いつものように窓際のテーブル席に座っている。

 深雲さんとは大学の先輩と後輩の関係だ。


 僕と深雲さんが倒れた日から2年が経過し、ついに先日深雲さんは意識を取り戻した。

 自分たちの住む街から、山を一つ越えた森の中に倒れていたらしい。



 山火事を危惧して出動した他県の消防隊に発見され、保護されたということだ。


 派手に煙が上がっていたため、通報が入ったらしい。


 火元は森の中の研究施設だったが、出火の原因は不明。


 しかし、周辺で不審な人物の目撃情報があったことから、放火の線でも警察は捜査したそうだ。



 そんな経緯だから、病室で目が覚めたとき、初めて面会しに来たのは警察だった。


 しかし僕は何も答えられなかった。記憶が欠落していたのだ。


 その後は、同じ場所から病院へ運ばれた深雲さんに縁を感じ、病室に通い続けた。


 彼女の見舞い人は、お母さん以外には誰も来なかった。


 いや、思い返せば搬送されてすぐのころ、彼女の病室で火傷の傷が残る青年と鉢合わせた。


 彼は僕の顔を見て驚いたが、こちらにはどうも面識がなかった。



 「君たちは、夢を叶えてくれよ」



 そう言って僕の肩をポンと叩くと、二度と姿を現すことはなかった。


 やがて、彼女が目覚めた。


 開かれた瞳の青を見た瞬間、僕の脳裏に電撃が走り、すべての記憶が蘇った。



 入院から一年と数か月が経過し、季節は冬になっていた。


 しかし、彼女の記憶は消えている。正確には僕と出会ってから一年間の記憶が。


 そう考えると、今こうして例の喫茶店で彼女と向かい合っていることは一つの奇跡かもしれない。


「先輩、どうしたんですか? 氷が解けちゃいますよ」


「ああ、少し考え事をしていてね」


 以前から変わったことといえば、僕が単位を取り終えて卒業間近ということ。


 そして彼女が留年し、僕を『先輩』と呼ぶ関係になったことだ。


 彼女は、いまは灰色の目で僕の瞳を覗き込んでくる。


 雲のような灰色はコンタクトレンズの賜物だ。


「綺麗な青ですね、その飲み物」


「そうだね、これも仮初めの色だけどね」


 僕の返答を聞いて、何を考えたか彼女は疑惑の目線を向けてきた。 


 こういうところを見ると、嫌でも実感してしまう。


 目の前の深雲さんは、僕の知る彼女ではない。


 孤独な闘争と、独善的な人類愛を想像した彼女は、記憶とともに死んだのだ。


 あの愛しき知性の輝きに、もう一度魅了されたい。 


 もう一度、彼女に出会いたいと願ってしまう。


 だがそれは、叶わない願い。


 許されてはならない望み。


 それらを抱えながら生きていかなければならない。


 深雲アウラは死んだのだ。


 こんなにも辛い思いをするくらいなら、いっそ忘れていた方がマシだったかもしれない。


 そう思いつつも、心の中で想い続ける自由を失いたくはない。


 僕の"青色"は、二度と会うことはできない、だが目を閉じればそこにあるのだ。


 頭を抱える彼女に、僕は更なる謎かけで追い打ちをかける。


「知っているかい? 僕の青色は、キミからは見えないところにあるんだ」


 僕は青色のハーブティーからストローを抜き去った。

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ノイジー・ブルー #No easy way to blue. 朝倉夕市@九十九 @Another_Asahi

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