第14話 雨中

 最近雨が続く。

 芳翠が霞鏡宮の女官部屋で休憩しながら針仕事をしていると、ひたひたという足音が聞こえた。直後、ほとほとという部屋の戸を叩く音が聞こえる。


 芳翠は「何でしょう」と少し声を鋭くした。色好みの宦官かと思ったのである。


 すぐに予想を裏切られた。


「……たすけて」


 女の声だった。そしてよく聞けば、仕えて間もないが慕わしい、芳翠の美しく気高く優しい主君の声だった。


 すぐに戸を開ける。すると、麻の肌着一枚だけを着た主君が、雨が吹き込んでいる吹きさらしの廊下に、ずぶ濡れになってうずくまっていた。


「姫様!」


 焦りながら女官部屋に主君を入れる。柔らかい布で主君を拭き、失礼だが自分の肌着を着せた。その上に自分の衣を着せる。


「いま、温石をもってまいります!」

「だいじょう、ぶ。このくらいは。よく、故郷でもあったから。ごめんなさい」

「では、お湯を……!」


 女官部屋の棚から申し訳ないのだが女官ごときが使っている茶器を取り出し、すぐに湯を注いだ。公主に差し出すものでもないのだが、仕方ない、と芳翠は静嘉に差し出す。

 主君は気にすることなく、温かい茶器を抱くようにして身体を温めた。


「あの……今度は何がございました?」


 最近、主君のまわりでは珍妙なことが起きる。主君の分の朝餉が配給されなかったことがあったり、夕餉の饅頭に砂がかけられていたり。


「服が……ないの」

「え」

「服が、すべて無いのよ。雨の、水の中に捨てられてしまった……」

「は?」


 芳翠は唖然とした。誰がそんなことを。


「……明月后さまがやってきて、わたしに派手な服は要らないと、あなたが用意してくれた服も含めて、雨の庭に、全部捨てられてしまったの」


 ぐす、ぐす、と泣きじゃくる彼女は、気高いとはいえまだ十代半ばの少女であった。


 ――どういう、こと。


 晴れた頃を見計らい、静嘉と一緒に彼女の部屋に帰ると、衣装入れには一切物がなかった。衣服が捨てられたという中庭からも、忽然と衣服が消えていた。


 はあっ、はあっ、と公主は息を荒げ、床に膝をついた。


「姫様!!」


 芳翠は姫君を抱きしめる。


 すると、女官たちの無邪気な声が聞こえた。


「ありがたいわあ! 少し濡れて泥だらけになっているけれど、お后様が自ら衣装を下賜してくださるなんて」

「この美しい牡丹の簪、素敵……!」


 静嘉のものだと、芳翠にもすぐわかった。なので、女官たちにむかっていこうとした時、肩を静嘉に掴まれた。


「だめ。だめよ芳翠」

「と、とりあえず、新しい衣服を何着か……」

「そうね。あと簪も。牡丹のと、あと芳翠がこれは、という見事なものを選んで。わたし、お金はあるみたいだから」


 静嘉は言い放った。姫君が遠慮するかと思っていた芳翠は、少し圧倒された。


「わたし、きっと、嫌われてるの。わたしは後宮での敵である香雪妃の娘だもの。当然だわ。でもこういうとき、気にしていたらもっと舐められてしまう。……そうだ」


 姫君はその後宮の中で最も華やかになる素質のあるかんばせに、牡丹か椿を思わす笑みを浮かべる。


「わたし、頑張ってお洒落をしてみようと思う。芳翠、お洒落の仕方を教えて」


 芳翠は姫君にむかって唖然とした視線を向ける。


 ――姫様、お気が強すぎますよぅ。


 そこに、畏まった宦官がやってきた。


「花永公主様。公主様におかせられましては、明月后陛下より、香雪妃と一週間後の朝、ご面会の機会を設けてくださるとのことでございます」

「まあ!」


 静嘉は顔を綻ばせた。母にようやく会える。だが、宦官は顔が硬いままだった。


「……公主様、何があっても、動揺遊ばされてはなりませぬ」

「……え?」


 どういうことだろう、と芳翠と静嘉は首を傾げた。

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