海辺の探し物

陽咲乃

海辺の探し物

 なぎさは毎朝、愛犬のムサシを連れて海辺に散歩に行く。


 ムサシは、渚が小学2年生のときから飼っている4歳のオスの柴犬だ。

 家族以外には愛想がなく、特に大人の男の人が嫌いで、そばに寄るだけで唸るので困っている。


 初秋の静かな浜辺をムサシと歩いていると、一心不乱に砂浜を掘っている男がいた。


(うわ、変なのがいる)


 渚は迂回していこうとリードを引っ張るが、ムサシは足を踏ん張り、男に向かって唸り声を上げた。こうなるとなかなか言うことを聞かない。


 だが、男はそんなこと気にも留めず、黙って砂浜を掘り続けている。


(変な人)


 男が気になった渚は、ムサシが落ち着くのを待って声をかけた。


「おじさん、なにしてるの?」


「おじさんじゃねえ。俺はまだ二十七だ」

 

 男が顔を上げ、渚を見た。

 彫りの深い顔立ちをした目つきの鋭い男だ。


「微妙な年齢だね。それで、なんで砂浜掘ってるの? なんか探してるの? お金? 鍵? それとも――」


「指輪だよ」

 男は、めんどくさそうに返事をした。

「指輪? どんなの?」


「普通のやつ。銀色の」


「もしかして結婚指輪?」


「そういうんじゃねえけど、大事な物なんだ。せっかくあいつがくれたのに、失くしたなんて言ったら……とにかく、あいつが起きる前に探さないと」


「その人、まだ寝てるの?」


「久々の休みだし、授業の他にもやることいっぱいあるから疲れてんだよ。なんたって高校の先生だからな。頭良いんだ」


 男が自慢げに言う。


「へえー、そうなんだ。おじ……お兄さんは何してる人なの?」


「俺? イタリアンレストランのシェフ」


「ふうん。なんかイメージに合ってるね」


「そうか?」


 男は満更でもなさそうに笑うと、「ちょっと休憩」と言って長い脚を砂の上に投げ出した。


「それで、高校の先生とイタリアンレストランのシェフがどこで知り合ったの?」


「うちの店の常連なんだ。飲みに誘って、俺から告白した」


「そうなの!? どんなひと? 美人?」


「おお、すっげー美人だぞ。あんな綺麗なやつ見たことねえ」


「美女と野獣かあ」


「誰が野獣だ! それに、美人だけど美女じゃねえし」

 男がモゴモゴと呟く。

「え、なに?」


 男は渚の言葉を無視し、ムサシをじろじろと見て言った。


「おまえの犬、匂いで探せないかな?」


「ムサシは訓練とか受けてないから無理だと思う」


 ムサシの耳がピクリと動いた。


「やってみなきゃわかんねえだろ。犬ってのは鼻が利くもんだ。ほら、嗅いでみろ」


 男が差し出した手をムサシはクンクンと嗅いだ。


「ちょっと、いきなり手を出さないでよ! 噛まれたらどうするの。ムサシは男が嫌いなんだから」


「いや。俺が敵じゃないってわかったみたいだぞ。ずっとおまえと喋ってたからかな。賢いやつだ」


 男はムサシの頭を撫でた。


「行け、ムサシ! 指輪を探すんだ!」


 男が命令すると、ムサシが勢いよく走り出した。


「わ、ちょっと待って」

 ふいをつかれて、渚の手からリードが離れた。

「あいつ、やる気満々だな」


 匂いを嗅ぎながら歩き回るムサシに二人から声援が飛ぶ。


「がんばれ、ムサシー!」

「おまえならできるぞー!」



 ***



「結局見つからなかったな」


「なぜか片方だけの靴下がふたつ……」


「まあ、こんなもんだろ。訓練も受けてないしな。落ち込むなよ、ムサシ」


 尻尾を下げたムサシが、クゥーンと情けなさそうな声で鳴く。


「彼女、怒ったら怖いの?」


「おお、怖いぞお。彼女じゃないけどな。普段は温厚なんだけど、美人が怒ると迫力あるから――」


「ちょっと待って。告白したのに彼女じゃないってことは……もしかして、道ならぬ関係ってこと?」


「おまえ、古臭い言い方するなあ。べつに、そんなんじゃねえよ」


「ならいいけど、不義密通は江戸時代なら死刑だからね」


「なんでそんなこと知ってんだよ」


「じいちゃんと一緒によく時代劇見てるから」


「ああ、なるほどな。大丈夫。あいつも俺も独身だから、何時代だろうと死刑にはなんねえよ」


「だったら何の問題もないね。よし! 今度はあっちの方探してみよう」


「お、おお……」



 *

 

 流木の下やゴミの中を探している渚に男が注意した。


「手を切らないように気をつけろよ。昨日の夜、波打ち際を散歩してるときに失くしたから、そんな奥の方には無いと思うぞ」


「なんで夜に散歩するの? この辺ライトアップもしてないから、真っ暗で何も見えないのに」


「暗いからいいんだよ。堂々と手を繋いで歩けるだろ」


「昼は堂々と歩けないってこと?」 


 渚がハッとして後ずさる。

「まさか、ロリコン!?」


「ちげえよ。飲みに誘ったって言っただろ。ガキんちょには興味ねえから安心しろ。俺の好みはちょっと年上の賢い美人だ」


「逆に年増好き!?」


「ちょっとって言ってんだろ、このクソガキ」


「やだ、クソガキだって。どう思う? ムサシ」


 渚の言葉がわかったのか、ムサシは再び臨戦態勢に入った。


「あ、こら、変なこと言うな。ほら、またうーうー唸ってんじゃねえか。せっかく懐いたのによお」


「ふふん。ムサシはあたしの用心棒だからね」


「そこはボディガードって言えよ。おまえ、同い年のやつらと気が合わねえだろ」


「そこは抜かりないよ。好きなものが時代劇と演歌と将棋だなんて言ったら浮くに決まってるから、話題のドラマやアニメを観たり、流行りの歌くらいは覚えるようにしてるんだ」


「……それって、しんどくないか?」


「べつに」

 男の予想に反し、渚はあっけらかんと答えた。


「昆虫だって食べられないように木の枝に擬態したりするでしょ。あれと同じだよ」


「擬態って……だけど、周りのやつらと好きなものが違うってだけで、なんでそんな苦労しなきゃなんねえんだよ」


 男が自分のために怒っているのだとわかり、渚は戸惑う。


(会ったばかりなのになんで……)


 渚は努めて明るい口調で言った。


「嘘も方便って言うでしょ。それで友人関係は上手くいってるから、なんの問題もないよ。時代劇はじいちゃんと見ればいいし、将棋がしたいときは校長室に行けばいいんだから」


「は?」


「うちの学校の校長先生、じいちゃんの友だちで、わたしの将棋仲間なの」


「まさか、校長室で将棋指してるのか?」


「うん。おやつも出してくれるしね。校長先生が教えてくれた、将棋部で有名な私立中学を受験するつもりなんだ」


「へえ。おまえ、頭良いんだ?」


「勉強は得意」


「すげえな。俺、頭わりいから勉強できるやつ尊敬するよ。そこなら時代劇や将棋が好きって変人もいるかもな」


「変人とは失礼な。でも、歴女とかはいるかもね。実はちょっと期待してるんだ。へへ」

 

「なんだ。可愛いとこあるんだな」


 渚がハッとして叫ぶ。

「そんなことより指輪探さなきゃ!」


 さっきからお喋りばかりして手が止まっていた。

 ムサシを見ると、眠そうに丸くなっている。


「いや、もういい。正直に話すことにするよ」


「いいの?」


「ああ。失くした俺が悪いんだから、あいつの気が済むまで怒られる。そんで、許してもらえたら新しい指輪を買うよ」


いさぎよいね。土下座でもすればきっと許してくれるよ」


「土下座……まあ、しょうがねえな」


 そのとき、「大和やまと!」と誰かに呼ばれて男が振り返った。


 薄手のコートを羽織ったスラリとした男が浜辺に降りてくる。


 渚の目が近づいてくる男の顔に釘づけになった。

 大きくて澄んだ瞳、スッと通った鼻筋、つやつやした白い肌。


(綺麗なひとだなあ)


伊織いおり! もう起きたのか。どうした?」


「どうしたもなにも、寝坊助のくせにこんな朝早くどこ行ったのかと思って……なにやってんだ? こんなところで」


「あー、いや、ちょっと探し物を……」


 渚が大和と呼ばれた男の背中をドンと押した。


「わかってるから、ちょっと待て」


「あれ? どこの子かな?」

 伊織が顔をのぞき込むと、渚が恥ずかしそうに答える。

「大和くんのお友だちの渚です」


「おい、態度が違いすぎるだろ!」


「渚ちゃんか。初めまして。僕は――」

 

「こいつは俺のパートナーの伊織だ」


 伊織が驚いて大和の顔を見る。


 渚は大和とのおかしな会話を思い出し、そういうことかと腑に落ちた。


「大和くんが言ってたとおり、美人ですね」


「え、こいつそんなことを? もう、何言ってんだよ、おまえ」


 伊織が顔を赤らめるのを大和が嬉しそうに見つめている。

 

「まあ、それはそれとして……何を探してたのかな?」


 にこやかだが目が笑ってない。

 美人が怒ると迫力があるという大和の言い分は正しかった。


「実は、おまえからもらった指輪、失くしたんだ。朝からずっと探してたけど見つからなくて。ほんとごめん!」


 大和の告白を聞き、伊織は大きなため息をついた。


「そりゃあ見つかるわけないよ」


 伊織はポケットの中から銀色の指輪を取り出した。


「あれ? なんで……」


「昨日、これ着て散歩に行ったから入れっぱなしにしてたんだろ。おまえ、指輪つけるの好きじゃないからな」


「そ、そんなことないけど、手を洗うときに外してポケットに突っ込んだのかも」


「ふん、どうだか。渚ちゃん、一緒に探してくれたんでしょ? ごめんね、そそっかしいやつで」


「ううん。見つかって良かったね」


 大和が左手の薬指に指輪を嵌める。

 伊織の薬指にもお揃いの指輪が光っていた。


「少し散歩してから帰るか。渚、ありがとな」


「気にしないで。もう友だちでしょ」


「ふっ、そうだったな。じゃあ、またな」


「うん、また」 


「そうだ! 擬態すんのに疲れたら言えよ。将棋はわかんねえけど、時代劇は結構好きなんだ」


「わかった」


「バイバイ、渚ちゃん」


「バイバイ、伊織さん」

 

 渚は彼らに背を向け、ムサシを呼んだ。


「帰るよ、ムサシ」

「ワン!」


 ムサシが起き上がり、嬉しそうに尻尾を振る。


「すっかり汚くなっちゃったね」

 ムサシの身体についた砂を軽く払い落す。


 ふと振り返ると、大和が伸ばした手を伊織がためらいがちに握るのが見えた。




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