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遍路道は途中から旧街道に入った。旧街道というのは昔の国道で、お遍路ではこういった裏道をしばしば歩く。基本的に、私は旧街道を歩くのが好きだ。昔の面影を残す家屋を眺めるのは心が躍るし、車の往来が少ないため歩きやすいからだ。ところが、今日歩いた旧街道は全くそうではなかった。狭い道を飛ばす車や、やたらと車間を詰めて走る車が少なくない。事故が起きないが不思議なくらいだ。「車のスピードは控えめに」という立て看板を見かけたが、残念ながら立て看板はあまり役に立っていないようだった。
しばらく歩き続けると、旧街道の道沿いにヘンロ小屋を見つけた。ちょうど休みたいと思っていたところだった。
それなのに入り口が見当たらない。ヘンロ小屋の名称を記した標識のすぐ手前は空き地である。通りの反対側に立って辺りを見渡してみて、ようやく理解できた。目の前の家屋の庭先が丸ごとヘンロ小屋だったのだ。まさか一軒家の敷地内にあるとは。こんな変わった造りは初めて見た。ヘンロ小屋の壁に掲げられた説明書きを読むと、この家屋を寄贈したのは伊予銀行なのだそうだ。伊予銀行、なかなかに太っ腹ではないか。
歩き始めておよそ五時間、別格十二番札所延命寺に到着した。このお寺は五十四番の札所とまったくの同名だが、本尊は異なる。五十四番札所のご本尊は不動明王だがこちらは地蔵菩薩だ。十二日間にわたる今回のお遍路では、延命寺が最後の札所ということになる。奇しくも最初と最後がどちらも別格霊場ということになった。
本堂でお参りした後、大師堂を正面から見ておやと思った。納経所が大師堂を兼ねているのだが、この二つを併せた堂宇はこれまで見たことがない。納経所に入り、お大師様に読経を奉じから、その横で納経を済ませる。カウンターの呼び鈴を鳴らすと、しばらくしてからお寺の方が見えて墨書と朱印をくださった。
今回も、これでようやくお遍路が終わった。腹の底から解放感が込み上げてきた。「解放」されて喜ぶようなお遍路の意義を指摘する向きもあろうが、これが正直な感想なのだから仕方ない。歩き続けるのは、本当に、それほど辛いのだ。
さあ、後は駅に向かうのみだ。ここからの遍路道はずっとまた旧道で、ただし今度は落ち着いた道を歩いてゆく。しばらく歩くと地図を取り出し、駅までの距離と、この先に向かう遍路道を確かめた(ほとんど迷うはずのない一本道なのだが)。残す道のりは十キロに満たないのだが、いかんせん集中力が切れたのか、その後も歩いては地図を見る、歩いては地図を見る、を何度か繰り返した。
途中、凧を上げている親子がおり、足を止めてその様子をしばらく眺めていた。いかにもお正月らしいが、現在はとんと見かけない光景である。ふっと力が抜けた。残りの道のりはわずかなのだから、もっと気楽に風景を楽しめばよいのだ。
伊予三島駅まで後一キロという場所にヘンロ小屋があった。今日は札所よりもヘンロ小屋を多く目にした日だ。この先も長く歩くつもりなら休憩したはずだが、今日はヘンロ小屋をカメラに収めただけで駅に向かって歩き始めた。
遍路道を外れて県道を直進し、駅の入り口を示す交通標識が見つからないのを不思議に思いながら、何となく入った細い路地の先に伊予三島駅がひょっこりと姿を見せた。さて、次にここへ戻ってくるのはいつのことなのだろうか。線路を跨るように建てられた駅舎の二階で私は東京までの切符を買い求め、改札口からホームへの階段を下りていった。ホームでは間もなく岡山行きの特急しおかぜ号の到着を告げるアナウンスが流れていた。
(「四国巡礼日記・ファイナル~そして結願へ~」へ続く)
町境のトンネルを抜けると、そこは雪国だった~四国巡礼日記 third season~ 土橋俊寛 @toshi_torimakashi
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