安息日ごっこ

かめかめ

なーんにもしない

2023年11月25日(くもり)


 わかったこと。私の中には大きな『からっぽ』がある。


 今日は安息日ごっこをすると昨夜決めた。一か月すればクリスマス。ちょうどいい期日だからだ。


 ちなみに、安息日の情報はネットで簡単に調べただけ。ユダヤの人のシャバットを目指してみた。クリスマス関係なくなるけど。

 シャバットが心身を安らげるという誰かの言葉を半信半疑で行ってみたというわけだ。


 安息日には仕事をしてはならない。

 生業も副業も、家事も火を熾すことも、機械を触ることも、エレベーターのボタンを押すことも、してはならないことだ。


 とにかく、休む。なぜなら神様が6日間で世界を創ったあと、1日休息されたからだそうだ。

 それにならって、人は7日のうちに1日、安息日をもうけた。らしい。


 実際は金曜日の日の入りから土曜日の日の入りまでを安息日とするとネットには書いてあった。

 しかし、電気のスイッチを押すことも、してはいけないことなのだそうだ。火を熾すことと同列なのだという。

 電気を点けっぱなしで夜を過ごすのはつらい。日の入りから電気なしでいるのは、もっとつらい。

 かといって、日の入りの夕方6時前後に寝むれる気がしない。ろうそくだって、すぐに消えてしまうだろう。


 そうだ、土曜の朝から日暮れまでだけにしよう。

 どうせ『ごっこ』なのだ。安易にいこう。



 寝坊した。

 いつもは、スマホのアラーム機能を使っているのだが、安息日の前準備としてスマホの電源を切って寝た。

 起きたら、12時だった。


 まあ、いい。

 日の入りまで6時間ちかくある。それだけでも経験値は稼げるだろう。


 さて。

 安息日になにをするか。

 してはならないことはいくつか知ることが出来た。

 しかして、すべきことは。


 まずは、神に祈り、感謝する。

 そういう日らしい。しかし私はユダヤ教徒ではない。神様に祈る風習も、そんな敬虔な気持ちもない。


 普段の生活のうち、大部分が制限される。

 スマホ使えない。PC使えない。テレビだめ、ラジオだめ、たぶんレコードプレイヤーも機械だからダメ。

 文字書いたらダメ、と、いうことは読書もだめ?

 そこは調べなかった。手落ちだ。

 とりあえず、だめということにするしかない。


 唖然とした。


『ぽっかり。』


 穴があいていた。


 私のまんなかに。


 いつもは、スマホやPCや仕事や読書やラジオや音楽がその穴を見えないように、落とし穴を隠す落ち葉のように、私の穴を塞いでいたのだ。

 落ち葉を取り払うと、私の中は『からっぽ』だった。


 なーんにもない。


 おそらくだけど、この『からっぽ』は、神様がいるべき場所なんだろう。

 神様がどっしりと座ってくれて、私の心の真ん中に、ぶっとい柱が立つのだろう。


 しかし、今さらそんなことに気付いても遅い。私には信仰する神様も仏様も悪魔もいない。

『からっぽ』は、ただの『からっぽ』だ。



 さてさて。

 それでは今日1日をどうすごすか。『からっぽ』ではなく神様を胸に抱いている人は、神様と共に1日をすごすらしい。

 あとは、散歩したり、友達と会ったり、親戚が集まってわいわいしたりするそうだ。


 私にはどれも無理だ。親戚も友達も、前日には連絡しておかねば、会うこともままならない。

 散歩くらいはできそうだが、我が家はビルの7階にある。下りはまだしも、上ることを考えると出かけたくはない。


 ちなみに、ユダヤの人たちが使うエレベーターには、安息日に各階に自動停止して階数ボタンを押さなくていい機能があるものもあるそうだ。

 うちのところのには、もちろん、そんな機能はない。


 しかたないので、飼っているオカメインコを眺めて酒を飲みつつ昨夜のうちに準備しておいたコンビニのサンドイッチを食べた。


 ひまだ。なにもすることがない。

 いや、できることがない。


 機械を取り上げられ、書くという趣味も取り上げられ、読むという馴染んだ行為も取り上げられ(本当はいけないのかどうかわからないが)、家族は仕事で話す人もいない、オカメインコは迷惑そうにそっぽを向く、床が汚いなーと思っても掃除機もかけられない、火を熾してはいけないからシャワーもできない、頭が痒い。


 親戚が集まる、友人と会う、趣味がある、自由に出かけられる。

 それが、どれだけ大切なことか。どれだけ、幸せなことか。どれだけ、必要なことか。


 もし、『からっぽ』の中に神様がいれば、祈ることですべてをしのぎ、幸福な時間を過ごせるのかもしれない。


 ためしに、中高カトリック教育で教わりつづけたキリスト教の『主の祈り』を唱えてみた。

……15秒ほどで終わった。


 それならと、祝詞を呟いてみた。

……30秒で終わった。


 毘沙門天の真言を唱えてみた。

……5秒もかからない。


『からっぽ』は簡単に埋めることはできないのだ。

『からっぽ』に入るのは日々の積み重ねなのだろう。

 水が一滴ずつ満ちるように、ひそやかに、ゆっくりと満ちていく。

 こころの中に、だれかと語るよりも、愛し合うことよりも、大きなものが満ちていく。


 日の入りの時刻も調べていなかった。おそらく6時頃だろう。

 あと2時間。我慢だ。

 あと1時間半。我慢だ。

 あと15分……もうだめだ!


 祈りの言葉も、お酒も、サンドイッチも、眠っているふっくらオカメインコも、なにもかも抑止力にはならなかった。

 なにかしたくて仕方ない。


 立ち上がり、掃除機をかけた。買い物メモを書き、食器を洗った。


 そして今、この日記を書いている。


 私の『からっぽ』は、また見えなくなった。

 明日には普通の顔をして

「あー、仕事だるい」

「部屋の片づけしたくない」

「ルンバ欲しいなー、掃除機めんどくさい」

「うちのオカメインコって頭悪いよなー」

なんて、ぶつくさ言っているだろう。


 でも恐らく、『からっぽ』の存在が自分の奥にあることで、落とし穴の位置を知っているみたいに、用心深く過ごしていくだろう。

『からっぽ』に足をすくわれないように。


 そしていつか。『からっぽ』に入る神様ほどに大切なものを見つけるまで。

 もしも孤独にでも生きていられたら。

 安息日ごっこをつづけるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

安息日ごっこ かめかめ @kamekame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ