Worlds end

kanimaru。

第1話

まもなく、この星は終わるらしい。

どこの誰が言い出したのかはわからない。

だがそれは確かな近未来なようで、この星の全員が騒ぎ立て絶望した。


彼女を除いては。


彼女は短くきれいな黒髪を持った少女で、この星の誰もが見たことないような服を着ていた。


丈の短いスカートと、前をV字形に開き上背部を覆う四角い襟をつけた服は常時であれば人の目を引く格好であるのだが、この非常時に他人の格好を気にするような人間はいなかった。


今日もまた、街はテロリズムまがいの行動を起こす若者であふれかえっていた。

星の終末が噂され始めた頃から民衆は目的もなく暴動をおこすようになった。怒りをぶつけ、不安を紛らわそうとしているのだ。


それを横目に、彼女は街の外れへと向かっていった。

 

まあ、こうなるよな。


彼女は周りの混乱を、まるで自分には全く関係のない事象かのごとく客観的に分析していた。


歴史は繰り返す、なんてこれほど核心をついた言葉もなかなかない。


彼女は誰も寄り付かなくなった廃ビルの屋上へ上りながら密かにそう思った。

古くなった階段は彼女が一段上るたびにぎぃ、ときしみ、埃を落とす。

ビルの中は光もなく暗闇で満ちている。

その暗闇が彼女には心地よくて、彼女は無意識のうちに安心していた。


彼女は屋上に出るといつものように街を見下ろし始めた。

風が彼女のスカートと髪を揺らす。

廃ビルは街全体を見渡すには格好のスポットで、昔から彼女のお気に入りの場所だった。


廃ビルのはるか下にある工場から出る煙の灰色は、独特の美しさを持っていた。


―――俯瞰して周りを見るって意外と難しいな。こうでもしないとできないわ、俺。


記憶のはるか彼方で誰かが言った言葉を彼女はふと思い出した。


あれからだ、こういう場所を好むようになったのは。

ずっと忘れていた。なぜ何も考えていなくとも、こういった場所に本能で運ばれてしまうのか。


今彼女はその理由を思い出した。だからと言って、喉に詰まった魚の小骨が取れた時のような気持ちよさがあるわけではなかった。

むしろ襲ってきたのは不快感で、彼女は思わず苦虫を噛み潰したような表情になった。


なんで忘れてしまっていたんだ。

大事なことだったろう。

私の原点じゃあないか。


彼女はそんな言葉をいくつも羅列しては消した。

自分を責め立てることは彼女の癖で、また彼女はそれを悪癖と捉えていなかった。


するとその時、またもや少年が廃ビルの屋上へとやってきた。

またもや、というのは今日が初めてではなく、ちょうどこの星が滅ぶことが知られるようになった一か月ほど前から、今まで彼女がずっと独り占めしていた屋上に、凛々しい顔をしたこの少年が現れるようになったからである。


さほど広くもない屋上に二人でいるというのに、少年も彼女も互いに全く干渉しようとしなかった。


二人ともただ街を見下ろすだけで、何も言葉を発したりしない。互いに存在を認知しているのかも怪しいほどだった。

いつも彼女は腕を組んで立っていて、少年は胡坐をかきながら町を覗いている。


彼女は少年をちらりと見た。気取られないよう、ひっそりと。


彼女はまるでバレないようにカンニングをするような仕草で、慎重に少年を観察していた。

当の少年は町を見下ろすことに夢中で、見られていることに気づきそうにない。


「似ている」


そんな少年の様子を見て、彼女は呟いてしまった。

しかしくぐもり、彼女の中で吞み込んだような声だったためか、少年に気づかれることはなかった。

呟くと彼女は満足したのか、少年に向けていた視線を街へと戻した。





時間がどれくらいたっただろう。長時間、二人は一言も交わさずに、ただ景色を共有していた。

その見え方まではわからない。

もしかすると、二人のとらえている景色は同じではないのかもしれない。

だが確かに、二人はこの星で過ごす残り少ない時間を共に過ごしていた。


先に廃ビルを降りたのは少年の方だった。

少年はいつも同じ時間に立ち上がり帰っていく。


帰りを待つ人がいるのだろうな。


彼女は少年に対してそう思っていた。

彼が帰りたがらなかったとしても、彼の居場所には確かに彼の帰りを待つ人がいて、彼がたとえ気乗りしていなかったとしても、その人のもとへと帰っていく。


「美しくていいじゃないか」


彼女はそうこぼした。しかし灰色の街の誰に対してもそれは届かず、それどころか彼女自身にすら聞こえていないような錯覚を覚えるほど、言葉はうつろな響きを含んでいた。


すると、街にある工場から舞い上がった灰が、ひらりとひらりと踊って、彼女の綺麗な黒い髪の上に着地した。

工場がぶおーっと大きな音を立てた。

次の瞬間、灰がいくつも舞い上がり、ひらひらと雪のように雹のように雨のように街へと降っていった。

彼女の服や体にも大勢ついた。

しかし彼女はそれを気にする素振りは一切見せずに、腕を組んだまま街を見下ろしていた。

カラスの羽のように舞う黒い灰は、この星がもう少しで終わることを示唆しているように思えた。





次の日も、彼女は廃ビルの屋上にいた。


屋上には昨日の灰が満遍なく残っていて、長年の汚れを抱える屋上の地面を包んで、その汚れを黒く塗りつぶしているようだった。

しかし彼女はそれを気にも留めずずんずんと前に進んでいき灰を街に落としていったため、その統一性はすぐさま失われた。

彼女は地面に敷かれた灰も自らが落とした灰も全く気にせずに、いつものごとく街を見ていた。


街は日に日におかしくなっていっている。


滅亡がささやかれる以前はある程度決まっていた人の数も動きの速さも、日を追うごとにどんどん変わっていく。

誰かが暴れているのが見えるし、集団で暴動を起こしているさまも見られるようになっている。


もはや街を見ることは、一種のエンターテインメントと呼ぶにもふさわしいともいえるかもしれない。


あの少年はそれが目的なのだろうか。


彼女はそんなことを考えた。

決まった時間に放送されるお気に入りのテレビ番組を見るような感覚で街を見ているのだろうか。


するとその時、彼女の目が街へふわりふわりと落ちてゆく灰をとらえた。

彼女は灰の落ちた方向に目を移すと、そこには少年がいた。

慎重さのかけらもなく大胆に見たからだろうか、少年は視線に気づいて、彼女のことを見つめる。

彼女は一瞬ぎくりとしたが、自分から視線を外すこともできなくて、少年と目を合わせたまま外さない。


ますます似ている。


今度は口に出すことなく、心の中に留めた。

少年もしばらく彼女を見つめ続けていたが、やがて何も言わずにその目を街へと落とした。

彼女もそれに倣って、俯くような形で目線を元に戻した。


彼女の視線の先ではまた暴動が起こっていた。

警察らしき集団がそれを押さえつけようとはしているものの、いかんせんやる気が違う。

警官だって本当はこんな時に仕事などしたくない。何なら一緒に暴動を起こしたい者だっているはずだ。

片や不満が抑えきれず、感情のまま力の限り動いている集団だ。警察の囲みはすぐに壊された。

 

あの時と同じなんだな。


彼女は冷静に事態を眺めながら人間の汚さを見つめていた。


 ―――時代が変わっても、きっと人の本質は変わらないんだ。だから大丈夫、どうにかなるさ。


彼女の脳内で言葉が反芻していた。

皮肉なものだ、という言葉を彼女は心に抱いた。


これまで一度もよぎらなかった未来への希望を込めたはずの彼の言葉を、今また星の滅亡の危機で思い出している。


確かに人間の本質は変わらなかった。でもそれは醜さや愚かさの部分のことで、同じ失敗を繰り返す醜悪さのことだった。


人間のバカさ加減に思いをはせていると、彼女は思わず笑いそうになった。

しかし声にはならず、喉元から腹へと逆流して、まるで嘔吐をこらえているかのような感覚に陥った。

次に気持ちを吐き出そうとしたときにはもう上手く言葉が出なくて、もどかしさが彼女を支配していく。

誰でもいいから自分の感覚を伝えたくなって、彼女は周りを探した。


しかしどこにも少年の姿はなかった。


いつの間にか帰ってしまったのか。


彼女は少し残念に思った。

とっくに狂ってしまった彼女の体内時計では、少年が来てから一体どれくらいの時間がたったのか分からなかった。


彼女は仕方なしに、街をもう一度見下ろした。

そこには暴動を起こしていたはずの人々が無気力となって道端に座り込み、道路で寝転がる姿が見えた。

彼女には倒れ込む生気のない人の集まりが、黒く汚い大きな虫に見えた。


彼女はそれが人間の本来あるべき姿であるような気がして仕方なかった。





次の日も、その次の日も少年は廃ビルに姿を見せなかった。


親と仲直りでもしたんだろう。


彼女は勝手に少年についてそう決めつけた。

そして、彼女にとってはいつも通りの、一人で街を見下ろす時間が戻ってきた。

しかし彼女はそれを幾分か寂しく思っていた。彼女はそんな自分がいることに腹を立てたが、どうしようもないことだった。


気づけば彼女は少年を探している。

きょろきょろと周りを見渡したのち、我に返ってハッとする。そしてしばらく自己嫌悪したあと、街を眺める。少年のことを気にしないようにするたびに逆に気になってしまう。


そんな日々が何日も続いた。その間、彼女は時間の流れを妙に遅く感じていた。


毎日同じことを繰り返しているだけなのに、こんなに長く感じるのではたまったものではない。


彼女はそう思って、街を見るわけではなく他のことをしてみることにした。


荒れている街には案外なんでも落ちている。

そこで遊べそうなものを片っ端から拾った。


将棋、トランプ、チェス、オセロ。


しかしそれらはいずれも相手を必要とするものだった。

そのせいで、彼女はかえって自分が孤独であることを思い知らされた。

自らの孤独を悲しいと思ったことはないが、なぜか妙にみじめになって、やはり彼女は街を眺めることにした。


することもなく、日々変わっていく状況を廃ビルの屋上から眺めることが彼女の唯一の楽しみになっていた。いや、楽しみですらない、ただの暇つぶしだった。


来る日も来る日も街を見続けた。


変わっていくのに、変わらない。


矛盾した感覚が彼女を支配していた。

人の動きは毎日飽きることなく変わっていく。でも彼女の中で変わらない何かが、彼女のパラドックスを生んでいた。


そしてついに街には誰もいなくなった。

他の星への移住計画が始まって、今日が最後の便の日だった。


そして今日は、この星が終わる日、らしい。


内部で爆発を起こして、色を失い、生命活動ができなくなるのだという。


それでも、彼女は廃ビルの屋上にいた。

彼女は人っ子一人いなくなった街を眺めていた。


ここまで全部、一緒だなんて。


終わりを目の前にして、彼女は驚きを通り越して感動していた。


人間の本質は変わらない。


どれだけ時をかけようと、どんな星に住もうと、変わらないのだ。


しかし、彼女はその通りではない。


彼女に同じ過ちを犯そうという気は無かった。むしろ過去の間違いを正す時が来たのだと、ある種の使命感を持ってすらいる。


自分の選択に後悔など一つもない。そんなもの、あの時にすべて捨て置いてきた。


彼女は心からそう思っていた。


そしてその時、コツン、コツン、と階段を上ってくる音がした。

彼女は反射的に扉の方を見ていた。

まさか、という言葉はかろうじて飲み込んだ。

ぎぃ、と扉が開く音がした。


扉を開けたのは、少年だった。


「…なんで」


今度は言葉を漏らしていた。小さく、だがはっきりと。


しかし彼女自身もそれに気づかず、少年も気づいていなかった。


この星にいる人類が二人しかいない今では、その言葉は生まれ落ちていないことと同義だった。

彼女は今まで少年のことを見ないようにしていたことも忘れ、穴が開くほど凝視していた。

少年は誰もいなくなった町を、今までで一番楽しそうな様子で見ていた。

一方、彼女は少年から目を離すことができなくなっていた。金縛りにあった時のように自分の意志とは関係なく、ただただ見つめていた。


「いつも、何を見ているんですか?」


少年は唐突に言葉を放った。彼女の方を見るわけでもなく、放ったそれはむしろ独り言と言われたほうが納得できるかもしれない。

彼女にはそれが意識のはるか彼方から届いた宇宙からの交信のように思えて、すぐには理解できなかった。


「…えっ?」

時間差で、やっと絞り出した声だった。

少年はクスクスと笑いながら、やっと彼女の目を見た。そのしぐさは少年の見た目よりもずっと大人びた印象を持たせて彼女へと届いた。


「いつもここで、何を見ているんですか?」


「…人を。どんどん変わっていく人の流れをずっと見てた」


やっぱり似ている。


そう思いながら彼女は言葉を返した。

そしてこの瞬間は、同じ場所にいながら、ずっと交わらなかった二人が交わった瞬間でもあった。


「俺とは真逆ですね」

少年は小さくつぶやいた。だがそれを彼女はしっかりととらえていた。

「何を見てるんだ、…君は」

彼女は少年を何と呼ぶべきかわからず、一瞬言葉に詰まってしまった。


ずっと人と話していなかった代償なのか、言葉はどこかぎこちなかった。


「俺は変わらないものを見てますね。人がどれだけ変わっても、建物とかは変わらないじゃないですか。それが面白くて」

「なんで、残ってるんだ。…行かないのか、別の星」


自分のことを棚に上げて彼女は少年に訊いた。まるで異星人と話すかのような慎重さで、言葉を選んだ言い方をしていた。


「俺はいいんです。親も俺には興味ないし。生きる意味も、生きていてよかったこともない」

少年は自らの境遇を語った。親に虐待を受け、それが原因で学校でも避けられていることなどを淡々と話した。自らの辛い状況を喋っていながらも笑顔を崩さずにいることが、彼女には逆に痛々しく見えた。


「あなたはなんで残ったんですか」

少年は彼女に訊き返した。

彼女は答えた。


「私は地球の生まれなんだ」


少年の笑顔が崩れた。何を言っているのか理解できていないようだった。

彼女自身も驚いていた。言おうとした言葉ではなかったからだ。それなのに、気が付いたら言ってしまっていた。


「…地球?」

少年がやっと絞り出した言葉だった。

彼女は誤魔化すべきか迷った。

しかし、少年を前にして嘘はつけないと思ってしまった。

そして彼女は覚悟を決めた。こういう時は得てして、言葉がすらすらと流れていく。


「そう、地球。人類が三千年前に捨てた星。私はその星の生き残りだ。不老不死なんだよ、私」

少年は何も言わない。


彼女はその様子を見て自らに視線を落として、服を優しく撫でた。

「これ、地球にいた時の服。セーラー服っていうんだ。今の子たちにはないから伝わらないと思うけど、制服って言って、同じ学校の子はみんな同じ服を着てたんだよ」

段々と喋り方に硬さが取れ始めていた。

彼女は徐々に三千年前の感覚を取り戻し始めていた。


彼と過ごした青い春を。

何の気後れも迷いもなく、ただ二人で楽しんでいた日々を。


「…一体、何年生きているんですか」

純粋な問いだと知りながらも、彼女はわざと顔をしかめた。

「レディに歳を聞くなんてね」

少年はバツが悪そうに、すみません、と謝った。

彼女は笑みをこぼしていた。


誠実なところも彼と似ている。


実際のところ、彼女はそう前置きしてから答えた。

「忘れたよ。あまりにも歳を重ねすぎた。姿も変わらないとなると、数える意味もなくなってくる」

歳を数えていられるっていうことは、存外幸せなことだよ、と彼女は付け加えた。


少年は驚愕しながらも続けて尋ねた。

「なんで不老不死になったんですか」

彼女は首を傾げた。そのしぐさは少女らしいもので、まるで彼女の中の時間が三千年前へと巻き戻っているようだった。


「わからない。ただ、きっかけはあるのかもしれない」

「なんですか、きっかけって」


彼女は迷った。話すべきなのかどうか。

この過去は誰にも語らないと決めたはずだ。

しかし、今はもう終末だ。最後くらい、話してもいいのかもしれない。


それに、と彼女は心の中で独り言ちる。


私はもう、目の前の彼に心を許してしまっている。


「…長くなるよ、それでもいい?」

少年は黙ってうなずいた。


似ている。


少年のその目を見て、やはり彼女はそう感じずにはいられなかった。


確かに少年はそっくりだった。彼女と一度目の終末を過ごした彼と。


そして彼女は語り始めた。自らの過去と、その深い後悔を。






およそ三千年前まで、彼女はごく普通の女子高校生であった。

友人は多いほうではなかった。だが、恋人がいた。恋人は彼女の小さなころからの幼馴染で、明るく快活で、彼女からすれば太陽のような人間だった。

彼女は彼と過ごす平凡な日常を心から愛していた。


しかしある日、地球が滅亡するというニュースが飛び込んできた。度重なる人類の環境破壊により、人間が住むことが困難になるというのだ。


もちろん世界中がパニックになり、人々は暴動を起こした。

法は意味を無くし、町は罪とゴミであふれかえった。

民衆は希望を見失い、戸惑いながら何の意味もないことを悟りもしないまま、ただ暴れ、ただ泣いた。


他の星への移住計画が発表された後も混乱は続いた。フェイクはフェイクを呼び、正しさはかき消された。

真実は雲隠れし、かわりに嘘が出回っていった。そのほとんどが陰謀論めいたものばかりだったが、錯乱した人々はそれを信じた。そして各々が己の真実のためにぶつかり合った。

人類はかつてないほど、自らの愚かさを露呈し続けていた。





「ここ、いいだろ?」


当時彼女の恋人だった彼は彼女にそう聞かせながらニヤリと笑って、休校となった学校の屋上に彼女を連れて行った。周りが混沌に陥る中、彼はどこまでも冷静だった。彼女もそれにつられて他の人よりかはいくらか冷静でいれた。


「俯瞰して周りを見るって意外と難しいな。こうでもしないとできないわ、俺」


屋上から町を見下ろしながら、本気なのか冗談なのか、真面目なのか不真面目なのかわからないような口調だった。


彼は恐怖していた彼女を勇気づけようとしていた。

パニックになっている人々を見て、彼女は俯瞰して状況を受け入れることができた。

彼女は自らが愛した男の配慮を心から嬉しく思っていた。

「いい場所だね、ここ」

胡坐をかいて座る彼の背中に彼女は微笑みかけた。


「だろ?」

「なんだか落ち着く」

「俺もお前といると落ち着くよ」


いっつも落ち着いてるくせに、と彼をからかうと彼はそれを笑ってごまかした。まるでそうではないと言っているようだと彼女は感じた。

だがそれをあえて言及はしなかった。それよりも彼と一緒にいれる幸せをかみしめていたかったのだ。


「どこにも行きたくないな」

彼女は彼の横に座り込んだ。

彼にはそれが彼女の本心のような気がして、彼女の手を握り、小指と小指を交わらせた。


「じゃあ移住船に乗るギリギリまで、ここに二人でいよう。他の星に行ってからも、ずっと一緒だ」

二人は純愛の名のもとにそんな約束をした。


毎日日が暮れるまで二人で話しながら、町をひたすらに眺めていた。

変わりゆく町の中で他愛もない話に花を咲かせる。

そのすべてが彼女にとってはいとおしく、かけがえのない時間だった。


だが二人の移住船が来るその日、事件が起こった。

大地震だった。


大地は自分をめちゃくちゃにしておいて逃げようとする人類を許していなかった。大地は今までのうっ憤をすべて晴らさんと、大きく揺れた。

まるで人のこれまでの涙ぐましい努力などすべて嘲笑うかのように、激しい揺れはすべてを壊そうとしていた。

人間が必死で作り上げた建物は崩れ、地盤の底へと沈んでいった。


二人のいる学校もその例外ではなかった。

二人は揺れの中で互いを守ろうと抱き合っていた。しかし崩れ始めた校舎は、固く握りあっていた二人の手を無情にもはがした。

彼女は離れていく恋人に対して、声にもならない声をあげた。彼も何か叫んでいた。しかしその言葉は彼女には届かず、轟音の中で空気と化して消えた。





彼女はしばらくの間倒れていた。しかしすぐに周りにつんざく轟音と悲鳴によって意識を取り戻した。

彼女は周りを見渡す。だが、そこに彼の姿はない。


―――嫌だ、一緒にいたい。


死への恐怖よりも痛みよりも、想いが先に彼女を突き動かした。

彼女は必死になって彼を探す。

彼の名前を叫ぶ。

手当たり次第にがれきをどかして、何度も何度も名前を叫ぶ。


一人では見つけられない。


彼女は周りに助けを呼んだ。

誰も反応してくれない。更地と化した周りに人はたくさんいるのに、みんな自分のことに精一杯で、誰かを助ける余裕など持っていなかった。


まさに地獄だった。阿鼻叫喚の中で、世界は確実に終わっていた。五体のそろわない死体がそこかしこに転がり、かろうじて命を保っている者も、古びた人形のような目をして、まるで自分を動かしてくれる持ち主を待つかのように、動けずにいた。


その中で彼女は一人、何時間もかけて制服を血で汚しながら叫んでいた。探していた。


本来美しいはずの顔は血と泥で汚され、綺麗に手入れがされた爪は剥がれて肉がむき出しになり、その肉も長い間空気に触れ乾いていた。


やがて最後の移住船が出発する時間に近くなって、周りにいた人々もいなくなり、あるのは死体だけになった。だが彼女は諦めなかった。

彼を何としてでも探し出そうと、疲れも忘れ、折れた両足に鞭を打ち、動いた。


すると、彼女の頭上に大きな影が現れた。移住船だった。

移住船からは男が三人降りてきた。


―――助けてもらわなきゃ。


彼女は男たちに向かって哀願した。


「お願いします、彼を、彼を探してください。どこかにいるはずなんです、お願いします」


だが男たちは聞き入れずに彼女を無理やり移住船に乗せようとした。


―――なんで。まだ彼がいるのに。


戸惑いの中で彼女は必死に抵抗して、男の腕を噛んだ。

男の一人が痛みにひるんだ隙に逃げ出して、またがれきを漁った。

彼の名前を叫び、周りをひたすらに見渡しながら。


「何をしてるんだ、もうすぐこの星は終わるんだぞ!」

男の一人が怒鳴りながら、彼女を無理やり移住船に乗せようとした。しかし彼女も怒鳴り返す。


「まだ彼がいるの!見つかってないの!」

「諦めろ!厳しいことを言うようだが、今見つかっていないなら、もう死んでいる」

「なら私も死ぬ!」


心からの言葉だった。彼女の魂も体も、彼と共にいることを欲していた。


―――約束したんだ、一緒にいるって。


彼は生きている。

だってあんなに元気で明るくて強いんだよ。死ぬわけがない。私をおいていなくなるわけがない。


彼女は必死に抵抗した。しかし、満身創痍の彼女が、大の男を振り切れるはずがなかった。

まるで獣のようにわめき、吠え、噛みつきながら抵抗する。

男たちも気圧されていた。

それでも何とか押さえつけると、男たちはそのまま移住船に乗り込んだ。


船の中でも彼女はしばらく抵抗していたが、見えたのは色を失っていく地球の姿だけだった。


「……ダメ、ダメ!まだ終わらないで!彼が戻るまで終わらないで!」


誰に向けたのかもわからないような叫びが、空飛ぶ船の中でこだましていた。






「……悔やんでも悔やみきれなかったよ。最後の最後で、愛する人を裏切ってしまった。死んで彼に会おうと何度も考えたし、試みた。でも自業自得だ。裏切った罰なのかはわからないが、いつの間にか私は不老不死の体を手に入れていた。もう諦めていたよ。だがしかし、人類は同じ過ちをもう一度犯してくれた。今度は逃げない。私は最後までこの星に残る。そして、彼にもう一度会うんだ」


長い話が終わった。

少年は話を信じることができなかった。しかし、この状況で嘘をつく人がいないことくらいわかっていた。


彼女は一歩一歩と少年に近づいた。そしてそのきれいな白い頬を撫でた。


「君は彼と似ているんだよ、ものすごく。だからこそ、君には死んでほしくないんだ。生きて未来に向かってほしい。今からでも間に合うはずだ。移住船へ乗り込みなさい」


優しく、諭すような言い方だった。彼女は続ける。


「きっと君のことを理解してくれる人がいるはずだ。今は辛くても、生きていればきっといいことがある」


彼女の指に涙が伝った。少年は泣いていた。


「…あなたが、その人じゃ駄目ですか」


彼女は一瞬きょとんとした。

少年は思いが言葉になるうちにと、言葉を重ねる。


「俺はあなたがいてくれて助かった。ずっと一人の人生だったから、言葉を交わすことがなくとも、あなたといれるだけで心が軽くなった。これからも一人なんて嫌だ。だったら今、あなたとここで死にたい」


彼女はその言葉を否定しようとしたが、言葉に詰まってしまった。言葉を紡ごうとしても途中でほどけてしまう。


一人なんて嫌だ。


その言葉が、重く心にのしかかっていた。

ずっと一人でもいいと思っていた。

でも今襲い掛かってくるこの胸の痛みが、そうではなかったことを物語っていた。


三千年の孤独は、思っているよりずっとつらいものだったのかもしれない。

だからこそ、最後の最後に出会った彼に似た少年をこんなにも愛してしまっているのかもしれない。


涙がこぼれてきて止まらなかった。この三千年間ため込んできたものがすべて溢れてやまない。そして溢れていくたびに、彼女は少女としての彼女を取り戻していった。


いいのかもしれない。二人でいても。

最後くらい、幸せでもいいのかもしれない。


彼女は嗚咽の中でどうにか言葉を絞り出した。


「…一緒にいてくれる?」


少年も泣いていて、言葉を発することはできなかった。でもその代わりに力強く頷いてくれた。

彼女は少年を抱きしめた。あふれ出る物をすべて少年でせき止めるような、強く優しい抱擁だった。





しばらくして、地面が大きく揺れ始めた。

彼女は少年をさらに強く抱きしめた。

彼女はまた崩壊が始まることを覚悟した。

しかし、廃ビルが崩れることはなかった。

その理由は大地の怒りというより、慈悲というもののおかげのように思えた。

何千年も苦しんだ彼女に対する慈悲。


彼女は少年の頬をもう一度撫でた。

「少年、名前は?」

少年は彼女に名前を告げた。

すると彼女ははっと息をのんだ後、声をあげて笑った。

それにつられて、少年も笑う。


大地が光り始めた。

三千年前と同じ、終わりの始まりだ。破滅の光は、廃ビルの屋上からは二人を祝福しているように見えた。絶対にそんなことはないのだが、彼女の目には確かにそう映っていた。


彼女は少年にキスをした。それが引き金となってか、彼女の中で思いが溢れてきた。


ああそうだ。三千年前、これを彼としたかったのだ。


星がすべてを終えようとしているこの時に、彼女は一人再生している。いや、そうとも言えないのかもしれない。

三千年前のあの時からずっと変わっていない、錆ついて動かなくなってしまった時計の針が、少年によって動き始めているだけなのかもしれない。


そう思うと、彼女には少年が、彼が最期のために遣わせてくれた存在のように思えてきて、何だか嬉しくなった。


彼とはまだつながっている。


あの日ふるさとで命を終えた私の最初で最後の恋人は、今もきっとつながりの中で私を見守ってくれている。


彼女は少年の目を覗く。

そしてその曇りなき瞳の中に、愛した男を探そうとする。

彼の姿はどこにもなかった。それでも彼女は何故だか嬉しくて、少年の手を握り、小指と小指を絡ませた。

「最後まで一緒にいよう。ほら、約束」

少年は一瞬驚いたような顔したが、すぐに、「はい」と笑顔になった。


最初の終わりで果たせなかったことを、私は今果たそうとしている。

かつて隣にいてほしかった人が今はいない。

それでも今私を必要としてくれる人が隣にいる。

それで十分だった。


そして、彼女はかつての恋人と同じ名を持つ少年に、短い言葉を贈る。


「愛してる」


目の前の少年は微笑みを崩さなかった。ただ少し、照れくさそうに鼻を掻いた。


屋上から、街の地面が崩れていくのがはっきりと見えた。破滅の音がよく聞こえる。

しかし、恐怖はない。ただ二人でいるだけ。

終わりのことなど、心の底からどうでもいい。


「…今、走馬灯を見てたんですよ」

ふいに、少年がそう言った。

「どうだった?」

少年ははにかんだ。

「案外、いい人生だったかもしれません」

私も笑った。そうだ、きっと私もいい人生だ。


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