レッドばばあ
平川はっか
レッドばばあ
レッドばばあといえば、この町ではちょっとした有名人だ。
赤い帽子、赤いサングラス、赤いコート、赤いパンツ、赤い靴。頭のてっぺんからつま先まで全身赤づくめ。百メートル先でもすぐにわかる。高校生の私が幼稚園児だった頃からいる。母に聞いたら、母が結婚してこの町に越してきた時からいると言っていた。
葬式も赤い服で参列していたとか、ものすごい資産家で不老不死の薬を作らせ、実は百歳を超えているとか、サングラスを掛けているのは赤い瞳を隠すためで、その目を見た者は全身が真っ赤になるとか、学校では様々なうわさが流れていた。
一つわかっているのは、レッドばばあは買い物好きだ。よく両手にデパートの手提げ袋をいくつもぶら下げているのを見かける。
デパートの婦人服フロアで働いている母によると、レッドばばあはどんなに奇抜な柄や形でも赤ければ買っていくらしい。それも試着せず、サイズ違いもすべて。
それだけだと金払いの良い客に思えるが、気難しい面もあるらしく、この前は新作のニットに赤色がなかったことに腹を立て、百貨店の偉い人が直接出向くほどの騒動に発展したそうだ。
「そんなのこっちに言われてもね。私たちは売るだけで、作ってるわけじゃないんだからさ」
夕飯のときに母がぼやいた。
「そういう迷惑なお客さんだったら出禁にしちゃえばいいのに」
「できないのよ。超がつくお得意様だもん。ちょっとくらい問題があっても手放したくないのよ、上は」
ふうん、と相槌を打つ。数あるレッドばばあのうわさの中でも、資産家というのは本当かもしれない。
「あんたもバイト中、気をつけなさいよ。もし遭遇したら、下手に刺激しないで言うこと聞いときなさい」
私のバイト先は本屋で、仕事中レッドばばあを見たことは一度もない。仮に私が休みの日に来ていたとしても、スタッフの中で絶対に話題になるはずだ。が、今のところそういった話は聞いたこともなかった。
私は「いやないでしょ」と笑って流した。
翌日の夕方、レジで作業していると「ねえ、ちょっと」と声をかけられた。低くしゃがれた声だった。はい、と顔を上げた瞬間、思わず息をのんだ。
そこに立っていたのはあのレッドばばあだった。深紅のコートに身を包み、けだるそうにカウンターに肘をついている。こんなに間近で見るのは初めてだ。深い皺が刻まれた顔は砂漠みたいにかさついているのに、真っ赤なルージュをひいた唇がぬらぬらと怪しく光っている。
「いかがなさいましたか」
「アタシね、赤い本を探してるんだけど。何かないかしら。赤い本」
本を探してほしいと頼まれることは多々あるが、こんな依頼は初めてだった。こういう時に限って店長は休憩中。きっと店の裏でたばこを吸っているにちがいない。
「赤い本ですか。ええっと……」
「早くしてちょうだい」
慌ててカウンターから出て、棚から数冊抜き出す。『配色アイデア帖』や『色の基本』、『色辞典』など、色に関する書籍だ。
レッドばばあは赤いサングラスを外してそれらを見ると「ちがう」と一蹴した。すみませんと謝り、今度は『絶景の紅葉スポット』と『世界の夕焼け』を持っていったが、これも突き返された。
「アタシが探してるのは、赤い本。あ、か、い、ほ、ん」
静かな店内にばばあのしゃがれ声はよく響く。周りのお客さんの視線が痛い。脇に汗がにじむ。
ばばあは「アナタ新人さん?」と私を睨めつけ、人差し指でカウンターをこつこつ叩く。その指には、世が世なら手首ごと切り落とされて持っていかれそうなくらい立派なルビーの指輪が何本もはまっていて、動くたびチカチカと照明に反射して私の目を刺した。
「もういいわ。ただ本を買うだけでこんなに待たされるなんて思わなかった」
ばばあが立ち去りかけたそのとき、「お客様、お待ちください」と声がした。このタバコの臭い。振り返らなくてもわかる。店長だ。
突然現れた店長は手に持っていた一冊の本を差し出した。表紙から背表紙まで目に痛いくらいの赤いそれは、大学入学過去問題集、通称「赤本」である。
いやいや店長、さすがにこれは怒るんじゃないの。恐る恐るばばあを見ると、
「そうそうこういうの。なんだ、あるんじゃない」
さっきの険悪なムードがうそのように明るい顔だ。
「ほかにもあるのでお持ちします」
ばばあには営業スマイルを、わたしには無表情を向ける店長。「じゃ、適当に持ってきて」と耳打ちされ、参考書売り場へ急いだ。
振り返ると店長がウインクしたので、小さく親指を立てる。さすがレッドばばあ。赤けりゃなんでもいいんだな。
ばばあはなんと十冊も赤本を購入した。しかし持って帰れないので、家に送ることになった。配送の手続きをしながら、ふと、ばばあの目、ふつうに黒かったな、と思い出した。
レッドばばあ 平川はっか @1ch-bs
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