最終話 「あはは、それが手口だったんだね」

 テーブルに置いていた瑛人のスマホが振動した。瑛人は間髪入れずに手に取った。

画面を見ると、ミユキの友人の四葉だった。

「あ。馬倉くん? メッセージ見たよ。ミユキね、さっきM駅で見たよ」

瑛人のマンションから電車で40分ほどの駅である。

「ていうか最初は別にミユキだとは思わなかったんだよね。喫煙ルームで客同士で揉めてんなーって思って。仲裁入った駅員さんもおじさんに殴られそうになってて。んで、よーく見たら巻き込まれてんのミユキでさ。ねーねー痴話喧嘩ァ?」

「ま、そんなようなモン。ほんとありがとう。また連絡する」

電話を切る。恭一が立ち上がりながら言った。

「M駅でしょ。高速で渋滞引っかからなかったら、ボクなら20分で行けるよぅ」

「頼む」


***


 M駅の構内は、土曜の午後の活気にあふれていた。


 「ミユキ!」

瑛人が叫んだ。


 電車に乗り込むところだったミユキが振り返る。瑛人を視認して、その顔が一瞬強張った。

「ミユキ」

何を言ったらいいのか。思いはあるのに、言葉にまとまらない。その隙に彼女はすっと目を伏せ、身を翻した。

「あ、おいっ!」


 どんっ。


 鈍い音がして、ミユキがよろめく。ぶつかった男が素早く手を伸ばし、ミユキの肩をがっしり捕まえた。

「っはー間に合ったぁ」

ミユキの肩を抱きながら、恭一が声をあげる。

「瑛人ぉ、キャッチしたぁ」

「お手柄」

「これで許してくれるぅ?」

「馬鹿」

恭一をいなすと、瑛人はミユキに向き直った。


 瑛人と目があったミユキの顔は、みるみる間にくしゃくしゃになった。深紅の手袋で顔を覆い、肩を震わせ泣き出す。

「つい、ついやっちゃったの」

「はぁ?」

「お金が沢山あるって分かったら、魔が差して」

「あのなぁ。お前は恭一まで騙してる。それに、荷物の段取りまでして、髪まで染めてる。……全然衝動的じゃないだろ」

ぷつ、と。電源が切れるようにミユキは泣くのをやめた。顔を上げる。笑っていた。

「でも、警察には行けないでしょ? あたしはもう全額使っちゃったし。で、あのカネを手に入れた過程、言えないじゃん。」

ミユキは、スマホの入ったポケットをとんとんと叩いた。

「べろんべろんに酔っぱらった瑛人が、賭けの内容の話してる音声。ちゃんと録音してあるよ」

言葉に詰まる瑛人の横で、恭一が「うーわやべー女」と呟いた。


***


 「ミユキ、とにかく――」

ミユキは笑う。

「あのさ。そもそもあたしはミユキって名前ですらない」

「えっ?」

「あなた達が好きだったミユキって女は、そもそもこの世に存在しない。本当の名前なんて、もう忘れたかな」


 嘘をつきなれている。いや、嘘をつくことが常態化している。そんな性質が、その”女”の口ぶりから見て取れた。


「まーでも今回ミスったのはちょっと萎えるけど」

瑛人は思わずあっけにとられる。

「ミス?」

「そう。シンプルにしくじったって事」

「それだけなのかよ」

恭一の咎める言葉に、ミユキはこれ以上ない愚問をぶつけられたかのように、眉を吊り上げた。

「それ以上に何がある? 職場で『やっちゃったな』ってミスをしたとして、それをなんて呼ぶ? 人生における最大級の間違い? いやいや。ああミスしちゃった、だから次からは同じように間違わないようにしよう。そう思うだけでしょ」


 瑛人は、ミユキを見つめた。

「それだけなんだな、おまえの中では」

「そうだよ」

「……わかった」


 わかった。

その言葉は嘘でもけん制でもなく、瑛人の中で一種のケリがついた音だった。これからうんざりするほど待ち受ける幾つものケリの関門、その一つをくぐり抜けた心地だった。


 瑛人は、恭一に言った。

「恭一、警察に行こう」

「え、やだボク先輩達に怒られるの怖いよぅ」

首を振る恭一を、

「腹括るぞ」

瑛人は手で制し黙らせた。他方、ミユキは小ばかにしたように首をかしげた。

「いいの? お金を取り戻すどころじゃなくなるよ?」

「……いいんだよ。こんなこと、ミスで終わらせるかよ」

憎悪をこめてミユキを睨みつける。ミユキは目を伏せ、「こわーい」と笑った。


***


 灰色の歩道の上に、カサカサと黄色い落ち葉が転がっている。頬を刺す風が妙に冷たく感じる。


 警察署へ歩む途中。決して彼女が逃げないように、瑛人は彼女の手を堅く握った。

「なんか、恋人繋ぎって久しぶりじゃない?」

ミユキの軽率な声色に、彼女の背後を歩く恭一が言った。

「もーボクたちこれ以上騙されないんだからねっ」


 道路沿いに、いつもの公園から見ていたビルの大型のモニターが見える。それを見て、ふと瑛人は言った。

「もっと他にもいるんだな、浮気相手」

ミユキは口の端をあげて笑う。

「どうしてそう思うの?」

「たまに、ミユキの心が遠い所にあるなって思う時があった」

「あら、詩的」

ミユキの言葉には冷ややかな嘲笑が滲んでいる。瑛人は一瞬ムッとしたが、今はこういう表現以外に、思っていることを伝える手段が見つからなかった。

「とにかく直感でそう思う瞬間があった。恭一と浮気してるって聞いたとき、ああそういうことかって思ったけど」

「けど?」

「なんか、お前からの恭一への態度見てて、ちょっと違う気もした。だから、つまり――」


 ――上の空のミユキ。

 熱心にスマホを見つめる、彼女の横顔。上の空。半開きの唇。遠い空の向こうにある理想の国を追いかけているような瞳。


 不思議と、するり、と言葉が出た。

「本命は俺でも恭一でもない、別にいるんじゃないか、って」

ミユキは一瞬呆気にとられたように口をポカンと開け。

「あっはは、そういう勘をもっとギャンブルで活かせたらよかったのにね」

「余計なんだよ」


 その時だった。

 大型モニターで流れていたニュース番組から「ガサッ」とノイズが聞こえた。

 平穏だった番組の画面と音声がやや慌ただしくなる。女性のアナウンサーが一度二度頷き、画面に向き直った。

「では、中継です」

アナウンサーは言った。

「詐欺グループを主導していたとされる女性が逮捕されました」


 画面が切り替わる。

 警察に囲まれ、ビルから出てくる女が映っている。


 「え?」

ミユキが、とぼけた声をあげる。


 アナウンサーは淡々と伝える。

「逮捕された玉野 美幸たまの みゆきという女性は、会社の同僚や友人たち相手に、『共に夢をかなえよう。絶対に成功する事業を興そう』とそそのかし、その為の初期投資だとして数百万円から数千万円の金をだまし取っていた疑いが」


「ミユキ?」

 繋いでいるミユキの手から、彼女の全身が震えているのを感じた。


 アナウンサーが続けた。

「こちらは、被害にあった方が録画していた映像です」

『アタシね、あの女にすっかり騙されたの』と話しているのは、三十代ぐらいの女性だった。その女性はインタビュアーにスマホを見せる。スマホには、先程警察に連れられていた女――玉野 美幸が映っていた。


  ゆったりと微笑みながら、スマホ映像の中の玉野 美幸は言った。

『星が私たちをめぐり合わせてくれたんだと思う。私と出会ってくれて、ありがとう。一緒に夢をかなえようね』


 突如、身を引き裂かれたような声をあげ、ミユキの身体は地面に崩れる。

「お、おい」

痙攣しているようにさえ見えるミユキを放っておけず、瑛人は咄嗟に抱き起した。その身体は冷えきっている。


 『こうやってまた出会えたのも、運命の星のおかげだもの』


 天から降り注ぐ声を仰ぎ、ミユキが顔をあげる。


 その口元が、ひくりと震える。つり上がる。声にならない声が、吐息になって漏れる。

 片頬の引きつった泣き顔。


  笑っているように見えた。



   < 完 >

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あはは、それが手口だったんだね。 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo

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