3

翌日。

吉村喬一は、昨日の朝と同じ時刻に目を覚ました。

もう鳴らす必要が無いと、目覚まし時計のアラームは切っていたのに、だ。

サラリーマンの習慣。一晩で抜けるものでは無いという事だろう。

「・・・・・」

小さく唸ってから、煎餅布団から抜け出した。

寝間着にしている上下つなぎ服の格好のまま居間に入る。

居間の隅には、三毛猫のトリコが昨日と変わらずに蹲っていた。

「よお」

短く声をかけた喬一に、トリコが顔を向けて来た。

昨日と変わらず警戒されている。

これもまた一晩でどうにか成るものでは無いのだろう。

お前さんも俺と同じかと、薄く笑った喬一は、台所に立ってじっとこちらを見ているトリコにキャットフードを出す。

茶に黒と白の三毛の頭を振って、パリパリと音を発てて朝食を採り始めたのを見た喬一は、水を入れたヤカンをガスコンロの火に掛けて、

トースターに食パンを放り込んだ。

タイマーのダイヤルを捻ってから、寝室の衣装タンスから半袖の黒いTシャツとブルージーンズを取り出した。

寝間着のつなぎ服から、仕事用の服装では無いそれらに着替えると、再び台所でテーブルに置いてあるトランジスター・ラジオのスイッチを

入れ、スピーカーから流れるニュースを聴きながら、トースターで焼いた食パンの朝食を採る。

今までに無い、ゆっくりとしたペースでオレンジのマーマレードを塗ったパンを食べている喬一の耳に、全国版から地元のローカル局に

切り替わったラジオ番組から、主要道路の渋滞状況を伝えてきた。

国道で朝の渋滞が始まっている。

「・・・・・」

今日向かう予定の場所と、そこに行く迄の道のりと掛かる時間。

ヤカンで沸かした湯で淹れた紅茶を飲みながらそんな事を考えていると、喬一の足の甲に何かが当たった。

陶器のマグカップ片手に、椅子に腰掛けている姿勢のまま足下を見る。

トリコが喬一を見上げていた。どうやら食事を終えたらしい。

「・・・・・」

お互いこの事は経験済なので、声をあげたり逃げたりはしなくなっていた。


* * *


濃いブラウンに染められた厚手のデニムのジャケットに、踝までの高さの

赤茶色をした革製のハーフ•ブーツを履いて外に出た。

玄関の鍵を掛ける。

数時間は確実に留守番になるトリコの為に、水を入れた大きめのボウルと

キャットフードの皿を置いているので、飢えたり喉の渇きは無いだろう。

今日の用事に必要な書類を入れた、濃い緑のズックで出来たショルダーバックを左肩からをタスキ懸けにしながら、生温くなって来た快晴の空気の中、

物置に入った。

少々埃っぽく薄暗いそこには、スチール製の机とその上に置かれたヘルメット。

そして、一台のバイクが蹲っていた。

鉄のフレームに空冷の4サイクルV型2気筒のエンジン。

喬一は、ダート・トラック風の外観を持っている、そのバイクを外に引っ張り

出した。

小柄な車体なので、押し引きなどの取り回しには苦労しない。

2ガロン、大体8リッター入りの燃料タンクのキャップを開けてガソリンの量を

確認してからコックを開き、昔のガス器具の様なデザインのキャブレターに

付いているチョークレバーを押し下げた。

右足でキック・ペダルを踏み込んだ。セル•モーターなどは付いてはいない。

そうやって、エンジンに濃い燃料を送り込むと、イグニッション•キーをオンに

捻る。

再びキックペダルを踏み込むと、エンジンが掛かった。

2本の排気管から、低い排気音と排気ガスを吐き出し始めたバイクから一旦降りると、机から取ったヘルメットとその中に入れてあった革のグローブを両手に

着ける。

エンジンのアイドリングが安定した。

バイクのシートに跨ると、左手でクラッチ•レバーを握って右足でギアを一速、

ローにペダル踏んだ。

右手のアクセル•グリップを開き、クラッチ•レバーをゆっくりと放すとバイクが

動き出した。

家の前の小道を走っていると、エンジンやトランスミッションが温まってきた。

県道にバイクを突っ込んだ。

更にアクセルを開く。

軽い車体と45キュービック・インチ――750ccの排気量のエンジンは、

低回転からでも十分なトルクを出すので周りの車の動きにモタつく事は

無かったが、骨董品扱いされても仕方が無い位には年代物なので無理は禁物だ。

効きの鈍い前後ドラムブレーキを駆使して、県道をバイクで走る。

今から向かう役所は、新市街と呼ばれている場所に建てられていた。

そこは、万年渋滞のようになっているので四輪よりもバイクで行く方が時間が掛からない。

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無職になったら猫が来た @tutima

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