美少女サンタは来ませんでした
@yui_hinagi
美少女サンタは来ませんでした
願いをしたことはあるだろうか。
どんな内容のものでもいい。とにかく何かをお願いしたことだ。
休日にキャンプへ行きたい。受験で合格できますように。
皆がそんな願いをする相手はきっと、それを大なり小なり叶えてくれているのだろう。
しかし俺は、両親にそれを願っても『ごめんなさいね』と断られ、神仏に関してはその存在自体を疑っているため願いすらしていない。
『じゃあ自分でそれを叶えればいいじゃないか』
そう言われることはあるが、そういうわけにもいかない。というより、叶えようがない。
だから他者にお願いをし、願望を委ねているのだ。
『でも親がダメで神様たちを信じてないんだったら誰に願っているの?』
そんなものは決まっている。
毎年、凍えるような空の下、トナカイを駆りソリを引く、赤と白の織り混ざったふくよかな聖夜の使い。
そう、白ヒゲの映えるイケおじ、サンタクロースだ。
いやいや待てよ、と思ったことだろう。神ですら信じていない、というか両親に断られたようなやつが、どうしてサンタクロースを信じるというのか。
簡単だ。サンタクロースは実在する。
世間一般にはサンタクロースはその子供の両親というのが通説である。
しかし、幼い日の記憶だが確かに憶えているのだ。宙に駆けるソリに乗り、背に負った大きな袋から金色のリボンで結ばれた赤い袋を置く姿を。そしてそのまま満月の下へ駆けて行く姿を。
もちろん夢幻の類ではない。会話だってした記憶があるし、プレゼントもそこにはあったのだ。
だからサンタクロースは信じているし、毎年クリスマス・イブには暖炉に吊り下げた靴下に手紙を入れていた。
だが、高校生になってもいまだにこの願いは叶っていない。
そう、この『朝起きたら超絶美少女が隣に寝ている』という願いは。
*
「それはわかったけどよ、サンタに願いを叶えてもらうためにどうして自分磨きだの人助けだのをしてるんだよ」
十二月二十四日、学級委員の俺、
「そんなの決まっているじゃないか。サンタクロースに来てもらうためだ」
「で、実際に美少女が寝ていたことは?」
「ない、けど・・・」
そう言ってはぁ、とあからさまなため息を吐くのは、
知り合ったのは高校に入学してからだが、正直、はじめはその見た目から若干の苦手意識を抱いていた。
しかし、今もこうして一緒に残ってくれていることからも分かるように、根は結構優しい奴ですぐに打ち解けることができた。
今では俺の願いについて語ることのできる数少ない親友だ。
「お前なぁ────」
「でもさ、よく言うだろ?いい子にしないとサンタさんは来ないって」
「下心が見え見えだ」
ぐっ、とつい声に出してしまいそうな痛いところを突かれる。
誠実でないのは分かってるが、別に偽善や欺瞞でそう言ったことをしているのではない。初めからそうだとは言えないが、少なくとも今は、成長する自己を楽しみ、誰かの笑顔を見ることに喜びを持っていると確信している。
「それにしても────スポーツ万能、成績優秀、顔もそこそこで悪いやつじゃない」
「な、なんだよ急に・・・・・・」
瑛が目を細めてまじまじと俺を見つめる。普段はそんな褒めるような言葉をかけるようなやつじゃないから、突然こんなことを言われると、何と言うか照れる。
「そ、そんなに褒めたって何も────」
「でも、美少女との添い寝が望み・・・と」
へ、っと小ばかにするようなため息を吐きつつ残念なものを見るような目を向けてくる。
「悪かったな、こんな望みで」
上げてから落とすタイプの褒め言葉に、こちらは誠意のこもった唸り声で返してやる。
そんな瑛は相も変わらず、やれやれと言わんばかりに手を振っている。
「別に、サンタに願うようなことじゃないのは分かってるさ。サンタのプレゼントは大体が無機物で、人をどこからともなくポンと出すなんてことはない」
中学に入学したあたりから気づいたことだ。皆がもらうプレゼントは、衣服、ぬいぐるみ、ゲーム機……どれも生物じゃない、無機物だ。
「でも確かに見たんだ。十年前、クリスマスの夜、俺の前に現れたサンタクロースを」
静かな教室から夕焼けの空をセンチメンタルに眺める。
この願いを叶えるためには、これから先、多くの困難が俺の前に立ちはだかることだろう。きっとつらくなって、挫けそうになるかもしれない。ただ一人となって疎外感を覚えてしまうかもしれない。
しかしこの孤独な戦いを生き抜くことには、願望の成就以上の何かがあるに違いない。
「それで本音は?」
「超絶美少女と一緒に寝たい!! それだけじゃなくてめちゃくちゃ愛されたい!! 尽くされたい!!」
「ほんと、こんなんじゃなきゃ出会いもあったろうに……」
ついついこぼしてしまった本音に、瑛は今までになく深いため息を吐く。頭を抱える理由は分からない。
「こんなこと言いたくないが……綾、お前な、本当にそんな願いが叶うとでも思ってんのか?」
飽きれたような、真剣さの入り混じった声で瑛が問う。
「ああ、そう信じてる」
揺るがない自信をもってこちらも答える。
…………
そして過行く謎の時間。
「…まあなんだ、お前とは一年も付き合っちゃいないが、そういう真っ直ぐなところは結構好きだよ。ほんと」
何か受け入れたかのようにやさしく喋る瑛。
「安心してくれよ親友。俺だって受けに回ってるだけじゃだめだと思って能動的に動いてるんだ。絶対、大丈夫だ」
俺たちは視線を交わし、拳を打ち交わし、手を強く握り合う。
そして男と男の熱い友情を確かめ────
「んで、
合う前に、サッと距離をとられる。
「……なんでここで
「いやな、学級委員の仕事をさぼるなんて珍しいと思って」
若干腑に落ちないところがあるが、…まあ気にしないことにする。
このクラスの学級委員は俺以外にもう一人、幼なじみの
普段から真面目で責任感の強い乃衣は、今までに一度だって学級委員の仕事をサボったことがなかったのだが、今日は『ごめん』と一言いってさっさと帰ってしまったのだ。
ちなみに瑛はその代わりに手伝ってくれている。
「まあイブだからな。あの乃衣にもようやく春が来たってことだろ」
品行方正、八方美人。艶やかな長い黒髪を編み込んだポニーテールに、スラっと伸びた綺麗な脚。スタイルが抜群でまさに美少女って感じの女の子だ。
さらには清楚と呼ばれるような雰囲気を兼ね備えており、男子からの人気は高く、また告白された回数も両手じゃ当然収まらないが、その悉くが断られている。
だから乃衣、あいつに春が訪れるなんてことはないだろうと思っていたのだ。
「春がって、お前はどうなんだよ。もし雪夜さんに彼氏とかいたら」
乃衣に彼氏か……
「いやいや、それこそない話だろ。乃衣はあの、”伝説の『十人切り』”だぜ?」
『十人切り』────ある年の夏、一日にして学年問わず十人もの男子生徒から告白を受け、そのすべてを断った雪夜 乃衣についた異名。
もちろんその中には当時男子の中で一番人気のあった誰もが認める高身長イケメンもいたが、他の男どもと同様ただ一言『ごめんなさい』と一蹴されてしまったという。
「…確かに、そういわれると彼氏なんていなそうだが」
「だろ? だがそうなるとなんで今日早く帰ったか、だな」
『十人切り』などと言われているが、乃衣は恐ろしい人物ではない。
色恋に冷たいだけで普通にやさしい。
「じゃあ考えるまでもないな」
彼氏の有無にケリをつけた瑛は、すぐにこの結論を出す。
当然、俺には見当もつかない。
「分かったのか?」
「逆に分かんないのか?」
俺が質問したのに対し、瑛はもう隠すこともなくあきれ返る。
「俺以外に、綾が願望の話をしたのは?」
「…乃衣ぐらいか」
まあ乃衣の場合、話したというよりはばれたという方が正しいか。
「そういうこった。俺の予想が正しかったらすぐにでも答え合わせができるだろうから、楽しみに終業式を迎えるんだな」
言って瑛は、つまらなそうに窓を見る。
乃衣のことだから誰かの買い物に付き合ってるとか、そんなとこか?
「ふぁあ、疲れたな」
大きなあくびを一つ。
そして外から五時を知らせる音楽が聞こえてくる。
「うっし、そんじゃそろそろ帰ろうぜ」
瑛がガラガラと椅子を引いて鞄を持つ。それに続くように俺も立つ。
「そうだな、なんたって今日は大事な日だ。精一杯の心を込めて、伝えなきゃな」
「ふっ、まぁせいぜい、期待に胸を膨らませとくんだな」
外に出ると凍えるような寒さが広がっている。白い息を吐き、じゃあなと手を振って瑛が遠くなっていく。
その背中に向けて一言、
「今日はありがとう」
くしゅん、と寒空に別れを告げた。
*
「ただいま」
家につき、誰もいないリビングに帰宅を告げる。
すぐに二階へ上がって自室に着いたら、鞄を置き荷物を整理する。そして、壁に貼ってある九九の暗算表の下にあるタンスから服を取り出し、風呂の準備をしたらようやくリビングの明かりをつける。
「今年もよくこんなの見つけたな」
リビングの端っこに鎮座するクリスマスツリーを見て驚嘆する。しかし、明らかに扉よりでかいそれの搬入については考えないでおく。
ソファーの前に目を向ければ、小さな机の上にいつも通り手紙と便せん、インクと万年筆が見える。これらは両親からのものだ。
『メリークリスマス。今年のツリーはどう? 驚いたでしょ?
私たちはいないけど、サンタさんへの手紙を書いたら乃衣ちゃんちに行って晩御飯をご一緒させてもらってね。
それと、明日はしっかりお休みをとったから一緒にクリスマスを過ごしましょう。 母より』
「いつもお疲れ様、母さん父さん」
二人はとあるテーマパークで働いていて普段から忙しそうにしている。特にこの時期、というよりクリスマスのここ二日はいっそうバタバタとしている。
そんな中でもこうして一日は開けてくれるのはとてもうれしい。
そうしたら机に便せんを広げ、いつものように……
「『朝起きたら超絶美少女が隣で寝てますように』っと」
サンタクロースへのお願いをつづり、それをもって乃衣の家…すぐ隣の家に向かう。
毎年、クリスマス・イブは両親がいないから乃衣の家で過ごすことになっている。
乃衣の両親も忙しくしていて、家にいるのはだいたい乃衣とおじいちゃんの二人だけだ。だから、それならと乃衣のおじいちゃんが俺を招いてクリスマスパーティを催してくれるのだ。
そのおかげもあって俺はグレずに済んだのだから、本当に雪夜家には感謝をしている。
「はぁぁ…」
インターホンを押し少し待つ。
白い息が煙突みたいで面白い。
「ふぉっふぉっふぉ、いらっしゃい綾くん」
少しもせずに玄関が開けられる。
そこから出てきたのは、赤い帽子に赤い服、ポッコリとしたお腹に色のぬけたヒゲをたっぷりと蓄えたサンタクロー……乃衣のおじいちゃんだ。
うん。やっぱりいつみてもサンタクロースだ。というかそういう仕事をしているんじゃないだろうか。
「こんばんわ爺ちゃん。今日も世話になるよ」
「ふぉっふぉ、気にせんで良い。さ、用意はできてるから上がりなさい」
「お邪魔します」
見慣れた玄関で靴を脱ぎ、そのままリビングに足を運ぶ。
実に一年ぶり…ということもなく、ちょくちょく遊ぶからあまり懐かしさとかはない。
だがやはり少し違和感がある。
「そういえば、乃衣って帰ってますか?」
そう、乃衣がいない。それだけでも別の場所に来ているようだ。
「それがのぉ、綾くんに会いたくないそうじゃ」
会いたく…な、い……。
「あはは…」
突然の拒絶。俺のことが嫌いに…。
…まあ高校生だしな。クリスマスを幼なじみと過ごさないといけないなんて嫌気も差すよな。うん、うんうん、こんなとりえもない奴といるより友達と過ごす方がきっと楽しいだろうし、それが乃衣にとって幸せなら何よりだよな。うんうんうんうん。
…でもなんだろう、すこし地震でも起きたかな。震度五くらい揺れてないかな。
「あ、はは…はは…はは…」
「…綾くん、何か勘違いをしてそうじゃが、乃衣は綾くんのことを嫌いになったりなどしていないと思うぞ」
こんな俺を見かねたのだろう。おじいちゃんからのフォローが染みる。
「そんなに気になるんじゃったら乃衣を呼んで────」
「いえ、いいです。そっちのがダメージデカそうなんで」
おじいちゃんの提案を遮るように言う。
「むぅ。では晩飯といくかの。今日は上物のワインが手に入ったんじゃ。さあ、入れ入れ」
俺の憔悴とは裏腹に、おじいちゃんはいつになく嬉しそうにご飯の話をしている。
……乃衣が会いたくないって言ったの、気にしすぎなのかな。
「うああああ! 爺ちゃん! 今日は俺、いっぱい食うからな!」
こうなったらやけ食いだ! 食って食って食いまくってやる!
「ほほう、いい心構えじゃぞ綾くん。これは、今年のチキン大食い競争は気合を入れねばならんかの?」
「絶対負けません!!」
*
「うっぷ…参りました」
大きな食卓の上に、山盛りに積み重なっていたフライドチキンを半分も食べたころ、俺の胃に限界が来た。
「まだまだじゃの、綾くん」
対して、同じくらい高く積み重なっていたフライドチキンの山はもうない。
「くそ…今年こそいけると思ったのに…!」
ワインを楽しむおじいちゃんを前に、机に拳を突き立てて敗北をかみしめる。
「ふぉっふぉ、去年、乃衣と二人がかりで負けたことを忘れたのかの?」
去年、高校受験を控えた俺たちはこの強敵を倒すべく、一致団結し挑み、そして無様にも敗北をさらした。
「絶対に諦めませんから」
今年もまた惨敗を喫してしまったが、来年こそは勝ってみせたい。あと一年…食トレを積むことを決意する。
「ふぉ、そういえば、いつものは持ってきているのかね?」
勝負にひと段落つくと、おじいちゃんは何か思いだしたように尋ねてくる。
「ええ、ここに」
制服の内ポケット示すようにポンと叩く。いつものとは即ち、靴下に入れる手紙のことだ。
「うむ。忘れんうちにそこに入れといておくれ」
おじいちゃんは部屋の端にある暖炉を指さす。そう、雪夜家には、実際には使っていないが暖炉があるのだ。
俺は腹をさすりながら席を立つ。そして暖炉の前に着いたら手紙を取り出し、かかっている赤い靴下に手紙を入れる。
「綾くん、今年はどんな願いをしたのかね?」
「いつもと同じです。秘密ですけどね」
おじいちゃんは乃衣と違って俺の願いを知らない。だからこうして毎年聞いてくれるのだが、何年たっても同じ願いしかしていないから少し申し訳ない。
「ふぉっふぉ、今年は叶うといいのぉ」
だが、こういって純粋に応援してもらえるのが、諦めないことにつながっていると感じている。
「綾くん、まだまだパーティは始まったばかりじゃ。もっと食べて、もっと飲んで、聖なる日を迎えるぞ」
ワインを一本飲み干したおじいちゃんがお腹を叩きながら言う。
「はい、いっぱい食べさせてもらいます!」
俺はチキンでいっぱいのお腹をさすりながら言った。
*
「じゃあの、また今度遊びに来ておくれ」
「はい、お邪魔しました」
二人きりのクリスマスパーティを終え、すぐ隣の家に帰る。
時間はもう夜の十時を過ぎているが特にやることもないので、不審者が入らないよう家の鍵をしっかり閉め、準備していた風呂に入ってベッドへ直行。冷えた部屋の中でぬくぬくする。
「それにしても…」
乃衣のいないクリスマスなんて久しぶりだ。もう十年とずっと一緒だったから感覚がマヒしていたのかもしれないが、やっぱり、乃衣がいないのは少し寂しい。
「うっ…会いたくない、か」
会いたくない。実に単純で驚異的な破壊力のある言葉だ。今朝まで一緒だったのに、いったい何をしてしまったのか…。
うああああ! と、叫びたい気持ちを押さえつつ、クリスマスの願いに目を向ける。
毎年期待し、毎年絶望を味わってきている。諦めはしないが、心のどこかで『叶わないんじゃないか』と思うのも確かだ。
「いいや、重要なのは思い願い続ける意思だ。サンタクロースはいる。なら願い続けるだけだ」
それでも、一つの思いを胸に瞼を閉じた。
*
いつからだっただろうか。いや、確実に十年前に願い始めたのだ。サンタクロースをこの目で、耳で、感じたその瞬間から。
理由は分からない。親がいなかったから? 寂しかったから? それとも単純に、アニメや漫画でそれを知ったからか?
だがそんなものはどうでもいい。俺がサンタクロースに願いを奉じ、そのために何かを成す理由が失われていないのだから。
でも、この願いを抱いた時から、俺の世界は着実に色付いていったんだ。
*
ピピピピピピピピ────
「ん……」
聞きなれた電子音が起床の時間を告げる。冬にしては珍しく、窓からの日差しが気持ちいい。この分なら電車の遅延もなさそうだ。
顔を撫でる外気が冷たい。
だがしかし、ベッドの中でもっとぬくりたい気持ちを抑え、そして、外気に負けまいと意を決して起き上がろうとした瞬間────
ムニュ
今までに感じたことのない至宝の柔らかさが右腕を支配する。もちっとしてぷるんとする。よく言うあれだ。
いやいやいやいやよく言うってなんだよ!? もちっとしてぷるんとは!?
…とにかく、寝起きの頭をフル回転させ、左手を使い毛布をはが────
「ん、おはよぉ…綾」
さずに元に戻す。
一瞬女の声がしたが、というか顔が見えたような気がしたが、…うん、きっと悪い夢だ。他人のベッドに潜り込むなんて、そんな変態いてたまるか。
「夢なら…もうひと眠りしよう」
目を閉じて寝に入る。しかし右腕の感触は消えない。…というかむしろ、視覚を遮断したことによってよりその感触が際立ってくる。
さらには、どうにか夢から脱しようとする俺をよそに、右腕が更なる情報をよこしてくれる。
なめまわされるように絡まる指、引き締まったなめらかな肌から伝わる温もり、相変わらずムニュムニュと押し付けられる上腕、そしてマジになめられてそうな吐息を感じる鎖骨。
初めは『これ、願い叶ったんじゃね?』と思いはしたが、これは違う。ぜっっったい違う。
もしそこにいるのが超絶美少女だったとしても、こんな変態的なこと望んでない!! というかもう現実だって認めるから、誰かどうにかして!! ねえ!? サンタさんねえ!?
「はぇ…ん、りょう…はぁ…ん起きないと…遅刻、…あ、しちゃうよ…?」
んんんんんんんん!? そうだね、起きないとね、遅刻しちゃうよね!? それよりさ、なんで君はこんなにも聞き覚えがある声をしているのかな!? ってか息が絶え絶えなのなんで!? さっきよりも俺の身体を侵食してきてない!?
「えっと…はい。遅刻、しちゃいますもんね。あの…それで、起きさせていただきたく思うのですが…えっと、少し、右半身が思うように動かなくて、お力添えを願えればと……」
「ああ…ごめんね? すぐ退くから」
すると、最後にひとなめだけして、毛布の中にいる謎の存在はようやく右腕を解放してくれる。
ふぅ、と心の中で胸を撫でおろすと、謎の存在を視認しないようにゆっくりと左側から毛布を出て、そして踏まないように慎重に飛び越える。
ベッドから脱出できたのはデカい。何をするにしても、ベッドに居たら阻まれてしまうだろうから。心の中でガッツポーズを決める。
そしてやることと言ったら一つ。この家から脱出することだ。そして幸い、今この家にはバカみたいなクリスマスツリーもある。逃げ隠れにはもってこいだ。
そろりそろりと歩みを進めて扉の前にたどり着く。…大丈夫、毛布の中の存在はまだ動いてない。気づかれぬようにゆっくりとドアノブに手をかけ────
「綾、どこに行くの?」
柔らかくも温かい、木漏れ日のような優しい声で呼び止められる。しかしそれは決して心地よいものとは言えない。さらには、それがもぞもぞと起き上がり始めている。
「す、すすす少し、…おっ、お花をつ、つっつつ摘みに行こうかなー、と…」
ボイスパーカッションのごとく震える声で、小鹿のようにぶるぶると震えながら言う。
「嘘。綾は朝起きたら、絶対に九九の暗唱をする。それを欠かした日なんてない」
一転、木漏れ日のような温かさは失われ、凍て刺すような鋭い声が聞こえる。
「ひっ…!?」
ま、まさか、俺の九九暗唱癖がばれている!? な、どうしてそれを…! それより、どうしよう、ウソがばれた。もし、そこにいるのがあいつなら、今全力で走っても逃げきれないぞ!
タンピングランマーのごとく地固めを始める両足。このまま床が抜けてくれることを祈る。
「あっ! もしかして、暗唱するのにわたしがいるから気を遣ってくれてるの? ふふっ、綾は本当に優しいんだから。大丈夫よ、わたしも、綾のものになるために毎日九九の暗唱を練習してきたんだもの。一緒に、暗唱しましょ?」
毛布越しでもわかる。先ほどのような鋭さは失われ、ほほを染めていそうな艶やかな声…。
そして悲しいかな。かかっていた毛布から、とうとうその姿が見えてしまう。
そこから現れたのは、大きな雪の結晶のように澄んだ銀色の髪をした、裸の女性の後ろ姿だ。背中の多くは髪の毛で隠れているが、少しだけ見える腰が華奢で魅力を感じられる。
少し、ほんの一瞬だが見とれてしまうその姿は、外気に触れることですぐに姿を隠してしまった。
「……誰?」
同時に、俺の持っていた予想が大きく外れる。
まあ予想も何も、声くらいしか判断材料はなかったが、それだけでも乃衣なのではないかな~という予想を立てていた。だからこそ、乃衣がこんなことをしているという状況に恐怖していたわけだ。
だけど乃衣はこんな髪をしていなかった。というか銀髪なんて見たこともない。
こうなってくるとマジの不審者説が浮上してくるが…いやいや、昨日帰ってから戸締りはしっかりとした。誰の侵入の余地もなかったはずだ。本当に、どうしよう…。
いや、もしや既に否定したが、これがサンタさんからのプレゼントなのか。そうなのか。…いや、そうであってくれ!!
「…もう、分かってるくせに」
不審者は薄く微笑んで、その宝石のようなブラウンの瞳でこちらを見つめてくる。かわいい…じゃなくて、恐ろしい。
ただ、目元だけで言えば乃衣に似ている。似ているが、裸な時点で乃衣であるような気はしない。
「やっぱり誰?」
襲う気配を感じないからだろうか。もしくはその全容を把握できそうだからだろうか。気がつけば、くぼみを作るくらいで足の震えが収まっている。抜けなくてよかったのかどうか、もうわからない。
微笑む不審者は体に俺の毛布をしっかりと巻き付けてから、パッとこちらに向き直って言う。
「の~え。わたしは雪夜 乃衣。綾ったら、分かってて聞いてるんでしょ? いじわるなんだから。…でも、これからは佐久間 乃衣って名乗った方がいい…よね?」
「????????」
乃…衣…? マジに乃衣がこんなことをしているのか? 確かに乃衣が不審者だっていうのなら侵入できた理由は分かるが…。それより、なんか俺の姓名乗ってない?
「綾、お願いしてたでしょ? その…『朝起きたら超絶美少女が隣で寝てますように』って。だから…その、わたしじゃダメ…かな?」
確かにそう願った。そしてこの願いを知っているということは、こいつが乃衣だと証明するに足る証拠だ。でもそれだと、分からないこともある。
「……わかった」
「え! それって、わたしをお嫁さんに────」
「お前が乃衣だとして、その髪色はどうしたんだ? それに、昨日は会いたくないって言ってたのにどうしてこんなことを?」
そうだ、あの真面目な乃衣が校則違反になるようなことをするはずがない。それに、昨日は年に一回のパーティだったのに、会いたくないと来なかったではないか。
「……うん、昨日はね、ちょっとおじいちゃんの伝え方が悪かっただけで、綾に会いたくなかったわけじゃないよ。ほら、クリスマスプレゼントは、クリスマス当日に届けなきゃダメでしょ?」
分かるようで分からない理屈を言われる。
「それで、髪の方は?」
「それは…ほら、あの…」
先ほどと違い、答えるのにもごもごとしている。やっぱり、何か卑しいことでも────
「綾は、こういう女の子が好きなんじゃないかって思って…」
た、確かに、金髪や銀髪などには夢があると思っている。
「でも、どこでそんなものを…」
情報の出どころを聞きたいと思い尋ねる。
すると、乃衣は恥ずかしそうに視線をそらし、頬を染めながら指を彷徨わせる。
それは、タンス、クローゼット、机を指すでもなく、ただ真下に向けられた。
「ベッドの…下…?」
俺の確認の声に、乃衣は赤いままこくんとうなずく。
「ま…さか…!」
ベッドの下。そこは思春期男子の聖域。それを見てしまったということはつまり…
「わたし、綾のためなら何でもするけど、でも…できれば、綾とだけがい────」
「のぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!」
ああ、おわった。幼なじみにあんなものを見られてしまった。あはは、人生、案外短かったな…。
「だ、大丈夫!?」
絶望のあまり床のくぼみにヘドバンをかます俺に、乃衣が駆け寄って静止させる。
…あれ、なんだか視界が揺れるようだよ。それに、大切なところはブロックされてるけど、なんだか大変なカッコの人がいるね。
俺はボーっとする頭で貫通した床を見ながら言った。
「…………とりあえず、服着て」
*
なんやかんやあり、とりあえずベッドに侵入した変態は乃衣であることが確定した。と、同時に、不審者が侵入したという最悪のパターンも消えた。
うんうん。強盗が入ったら大変だからね。特に、あのツリーなんて取られでもしたら大ごとだし。
裸だった乃衣は、どこから取り出したのか下着と制服を着て、タイツも履いてばっちり準備完了だ。
「よいしょ」
かく言う俺は絶賛お着替え中。今はネクタイを締められている。
「綾、きつくない?」
「ウン、アリガトウ」
「ふふっ、次はばんざいして?」
ばんざーい。両手を上げる。
そうしたらすらすらとセーターが着せられてゆき、あったかくなる。
なんでこんなことになっているかというと、乃衣がお世話をしたいと言ってきたからだ。
…もちろん俺だって断わったさ。そんなことしなくていいって。でも──
『そう…だよね。わたしなんかにお世話されたくないよね。ごめんね、気持ち悪かったよね。すぐ消えるから──』
そう言って、二階の窓から身を乗り出そうとしたので、快く受け入れることにした。
…まあ、尽くされたいなんて願ったのも俺だしな。夢がかなったと思えばいいか。
ハンガーにかかったブレザーが外されるのを見て、こちらも髪を整えながら立つ。そして次は、腕を伸ばして自分がハンガーになる。
「ありがとう♪」
天使のような笑顔をして悩殺してくる。俺は機械だから効かないと思うことにする。
ブレザーを着れたら次は靴下だ。もう一度ベッドに座る。
「ちょっと持つね」
俺の右足は、乃衣のしなやかな指によって、正座する彼女の太ももに運ばれる。俺は機械だから、足を少し浮かせた状態をキープし、彼女の負担にならないようにする。
「~~っ! 大好き」
ちょっと声が小さくて聞き取れなかったが、これも気にしないことにする。
ちなみに、ここまで制服に着替える手順は普段と全く変わらない。たまたまだろうと思うことにする。
「うん! お着換え完了だね!」
両手を合わせて喜ぶ乃衣。
「ウン、アリガトウ」
もちろん俺は機械である。
「それじゃあご飯にしよっか」
「ウン、アリガトウ」
着替えが終われば朝食がはじまる。まあ自然な流れだろう。
俺と乃衣は手をつないで一階へ降りてゆく。彼女が先導してくれるが、チラチラとこっちを見て転びそうだ。よりしっかりめに手をつなぐ。
「綾…?」
乃衣もしっかりめに握り返してくれる。これで目下の危険は回避できるだろう。
手をつないだものの、何事もなくリビングにつく。すると、惜しそうに乃衣の方から手を離した。
「準備するから座って待っててね」
俺はソファーに座りテレビをつける。なお、視界の五割はバカでかツリーに支配されている模様。
どうやら、今日の天気は晴れのち雪だそうだ。ホワイトクリスマスにはもってこいの、都合のいい天気だと思う。
そうこうしているうちに、すぐに朝食が出来上がる。俺はソファーから食事用の机に移動して、朝食を見た。
こんがり焼き目のついたトーストに、半熟の目玉焼き。たこさんになったウインナーと、カットされたトマトとレタス。俺が朝食に食べる、決まったものたちだ。
ここまでは不思議はない。乃衣なら知っていよう献立だ。作ってくれてありがとう。
しかし、重要なのは乃衣が今持っているコップの中身だ。俺は、毎日同じ朝食を食べているように見えて、実は汁物(飲み物)系統だけは違う。
一週間の中でローテーションされ変わっていくそれは、月曜であれば牛乳、火曜であればコーンスープ、水曜であれば青汁と変わっていき、今日、十二月二十五日は金曜日! ということは、今日俺が飲む予定だったのはシジミの味噌汁だ!
もちろん、インスタントなんて甘えたものは買っていない。シジミの砂出しから始め、だしをとり、味の調整をしっかりとした、俺好みの味に仕上げる。
「おまたせ~」
さあ、どうだ! こればっかしは乃衣であっても知っているわけが────
「な…に…!?」
目の前に出されたのは、香り高いシジミの味噌汁だった。
まさか、いや、そんなことは…!?
慌てて味の確認をする。そう…重要なのは味だ。この献立に、シジミの味噌汁を出そうとすることもあるだろう。しかし味は別なのだ。
「…どう、かな?」
「おい…しいです」
「やった!」
どうしてこの味を再現できる!? 俺は味噌汁にあってはならない圧倒的味の濃さを追求した者。ただ味噌や、だしを濃くしただけじゃこの味にはならないのに…!?
「どこでこの味を?」
あまりの衝撃に自分が機械であることを忘れ、つい尋ねてしまう。
「覚えてる? 六年前、小学校四年生の時、八月十九日から二十四日までの五日間、お泊りしたことがあったでしょ?」
懐かしむように微笑む乃衣。
六年前? …確かに、そんなこともあったような気がする。
「その時の、二十三日の朝、このシジミの味噌汁が出てきて、綾がおいしそうに食べてるのが忘れられなかったからおうちでいっぱい練習したの」
「…よくそんな昔の事覚えてたな」
というか日にちが正確すぎるけどあっているのか?
「あたりまえでしょ? だってあの日は、わたしたちが初めて一緒に寝た日なんだから…」
恥ずかしそうに頬に手を当てて言う。
うん。確かにあの日は一緒に寝た。だがもじもじと恥ずかしそうに言うな! とつっこみたい。
「ほら、冷めないうちに食べて」
「いただきます」
言いたいことは山ほどあるが、とりあえず朝食をとることにする。
「めしあがれ」
*
「ごちそうさま。おいしかったよ」
「うん! ありがとう!」
口元を拭かれながら素直に感謝をする。
見慣れた乃衣の顔も、髪色が変わるだけでずいぶんと雰囲気が違って見える。とても恥ずかしい。
拭かれ終わると、食器を片付けて一緒に皿洗いを始める。俺が洗う担当で、乃衣が拭く担当。二人だから効率二倍…とはいかず、二倍に増えた皿を二人でやってるから、いつもと変わらない時間がかかる。
「なあ乃衣、これから歯を磨けば学校に向かうことになると思うが…それ、外せたりするのか?」
食器用洗剤で洗い終わった物を水で流して、乃衣に渡したらまた次へ。
いつものように行動するなら、朝食の後に歯を磨いて、そのまま登校する。しかしそうなると、校則的にアウトな乃衣の頭髪はどうするのか。
「りょ~う」
乃衣はお皿を拭く手を止めて、こちらをじっと見つめてくる。
「これが、カツラだと思うの?」
む~っと、いじけたようにそう聞いてくる。
「あーいや、カツラだったら安心かな、と」
「もう、そんなわけないじゃない」
ぷい、と、お皿に向き直ってお皿拭きを再開する。
「わたしだって、髪染めがダメなのは知ってるよ? でも、綾の好みの女の子になるためだったら、一日ぐらい、ルールを破ってもいいかなって思ったの」
一日。ひどく短く、そして長い言葉だ。
「俺の好みって…」
きっと、俺のクリスマスプレゼントになるためにこんなことを…。
「乃衣は悪い子だな」
「え?」
「髪のことは俺に任せろ。先生にはどうにか説明してみせるよ」
「綾…! うん、うん…!」
喜びに満ちる瞳。こういう純粋なところも可愛いんだよな。
「よしっ。じゃあとっとと終わらせて学校に行かないとな」
*
ざわざわざわざわ────
サトウキビが見えてきそうなどよめきが周りから聞こえる。
八時二十五分。今年最後のHLを迎えた教室は乃衣の話題で持ちきりだ。
『その髪どうしたの? 怒られたりしない? てか今日の髪型いつもと違う!めちゃカワイイ!』
乃衣の頭髪を見ればまあ、当然の反応を多く聞ける。しかしこれは、事の本質的部分ではない。優しい女子がそっちにしか触れていないだけだ。
では、この話題の本質はどこかというと、
『雪夜さんが佐久間くんとくっついてる! あれ当たってんのかな?てか当ててない? 佐久間、いますぐそこ変われオラァ!!』
という、乃衣が俺の腕に巻き付いてる方が本題だ。
「よかったなぁ。お前の願い、やっと叶ったじゃんよ」
そして一人、直接俺に話しかけてくるのは、ニタニタとイヤらしい笑いをする瑛だ。
教室のど真ん中に位置する俺の席に対し、瑛はその前。他の奴らは周りで話すだけだが、こいつだけは、俺の真ん前なのを良いことに好き勝手言ってくる。
「その分だと、今朝はお楽しみだったか?」
「うっせ! 少し黙ってろ!」
「おいおい、そんな否定するってことはマジなのかよ?」
くっそ! 机がなければ、この減らず口を今すぐにでも閉じてやりたい。
「綾好き、綾好き、綾好き、綾好き────」
…それにしても、学校に着いて職員室で頭髪の件を説明してから乃衣はずっとこのままだ。
好きだといわれて嫌な気などするはずもないが、このせいで一向に事態が収束しない。
「なあ乃衣、どうしたんだよ。みんな見てるぞ、恥ずかしくないのか?」
今日の乃衣に、いつものように語りかけてはダメだ。こういう時は、羞恥心をあおって自発的に離れさせるべきだ。
「ううん、そんなことないよ」
うん、そうだ。恥ずかしいよな、だから────
「え?」
「わたし、綾に『乃衣は俺のものだ』って言われてから、もっともっと好きになっちゃって、もう、近くにいないとどうしようもないの、離れられないの」
「は!? やっ、いつそんなことを────」
キャーーーーーーーー!!
ドッ、とフェスに来たかのような盛り上がりを見せる教室。とてつもない黄色い声援が聞こえる。
「み、みんな! これは違う! 誤解だ!」
精一杯の声を絞って、自分の全身を駆使して、この状況を否定する。
だが教室を満たす熱気に訴えるには、少々熱量不足だったようだ。
「綾、綾、綾────!!」
さらに沸騰する乃衣。それに追従する熱気。
もうどうしようもない。そう諦めかけた時だった────
「おーい、おまえら静かにしろー。
救いの手、担任の先生が登場する。
「せ、先生!」
「って、おまえら、いったい何があったよ」
教室の惨状を目にした先生が、唖然としてそうつぶやく。それに気づいた前の席の一人が、先生に現状を伝える。
「先生、あの佐久間が、とうとうやりやがったんです。雪夜さんを自分のものだと公言し、それに雪夜さんは応え……」
若干涙目な気がするが、実に簡単に現状を伝えてくれたと思う。今なら、先生に声が届くかもしれない!
「先生! 助けてください! 今朝、職員室にお伺いさせていただいたときに、俺、一言も『乃衣は俺のものだ』なんて言ってませんよね!」
もう一度、声を振り絞り伝える。
「なるほど、そういう…」
先生が何といったか聞き取れなかったが、こちらを見てどうやら納得した様子だ。これなら俺は助かったかもしれない!
「おーい、おまえら、席につけー!!」
やった! 先生が手を叩き、それにみんなが反応して、みな口をつぐみ始めた。これでようやく、喧騒から解放される。
「ほら、乃衣も席に戻って。HLが始まるよ」
先生の言葉にも一向に腕に巻き付いたままの乃衣の肩を叩き、着席を促す。
「よし、みんな静まったなー。…雪夜はいったんそのままでいいぞ」
「は!?」
思わず大きな声を出してしまう。
「いやいや先生! 乃衣を放置はダメでしょ!?」
つい、強い口調でしゃべってしまう。周りからちょっとひそひそ聞こえるが知ったこっちゃない。
「そうだな。じゃあ一応、説明しとくか」
俺の言葉を聞き入れてくれたのか、コホンと咳払いをして話を始める。
「まず、雪夜の頭髪についてだな。まあ見るからに校則違反だが、朝早いうちに事情を説明しに来たから注意で済ましておいた。しっかり休み明けには落とすと約束もしてくれたしな」
うん、説明してほしい方じゃなかったけど、こっちはこっちでありがたい。
「それで、本題のそれ…雪夜が佐久間に絡まっている件についてだが、その理由の佐久間の俺のもの発言。これは今朝、頭髪の件の申告の際に、佐久間が言っていたことで間違いない」
キャーーーーーーーー!! ウァァァアアアアアアア!!
上がる黄色い声援と、悲しみに満ちた雄叫び。
売りやがったなクソ教師!!
そして一人だけ激昂する俺。
「まあまあ落ち着け。こいつらがくっついてることなんて周知の事実。今更あからさまになったからって、いちいち浮かれるようなもんでもないだろ?」
周知の事実? いったい、何を言ってるんだか…。昨日までの俺たちは、ただの幼なじみだったろうに…。
そう思い、真ん中からあたりを見渡す。きっと、みんな『何言ってんだ』みたいな顔をしているに違いな────
『確かに、今更だよなー。 言われてみればいつもと変わんないかも? まーなるべくしてなった、て感じだよね』
あれ? 意外とみんな納得してる? さっきよりも落ち着いてない?
「これで少しは落ち着いたか? …よし、それじゃあ今日の説明を始める。雪夜、すまんが少しだけ自席に戻ってくれ。仕事なんでな」
「分かりました、先生」
以外にも、乃衣が先生の言うことをすんなりと聞き入れる。乃衣は俺から離れる際、俺に埋まって三度深呼吸をした後、てとてとと自席にかけていく。
「…それじゃあまず初めに、このあと五十分から避難訓練がある。場所は中庭だ。それが終わったらそのまま体育館で終業式だから館履き忘れないように。そのあとは大掃除をパパっと終わらせれば、後は通知表を返して午前で終わりだ」
先ほどまでとは打って変わって、静けさが蔓延している。
「じゃあ時間もないから、各自準備をしておくように。解散」
HLがすぐに終わり、皆がロッカーに靴を取りに行く。
「まあ…よかった、のか?」
振り返ってニヤついてくる瑛をよそに、右腕に這い寄る何かには気づかないふりをした。
*
避難訓練、終業式を終え、大掃除も終わる。どこに行くにも乃衣がいたから、目立っていたような気がする。銀髪だからね。
そして今、通知表の返還だ。周辺のみんなは1がないか不安に駆られているようだが、俺は特別不安はない。
普段から努力を怠っていなければ、オール5で間違いないだろう。
「乃衣、乃衣は成績、何か気になるのあるか?」
「うん…一つだけ」
瑛が他のところに言っているため、必然的にすぐ近くの乃衣と話すことになる。
ただ、乃衣も成績は良いから不安などないと思っていたが…
「何が不安なんだ?」
「…HLの時間」
HL…学校に来ていれば落としようのない単位であり、しかし落としたところでたったの一つしか単位のない、数合わせ的な物…。
「それってもしかして…」
「うん、今朝の事。この髪もだけど、もしかしたら落としちゃってるかも…」
多少は今朝のことを反省している…のか?
「流石に大丈夫だと思うぞ。仮に落としてたとしても、二学期の成績には反映されないさ」
もし本当に成績に反映されるとしても、落とすようなことはないだろう。
「それに、もし減点されてたとしても、成績が変わるくらい変化はしないさ。最悪でも評価が一個落ちるくらいだろ?」
「それじゃダメなの」
「ん?」
「わたしは、綾と同じくらいすごくなきゃ、隣に立つ資格すらないから…。だから、少しでも落ちちゃったら…」
どうしてそんなことを…。それは聞く必要はないだろう。ただ一つ、伝えるだけのことはある。
「それは杞憂ってやつだ。もしあの程度のことで乃衣の成績に悪影響があるって言うなら、俺はもっとひどいはずだ。先生に悪い態度取っちゃったしな」
「綾…」
「次ー。佐久間ー、とついでに雪夜も来ーい」
「ほら、いくぞ乃衣」
「うん」
すぼんでいる乃衣の手を取り、通知表を取りに行った。
*
結果から言って、俺たちはAと5の羅列だった。一学期と比較しても変わり映えのない値。これに喜びを覚えてしまうともう抜け出せない。
「すっげーな。不正のにおいがプンプンしてきやがるぜ」
そう言うのは瑛。帰りのあいさつの後だから真ん前にいる。
「そういうお前はきれいな3だな」
俺は瑛の通知表を手に感嘆を漏らす。美しいまでのBと3。見慣れない分、新鮮味があっていい。
「おっまえそれ煽ってんのか!?」
しかし、喧嘩気味になる瑛。確かに馬鹿にした感覚はなくもない。
「素直に感動したんだ。瑛が俺のを見て感じたように、俺もまた、瑛のを見て感動した。それだけだ」
掴まれないように一歩後退してから言う。机よ、今だけはそこにいることに感謝を。
「綾! このあと、デートに行かない?」
俺たちがくだらない争いをしている中、乃衣が割って入ってくる。タイミングっどだ。
「デート?」
俺はその聞きなれない三文字に質問を返してしまう。
「うん、デート! ほら、わたし綾のものになったから、もっと一緒に居たいなと思って。それで、今日はクリスマスでしょ? だから、クリスマスデートができたらなって」
美しい銀髪の中から、ブラウンの輝きで覗き込んでくる。いつもよりいじらしいその姿に、胸が高鳴る。
「そうだな、それじゃあ初デートどこに行きたい?」
「遊園地がいい! そこでデートするのが、夢だったから」
「ああ、じゃあ行くか」
置いてけぼりの瑛をそのままに、俺たちは荷物をもって教室から出ようとする。
「綾! 一つ、忠告だ」
その俺を呼び止めて瑛は、
「…夢は、いつか覚めるものだ。その瞬間を、見誤るなよ」
意味不明なことを言う。
「なんだそれ?」
「すぐにでもわかるさ」
「ふっ、またそれか?」
デートに赴く俺への嫉妬だろうか。同じようなことを聞いた気がする。
「じゃあな瑛。…乃衣行こう」
「………うん。じゃあね、茅原くん」
*
俺たちが遊園地と言ったら、もちろん『よみかいランド』だ。
そこは数多くのアトラクションから構成されており、小さい子供が楽しめるものから大人が本気で遊びつくすものまで、幅広い層への受けが期待できるアミューズメントパークである。
さらに、この時期の魅力と言ったら夜景を飾る煌びやかなイルミネーションだ。星空をかき集めたような光景は、デートの終局に用いられることも多いいとかなんとか。
そう言うことで、俺たちはよみかいランドに来た。
売店で軽く腹ごしらえをした後、ジェットコースターから始まり、ディスク・オー、バイキングと絶叫系に乗った後、ティーカップや園内にある花園を見て回った。
午後からというのもあってかその時間は瞬く間に過ぎてゆき、最後にと、日が暮れる前に観覧車に乗ることにした。
「観覧車に乗るには、少し早かったんじゃないか」
俺と乃衣は向き合うように座っている。外に目をやると、太陽のもとで雪が降り始めていた。
「いいの。…日が暮れたら、全部終わっちゃうから」
夕焼けを吸い込んだ銀の髪がどこかに雪を内包していて、積もり始めた雪の儚さを感じさせる。
「終わっちゃうって、何が?」
「夢…。この幸せな時間も、もうすぐ終わる…」
「終わらないさ。俺がもっと乃衣を幸せにしてやれる」
今朝はどうなることかと思ったが、一日を共に過ごして、愛を受け取り続けて、俺もようやく確信できた。俺は乃衣のことが────
「ダメだよ、それ以上は。わたしは所詮、クリスマスプレゼントだから。好きをあげることはできても、貰うことはできない」
「……」
「綾はクリスマスが何時から何時までか知ってる?」
ガコン、ガコン、と少しづつ上がっていく。
「正解は、二十四日の日没から二十五日の日没まで。ま、いろいろあるんだけどね」
ガコン、ガコン、
「だからもうすぐ、クリスマスは終わる」
ガコン、ガコン、
「それが、今日一日おかしかった原因か?」
ガコン、ガコン、
「あはは…、答えなきゃダメ…かな」
ガコン、ガコン、
「わたしはずっと綾が好きだったの。十年前、引っ越してくるよりも前から」
ガコン、ガコン、
「だから毎日、どうすれば綾の理想になれるんだろう、隣にいられるんだろうって考えてた」
ガコン、ガコン、
「でも、そうやってわたしが悩んでるうちに、どんどん綾は遠い存在になっていった」
ガコン、ガコン、
「毎日努力して変わっていく。その姿にわたしはもっと好きになっていって、抑えられなくなってしまった」
ガコン、ガコン、
「だから昨日、サンタさんのところを抜け出して、勝手にプレゼントされに行ったの」
ガコン、ガコン、
「ふふっ、実はわたし、けっこう悪~いプレゼントなんだよ?」
ガコン、
「……だからね、クリスマスが終わればわたしは消える」
ガコン、
「だからせめて、綾に楽しい思い出を残してもらえたらって思ったんだけど…。あまりうまくいかなかったみたい」
「そんなことない。乃衣は良い奴で、今日はすごく楽しかった。願いが叶ったようだった」
乃衣の瞳に涙が浮かぶ。
「もう、綾は本当に…優しいんだから…」
ガコン、
「でも…もう終わり」
ゴンドラが観覧車の最高点に到達する。
「わたしはあなたが好きでした。今までも、これからも、永遠にあ──────」
ガコン、ガコン、ガコン、ガコン、
「ああ、俺も、大好きだ■■」
*
「────お────う! お──ろ────う!」
「ん……」
ここは…
「起きろ、綾!」
「うわぁあ! 驚かすなよ瑛!」
寝起きの爆音で目が覚めて周りをチラチラとする。
黒板、机、椅子…ここはいつもの教室のようだ。
「驚かすも何も、これから帰ろうって時にいきなり寝こけたのはお前だろ!? ったく、いったい何分待ったと思ってるんだ」
窓から外を眺めれば、夕焼けも沈み、紺色の空が広がっている。
「今何時?」
「五時半だ。たく、まあ今日のすやすやは勘弁してやる」
瑛…なんだか優しくなったような気がする。
「なあ、俺たちなんで学校にいるんだ?」
「…お前、その年でボケちまったのか?」
隠すことなくあきれ返る瑛。
「明日の終業式の準備だろ?」
終業式の…そうか、クリスマス・イブだけどその放課後に残っていたのか。
「そうだったな。今日は学級委員じゃないのに手伝ってくれてありがとう」
「何言ってんだ。俺は学級委員だからイブだってのに残ってたんだぜ?」
え…? 学級委員は俺ともう一人…誰だったっけ?
「そう…だったな。とにかくお疲れ様。待たせちゃって悪かった、帰ろう」
ガラガラと椅子を引いて鞄を持つ。
外に出ると凍えるような寒さが広がっている。
その別れ際、瑛が思い出したように尋ねてきた。
「そういえば、今日はクリスマス・イブだけど、なんかお願い事でもすんのか?」
瑛がそんなことを聞いてきた。
「はぁ…? ずっと言ってるだろ?」
瑛とこの話をするのも、もう何回目になることだろう。一年と付き合っていないが、両手で数えられないくらいには話したと思っていたが…。
「いやいや、そんなん一言も聞いた事ねえよ」
「…マジか? 一回くらいは言ったと思ってたけど…」
それとも本当に教えていなかったのだろうか。
冷たい風が通り抜ける。
「いいから早く教えろって。…めっちゃ寒いんだからさ」
瑛にしては珍しく、やけにしつこく聞いてくる。
「…分かった分かった、教えるよ。減るもんでもないしな」
俺は揺るがない信念をもって答える。
「俺の願いは、『朝起きたら超絶美少女が隣で寝ていますように』だ」
美少女サンタは来ませんでした @yui_hinagi
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