浄化の聖女と魔物狩りの騎士
あば あばば
浄化の聖女と魔物狩りの騎士
その城には二人の異端審問官がいた。
一人は武具の祝福と傷病兵の治療、呪いの浄化のために教会から派遣されたシスター。もう一人は、領内の汚れた異形を始末するために呼び寄せられた「魔物狩り」の女騎士。
「今日こそ、わたくしにあなたの武器を祝福させていただけませんか? アルバ様」
「……いらない。自分の武器は自分で処理できる。あんたは自分の仕事だけしてな」
「そうですか……残念です。せめて、あなたの征く道が主の目にとまり――」
「聖句もやめて。血まみれの仕事の最中に、神の祝福がどうたらなんて思い出したら笑っちゃうから」
失笑しながら、騎士は擦り切れた赤い外套をひるがえして立ち去る。見送る聖女は、それでも小声で聖句を唱え、騎士の無事を祈った。
二人は同じ地位でこそあれ、それぞれ全く別の組織に属していた。果たす役割も、城のものからの扱いもまるで違う。本来なら協力し合うことも、その必要もない。
だが、シスター・クロエは彼女の自暴自棄にも思える態度が気になって、日頃から世話を焼こうとするのだった。
――とある夜。
城の裏門から、任務から一人帰還した騎士アルバを呼び止めるものがいた。
「……お帰りなさいませ、アルバ様」
「”
「お怪我はなさっていませんか? とても危険な相手と聞きました」
「それほどじゃないさ。ガーゴイルの数体ぐらい……慣れてる」
そう言いながら、アルバはシスターの隣を通り過ぎようとした。
「アルバ様」
「なに? さっさと部屋で体洗いたいんだけど」
「左足をかばっておられますね」
「……」
図星を刺され、黙り込むアルバ。クロエは返り血も恐れずに彼女に近づき、その手を握る。
「なんのつもり?」
「礼拝堂へおいでください。治療をします」
「余計なお節介……ただのかすり傷だよ。自分で治療できる」
舌打ちして、振り払おうとするアルバ。だが、クロエは退かなかった。
「戦うことがあなたの仕事なら、これがわたくしの仕事です。こちらへ、おいでください」
有無を言わさぬ様子に根負けして、アルバは仕方なく彼女に手を引かれ、言われるままに礼拝堂へと向かった。
孤児院で育てられ、剣の腕を磨くことでようやく自分の人生を手に入れたアルバは、今の地位を手にしてから誰かに行動を委ねることはしてこなかった。王に命じられても、それが愚策であれば理詰めで反論した。
それが今、たかが修道女一人の言いなりになっているーー妙なことになった、とアルバは心のなかでため息をついた。
「床、汚したね」
静かな礼拝堂の中、治癒術の詠唱が途切れるのを待ってから、アルバは言った。
「構いません、毎朝ちゃんと拭きますから」
「……あんたは、なんなの。あたしをなんだと思ってるわけ。しつこく近づいてきて」
「ともに、神に仕え魔と戦う仲間だと思っています。だから、いがみ合うよりは仲良くしたいと思って……」
「仲間、ね。あたしにとっては、死人と同じ言葉だな。魔物狩りに出る連中は誰も長生きしない……あたしもきっとそう」
クロエは治癒の手を止めて、じっとアルバの瞳を覗き込んだ。その言葉の真意を確かめるように。
「それが生業だから、文句を言う気はないけど。あんたはずっと暖かい場所にいて、死ぬ危険もないんだろうな」
「……そうですね。わたくしは、大勢の死を何もできずにただ見送ってきました」
「…………」
「それもわたくしの仕事です。兵たちが神の御下に旅立つ時、彼らの最期が安らかであるよう立ち会うこと。痛みや苦しみをできる限り和らげること。重い呪いに冒された方を、この手でお送りしたこともあります」
軽い嫌味のつもりが、クロエが無自覚にさらりと返してきたので、アルバは何も言えなくなった。
「そう……ま、あんたに見送られるなら兵も悔いはなかっただろ」
「どうしてです?」
「美人で、胸もあるからさ。死に際の人間が求めるものなんて、神よりそんなものだよ」
クロエは困った顔で苦笑した。誰かに見た目を褒められると、いつもこんな顔をするのだろう。その様子を想像して、アルバは少し嫌な気分になった。
「あなたもですか?」
「え?」
「あなたも、危険の中で生きて……そんなものを求めているのですか」
「なに、その質問。あたしが女に興味あるか聞いてる?」
「え? いえ、そ、そういうわけでは!」
顔を赤くするクロエを見て、アルバはくすくす笑った。そんな風に笑うのは数年ぶりだった。
「わかってるよ。あたしも死ぬ時は俗なものが欲しいな。酒と、美味いもの。あと……」
「あと?」
「……誰かに手を握ってて欲しいかな」
誰に、とは言わずにアルバは立ち上がった。治療がとっくに終わっているのは気づいていた。ただ、アルバ自身もきっとこんな会話に飢えていたのだ。人を遠ざけていても、心の底ではこんな風に優しくされたかった。
「ありがと、クロエ」
「名前、初めて呼んでくださいましたね」
「そうだっけ?」
「また、いつでもいらしてください。この礼拝堂は……いえ、わたくしはいつでも歓迎しますから」
「わかった。でも、聖句とか祝福はいらないから」
「……やっぱり、ですか?」
「ああ。人間は信用しても、神は信用しない」
つまりクロエ自身のことは信用してくれたのだ、という言外の意味に彼女が気づく頃には、アルバはその場を立ち去っていた。
それから数ヶ月のうちに、二人の間にかつての緊張感はなくなっていた。
会話の量が増えたわけではない。むしろ、言葉に出さず会釈だけで交わす交流の方が増えていた。外から見れば、クロエがとうとう根負けしてアルバに構うのを止めたのだと見えただろう。
実際、城の兵士たちはそう噂していた。シスターが無愛想な血まみれ女に構うのを止めた、俺たちにもチャンスができた、と。しかしクロエは今まで以上にアルバのことを特別に感じていた。言葉を交わさずとも、視線の一つでお互いの心が通じる相手。そんな友人は、教会のシスター仲間にもいなかった。
――半年後。
アルバが、とある任務から帰らなかった。
(主よ、どうか。どうか彼女の帰途を主の光で照らしてください)
手足が氷のように冷えるのを感じながら、クロエは二晩寝ずに祈り続けた。
深夜の礼拝堂は二人で話したあの時よりも寒々しく感じた。もっとあんな風に話しておけばよかった。もっと、もっと色んなことを話せばよかった。いくらでも伝えたいことはあったのに。もし、あの朝自分が彼女に聖句をかけていたら。もしも、彼女がどれだけ嫌がっても、武具に祝福を与えていたら。
とめどなくあふれてくる後悔と自責を押しつぶして、彼女は神に祈った。後悔するのは本当に彼女が死んだ時だけ。アルバが生きていると信じるために、後悔をしてはならなかった。
(どうか、どうか……)
答える声はない。祈りは届かない。
クロエはもう嫌というほどそれを思い知っていたはずなのに。
今、本当にその虚しさを心から理解しつつあった。
――コトン、と。小さな物音がした。
「!」
クロエは振り向いて、礼拝堂の扉を見た。人影はない。
誰かの悪戯か、風のせいか。そんなものだとわかっていても気が逸る。
もしかして……もしかして。
「……アルバ様?」
扉を開け、周囲を確かめる。誰もいない。
落胆のため息をついて、礼拝堂に戻ろうとした時――
「……ごめん」
小さな声が足元から聞こえた。
開いた扉のすぐ横に、うずくまる赤い塊。
「あ……!!」
「声を出さないで。静かに……誰もいない?」
「は、はい……っ、わたくしだけで……」
クロエが言い終える前に、アルバは体を引きずって礼拝堂の中へ転がり込んだ。ふらついていたが、扉だけはしっかりと後ろ手に閉めていた。
「ご無事で……ご無事で……!」
「違うんだよ、クロエ……違うんだ」
アルバの悲痛な声を聞いて、クロエはようやくその顔色に気づいた。
死人のような青白色。唇だけが、血を塗ったように赤い。
「まさか、呪いを……?」
「それも、少し違う。噛まれたんだ、吸血鬼に……ざまぁない」
「……!!」
吸血鬼に噛まれたものは、血そのものが呪われる。そして、間もなく己も吸血鬼に変わる。何者も逃れることはできない。浄化すれば、血ごと干上がってしまうからだ。
「噛みやがったクソ女は殺してやったよ。前にガーゴイルを狩っただろ。あれも、同じやつの仕業だった……これでこの辺もしばらく静かになる。ま、最後に一つ大仕事済ませたってわけ」
飄々と言いながらも、それがただの強がりであることはすぐに見て取れた。
まだかろうじて人間らしさを保っているが、やがて血が回り完全に変わってしまうだろう。
「どうして、戻ってきたのですか」
「……どうして、って?」
「戻らなければ、こんなところへ来ないで逃げてしまっていれば、どんな形だろうとあなたは生きられたのに!」
神に仕えるものとして、異端審問官として、目の前に吸血鬼が現れれば対処せざるを得ない。見逃せばいつか罪なきものを襲うであろうから。なりたての吸血鬼は力も弱い。兵士の数人も呼べば、簡単に消滅させられる。
クロエは唇を噛んで、険しい顔でアルバの体を見つめた。血に濡れて、ぼろぼろに傷ついていた。人の世の平穏のために、これほどに苦しみながら戦って、戦い抜いた果ての結末がこれなのか。
「はは……シスターが言っちゃダメじゃない。それ」
「でも、わたくしは――」
「やだよ。一人で暗闇に隠れて永遠に生きるなんて。言っただろ……死ぬ時は、酒と美味いものと……」
言いかけて、ふっと意識が遠のいたのかアルバはぐったりと床に倒れ込んだ。
「アルバ様!!」
「……だめ、だ。声……静かに」
「どうして……っ」
「あんたは綺麗でいてよ……吸血鬼と、仲良く喋ってるとこなんて……見られたら……」
異端に与するものとして糾弾されかねない。それは二人ともよくわかっていることだ。
「こんな時に、人の心配なんて……!」
「あんたのためじゃ、ない。あたしが……そうしたいからだよ」
「あなたは……あなたという人は……」
クロエは腕の中でかすかに息をするその女が、自分などよりもずっと高潔で美しい聖女のように思えた。ぽつぽつと涙が流れ、アルバの頬に落ちた。その涙はおとぎ話の奇跡のように、アルバを癒やしはしなかった。
「……ねえ、聞いて。頼みがあるんだ。最後の、一つだけのお願い」
「はい。なんでも、なんでも叶えてみせます」
アルバは「言ったね」とばかりに薄く笑って、クロエの手を握った。戸惑うクロエをよそに、アルバは迷いのない声で続ける。
「この手で、あたしを浄化して」
「……! できません!」
「あんたに終わらせて欲しいんだ。あんたにしか、終わらせてほしくない……吸血鬼にも、神にも、あたしの命はくれてやらない」
固い決意を感じて、クロエはその言葉を否定できなかった。神に人生を捧げてきた自分にさえ、目の前で人としての生を終わろうとしている友人に何もできずにいる。神は彼女になにもしてはくれない。
「でも、なぜ……わたくしなどに」
「顔もいいし、胸もあるから?」
「! 何を……っ!」
「はは……そうそう、そんな顔しててよ。泣いてる顔見てたくないんだ」
力なく笑うアルバを見て、クロエはまた表情をこわばらせた。そんなクロエを見て、アルバもまたため息をつく。
「……もっとたくさん話したかった」
アルバはクロエの瞳をまっすぐに見た。
取り返しがつかなくなるまで、言えなかった言葉。
「……同じです」
クロエはアルバの力ない手をぎゅっと握った。冷たくなってゆく手。
彼女がかつて望んだ通りに。最後には、誰かに手を握っていてほしいと。
「わからない……こんな終わりなら、わたくしは、なんのために今まで敬虔であろうとしてきたのか……」
「あんたは大勢を救ってきただろ。聖女だって呼ばれてる」
「でも、あなた一人を救えない……!」
「違う。違うよ、クロエ」
アルバはこれだけは間違えて欲しくないと、力強く首を横に振った。
「あんたは救ってくれた。救われるんだ、あたし……」
「アルバ様……」
「だから……ぐっ!」
苦悶の声とともに、青ざめたアルバの顔に血管が赤く浮き出た。変容が始まろうとしているのだ。
「時間だ……覚悟、いい?」
長い沈黙のあと、クロエは深く息を吸って、うなづいた。
「…………はい」
瞼を閉じ、瞼を開いた後はもう、その瞳に恐れも迷いもなかった。
「ありが、と……クロ……」
クロエは慈しむようにアルバの頬をなでて、冷たい汗を拭った。意識を失いつつある彼女の頬を抱き寄せ、その額に口づけた。それから、紅い唇に。
「……アルバ様。ごめんなさい。わたくしは……」
そして、決意を秘めてこう言った。
「わたくしは、神とあなたとに背きます」
二人の異端審問官は、その夜を境に城から姿を消した。
誰も彼女たちが出ていく姿を見なかった。行き先もわからず、探す者もいなかった。兵士たちは憧れの聖女の失踪をしばらく嘆いたが、補充の人員が来るとまたすぐに忘れた。
クロエが吸血鬼と戦ったことさえ、城の記録には一切残されていない。残された正式な記録はただ一つ――
城から棺桶が一基なくなっていたこと。
数日後、国境で奇妙な風体の女が目撃されている。
女は旅人のようであったが、手首にはいくつもの高価そうなロザリオを巻き、大きな棺桶を荷車に乗せて運んでいた。理由を聞かれると「家族の遺体を故郷に返すため運んでいる」と答えた。棺桶は盗難を防ぐためか、厳重に鎖が巻かれていた。
女はその棺桶に向かって、何度も親しげに語りかけていたという。家族という言を信じるならば、それも不自然ではないのだろうが。
兵士が聞いた彼女の言葉は、こんな風であった。
「大丈夫、心配は要りません……ご存知でしょう? わたくしはあらゆる呪いや魔物への備えを学んでいます。何が起きても、対処できます」
女は棺桶の中へ聞かせるように、手首のロザリオをじゃらんと鳴らした。
「必ず見つけてみせます。あなたを元通りにする
女は自分の手の平の小さな傷をさすった。それは新しい傷のようだったが、すでに治癒の法術で傷はふさがっていた。
「いけませんよ、今日の分はさきほどので終わりです。書物によれば、それで十分意識を保つことができるはず。慣れてください。時々は外の空気も吸わせて差し上げますから」
女はくすくす笑った。まるで棺の中の死体と、冗談でも言い合うように。
「ええ……わたくしも知りませんでした。自分がこんな風になれるなんて。まるで生まれ変わったよう……あなたのおかげです。自由になれた……」
女は立ち上がり、風の吹いてくる方を見た。
その顔は毅然として勇気に満ちていた。
「……行きましょう。いいえ、怖くなどありませんよ。わたくしは、あなたが思っておられるよりも強いのです」
「それに……あなたが隣におられますから。アルバ様」
それから棺桶の中であきれたような溜め息が聞こえたとも言うが、真偽は誰にもわからない。
(終わり)
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