色眼鏡

高黄森哉

色眼鏡


 私は、急に世界が、単色になったので驚いた。病気なんじゃないかと。そして、助けを求めて、しっかり者の友人に目線を映すと、色は元通りになったが、世界の輪郭がはっきりしすぎてチカチカした。なんだろう。この感覚。

 クラスの別の人間に、目線を移してみる。小動物的なあの子を、見つめると、世界のタッチが丸みを帯びた。あの真面目ちゃんは? 視界は、繊細な油絵となった。


 なるほど、私は人の世界観を知ることが出来るようになったらしい。


 ちょっと怖いが、ちょっと面白かった。休み時間になると、仲間の輪から珍しく外れて、いろいろな人間を見物しに、散歩に出かけることにした。

 そして知った。実に、人は、多様な方法で、世界を解釈しているらしい。自分に、新しい角度を教えてくれるようだった。

 特に面白かったのは、イノシシ型の、テニス部部長。彼女の世の中は、直線で構成されていた。直線で出来たベンチに、直線的に腰掛けている。驚くことに、彼女からすれば、どの人間も直線でしかなかった。長いか短いかの違いで、人を判断しているようで、だから誰とも仲良く接することが出来るのだろう。


 私は、屋上へ走った。


 この能力が消えてしまう(かもしれないじゃないか)前に、会わなければならない、存在が二人いる。彼女たちは、いつも屋上にいるのである。

 一人は、この世で最も透明だと思う人。偏見がなく、いつも公平で、頭がよく、人当たりもよい。彼女の世界はどんなだろう。きっと、素晴らしく美しい。

 扉を開けると、緑の柵が囲う、土地に沢山の人がいた。透明を取り囲むようにして、クラスの人間が輪を作っている。


「あら、桜井さん。こんにちは」


 といった、人の花束の真ん中の彼女を、じっと見つめた。一体、どんな色に、染まるのか。ずっと見つめ続ける。

 驚くべきことに、景色はまったく、変わりはしなかった。そうか、彼女は、本当にその通りに世界観をとらえているのだ。だから、公平でいられるのだ。普通、人の世界観では、知り合いの顔などは美化されるものだが、それもなかった。この人は、人間を、ただの人間として捉えているらしい。

 ちょっぴり、恐ろしくなった。自分以外には、無関心なのかもしれない。だから、どんな美しい態度も取れるのかもしれない。


「おい、桜井。どうした。もしかして、あいつが好きなのか。お前が同性愛者だとは知らなかったよ」


 げへへ、と下品な笑みを浮かべる彼女。彼女も、会いたかった一人である。悪い意味で会いたかった。


「あんな、八方美人は気持ち悪くて仕方がないね。きっと、他人なんか、どうでもいいんだ。そうに違いない。他の人よりかは好きだけどね」


 この人は、いつも人の悪口を言っている。人間の欠点を見つけて、皮肉を言うのだ。そして、人を不快にさせるのである。

 しかし、彼女は一匹オオカミなので、誰かと悪口を共有しているわけではない。だから、なぜ、そうするのかが、いつも理解できなかった。娯楽、つまりゴシップでないとしたら、なんなのだろう。当てつけ、という感じもしない。だから、覗いてみたかった。私は窃視症かもしれない。


「あんただって、八方攻撃をしているじゃない」

「高飛車娘が。けっ。そういう、お前も、発砲美人だ」


 ちょっと、皮肉の言い方は好きなので、たまに会うと話してしまう。さて、そんな情報は、どうでも良くて、彼女の中身を透視しよう。

 瞼をぱちくりと、瞬かせた。嘘だ。これが、彼女の見ている世界なのだろうか。そんな。彼女はもっと、汚くて、薄暗い場所を、この世の中に見ているのではなかったのか。


 空を見上げると、海のように青かった。特に天球の一番高い場所は、夜明けのような真っ青さ。そこから、地平線に向けて濃淡がある。その青空に、まばらにある雲は、空色をしているので、頭上はサンゴ礁を上空から眺めたみたいだった。

 地上に目を降ろすと、人間は、すべて天人化されていた。声もとても美しく、喋る言葉は真実を含有していた。お喋りの内容は、立派なテーマばかり。人々への信頼と、尊敬、そんな眼を持っていた。


 嘘だ。とても信用できない。


 きっと、彼女は、私をだましているのだろう。そうに違いない。そうでなければどうして、彼女は、人々に悪意ある言葉を投げかけられる。彼女のことだから、どうにか、この色眼鏡の仕組みを解明して、自分をよく見せているのだろう。絶対にそうだ。


「おい、そんなにショックだったのか。心が弱いな。よく、そんなので生きてきたな。そんな没個性じゃ、生きているとは言えないか?」


 彼女の声で、現実に引き戻される。空蝉は、くだらない事実の色調を取り戻していた。くすんだ世界。人々の声や話す言葉は、私の耳をむずかゆくした。透明の取り巻きたちの、話す内容は特に汚く感じた。彼女の世界を見るまで、気にならなかった、世界の欠陥。

 そうか。彼女は我慢ならないのだ。病的に人間を信頼し、尊敬しようとするから、そうじゃない部分に失望させられるのだ。潔癖なまでに、人を綺麗に見ようとするから、その落差があり、欠陥が目に付くのである。病的なロマンティストの、なれの果てという彼女の正体は、少し、くすぐったい気もした。


「もっと、肩の力を抜いて生きた方がいいよ」


 おかしくて、笑いながら言った。


「なんだと。何を笑っている。意味が解らん。余計なお世話だ。けっ」


 もう一度、見ようと思って、彼女をじっと睨んだ。しかし、すでに能力は失われたようで、二度と、あのような体験は出来なかった。しかし、彼女だけは、今までの彼女としては、私の心に映らなかった。

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色眼鏡 高黄森哉 @kamikawa2001

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