無職になったら猫が来た
@tutima
第1話 猫と会った。
信号が赤に変わった。
動きを停めた自動車の群れの中で、同じ様に自身の車のブレーキを踏んで停止
させると、横目で助手席を見た。
樹脂製、プラスチックの籠状のものがシートベルトを廻されて助手席のシートに留められていた。
「・・・・・」
少し前に起きた事を思い出す。
* * * * *
短い電子音のチャイムと共に、黄色い金属製のポールが上がった。
「……」
車の前進を遮っていた物が無くなったのを確認した吉村喬一は、左手でカメラとセンサーに翳していたICチップ入りの社員証兼入構証を、センサー脇に有る回収ボックスに放り込んだ。
シフトレバーを動かす。
踏んでいたクラッチペダルをゆっくりと放し、右足でアクセルを開く。
エンジンの唸りが大きくなり、喬一を乗せた小型の4輪駆動車は、会社の敷地から滑り出た。
周りが真っ白に見える程の強い日差しも、この時間になるとかなり和らいで いる。
そのまま暫く道沿いに走り2車線の県道に出ると、更にアクセルを踏み込む。
とはいっても、排気量の小さなエンジンなのでターボ付きでも、加速は知れて いる。
オフ•ロード用のギア比の為、忙しくシフトアップを繰り返して、夕方近くのそれなりに混んでいる3桁の県道に車を押込んだ。
カーラジオのスイッチを入れる。
ディスクジョッキーのおしゃべりを聴きながら、淡々と車を走らせる。
目の前に、方向指示器の操作も碌にしない、単に値段が高いだけの高級車が割り込んで来ても、軽くブレーキを踏むだけで無表情のままだ。
会社の駐車場から半分程開けたままの窓から入ってくる風が、喬一の短くカットされた髪をかき乱して行く。
「……」
毎日、同じ時間に起きて会社に行き、仕事を終えてネグラに帰る。
そんな日課の繰り返し。
だが、それも今日で終わりだ。
退職した。
簡単に言えば、仕事を辞めたという事だ。
辞めた理由は、まあ、極めて個人的な事情が原因だった。
で、辞意を会社というか、この場合は上司になるのだがーに告げると、あっさりと受け入れられた。
これまた簡単に退社の手続きである、いくつかの書類に日付やら名前を記入してから、私物を回収。
今日のこの時点で残っていた有給を消化していく事になった。
(ちなみに、使っていない有給は1ヶ月有った)
それで本日を以って退社、仕事はやらなくても良いと相成った訳だ……。
さて、と思う。
いつもは働いている時間だ。
どうしようかと考える。
このまま家に帰るのも、何だか違う様な気がする。
小さく唸ると、県道を外れてそれにつながっている支道に入る。
運河沿いのその道の左端で車を停めた。
近くに立っている自動販売機で飲み物を買う。赤いパッケージのストレート・ティ。コーヒーは好きでは無い。
そいつを手に持って運河の端まで歩く。
河は河口になり、海に続いていた。
足元に波が打ち寄せている運河の突端に着くと、喬一は紅茶を飲みながら目の前に広がっている海を眺める。
海の交通標識である金属製のブイが波に煽られて軋んだ音を発てていた。
「・・・・・」
喬一は、今日辞めた仕事だけに就いていただけでは無い。この前に別の仕事と場所で働いていた事が有った。
だが、その幾つかの勤め先は国単位の規模の不動産投資の失敗や、海外の株価の下落といった経済的な不況の影響を
モロに被ってしまい、経営の規模縮小や市場からの撤退という、雇い主の会社の都合によって何回か転職する羽目になってしまっていた。
それも数年の間を開けての周期的にだ。
その度に、短いがそれなりのキャリアや賃金の類いも全て最初からのやり直しになってしまっていた。
それでも、今の会社に拾われて結構長い間食っていけていたのだから、運が良い方だろうとは思うが流石にいい加減倦んで
きていた。
そういうことが積み重なっていたのに加え、今月の初めに馬鹿馬鹿しい程のトラブルに巻き込まれたのを機に、会社を辞したという訳だった。
まあ、速まったとは思うがいずれかはこうなっていただろう、と数時間前に起きた事を思い返していた喬一を、ポケットの中に突っ込んでいた携帯電話の着信音が現在の時間に引き戻した。
「……」
小さく唸って、折り畳んでいるそれを手に取った。
円型のサブデスプレイをちらりと見てから閉じている電話を開く。
通話ボタンを押して応えると、
『喬一か?』
いきなり名を呼ばれた。
「ああ。そうだ」
いつもの声。穣二だ。
自分では、ブローカーとか言っているが、ホントの所は喬一には判らない。
『この時間に電話に出るってコトは、この前言ってたアレなのか?』
「ああ、辞めた」
『じゃあ、今は時間が有るな」
その譲二の、質問とも確認ともとれる声に、
「現在は有休消化中だ」
『頼みがある』
「今からか?」
『出来たら。今何処にいる?』
「……いつもの所だ」
『判った。10分程で着く』
済まんが頼む。と付け加えられてから、通話が切れた。
発信音が流れ始めた電話のボタンを押し、待機画面になった電話を折り畳む。
午後と言っていい時間だが、日没迄にはまだ十分な時間が有る。
小さく息を吐いた喬一は、唇の端を上げた。
十分後。
運河の突端から戻った喬一の耳に、低い排気音が聞こえてきた。
濃い黒が混じった銀色、ガンメタの車体がそこに有った。
長いボンネットと、それに比べてドアから後ろが短い、ロングノーズ•ショートデッキの2人乗り、角ばったデザインの2シーターハッチバック。
フェアレディZ。
ドアが開いた。
「よう、喬一」
薄いブラウンのジャケットとパンツに、ノーネクタイの白いシャツと言った男が声を掛けてきた。
「こうして顔を合わすのは久しぶりだな。譲二」
「それも、こんな真っ昼間にな」
「そうだな」
独特な型をしているヘッドライト周りを見ながら呟いた喬一に、
「さっき言った通り、頼みが有る」
と譲二。
フェアレディの後ろに廻り、ハッチバックを開いて樹脂製の籠を取り出した。
「俺が世話になった人だったんだが、事情が有ってな」
足元に置かれたプラスチックの籠を見ながら譲二。
「・・・・・」
喬一も籠を見た。
幾つものスリットが付けられていて、天井にあたる部分が透明になっている。
それの「中身」が動いた。
金色の瞳と三角形の耳、長い尻尾に短い体毛で覆われた筋肉質の身体。
「おい、こいつは」
猫。
毛の色は白と茶色と黒。三毛猫だった。
「その人が、もう飼えないって事になって引き取り手を探してたんだ」
「頼みってのは、これか」
早い話、喬一に猫を飼って欲しいという話だった。
「そうだ」
簡潔に答えた譲二。
「・・・・・何で俺なんだ」
「深い意味は無い。ただ、お前が丁度いいって思った」
「・・・・・」
この男、譲二にはこういう所が有る。
しかも、それが外れでは無いのがそれなりに付き合いの長い喬一には
判っている。
「それに、今日から時間が取れる身体になったんだろ?」
「そりゃあ、その通りなんだが・・・・・」
それでも何とか断ろうとした喬一だったが、
「それと・・・・・」
少し言いにくそうに、
「このままでは、こいつは保健所送りだ」
「・・・・・処分されるってのか」
「そうだ」
「・・・・・」
目を逸らしたら、猫と目が合った。
「これ以上飼えない」となったら追い出されるのは人間だけでは無いらしい。
「・・・・・判った」
小さく息を吐いて応えた喬一に、
「名はトリコという。三毛だから3色でトリコロール。それから取ったらしい」
「・・・・・」
「・・・・・すまんが、宜しく頼む」
譲二が済まなそうでは無い声で言った。
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