長崎2

場所そのものはまだ存在するのに、既に行けなくなってしまった都市はたくさんある。例えばベトナムのサイゴンや旧ソ連のスターリングラードは、現在名前を変えて、街そのものは存在するが、戦前や冷戦という時代の空気感を含めて既に喪失した街といってもいい。あるいは日本の東京でさえ、高度成長期を前後に街の様子が一変したという意味では、それ以前の様子は喪失したと言えるかもしれない。逆に、変わらぬ様子を保ち続けている街というのも存在する。有名どころでは京都やプラハ歴史保存地区などが挙げられるだろう。しかし街は人が生活を営む場所である以上、完全に様子が変わらないという街は存在しないのではないか。人の生活が時代に合わせて変わっていくように、街も人と同じく姿形が変わっていくのが普通なのかもしれない。街は人がいる限り生き続けることができる。つまりここは既に死んだ街だと思わせたのは、軍艦島として有名な端島で歩いている時だった。


友人たちと軍艦島ツアーに行くことにしたのは、いつまでも行けるわけではないという話を耳にしたからだが、その時は特段それ以上に長崎で行きたい場所があったわけではないからだ。長崎の乗船場から船に乗り1時間ほどたった頃だったか、徐々に目的とする端島が近づいてきた。確かに島の中央が盛り上がりその付近にある建物が軍艦の艦橋に見えなくもない。遠くからみれば軍艦にも見えただろう。そんなありきたりな感想を忘れるような驚きは島に上陸してからだった。それは人が去り、自然に飲み込まれようとしつつある街の死に際のような姿があったからだ。爆撃でも受けたかのようにあちこちに散乱するコンクリートやレンガなどの瓦礫。そんな外壁が崩れた建物から見える蜘蛛の足のように細く錆び付いている鉄筋。40年人が住まないだけで街はここまで自然に還っていくのかと思わされた。沖合にあり、風や波も遮るものがなく、そのせいでツアーが上陸できないこともしばしばあるのだが、そのために建物の風化は加速度的に起きているらしい。あるいはこの街もかつての多くの日本人と同じように国家や時代に奉仕した残酷な末路だとも言えなくもない。存在自体は江戸時代からあっても、日本が近代化や軍国主義化、そして戦後の復興と高度成長に全力で応えたにも関わらず、石油にエネルギー源を変えられるとこの島で取れる石炭と同じようにあっさりと捨てられて街そのものごと歴史の表舞台から変えようとしている。そんな街の死に体と鮮やかな空と海の青さがこの世界の残酷さと無情さを表しているような気がしてならなかった。

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旅・映画・本 @sansyang

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