歳を取る。そして募る思慕。

Aris_Sherlock

歳を取る。そして募る思慕。

 今日はセーターを出した。

 少し前まで暖かかった記憶の残る12月。急な温度変化に体がついていかず、寒さに体を震わせながら支度をする。


 今日は旧友が家へ遊びに来る。

 何度かの連絡の末、ようやく週末に時間ができた。お互い、特別忙しい身ではないものの、やはり社会人になると予定を合わせるのは難しい。

 

 昨日は掃除をした。

 どこかで心が躍りながら掃除機をかけた。一人暮らしながら一軒家を持ってしまった私には、訪問者は孤独を和らげる格好のものであった。


 時間はお昼時。

 食卓に並ぶは、チキンステーキにポテトサラダ。また、唐揚げとチャーハン、エビフライ。横に茹でたブロッコリーとプチトマト。このテーブルにはいつもなら並ばないもの、並ばない量が載っている。

 いつも作らない割にはうまくできている。


 インターホンが鳴る。

 まずのぞいたのはどこか見覚えがある顔。いや、実際には一度も見たことはない。しかし誰かの面影をもったものだ。

 次にのぞくのは、わが旧友だ。最初に見たものは彼の娘であったのだ。

「いらっしゃい。」

 私はそう言った。

「こんにちは!」

 元気な声が響く。

「久しぶり。」

 懐かしい声がする。

「こんにちはお嬢さん。お昼は出来てるからあっちで手を洗っておいで。」

 返事を聞きながら、手洗い場までを見送る。

「今年で6歳さ。」

「しっかりしてるな。」

「僕の自慢の娘だよ。」

 彼はとても誇らしげな顔であった。

「きみも手を洗ってくるといい。」

「あぁ、今日の寒さは人間の免疫力を下げる。」


 さてして、三人で食卓を囲む。

 自信作の疑似お子様ランチは大変好評だったようだ。お嬢は満足げである。

「しかし、量が多くないか?」

「子供は、たくさん食べるだろう。」

「きみねぇ……。考えがおばあちゃんだよ。」

 確かに子供のころ祖母に食べきれない量の食事を出された記憶がある。私も気づかずに歳を取っているようだ。

 そのあとも色々を話した。妻は今日実家だとか、お嬢が最近逆上がりできるようになっただとか、私はいまも寂しい一人暮らしだとか。いつもと違った空間に自ずから笑みがこぼれたのを覚えた。


 いつもより音量の大きいごちそうさまを聞いた後、いつもより多い量の皿を洗った。

「おじさんこれ何?」

 お嬢が指をさしたのは古びたギターであった。掃除の際に一時的に収納から取り出したのをしまい忘れていたらしい。

「こら、おじさんのを勝手に触っちゃだめだぞ。」

 友が止めに入る。

「いやいや、いいんだ。もう何年も使っていないものだからね。気になるのなら弾いてみるといい。」

 友に手伝ってもらいながら、お嬢は自分の身長と大して変わらないギターを担ぐ。

 お嬢が弾く見るのも懐かしいそれからは、外れた音が流れた。だが、お嬢はそれでも結構なようで、続いて響きが鳴る。

 最初は不格好だった立ち姿も、弾き姿はなんだか様に見えた。

「筋がいいね、お嬢ちゃん。ギターを始めてみるかい?」

 お嬢はうなずく。

「いやぁ。」

 しかし友は渋い顔をする。

「僕は詳しくないが、楽器なんてそこそこするだろ?それに長く続くかどうかもわからないし。」

 小さな声で私に言う。

「なら、このギターを持っていけばいい。弦を張り替えれば、まだ幾何かは使えるはずだ。使わなくなったら、捨ててくれればいい。」

「そんな。」

 友は驚いた顔をする。

「いいんだよ。」


 コーヒーを淹れた。

 冷えた手先を温めながら、友の手土産のお高いビスケットを口にする。

「きみがあのギターを譲るなんてね。」

 部屋のソファーでは、相変わらずお嬢がギターを弾いている。大層気に入ったみたいだ。

「なんてことはないさ。」

「いや、なんてことはあるだろう。僕の記憶が正しければ、あれは君が最初に買ったものだろう?」

 確かに。あれは私が高校生だった頃、なけなしの金で買ったものだ。

「なら、思い出も愛着もたくさん残っているはずだ。古びたまま置いておいたのも、捨てられなかったからだろ?それを本当に譲るつもりかい?」

 あぁ。あぁ、そうだ。

「思い出なんて過去のものだ。だけど……。」

 お嬢を見る。もしその姿が、小さな私ならと考える。

「すこし、昔話をすることになるがね。」

 友人の顔は話してみろといった顔だ。


「僕は高校生でやっと、ギターを手に入れたわけだ。が、本当はもっと早くから――中学生の頃から――触りたかったんだ。なぜできなかったか。まぁ、僕の場合はお金だ。」

コーヒーを口に含む。苦さが気持ちよく舌の上で転がる。

「でも、だ。もしかしたら僕は諦めていたかもしれない。手に入れることが出来ない時間が長かったから、手に入れられないことに慣れてしまっていたかもしれない。」

それは、しょうがないと片付けられるものかもしれない。しかし、それは有り得たかもしれないその人の未来を潰すことに他ならないか。

そして、より怖いのは、その感情を覚えることすら忘れてしまうことだ。

僕はその悲しさと悔しさを知っている。


友人もコーヒーを含んだ。

「結局、僕が言いたいのは、”やりたいことはやりたい時にやっとけ”って事だ。でもそれは、自身でどうにも出来ないことも多い。」

もう一度お嬢を見る。

「ならば、僕がどうにかしよう。自身の過去への愛慕よりもお嬢の好奇心を尊重すべきだ。」


「見返りなんてないぞ?」

「見返りならお高いビスケットで十分さ。それに例え、お嬢が未来のロックスターでも、すぐ興味を無くしてしまっても、それは大した問題じゃないさ。」

大事なのは今、手にすることだ。


「おじさん、またね!」

大事に抱えられたギターと共に屈託のない笑みで手を振る。

「あぁ、また。」

僕もまた、手を振った。

「楽しかったよ。それに、ありがとう。それじゃ、また今度。」

「あぁ、また今度。」

そんなように友とお嬢は帰っていった。


いつもと変わらないリビングが少し広く寂しく感じた。心には充足感と欠落感があった。

「僕も、楽器始めてみるかな。例えば...、」

なんとなく独り言を呟きたくなった。

「ウクレレとか…?」

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