第15話 死罪

 母に何かあったのだ、と静嘉は直感した。

 母から用があるのなら、母から連絡してくるはず。その様子は宦官の言葉からはない。しかも、意味深なことを言われた。


『何があっても、動揺遊ばされてはなりませぬ』、と。


 病だろうか。それにしては急すぎる気がする。第一、病であればそれこそ自分に連絡が来るはず。


 秋らしく桂花きんもくせいの簪を身につけ、くすんだ緑の襦裙を身につけた静嘉は、輿に乗った。人に自分を担がせているということが慣れず、もぞもぞとした。


 連れてこられたのは、池のほとりだった。その池の柳の葉が黄色く染まっているのが目に鮮やかだった。池の近くには小さな殿舎がある。


「あそこは……」


 芳翠がひどく狼狽していた。


「芳翠? あそこは、なに?」

「冷宮、で、ございます」

「冷宮?」


 芳翠は声を震わせて説明する。


「罪を犯した後宮の女を閉じ込めておくところでございます。その、それで、その池のほとりは、……その女に罰を与えるところでございます」

「……は?」


 静嘉が震えていると、人の列がやってきた。


 何、とその列を見やると、大きな日除けの傘をつけた輿の下に、黒の大裘だいきゅうを身につけ、冕冠べんかんをかぶった男がいる。

 偉丈夫だった。白くはあるが鍛え抜かれた肉体に、つやつやとした黒い髪を持ち、その白皙の顔には意志の強そうな二重の切れ長の目が光っていた。――静嘉そっくりの。


 実父、皇帝だと気づく。その龍顔からは表情が抜けていた。周囲が平伏している。静嘉も急いで平伏した。


 どきどきと心臓が早鐘を打つ。良くないことが起きる予感しかしない。


「顔を上げよ、花永」


 皇帝にそう言われた。顔を上げた瞬間、皇帝が抑揚のない声で話しかけてきた。


「明月が言っていた、どうしても見たいそうだな。これから面白いものが見られるぞ。しっかりと見よ」


 殿舎の扉から出てきたのは、白い肌着に身を包んだ母であった。


「母様っ!」


 静嘉は急いで母の下へ向かおうとするが、宦官に制されてしまう。

 母はこちらを見た。静嘉に少しだけ微笑ってみせ、池のほとりに跪いた。


 生真面目で厳しそうな宦官の一人が、何か竹簡を読み上げている。風に乗って聞こえてくるのは、


「……皇帝の玉体に傷をつけたこと、罪深い。よって首を切る」


 という信じられない言葉で。


 は、と皇帝をじっと見た。無礼とか無礼ではないとかはこの際関係がない。

 皇帝の身体に傷など見当たらなかった。


「……傷などないじゃない……」

「花永公主」


 宦官が静嘉をいさめる。静嘉は悲痛に叫んだ。


「嘘! 嘘つき! 母様に何をするの!?」


 宦官がさらに静嘉を抑え込む。すると、皇帝の声が降ってくる。


「死罪ではなく、太子の母ゆえ減刑する。毒を飲んでもらう」


 しゅるり、と衣擦れの音をさせてやってきた宦官が漆の盆を持っていた。その上に硝子で出来た杯がある。その杯の中には清酒が入っていて、その上には何かの金粉がまぶしてあった。


 恐ろしいほど美しい飲み物だ。


 その宦官は、香雪の許へ向かい、抑揚のない声で言った。


「主上の特別の御計らいとご慈悲により、香雪妃、大逆を犯したといえども、金屑酒を賜るとの仰せでございます」


 金屑酒。金粉をまぶした美しい毒酒。

 香雪は皇帝をふと見上げた。天を夢見るように。平伏すると、


「大変ありがとうございます」


 と言い、杯をおしいただいた。


 監禁されていても色あせない、香雪のふっくりした紅唇が杯のふちをなぞる。そして、一気に彼女は酒をあおった。

 そうして、彼女は地面に崩れ落ちた。


 静嘉は何が起きたか最初、受け入れられなかった。母はこんな時に酔いつぶれたのかと思ったとき、その母の、紅の唇からぽたりと一筋、糸のような血が零れた。


 後宮に、少女の病的な悲鳴が響き渡った。



 意識を失った娘を一瞥すると、「母は殺してやったぞ。介抱してやれ」と皇帝は宦官に命じて去った。

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花陽国稗史「花永公主伝」——弟の幸福のため、公主は「悪女」となる。 はりか@月船みゆ @coharu-0423

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