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吉村喬一に両親は居ない。

母方の祖父が十代にも成っていない彼を引き取ってくれた。

それから十年以上、祖父と二人きりで過ごして来た。

他人から見れば変わり者の祖父だったが、喬一とは妙に気が合った。

その祖父も今はいない。

祖父は生前に、自分の家・財産を喬一が相続するようにしてくれていた。

辺境と呼ばれる場所に有る、この都市の外れの山の中に建っている、一軒家。

それが喬一が今住んでいるこの家になるのだった。

家財道具は、金目の物や値打物なんて奴は無く、生活するのに最低限の物しか置かれていなかったので、

会ったことの無い親戚とやらが出てきて相続がどうのなどで揉めることも一切無かった。

無論、相続税の類も免除の範囲で収まっている。

平家にくっ付いている様に建てられている倉庫というか、物置。

その前に小さな四駆を停めた。

イグニッション・キーを捻ってエンジンを切る。

自動車という機械が発していた、騒々しい音の代わりに

木々の枝葉が発する音の中、助手席からプラスチックの籠を取り出した。

2キロ程の重さのそれを左手に持った喬一は、ゆっくりとした足取りで玄関に向かう。

申し訳程度の後部座席の後ろに有る、これまたお世辞にも広いとは言えないラゲッジ・スペースには譲二から渡された猫を飼う為に

必要な物や物資が詰め込まれているが、降ろすのは後廻しだ。

右手に持っていた鍵で家の中に入る。

居間、リビングの床に籠を置いた。12畳の広さの空間にテーブル。

透明な天井部分を上に開くと、中を覗き込む。

頭と胴体、尻尾に茶と黒の模様。

後は白の体毛の猫が喬一を見上げて来る。

琥珀色の瞳。

「・・・・・」

猫の前脚が籠の縁に掛かった。

同時に籠から飛び出すと、身体を低くして部屋の隅に走る。

三毛の身体を壁に押し付ける様な体制のまま、喬一を見つめて来た。

「・・・・・」

明らかに警戒している猫から視線を外した喬一は、そのまま部屋の中央に置かれているテーブルの前に座った。

木製のかなりの年代物らしいその上に置かれている、ノートパソコンを開く。

起動音を発てて動き出したパソコンのキーボードを弾き、目当ての項目を検索する。

猫の飼い方。

初めて家に迎えた時の注意する事。

トイレや水の設置。

食事の与え方。

その他幾つかの必要な物や注意事項を調べて、頭の中に刻み込んでいた喬一の背中に、何かが触れた。

「!?」

驚いて小さな声と共に振り返る。

いつの間にか喬一の後ろに忍び寄ってきた三毛猫。

喬一の身体に右の前足を掛けたままのポーズで硬直していたが、次の瞬間には畳を蹴って逃げ出した。

再び部屋の隅に戻った猫に小さく肩をすくめてから、パソコンでの調べ物に戻った。

背中に再び触れてくる感触。

今度は、ゆっくりと振り向いた。

琥珀色の目で見上げてきた。

「問題無い」

呟いてから、

「そういえば・・・・・」

と、車に積みっぱなしになっている荷物、猫用品の事を思い出した。

それを持って来なければと、調べ物を中断した喬一。

パソコンを待機状態にすると、立ち上がる。

車の鍵を手に取って、外に出た。

左手首のクロノグラフを見るまでもなく、夕焼けの時刻だった。

赤く染まっている物置の前。

そこに停まっている、四輪駆動車の後ろに廻って横開きのドアを開く。

猫の絵が印刷された、キャットフードの袋が数個と食器、樹脂製のトイレやそれに使う砂に爪研ぎ用の板が見える。

見た目よりかさぼるそれらを車から降ろすと、何回かに分けて家の中に運び込んだ。


窓の外が夕暮れから、漆黒の闇に変わった。

時刻を確かめた喬一は、食事の準備を始める為にパソコンの前から離れた。

自分だけでは無く猫の方もだ。

台所に行くと手を洗い、鍋を手に取った。

軽い金属製の、4人分位の煮物が作れそうな両手持ちのそれに水を半分張って、ガスコンロに載せる。

ガス管のバルブを捻ってガスを出し、コンロに火を付けた。

鍋の水が沸騰する間に、冷蔵庫から出した人参や大根、鶏肉を包丁で切り刻んでいく。

鍋から湯気が立ち初めたので、それらを鍋に放り込んだ。

醤油を少量入れる。

後は、ひたすら煮込むだけだ。

そこまでやってから、食器棚から底の浅い皿を取り出した。

それを床に置くと、キャットフードの袋を開く。

ドライフードと呼ばれる、小さな粒状のそれを皿に盛る。

居間に戻り、部屋の隅に居る猫の前に持って来た皿を置いた。

喬一を見上げていた猫、トリコが慎重な身のこなしで皿に盛られているキャットフードに顔を近づけ、匂いを嗅いだ。

次の瞬間、口を開き食い始める。

硬い物が噛み砕かれる音が結構大きく部屋に響いた。

腹が減っていたらしく、夢中でフードを貪っているトリコから離れた。

ガスコンロの上、鍋の中ではシチューともスープだとも言える様な物が出来上がっていたので、それを食器棚から出した丼に移し、

今日の朝に炊飯器で炊いていた米を移した茶碗と共に台所に据え付けられているテーブルに置いた。

椅子に座り、箸を使って食いはじめる。

旺盛な食欲だ。

茶碗と丼の中身が空になるのに大した時間は掛からなかった。

満足の息を吐いた喬一が視線を居間に向けると、畳の上に置かれた皿が見えた。

こちらも食事は終わった様だ。

喬一は、椅子から立つと茶碗と丼や箸を流しーーシンクに置くと水に漬けてから居間に入ると、トリコの三毛の模様が居間の隅に居るのをちらりと確かめてから、空になっている皿を回収する。

今の状況では、トリコの好きにさせた方が良いらしいので下手に構わずに放っておく。

再び台所に戻ると、猫用になった皿もシンクで水に漬けた。

「後は風呂ーーー」

と、明日に繋げる為の準備をしなければとか考えた所で、仕事を辞めたのだと今更ながら思い出した。

苦く笑う。

明日は、役所に行って失業給付金や会社持ちだった保険の切り替えだとかの手続きをやらないといけない。

別の意味で、忙しくなりそうだった。


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