天井

ご飯のにこごり

第1話

僕は戦争から運よく良く帰ってきた戦闘機乗りでした。だけど今は違います。

「こんにちは、河童くん。ダチョウくん、カワウソくん。」

朝起きたら、お見舞いに来てくれたみんなと挨拶をします。それに言葉を持つ河童だけが答えます。他のみんなは言葉を持たないので、会釈をして僕に頬ずりをするのです。


お見舞いに来るのは彼らの他に僕の娘の里子と妻の思い出です。思い出は異国の人です。髪が黄色くて、青くてきれいな、宝石のような目をしています。僕はその目、すべてを包み込んでくれるような目に惚れ込んだのです。里子はまだ6歳で、思い出に似てさらさらとした、羽のような綺麗な髪をしています。手足も伸びきってないみたいにぷっくりとしていてそこがまた愛しくてたまらないのです。

もう一人、お見舞いに来てくれる人がいます。忘れるわけのない、母です。母の事はいいでしょう。あなたたちの母親でも思い浮かべてください。そんな母が目を覚ました時死んでいました。僕の胸の上で、その時はまだ息がありました。僕の方をちらりと見て、何もkapp、とだけいって死にました。人形みたいにくりくりとした目は最後まで、いや終わった後も僕をじいっとのぞいていました。作り物みたいなその目には涙が浮かんでいました。背中に刺さった包丁は墓標の様にも見えました。


その日の夜珍しく、河童くんとダチョウくんとカワウソくんがやってきました。ダチョウくんは喋れないけれど喋れないなりに涙を拭ってくれました。河童くんは母を食べてしまいました。カワウソくんは相変わらず手ばかり洗って、りんごばかり食べています。ダチョウくんが背にのせてくれるというので、僕は乗って病院を飛び出しました。車はあまり走っておらず、足の裏ばかりが寒さでひりひりと痛みました。僕は一度家へ帰りたくなりました。妻と里子の待つ家へ。僕は家へ着くと、まず眠りました。僕のベッドはありません。家は木造の綺麗なアパートです。すうすうと眠る娘と妻に接吻をし、眠りました。朝、目が覚めると娘はいるのに妻はいません。娘は「おじさん、だあれ」と言いました。僕は泣きました。それはもう子供の様に。可哀そうなこの子は父親の顔すら知らないのです。抱きしめて泣きました。娘も泣きました。うるさいので口を手で押さえ、つい押し倒してしまいました。戸棚からは血が垂れました。カーペットが赤々と燃える紅葉の様にも見えました。フローリングには小川の様にさらさらと血が流れます。音で野次馬どもが集まってきました。頭が割れるほどの音ですからね。それは人も来るでしょう。脳もたらりと垂れおちていましたし、僕はそれを口に運びました。咀嚼をするたびに悲しくて、愛しくてたまらなくなりました。だけれど、だけども止まりません、止めようとしても体が言うことを聞かないのです。水槽から見た景色の様に現実味が無いのです。すぐに部屋には人が押し寄せてきました。知らない鼻の高い男たちに僕は押し倒されます。妻はそんな僕を見て何か叫んでいます。


悲しくて、悲しくて僕は抵抗もせずに、捕まり。またあの病床の天井ばかり見る日々へと戻りました。死を待っている人ばっかりで病院なんて嫌いなんですけど戻ってきてしまったみたいです。廊下も前よりも短い気がしますし、地面も前よりもずっと遠くに感じますお見舞いには誰も来なくなってしまって、やっぱり悲しいです。僕は悲しんでばかりですね。


どうやら僕は色々と忘れていたみたいです。今なら思い出せます。薬も効いて、頭もしゃっきりしている、今なら思い出せます、僕の名前は勝平です。妻も子供もまだいません。パイロットですらありません、第一今は平成ですからね。懐かしい母の味はもう覚えていません。

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天井 ご飯のにこごり @konitiiha0

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