ディア・ディストピア
「おかえり、ディス」
ただいま、と言う声はもう聞こえない。ディスはわたしがきれいに調えた戸棚の中に、彼女との他の思い出と共に、小瓶に入って飾られている。
彼女は昔から宇宙に出たがっていた。実際、地球で働いているわたしと違って、星間郵便局に入局した彼女は楽しげに宇宙を飛び回っていた。
残念ながらもう二度と宇宙の星のように飛び回ることはできない。ディスはわたしのものだ。
「大好きよ、ディス」
もちろん返事はない。生前からそうだ。わたしがこうして愛を紡いでも、いつも彼女は一瞬腹立たしげな顔をして冗談でしょと笑い飛ばした。
そばにいてくれるならそれでも良かったの。
宇宙船の性能は年々上がり、小型で高性能の宇宙船も個人で数年ローンを組めば買える程度に身近になった。ディスも高等教育課程の学校を卒業して星間郵便局に入局して数年で自家用船を買っていた。ディスが最期に乗っていた愛船だ。
今はもう跡形もない。性能は年々上がってはいるが、ごく稀に不慮の事故が起こる。たとえば燃料に異物だとか。
「あんなところに船を乗り付けてはダメよ」
悪戯されても文句は言えないわよ。パスワードも予測しやすいものにしてはいけないわ。気をつけてね、と冷たい瓶を撫でる。やはり返事はない。
わたしのたった一人の親友は宇宙に行ったきり、滅多に帰ってこなかった。星間配達員が忙しい仕事だというのは理解しているけれど、それを抜きにしても宇宙に出ている期間の方が長かった。通信も、そもそも繋がりにくいとしても、あえて出ないこともあるようだった。
彼女とは学生時代からの付き合いで、唯一の友人。無味乾燥な栄養食も彼女と食べれば祝日のごちそうより美味しく感じられた。わたしが他人と軋轢を生みそうになる度に間に入って仲裁するようなお節介で、どんなに困らせても離れることなく、かといって媚びてそばに侍っているというわけでもない。生まれて育つごとに肥大していたあらゆるものへの嫌悪感は、ディスが隣にいてくれるだけで和らいだ。
そんな彼女のわたしから離れようとする気配が、とても耐えられなかった。
嫌いな他人と人生を分け合って、この先ずっと隣に置くことになってでも貴女を呼び戻したかった。貴女がわたしのものになるならそれでよかった。
わたしの愛しのディストピア。
わたしは貴女がそばにいないと上手く生きられないの。
瓶の中の灰は何も語らない。
ぼくとわたしの幸福論 海野夏 @penguin_blue
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