ウミガメのスープ、その続き

萩原糸保

ウミガメのスープ、その続き

この世には、とてもおいしいスープがある。昔、遭難した時に食べた”ウミガメのスープ”。状況もあったと思うが、それはそれは美味しいスープだった。

あの味をもう一度味わいたい。しかし、ウミガメのスープを出している店は少なく、探し求めて数年経ってしまった。

やっと見つけたその店は、海が見える景色のよいレストランだった。

カラン、と扉のベルを鳴らし店内に入る。優しい声をした店主から「いらっしゃい」と声をかけられる。店内は落ち着いた雰囲気で、小さく流れているBGMも自分好みだ。これは、期待できそうだと頬が緩むのを感じながら席につく。

「ご注文は?」

「ウミガメのスープを一つ、お願いします」

「かしこまりました。」

スープしか頼まなかった私を訝しむこともなく、店主は奥へと戻る。まずはスープを楽しみ、そのあと別の品を楽しむことにしよう。待っている間にメニューを眺める。スープ以外にもウミガメのステーキなんてのもあるのか。そういえば、遭難した時スープだけではなく焼いたものも食べた気がする。あれも美味しかったな、あとでこれも追加しよう。

程なくして、注文の品が届く。

「お待たせいたしました。”ウミガメのスープ”です。」

待ちに待ったウミガメのスープ。うっすらと上がる湯気から、出来立てであることがわかる。

しかし、少し違和感を感じた。昔食べたスープはこんな匂いだっただろうか。ウミガメの種類が違うからか、それとも自分の勘違いか。前とは作っている環境が違うのだから、いやでもしかし、果たしてこんなにも違うものだろうか。疑問を覚えながらも、スープを口に運ぶ。

違う。

ただそう思った。このスープは美味しい。しかし、これは自分の知っている”ウミガメのスープ”ではない。

こめかみに嫌な汗が流れる。もしかして、と最悪な予感がする。

いやいや、そんなことはない。あれは、あの時食べたのはウミガメだった。仲間たちが私に嘘をつくはずがない。そう思いたいのに、どうしても疑ってしまう。あの時食べたのは、本当は…。

「すみません、追加で注文いいですか」

スープだけで結論を出すのは早いと思い、ステーキも注文する。同じスープでも店によって味が違うなんてよくあることだ。しかし、ステーキとなれば素材の味はあまり変わらないだろう。

ステーキを注文すると、穏やかだった店主が目を見開き低い声で「はい」と答えた。

先ほどまであんなにも優しい雰囲気だったのに、どうしたんだろう。自分は何か悪いことをしてしまっただろうか。自分の行動を顧みるが、見覚えがなく首を傾げた。

「ウミガメのステーキです」

じゅわじゅわと音を鳴らしながら出てきたステーキはとても美味しそうで、先ほどの店主の態度など忘れてしまうほどだった。一口大に切り、口に入れた。噛めば噛むほど旨味が出てくる。なんて美味しいのだろう。しかし。

「これは、私の知っているウミガメではない」

思わず声に出してしまう。その声は小さい店内に響き、何事かと店主が駆け寄ってきた。

「いかがされましたか」

「いえ、先ほどからどうも自分の知っているウミガメの味と違っていたものですから驚いてしまい…」

その言葉に、店主は首を傾げた。

「お客様、ウミガメを食べたことがあるんですか?」

「はい。数年前ですが…」

「おかしいですね…ウミガメはこの辺りでしか食べることができませんし、店として出しているのはこの店くらいのはずなんですが…」

その店主の言葉に、嫌な予感はあたっていたのかと確信する。

「そう、ですか…すみません、自分の勘違いかもしれません。大きい声をだしてしまい、申し訳ない。」

「いえ、気になさらないで下さい。どうぞ、ごゆっくり」

私は机の上にあるステーキとスープを、それはそれは綺麗に食べた。なんてったって、これが私の最後の晩餐だ。

ああ、そうか。ウミガメというのは本来こういう味なのか。綺麗だった思い出は黒く塗りつぶされ、罪悪感しか感じない。

「ごちそうさまでした。」

勘定を済ませ店を出る。数日後、男は近くの海辺で遺体として発見された。

彼が自殺してから、店主が店を開けることはなかった。


数年前、とある場所で荒波にさらわれた船があった。乗っていた数名は行方不明となり比較的大きなニュースとなった。

行方位不明者の一人が自分の、弟だった。楽しそうに出かけて行ったのに、どうして。生きている、そう信じていた。しかし、救助されたなかに弟はいなかった。

彼らはどのようにして生き残ったのか。生き残りの一人がその時のことをまとめた本を出したのは有名な話だ。そこには、衝撃的なことも書かれており、一時期話題にもなった。

———我々は、生きることに必死だった。日に日に弱っていく仲間たち。食糧は底をつき、このままでは全員死んでしまう。我々は苦渋の決断として、仲間たちを煮て飲むことにした

「やっと、仇が打てたね。」

最愛の弟は、あいつの食糧にされたのだ。まさか、スープだけではなくその肉体そのものを焼いて食べたとまでは思っていなかったが。

それを美味しいだと?狂っている。狂っているとしか言いようがない。

そもそもウミガメなんて、いるわけないだろう。お前たちが遭難した地域にウミガメは生息していない。そんな浅はかな知識で航海になんて出るからそんな目に遭うんだ。そんなやつが、弟を、食べただなんて。

これで、自分の復讐劇も終わり。弟を食べた奴らはあいつで最後。全員死んだのだから。

彼らが飲んだスープが「人間のスープ」だと認知して飲んでいたのは数人だった。だから、生き残った彼らはあの頃を求めて「ウミガメのスープ」を飲めるこの店に来たのだ。

自殺した彼は最後の一人。その度に伝えた。「ウミガメを食べられるのは、ここだけですよ」と。

そういうと彼らは同じような顔をして近くの崖から飛び降りた。

「そういえば、人間ってどんな味がするんだろうな」

せっかくだから、食べてやろう。最後の一人が海辺から発見された時、一部がなくなっていたという。そりゃそうだ、その一部はここにあるんだから。

ウミガメのスープを作るように、彼らの知っているウミガメのスープを作る。

出来上がったスープを口に運び、店主は自殺した。

それは、昔口にした弟の味と一緒だった。

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ウミガメのスープ、その続き 萩原糸保 @kaba_87

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