第35話 秋風に吹かれて

 あの夜から数日が過ぎた。俺たちは日常を取り戻して、普段通りの日々を過ごしていた。結局あの晩で起きた出来事は、まるで何事もないように跡を残していなかった。

 水没していたはずの一階にはそんな記憶もなく、教室があった生徒達はこれといった騒ぎもなく授業を受けていた。二階も窓や戸が全て外れてしまったというのに、そんな事がなかったかのようにあるべき場所に立てかけられていた。気になって調べたガイコツや人体模型も、どちらも理科室と保健室で鎮座していた。試しに触ってみたりしたが、やはり無機質なプラスチックの感触だけで、そこに人肌のぬくもりや手触りはなかった。屋上へ続く鍵も施錠されていて、試しに誰かあの晩鍵を開けたのか尋ねる。でももうあの屋上の鍵は、何十年と開けられていないと教えられた。どうしてもとねだり開けてもらえる事になったが、あまりにもさび付いていて鍵が上手く入らなかった程だ。それで屋上のドアが取り替えられることになったが、それはしばらく後になるとの事。でも俺は、屋上へ入るつもりはない。ただ、確認したかっただけだったからな。

 もう一つ気になったのが、図書準備室にあった、葉子の自殺の切り抜きがあった本だ。司書さんに承諾を貰い、調べてみたが切り抜きはあった。あの本自体はあっても、そこにのりで切り抜きを隠されたという痕跡すらない。その代わりに、司書さんからこんな話を聞かせてもらった。

 昔この学校で司書をやっていた人が、ある告発を計画していたそうな。その際、葉子の自殺に関しても取り上げるつもりだったという。しかしその計画は、学校側からの賄賂を貰って収束したそうだ。告発を計画した職員は、その一年以内に全員が転勤となり、告発の話を知っているのは、古株の職員だけだったという。ちなみにその人は今年で還暦となり、引退するという。俺はその人を知っていたが、直接話した事はない。

 こうしてすべてが終わり、少しずつあの晩の出来事がかすれていった。やがてテストを迎えて、それも無事終了。そんな試験休みの日に、俺は秋希とおばさんと共に、墓を訪れていた。おばさんはあの晩からすぐに、すっかりと元気になっていったという。今では仕事を再開したそうだ。

 墓石には『花菱家』と書かれており、横に書かれていた名前の中には『花菱葉子』とも記されていた。俺たちは墓石を水できれいに洗い、花やお茶を沿えて、線香を立ててお祈りをした。葉子にとっては不本意だろう。関わりたくない両親と一緒の墓にいるのだから。けどどうか、死後は家族の愛情を感じ取れるように、とただ願う。

 この墓は、葉子の親戚の中でも、葉子達側の人たちが建ててくれたらしい。もっともその人はかなりの遠縁で、葉子と両親がどういう間柄なのかを知らなかったのだろう。だから一緒の墓に遺骨を入れてしまったとか。その話はついさっき帰ってしまった、当の本人から話を聞いた。俺たちが葉子から聞いた話をしてあげると、その人も後悔していた。それから近いうちに、別の墓へ移してあげよう、と動いてくれるそうだ。

 俺と秋希がお参りを終えて、最後におばさんがじっと手を合わせて、お辞儀をしたままでいた。あの時に二人だけでいっぱい話しただろうに。それでも、話したい事は山ほどあったんだろうな。けどその時、おばさんは心肺停止状態だった。葉子もそれを知っていたから、早く返してあげたんだろうか。

 ほどなくして、おばさんが手を離す。膝立ちになったまま、俺たちに声をかけた。


「二人とも。巻き込んで本当にごめんなさい」


 おばさんはあの時、葉子に会った記憶を覚えているそうだ。だからどんな話をしたのかも鮮明に覚えているという。


「ううん。いいよお母さん」


 あの夜の出来事は、既にいい思い出へと変わっていた。もう一度体験したいとは思わないが。


「本当ならわたしが葉子ちゃんと話をするべきだった。なのに大事な娘や、お友達を巻き込んでしまって……」

「けど、そのお陰で良くなったこともあるんだから」


 坂橋と杏子の仲直りだとか、俺たちが正式に付き合い始めた事。だが一番は、おばさんの表情がいつも以上に豊かになった点だろう。まさに憑き物が取れたように、毎日さわやかな表情を見せるようになった。


「ところで、具合はどうなんですか」


 これ以上責める話を続けても、意味はないだろう。俺は話を変えるように尋ねる。


「もう大丈夫。心配してくれてありがとう」

「いえ、おばさんが辛そうにしてると、秋希も辛そうですから」

「そうだね。母親なんだからしっかりしないと」


 おばさんはこちらを向いて、口元をほころばせる。


「結局、お母さんが体調崩すのって何が原因だったの?」


 秋希もどうやら、その事が気になっていたようだ。俺も丁度聞こうと思ってたし、いいタイミングだ。


「それは……分からない」けど帰ってきた答えは、あまりいいものではなかった。「葉子ちゃんがわたしに呪いをかけた、とも考えられるけど。でもわたしも、葉子ちゃんの死がずっと心残りで……きっとそれが尾を引いて、知らず知らずのうちに思いつめてしまったのかも」


 あるいは季節の変わり目のせい、とも考えられるが。けどどっちにしたって、今後はもうあの時期に体調を崩す事はないだろう。何となくだが、そう確信できる。


「でももう大丈夫だよ」秋希はしゃがみ、おばさんの背中をさする。「葉子さんと仲直りできたんだし、それにまだ辛い事があったら、私にも話して。きっと力になれるから」

「……ありがとう、秋希」


 おばさんは瞼を指で拭う。秋希は頷いて答えると、おばさんの背中から手を離す。


「そういえばもう一つ気になってたんだけど……」

「どうかしたの?」

「私の名前って、もしかして……」


 するとおばさんはくすくすと笑いながら、涙をぬぐう。


「そう。でも結局、わたしのわがままみたいなものだもの。むしろあなたに重荷を背負わせてしまったような……」

「そんなことないよ。それに私、この名前すごく気に入ってるから」


 『秋』の『希み』と書いて『秋希』。おばさんが経験した事を考えると、娘についそんな名前を付けたくなるのも分かる。何よりその名前も、本人はとても気に入っている様子だった。

 少したって、俺たちは墓参りの片づけを行う。古くてしおれた花や炭になった線香の入ったゴミ袋を捨てて、借りた水桶を軽く洗い元の場所に戻す。おばさんとはそこで別れた。最後に挨拶をした時、おばさんは輝きに満ち溢れた笑みを見せてくれた。その姿はまさに、娘である秋希にそっくりだった。改めて、親子だなって、思える。ウチの親も、あんなだったらな、何て実現しない希望を抱きながら。

 一方で俺たちは、ある場所へと向かう。実は同じ日に別の約束をしていたからだ。あの晩共に死線を潜り抜けた奴らと、打ち上げをするために。

 この打ち上げは、テストが無事に終わった事も祝うものでもあった。いろんなことがあっても、どうにか突破で来た。その祝いでもある。

 待ち合わせ場所に着く間、俺は秋希と他愛のない世間話を続ける。内容は恋仲となった後でも、何一つ変わらなかった。家で起きた出来事だとか、学校の噂話。そうして話を聞いていると、改めて日常がもどって来たんだと実感する。

 やがて待ち合わせ場所にたどり着くと、既に全員集まっている様子だった。一人として賭ける事無く、その場にいる。俺は何気ない当たり前の光景が、何だか嬉しくなってしまった。


「秋希ちゃん! トオルくん!」


 涼野が両手を振る。傍らのベンチでは、小暮が口を開けながら爆睡していた。俺たちはそれに応えるよう、手を振る。傍まで来ると、改めてあいさつをした。


「お墓参り、終わったんだね」

「うん、ちゃんと挨拶してきたよ」


 秋希は涼野に笑顔を見せる。すると杏子も入って来た。


「ちょっと、来んの遅すぎだって」


 どうやら結構待たせてしまったようだ。と腕時計を見たが、約束の時間よりも少し早いって時間だった。


「えっ、そう?」

「ま、まあわたし達がちょっと早すぎただけだよ」


 涼野は困った表情を浮かべる。


「そーだけど、普段なら秋希もトオルも、もっと早く来てるっしょ」

「あー、確かに」


 言われて見りゃ、俺も秋希もこういった約束事には必ず最初に到着していたな。別に深い理由はないが、俺の場合は遅刻するといろいろ迷惑をかけるのが嫌だから、だけどな。秋希もたぶん同じなんだろうが。


「……あぁ……? もうみんな集まったのか……」


 話し声に気がついて、小暮が大きな欠伸をしながら背伸びをする。秋希はその姿を見ると、微笑みながら涼野の方へ顔を向けた。


「コトちゃんたちも、昨夜はたくさん楽しんだみたいだね」

「そりゃもう!」涼野はこれ以上ないくらいに目を輝かせていた。「でも小暮君ったら、一本目からもうぎゃーぎゃーうるさくて。ホント大変だったよぉ」


 よく見ると、涼野も小暮も目元に隈が出来ていた。どうやら約束通り、夜通しでホラー映画を一緒に見ていたんだろう。


「ふざけんなって……。あんなのフツー起きるかっての、常識的に考えて」

「へー。わたし達だって、常識外の出来事に苛まれたのに……」

「あ、あれは別だろ。ちくしょう、マジで眠すぎる……」


 小暮はがくりと首を垂れる。一方で涼野もほぼ徹夜をしていただろうに、随分と元気だった。


「じゃあ眠気覚ましに、もう一杯行く?」

「やめろもう。胃がキリキリしてんだよ」


 涼野は手でコップを持つような形をする。どうやらこいつら、コーヒーをがぶ飲みして無理やり眠気を誤魔化そうとしているのだろう。ったく、いくら試験が終わったからって、随分気が抜けてんな。ちゃんと寝とけよ。


「なあここでだべってんのもいいけどよ」ふとそこへ、最後の一人が声をかけてくる。「オレそろそろ腹減ったんだけど。早く食いにいこーぜ」


 坂橋だった。この男は俺達の中で、最も赤点の危機に迫られていた。だがしかし、秋希や俺たちの尽力により、ギリギリ赤点を免れ試験を突破。おかげで今日の約束に無事堪えられたんだよな。それに、手伝ってくれたお礼に昼飯を全部奢ってくれるって言うし。


「よく言うよ。あんた、皆の分オゴリだって分かってんでしょーね?」

「金ならちゃんと持って来たって……くそっ」坂橋は財布の入っているだろうポケットを軽く叩く。「本当ならジャケット買うつもりだったのによ」

「だったらちゃんと勉強しときなって、今度から」


 杏子はまだ真面目だったころの癖か、普段はちゃんと勉強しているという。ただ今回は坂橋との件もあり、補習も覚悟していたそうだ。しかし腐っても元真面目。こっちは何も言わずともすらすらと試験対策を進めていってくれていった。坂橋も杏子くらい出来ればいいんだけどな、なんて思ったりもしている。


「わーってるよ。ほら、さっさと飯行こうぜって」

「うん、そうだね」


 秋希が頷くと、それぞれベンチから立ち上がる。小暮だけは、涼野に引っ張られる形だったが。全員が準備を整えて、俺たちは昼食を食べるために街を歩きだす。

 頬に冷たい風が流れる。虫の声もなくなり、ぽつぽつと立つ木々は紅葉を見せていた。夏のうだるような暑さは完全になくなり、季節は秋の景色を見せている。街を行き交う人々も、厚手の長袖を着て寒さをしのでいる様子だ。空気もからっとしていて、深く吸うと喉にひんやりと通る。

 再び秋風が吹く。今度は少し強めで、体の中に冷たさが走る。


「うー、さむっ」隣を歩いていた秋希が、身を震わせて縮こまる。「もう少し厚手のを着て来ればよかったかも」


 寒さをごまかすように、腕をさすっていた。一方で俺は丁度暑さを覚え始めた頃で、さっきの風が丁度涼しく感じるくらいに体が温まっている。ウォーキングのお陰だろう。なので上着を脱いだ、はいいが、手に持っているとかさばって邪魔だ。おっと、どうやら秋希がさむがっているぞ。せっかくだし渡してやるか。そう思い、上着を優しく秋希の肩にかけてやった。


「トオル……」


 気がついて、秋希はこちらを見つめる。


「歩いてたら体が温まってきてさ」


 なんていうのは全部冗談だ。俺だって肌寒い気はするし、上着を脱いだせいで一層冷えてしまう。でも秋希は俺の上着のぬくもりを頬で感じて、微笑みながら顔をうずめる。それから十分温まっただろうからか、こちらに笑顔でふり向く。


「ありがとね、トオル」


 秋の太陽よりもまぶしく感じるそのほほえみに、俺はつい照れて顔をそむけてしまった。

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秋雨学園の怪談 にしわき @nishiwaki31213202

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