【ショートストーリー】善良な、あまりにも善良な

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】善良な、あまりにも善良な

 昔々、誰も知らない国に誰も知らない街がありました。

 その街の全ての者はそれぞれに彼ら自身の名を付けられ、その名前は彼らが持つ力を象徴していました。一部の力強い名前を持つ者たちが街を支配し、恐怖と絶対的な秩序で彼らを縛り付けていました。

 そこに「善良」と名付けられた少年がいました。少年は日ごろから街の厳しいルールと支配者たちの冷酷さに怒りを覚えていました。彼の両親は彼を保護するために、彼が生まれる前に「善良」の名を選んだといいます。しかし、「善良」の力は街の他の力強い名前にくらべて非常に弱いと思われていました。少年はなぜ両親が自分に「善良」と名づけたのか理解できませんでした。そしてすでに死んでしまった両親からその訳を訊くこともできませんでした。

「善良」はある日、名も無き老女に出会います。彼女は街の中で唯一名前を持たない者であり、それゆえに力を持たず、支配者たちからも見逃されていました。彼女は街でも異質な存在だったのです。

「善良」は名前のないその老婆に出会った日のことを鮮明に覚えています。老婆は道端にひとり座っており、彼女を見かけた「善良」は好奇心に駆られ近寄りました。

「あなたはなぜ名前を持っていないのですか?」と「善良」は尋ねました。

 老婆は微笑みながら答えました。

「私はみんなと違う存在なのよ。名前では私を表現できないの。名前は力や地位を示すかもしれないけど、それだけが私の本当の価値を伝えるものではないから」

「でも、皆が名前を持っているし、それが重要なのではないかと僕はずうっと思っていました」

「それはみんなが囚われている幻想よ。名前はその人の一部の特質を示すことがあります。しかし、人々はもっと複雑で魅力的な存在なのです。名前だけで価値を測ることはできません」

「善良」は疑問に思いながらも、老婆の言葉に深い意味があることを感じました。

「では、私たちの本当の価値は何にあるのですか?」

 老婆は優しく微笑み、言葉を紡ぎました。

「私たちの本当の価値は、他人に優しさを示し、思いやりを持つことです。名前や地位よりも、心の中に宿る『善良』さが私たちを本当の意味で輝かせるのです」

「善良」は老婆の言葉の中に自分の名前が出てきたことに驚きました。そしてその瞬間、「善良」はなぜ両親が自分にこの名前をつけたのかわかりました。名前が個人の価値を左右するものではないこと、善行と優しさが真の力であることに彼はとうとう気づいたのです。

 彼は街の人々に名前の真の意味、それが個人の価値を測る一つの側面ではあるが、全てを決定づけるものではないということを教え始めました。その勇気ある行動により、名前の力を制御するために彼らの自由を犠牲にした他の人々も、次第に自分たちの名前に囚われることから解放され始めました。

 こうして、名前でしばられた街の人々は少しずつ変わり始め、彼らが支持する力のバランスは揺らぎ始めました。もはや絶対的な支配者は存在できなくなっていました。

「善良」の名前は、その強さと純粋さにより、街全体に影響を及ぼし、革命的な変化をもたらしたのです。


(了)

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【ショートストーリー】善良な、あまりにも善良な 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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