2024年5~7月 動き出す運命

 お父さんは、6月が人間ドック(※)である。


※人間ドック

 健康診断+αのこと。ガタがきた船を修理する場(ドック)からくる、皮肉のきいた造語。35~40歳あたりから受けさせる職場が多いため、ネット上で「人間ドックを受けた」と言っている人間は、おっさんであることがよく分かる。


 5月某日。

 お母さんは強い口調でこう言った。


「今年は何キロまでやせるつもり?」


 数年来、お父さんはお母さんの監視下にあり、毎日体重計に乗って結果を報告する義務を有している。少しでも体重が上昇すれば、「チビデブハゲ」「そんな腹をして恥ずかしくないのか」「娘が大きくなっても情けない体型でいるつもり?」「いい加減、やせなさい」「やせろ」以下略、と散々罵倒を浴びせられることになる。


 それでも、毎日の体重測定はまだマシだ。人間ドックにも当然、体重測定がある。一年に一度だからなのか、お母さんは人間ドックでの体重測定を最重要視していた。


 目標体重を宣言して、達成できなければ──

 達成できなかった年のことを思い出すだけで、お父さんの視界は暗くなる。


 そのため、お父さんは人間ドックが近づくと、試合前のボクサーよろしく、自由時間の大半を運動に費やす。減量の『追い込み』というやつだ。


 なんやかんや、結婚してから10キロ以上は減らしている。それでもお母さんが望む体重には道半ば。今年も「例年どおり数キロはやせろ」ということらしい。


 ……ただ、今年は正直、きつい。

 娘のこともあるが、それ以上に仕事環境の変化が痛かった(前話参照)。これまでは仕事中に相当な息抜きをしていたが、それがほとんど消滅したわけで。

 厳しい戦いになる、とお父さんは思った。


「それでも、やらなくちゃ」


「私も昼は頑張ってるんだから、帰ってきたら最低限のことはしてから……やせて」

「はい」


 ここで言う『最低限』の内容は割愛する。いかなる家事育児をもって『最低限』とするかは家庭によって異なるだろう。ただ、お父さんにとって、平日のラスト数時間は意識が朦朧とするほどにキツイことだけは確かだった。


 更にその後、休むことなく減量のための運動に励めば、どうなるか?


 ──逆流性食道炎。


 流石に「このままでは死ぬ」と思ってかかった町医者の判断はそれだった。『ストレスで胃に穴があく』の代名詞である胃潰瘍ほど酷くはないが、まぁ良くもない。


「体調が悪いなら、食欲も無くなるし、やせられるでしょ」


 お母さんの言葉が、悪魔の囁きのように聞こえてくる。家庭内のストレスも体調不良の一因と思われるのだが、お父さんの立場でそんなことが言えるはずもない。


 ……ともかく、結果として。

 迎えた6月、人間ドックの体重測定では、目標体重を下回った。


「やればできるじゃない」


 お母さんは満足した様子だった。


 これまでの経験上、人間ドックの結果が届いた暁には、体重以外の数値に対して「もっと健康に気をつかえ」と怒られるのは確実。それでもお父さんは、一年に一度のをとりあえず越えられたことに安堵しながら、ファモチジンOD(※)を飲み込んだのだった──


※ ファモチジンOD

 胃酸の分泌を抑えるお薬。


 ──


 …………あれ、これってワナビ自戦記だったっけ?


 そう、ワナビである。

 限界ワナビお父さんの夢は、ライトノベル作家になって大成することだ。

 そのためには素晴らしい作品を書き、賞に投げつけなければならない。


 ぜんぜん、かけてない……


 一応、過去作を申し訳程度に改稿応募してワナビぶってはいるが、受賞の気配はまったくない。いや、運がよければ気の合う編集者が拾ってくれる可能性もなくはないはず(願望)だが……自分でも分かるほどに、手持ちの過去作には欠陥がある。


 やはりワナビたるもの、新作を書き上げレベルアップして勝負に臨むべきだ。

 7月。片手にシャーペン、もう片方の手には医者からもらったタケキャブ(※)を持ちながら、お父さんは激闘の日々へと身を投じる──


※ タケキャブ

 胃酸の分泌を抑えるお薬。ファモチジンODより強い。


 ──働いて、育てて、書いて。忙しくも充実した日々を過ごして……。


 と、これが創作ならば。

 お父さんはそんな『修行編』を経て、物書きとして著しい成長を遂げたはずであろう。もしかしたら諸々の描写を省略して『その後──』なんて書きながら、最強になったお父さんが無双する展開が始まったかもしれない。


 だが現実は違う。

 ここでうまく書けるのなら、とっくにお父さんはデビューしている。


 持って生まれた才能、体力。絡みつく環境。そして意思の弱さ。

 嗚呼──結局、『書けない』のだ。


 最後のダメ押しは、やはりお母さんの一言だった。


「そろそろ家が欲しい」


「え?」

「家買ってよ」

「え?」

「いえ?」

「え?」


 え?

 いえーい?


 家だろうか。

 住宅の購入だろうか。

 云千万の買い物だろうか?


 期せずして2024年は、住宅という話題において10年、いや20年……30年ぶりの転換期を迎えていた。ここ数年、上がり続けてきた建築価格という問題から更に一歩進んで、住宅ローンの先行きには黄色信号が点滅中だ。


 多くの金融機関が相次いで金利の引き上げを相次いで発表。超低金利時代を牽引したネット銀行にも変化の兆しがある。……住宅ローン以前に第3号被保険者(※)を抱える低収入世帯には厳しい世の中になっていく状況で、これはキツイ。


※ 第3号被保険者

 専業主婦(夫)もしくは扶養内で働く者のうち、配偶者の保険にタダ乗りする者。ワナビ家のお母さんもこの立場に該当する。保険料を一切納めずして将来ちょこっと年金がもらっちゃおうという立場……なのだが、国の目にとまり、色々と理由をつけて廃止されようとしている。他にも『働かない配偶者』に対する風当たりは厳しくなっており、これからの時代、専業主婦(夫)は貴族的階級になっていくだろう。


 まぁそのあたり、お父さんが知った絶望的な事実はさておき……問題は、家だ。


「いつまでをご希望で?」

「あの子(娘)が幼稚園に通い始めるまでには必要でしょ」

「so...」


 そろそろ娘は一歳半になる。

 今は2024年7月で、2026年の4月には入園。つまり……


「もう二年もないですけお」

「急がなきゃね」


 個人的には、『小学校入学の手前くらいまで』でいいだろうと思っていたお父さんだが、お母さんが『そろそろ』と言うのなら、そろそろなのだ。

 ただ、このタイミングできたかという感じ。


 要するに、金と時間と金と金がないのだ。

 あと、精神的な余裕。


 調べれば調べるほど、人生に一度(予定)の買い物だけあって、悩ましい要素がてんこ盛りだった。選択をミスれば数百万、下手すりゃ一本単位の無駄が生じる。


 それを丸投げ?

 正気かマイワイフ??


「いや、せめて色々と相談させて欲しいのですが」

「好きにしていいよ。私は娘の相手に忙しいから」

「…………了解です。後から文句を言うのは、できるだけ勘弁していただいても?」

「間違いを非難するのは当たり前のことでしょ」

「……はい」


 お父さんの新しい戦いが始まった。

 ワナビとはまったく関係ないところで。



 ……一方、その頃。

 お父さんが務める会社の一室では、ひとつの密談が行われていた(伝聞)。


「次の出向者いけにえだが──誰にすべきかな」


「彼が適任だと思いますねぇ」

「まぁ、彼なら妥当なところでしょうか」


「だよなぁ。……今度の面談で打診してみよう」


 課長以下、お父さんの上司たちの中で、ある一つの結論が出た。

 お父さんがその内容を知るのは、それから少し先のこと──


 8月以降の人生に続くよ!!



★★★★【以下、宣伝失礼】★★★★


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ワナビ自戦記 ~限界ワナビお父さんは今日もお母さんに怒られます~ 限界ワナビお父さん @mizutarosa

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