拝啓、セント ニコラウス様

伊崎 夕風

拝啓、セントニコラウス様


1 いちごの柄の給食袋


「ごちそうさまでした!」


「はいな。よお食べたな。えらいで琴音」


 隣に座っていたおばあちゃんに頭をなでられて私はふふーん、と上機嫌になる。うちのおばあちゃんの作る和食は最高だ。なんたってプロだから。朝ごはんにおばあちゃん特製の出し巻きが出てるとめちゃくちゃうれしい。私がダイニングに顔を見せたら焼いてくれる。その横で私はごはんとお味噌汁をよそってだし巻きが出てくるのを待つ。お魚や目玉焼きの時もあるけど。

 だし巻きの日は朝からご機嫌だ。おばあちゃんの店の卵が賞味期限ギリギリになると朝ごはんに出現するのだ。店の冷蔵庫の卵の期限をひそかにチェックしていることはわたしだけの秘密だ。そろそろだし巻きの日かな?と昨日から予想してたので、うれしくて仕方なかった。


「給食袋と水筒はそこに用意しといたからな」


 ランドセルを取りに行こうと、リビングから自分の部屋へ入ろうとして、おばあちゃんの声が追いかけてきた。


 私はリビングの机の上に置いてある水色の水筒と、イチゴの柄の給食袋を振り返る。小学校へ持っていくようにと、亡くなったママが生きているうちに縫ってくれたその給食袋は、少しくたびれて色あせている。そこから目をそらそうとした時、その横で新聞を読んでいたパパと目が合った。


「遅れるぞ?」


 パパは目の下に隈ができていた。また眠れなかったのかな。


「パパは今日は遅番?」


「ああ」


「じゃあ再来週のクリスマス会も遅番じゃない?」


 私はリビングのテレビの横にあるカレンダーを見て言った。パパのお仕事は、だいたい早番と遅番が毎週交互にやってくるのだ。教会のクリスマス会の日は私やりなちゃんが合唱に参加する。


「休みは取ってるよ、ちゃんと行くから」


「うん、楽しみにしててね!」


 私はわざと元気な声で言った。パパは少し笑って頷いた。


 自室の机の上にあるランドセルの中身を確かめる。


 筆箱と教科書とノート、連絡帳。図工に使うボンド。


 机の上に飾ってある、パパとママと私の写真に目をやる。私と同じくせっ毛の髪を高くお団子に結って、丸顔のママ。顔は私とは似てない。私はおばあちゃんに似てるってよく言われる。


 ママが死んでしまったのは私が幼稚園の頃だった。今小学校2年生だからもう四年前だ。私が覚えてる記憶ってほんの少しで、ママと手を繋いで幼稚園から帰ったことだったり、ママが働いてたお洋服を直すお店におばあちゃんと会いに行ったこと、あの色褪せた給食袋を作っていた後姿。


 ぎゅうって抱きしめられたら、柔らかくていい匂いがして、私の髪を撫でる手がとても優しかったこと。


 写真を見ると思い出すけど、記憶の中のママは顔がはっきり見えない。忘れたくないのに。


 私はランドセルをもってリビングに戻った。おばあちゃんは洗い物をしていて、パパは飲んでたコーヒーのカップを流しに持って行くところだった。私は机の上の給食袋を手に取ると、2人にバレないように小さくため息をついて、それをランドセルにしまった。




 ***



 私は地元の小学校、双葉南小学校に通っている。2年1組の8番だ。

 昇降口で上履きに履き替えていると、同じクラスのりなちゃんのキーホルダーの音がした。振り返ると、りなちゃんはいつもと違うマフラーをしていた。その赤はりなちゃんのベージュの上着や、サラサラのボブカットともよく似合っている。


「おはようことちゃん!」


「りなちゃんおはよう!そのマフラーすごく可愛いね」


 私は上履きの爪先をトントンしながら言った。


「いいでしょ?お気に入り!ママが選んでくれたんだ。前のはもう古いからって」


 私の胸の端っこがチクッとした。トントンしていた足がゆっくり止まった。


「そうなんだ。りなちゃんのママ、センスいいもんね」


「デパートで一目惚れしたんだって。私に絶対似合うって思って、そっこーで買ったって言ってた」


 そっこー、っていうのは、りなちゃんのお母さんの口癖だ。そう言ってるりなちゃんのママの顔が想像出来て、ちょっとだけ笑えた。まだ若くて髪を明るい色に染めていて、スタイルが良くてお姉さんみたいなママだ。


「私も新しいの欲しいなー。おばあちゃんにお願いしよっかなぁ」


 私はさっき胸がチクッとした事を忘れようと、わざと嬉しそうに言った。


「ママがマロンのセールが始まるって言ってたよ」


「そうなんだ」


 マロンはこの辺でいちばん大きなショッピングモールだ。おばあちゃんは足が悪いから長く歩けなくて、お父さんとは何度か行ったことあるけど、どんなお店がどこにあるのかよく分からずに歩きくたびれてしまう。文房具を見てクレープだけ食べて帰ってくる、というのが大体のパターンだ。お洋服はおばあちゃんが隣町のスーパーで買ってきてくれる。今してる三毛猫柄のネックウォーマーもそうだ。



 私の周りの友達のママは若い人が多くて、どこのお店に行っただとか聞くと、羨ましくなる。


 私のママが生きててくれたらなって、思った事は1度や2度では無い。つまりママと女同士で買い物に行くのが羨ましいのだ。


 教室に入るとりなちゃんはほかの友達にもマフラーを褒められて、嬉しそうにしてた。私は自分の席に着くと、ランドセルをおろし、横のフックから給食袋を外して机の横のフックにかけた。色あせた赤のチェックと白地にいちごの柄の給食袋。キラキラが着いていたピンクの紐は毛羽立っている。


『そろそろ別のを下ろそうか』


 先日おばあちゃんが言っていた事を思い出すと、憂鬱な気持ちになる。


 ママは病気が治らないとわかった時、私が小学校に上がったら使う給食袋や上履き入れをミシンで作ってくれたらしい。体操着入れは長く使えるようにってシンプルなデザインだけど、給食袋は5枚も縫ったらしく、まだ下ろしてない物が2枚ある。


 それが全部いちごの柄。


 私が小さい頃から大のいちご好きだからなんだそう。でもそのデザインはなんというか子供っぽくて、みんなが持ってるようなキャラクターの素敵なデザインと比べると少し野暮ったかった。


 1年生の時は私の給食袋を可愛いと言ってくれたりなちゃんも、三枚目を下ろした時は、いちご好きなんだねって言っただけで、可愛いとは言ってくれなかった。


 私にも好きなキャラクターがあって、丸っこいペンギンのウォーターツムっていう。ブルーのデザインのグッズが沢山出ていて、消しゴムや鉛筆はそれで揃えたりしてる。筆箱は1年生の時買ってもらった箱型のパタパタするやつなんだけど、そろそろみんなそれを卒業して、カンペンケースやポーチみたいな筆箱を使っている。いつかおばあちゃんにそういうのが欲しいと言ったら、


「まだ今のが使えるのに勿体ないよ」


 そう言って反対された。


 昔の人だし、大阪の人だから「始末しぃ」なんだってパパが言ってた。


「使えるものは使わないと勿体ないからね」


 それがおばあちゃんの口癖だ。だからきっとまだ使ってない給食袋があるのに、別の新しいのが欲しいって言ってもきっと反対されると思うし、何よりもママが作ってくれたものだから、使いたくないって言ったらパパが悲しむと思う。


 パパはママが亡くなってから、しばらくは仕事にも頑張って行ってたけど、半年ほどした頃、元気がなくなって朝起きてこなくなった。しばらくして病院に付き添ったおばあちゃんが心の病気なのだと言った。ママがいなくなって悲しすぎてそうなったんだって。


 うちのパパとママはほんとに仲が良かったからなぁ。


 で、その頃、私とパパはおばあちゃんの家に引っ越して来た。お惣菜と小料理のお店をやってるおばあちゃんの家は、おじいちゃんとパパと3人で2階に住んでた頃のままだった。パパはその家に戻ってから少しづつ元気になったけど、ママが亡くなった秋になると、毎年調子が出ないみたいだ。電気工事の仕事先は、おばあちゃんの知り合いがいるので、その時期だけは多少考慮してくれるようだった。


 私がどれだけ頑張って明るく振舞っても、パパが時々元気がなくて落ち込んでいるのは変わらなかった。だから、ウォーターツムの給食袋が欲しいことは、どうしても言い出せなかった。



 その日の放課後、りなちゃんと別れて歩き出そうとして、りなちゃんの後ろ姿を振り返った。赤いマフラーとベージュの上着、キャメルのランドセル。黒いフリルのスカート。全部りなちゃんのママがデパートやショッピングモールで選んだものだ。


 私はえんじ色のコーディュロイの膝丈のスカートにグレーのダッフルコート。三毛猫柄のネックウォーマー。おばあちゃんが一生懸命選んでくれたものだ。嫌いじゃないけど、やっぱりママが見立ててくれる、りなちゃんが羨ましい。


 私は誰にも見られていないから、大きなため息をついて、自分の家のある駅前の方へと歩き出した。



2 遠い日の手紙



 宿題をやっつけようとプリントを広げて唸る。


「自分の小さな頃の写真を用意しましょう」


 その下に星マークがついてて、出来ればお父さんやお母さんの子供の頃の写真も一緒に見てみましょう、とある。


 私は階段をおりて、のれんの隙間から、カウンターの中で仕事してるおばあちゃんに声をかけた。


「おばあちゃん、お父さんの子供の頃の写真ってどこにある?」


「そんなもん、どうすんの?」


「宿題に使うの、ねえどこ?」


「テレビ台の隣の棚の開き戸の所にあるで。見たら直しといてな」


「はーい」


 私はまた2階へ上がるとテレビ台の隣の棚の扉を開ける。


「あったあった」


 深い赤の分厚い表紙のアルバムが出てきて、パパの赤ちゃんの頃の写真が並んでいた。最後のページは2歳くらい。番号がシールで貼ってあったので、3冊目に飛んでみた。


 3冊目は写真屋さんで貰ったような透明のポケットに差し込むタイプ。


 直人7歳、入学式だ。この頃はまだこの1階に店のある家ではなく、おじいちゃんの赴任先に転々と住んでいたらしい。


 小学校に上がる年に住んだ街がいちばん長かったと聞いたことがあるから、その街で撮った写真かもしれない。


 ページをくっていくと、直人8歳。


「あったあった」


 その頃は1人だけで写ってるものは少なくて、一緒に写ってるのは、髪や肌や目がちょっと色素の薄い感じの友達とだった。


 SUBARUとローマ字で書き込まれた写真があり、その子がすばるという名前だとわかる。


 同じ小学校の名札や体操服。行事ごとに色んな友達と写っていたが、”すばる”と写ってる写真が1番多かった。


 私とりなちゃんみたいに仲が良かったのかな?今も会ったりしないのかな?


 ペラリとめくった次のページは5年生と書いてあった。


 そのひとつのポケットに写真ではなく封筒が入っていた。英語で何か書かれてる。


「外国からの手紙かな?」


 私はそれを引っ張り出して差出人の名前を見て首を傾げた。


「セント、ニコラウス……?」


 私は悩んでリビングに置いてあるパソコンを立ち上げた。1年生の頃はパばがいる時だけ使って良かったけれど、2年生になってからは、ちゃんとルールを守るなら1人の時に使ってもいいよとお許しが出ていた。主に調べ物がしたい時に立ち上げる。


 セント ニコラウスがどんな人物なのか知りたくて打ち込んでみてびっくりした。


「え?サンタさん??」


 サンタクロースは、セントニコラウスをもじった言い方だったのだ。


「じゃあこれって……」


 私には思い当たる事があった。今住んでる街には、ある言い伝えがある。この街に引っ越してきて、初めてのクリスマスの頃、りなちゃんに聞いた話だ。


 クリスマスが近づいた日、サンタさんからお手紙が届くことがある。なんでも、願いごとや欲しいものを中に入ってるカードに書いて教会にあるポストに入れると、それが叶うと言うのだ。


「まさか……」


 宛名は、ナオト、クスノキ。パパの名前だ。その手紙は元は真っ白だったのが年月を経て少し黄ばんでしまったのだろう。私は中に入ってる手紙を読んで見ることにした。


 日頃頑張っているあなたに、サンタクロースからささやかながらお願いごとを叶えるプレゼントをします。同封されたカードに願い事や、欲しいものを書いて、教会の奥の部屋にあるポストに入れてください。きっとお願い事は叶うでしょう。


 その際、幾つか寄付できるものをお持ちください。


 あなたの幸せにつながりますよう、お祈りしています。


 セント ニコラウスより。



「まさか本物?」


 私は封筒の中にもう1枚入っていたカードを引っ張り出した。


 そこには子供の字で鉛筆で書かれていた。


『拝啓、セント·ニコラウス様。

すばると仲直りさせてください』


 はっきりとした、迷いのないその字は、それを一途に願っている事が伝わってくる。


 でも、どうして教会のポストに出さなかったのかな?謎はそこだ。


 その時、店と家の間の戸が開く音がした。ハッとして時計を見ると、6時だ早番の父が帰ってくる時間だ。私は思わずその手紙をトレーナーのお腹のところに隠した。人が書いた手紙を断りもなく読むのはいけないことだと知っているからだ。それも書いた本人だ、気まずい。


 ついでにアルバムを片付けようとしたが、階段を上る音がそこまで近づいてきていたので、仕方なく表表紙に近いページにもどして、2年生の父の写真を見ているフリをした。


「こと、ただいま」


「パパ!おかえり!」


 私はなるべく自然に見えるように言ったが、心臓がドキドキしていた。


「おうおう、散らかして。何見てんの?これ俺じゃねーか」


 パパは上着を脱ぎつつ、私の手元を覗き込む。


「懐かしいな」


 カバンをそばに下ろして、私の隣に座り込むと、その友達、すばると写ってる写真を見つめた。


「この子だれ?」


「すばるって言ってさ、小学校の頃住んでた街にいた子。5年生の時ちょっと喧嘩しちゃってさ、その後すぐ向こうが引っ越してそのままなのよ」


 パパはアルバムを手に取り、目を細めてページをめくっていく。


「なんでこんなの見てんの?」


「宿題なの。生活の授業で、私くらいの時のお父さんやお母さんの写真と比べてどんなふうに様子が違うかって言うのを調べてるの」


「いいのあった?」


「うーん、これ、借りていい?使い終わったら戻すから」


 パパが友人達と写ってる写真だった。


「いいよ。それも片付けとけよ、ばあちゃんがもうご飯だって言ってたから今日は下降りて食おう?」


「うん!」


 私は部屋へその写真を持っていくふりをして、トレーナーのお腹に隠した手紙も引き出しにサッとしまう。


「ねえ」


 私は部屋からリビングに戻ってきて、すっかり部屋着に着替えたパパに声をかけた。


「うん?」


「そのすばるって子に今も会いたい?」


「……そうだなぁ」


 パパは考え込みながら目を細めた。言っちゃなんだけど、こうして私から見てもパパはイケメンだ。店の常連の将吉さんというおじさんが、子持ちでも女がほっとかねーだろ、なんてよく言ってる。なのに浮ついた話がひとつもないのは、それだけママを愛してたからだろうって、将吉さんは私の頭を撫でながら言う。


 そのパパがそのすばるとの仲直りに関しては、とても慎重に答えを考えてる。大切な友達だったのかな。


「うん、そうだな。許してくれるなら会って謝りたいよ。今更かもしれないけどさ」


 それを聞いて私の腹は決まった。


 ご飯の後、パパがお風呂に入ってる間に、リビングのパソコンを立ち上げた。


 ゴールデンウィークに、物作り市へ行った時知り合った、ニレさんという木彫り作家の女の人と友達になった。その人とは、アドレスの交換をしていて、時々こうやってお話している。サンタの手紙のことを相談してみたいと思った。私が代わりにポストに出しても叶うだろうか。


 時計を見ると7時半、この時間ならいつもすぐに返事を返してくれるはずだ。


 "ニレさん、こんばんは。ちょっと話を聞いて欲しいんです。ここでは上手く言えないから、出来たら会って話したいです"


 するとしばらくして返信が来た。


 "こんばんは、ことちゃん。いいですよ。いつにしますか?明後日の土曜日はどうですか?良かったら前に言っていたし、工房に遊びに来る?"


 "ニレさんのお店に行きたいです!土曜日は大丈夫です。おばあちゃんとパパに行ってもいいか聞いてから、また連絡します"


 そこでメールのやり取りは終わった。パパがお風呂から上がった音がしたからだ。


 降って湧いたような楽しそうな出来事に、私は昼間悩んだ給食袋の事や、サンタの手紙のことまでも、すっかり忘れてしまっていた。



 3 ニレさん



 今日は土曜日。ニレさんとの約束の日だ。一昨日の夜、ニレさんと連絡したあと、お風呂をあがってきたパパに電車でニレさんのいる街に行きたいと話した。


「子供一人じゃなぁ」


 その後、おばあちゃんにも店におりて話をすると、子供一人では危ないから、と言った。そうしたら、そこにいた将吉さんが、その日は孫に会いに行くから、同じ電車に乗ってやるよ、と言った。そんなこんなで私は今将吉さんと同じ電車に乗っている。


「ニレさんっていうのは女の人なのか?」


「うん、とっても素敵な人なの。背が高くて細くて、木彫りの小物を作ってるんだよ、ほら」


 私はゴールデンウィークにお小遣いで買った小さな手鏡を将吉さんに見せた。


「ほう、こりゃ見事だな」


 将吉さんは大工さんだ。木材の細工を見る目はある、と自分で言った。


「若い人なのか?こりゃほんとになかなかのもんだよ」


「うーん、年はわかんないな」


「最近の女はおばちゃんになってもお姉さんみたいな格好してるからな」


 将吉さんの声は大きい。斜め前の席に座ってた女の人がムッとした顔をした。私は慌てて将吉さんにしぃ!と人差し指をあててみせると、将吉さんはしまったしまった、と白髪まじりの頭を掻く。


 将吉さんは1度3つ向こうの駅で降りて、ニレさんに私を引き渡すまで同行してくれた。改札の向こうで、青いロングスカートに革のコートを着てる女の人が私の方を見て手を振った。ゴールデンウィークから、久々に会うニレさんはやっぱり素敵で、照れくさい気持ちが湧いてきた。隣を見るとなんとなく将吉さんも照れくさそうにニレさんに会釈してる。


「ニレさんこんにちは」


 私がドキドキしながら挨拶すると、


「ことちゃん、こんにちは。よく来てくれたね」


 そして将吉さんに体を向けてきちんと頭を下げた。


「ことちゃんを連れてきてくださってありがとうございます。木下さんのことは楠さんから電話でお聞きしてます」


 木下とは、将吉さんの苗字だ。将吉さんは綺麗な女の人を前にデレデレと締りのない顔をしている。


「いやいやなんの、この子のおばあちゃんはまあ言ったら、俺らの姉さんやおふくろさんみたいなもんだから。ことちゃん、じゃあ俺行くわ」


「うん!将吉さん、ほんとにありがとう」


 将吉さんは手を振り、またホームへと戻って行った。


「さて」


 ニレさんは腰に手を当てた。黒い素敵なリュックを背負って、頭にはグレーのベレー帽。オシャレである。


「まずなにか食べようか。マロンの中に友達がやってるレストランがあるんだけど行く?」


「ええ!?マロン!?」


「うん?マロン行きたくない?」


「逆!いいの?ほんとにいいの?」


「行こうよ。ちょっとお昼には早いけど、その分混んでないだろうからさ。その後見たいものあるならブラブラしようよ」


「はい!」


 私たちはショッピングモールへと繋がる西口に向かって歩き出した。


 実は昨日、りなちゃんと喧嘩した。


 土曜日一緒に遊ぼう?とりなちゃんに誘われたが、ニレさんのところへお出かけする事を話すと、途端に不機嫌になった。


「ごめんね、日曜日なら空いてるんだけど」


「土曜日が良かったの。もういいよ」


 その後は何を話しかけても取り合ってくれなかった。りなちゃんが何に腹を立てたのかさっぱり分からなかった。相手にも都合と言うものがあるから、誘ってもダメな時は我慢して諦めるんだよ、と私はおばあちゃんに教えられている。なのにりなちゃんは自分の思い通りにならなかったから怒ってた。


「どうかした?」


「ううん。ちょっと友達と喧嘩しちゃってて」


「あらそう。仲直りは出来そうなの?」


「うーん、私は悪くないと思うんだよねぇ。向こうがちゃんと考えてくれたら仲直りできるかも」


 私は口をとがらせた。だって私悪くないもん。


「はははっ!やっぱりことちゃんはちょっと大人だよね」


「え?どういうこと?」


「うん、歳の割にしっかりしてる。おばあちゃんに育てられたからかもね」


「……そうかな」



「さ、ここだ」


 そこの店は洋食屋さんだった。中からチキンライスのいい匂いがしてきた。ソースの匂いも。


「ダメだ、匂いでお腹すいてきた」


「ね?私もだよ。さあ、入ろう」


 ニレさんは、木の重そうなドアを押し開けた。カランカランとベルが鳴る。いらっしゃませ、とウェイトレスのお姉さんがにこやかに出迎えてくれた。


 店には3組ほどお客さんがいたが、窓側の1番いい席には、予約席というプレートが置いてあって、なんと私たちはそこに通された。


「ニレさん、予約してたんですか?」


「ああ、ことちゃんあのね、堅苦しい話方しなくていいよ。私たち友達だし、普通に友達と同じように話していいよ」


「じゃあ……予約してたの?」


「ああ、ううん。私がここの友達に食べに行くかもって連絡したんだけとね、予約って事にしてくれたみたい」


「そうなんだ。素敵なお店」


「味も保証するよ」


 ニレさんはお手ふきで手を拭いて、またそれをキチンと畳んでトレーの上に置いた。その動作が綺麗で、私も真似をしてみたけど、上手くいかない。


「いらっしゃいませ」


 そこにやってきたのは背の高いコックさんだった。パパと同じ位の歳の男の人だった。


「友人の天野さん」


「いらっしゃいませ、今日は好きな物食べてね」


「こんにちは」


「楡崎にこんな可愛いお子さんいるなんて知らなかったよ」


「違うんだ、友達なの。残念ながら」


 ニレさんは笑った。男の人は何故かほっとした顔をした。そして


「ご注文は後で良いですか?」


「もう少しメニューを見てからにするよ。ありがとう」


「ではごゆっくり」


 ニレさんがメニューをこちらに渡してくれた。私は家族以外の人に奢ってもらう時はなるべく値段の安いものを選ぶようにおばあちゃんに言われている。


 だけどメニューに載ってるミックスグリルのエビフライは、めちゃくちゃ美味しそうな黄金色をしていた。ごく、と唾を飲み込む。だけど私は値段を見比べて、口を開いた。


「じゃあハンバーグランチで」


 顔を上げると、ニレさんは頬杖を着いて私を見つめていた。


「ことちゃん、君さぁ、ミックスグリル食べない?」


「え?」


「ほら見て、ミックスグリルをペアで頼むとデザートタダなんだよ?」


「あ、ホントだ」


「ここのエビフライめちゃくちゃ美味しいんだよ?私が保証する」


 私はそう言われて、もうそれは頷くしか無いだろうと言う気持ちになった。


「ね?エビ嫌い?」


「好き!」


「じゃあ決まり。すみませーん」


 ニレさんはホールの店員に手を挙げた。本当はそばにピって押すボタンがあるんだけど、それは黙っておいた。


 やがてやってきたミックスグリルは、エビフライとハンバーグとウィンナーが載ってて、私はご飯、ニレさんはパンを一緒に食べた。食後に出てきたアイスクリームはイチゴの果実が入ってるちょっと上等のアイスで、すごく美味しかった。


 コックの天野さんにお礼を言って店を後にすると、私たちはお腹をさすりながら笑いあった。


「めちゃくちゃおなかいっぱいになったね」


「うん!ほんとにエビフライ美味しかった!すごく美味しそうな黄金色でこんなに大きくて!」


「良かった、喜んでくれて。小料理屋さんの娘だから、きっと私が下手なオムライス作るより、こっちの方が当たりだと思ったの」


「ニレさんのオムライスも食べてみたいけど……」


 私はちょっと恥ずかしい気持ちになりながら言った。りなちゃんのお家に遊びに行った時、ママが作ってくれるオムライスはオシャレなお皿に載っていて、旗まで立ててくれて、たこさんウィンナーが添えられてたりする。おばあちゃんのは味が美味しいけど、見た目は普通で、そういう時、やっぱりママがいるのは羨ましいな、と思うのだ。


「ことちゃん、そっち危ないよ」


 考え事してたら、段差に足を取られそうになって、ニレさんに手を掴まれた。


「危なかったー」


 私はドキッとした。ニレさんの手があんまりにも細くて優しい触り心地だったから。


 私が黙ってると、


「ごめんね痛かった?」


 ニレさんが手を離そうとしたので私は慌ててその手を握り返した。


「ことちゃん?」


「手、繋いでていい?」


 私は勇気をだして言った。ニレさんは眉を上げて軽く目を丸くしたけど、直ぐに優しく笑った。


「いいよ、その方があったかいもんね。ねえ、どのお店みたい?雑貨屋さん?お洋服の店?」


 ニレさんは直ぐに違う話をして、繋いだままの私の手を引いた。


「ウィンターツムの雑貨が見たいな」


「あ、あれ可愛いよね。よしセロリ行こう」


 ニレさんは色んな種類のものが置いている雑貨屋さんの名前を出した。


 ニレさんは他にも

 色んなお店を知っていて、このお店は小物も充実してるからマフラーとか帽子が見たい時に来るの、とか、靴は1階の端っこのお店が親切に商品を勧めてくれる、など色んな話をした。


 私も最近子供の間ではやってる遊びだとか、学校でこんな事があったとか、友達のことをニレさんに話した。


 ニコニコと聞いてもらえることが嬉しくて嬉しくて、私はお喋りし過ぎたなと反省してしまうほどだった。


「あ、これ!」


 私は雑貨屋セロリの中でキャラクターコーナーで、ウォーターツムの給食袋を見つけた。ネットで何度かみて、お気に入りマークを押してしまったほどの物だった。


「その巾着が欲しいの?」


「……うん、でもね」


 私は棚にそれをそっと戻した。私はいちごの柄の給食袋と、おばあちゃんの口癖やお父さんの病気のことを思い出してしまい、嬉しかった気持ちが急に萎んでしまった。そして、サンタの手紙の事をそっちのけで、ニレさんにいちごの巾着袋の事を話したくなった。


 すっかり気持ちが落ち込んでしまった私に、ニレさんはうちで話そうか、と促してくれた。私は元気ならもっとマロンにいたかったけど、そんな気分じゃなかった。


 ニレさんのうちはマロンとは駅を挟んで反対側の、小さな商店の方にある。線路を越して買い物に行くのが面倒だと言う地域の人達に支えられている商店街の奥に小さな店舗兼工房を構えている。


「どうぞ」


 ニレさんの後に続いて中に入ると、木の匂いがふわっと漂う、独特な雰囲気の店舗がそこにあった。


 木材を加工する機械などを置くと、店として使えるのはほんの畳3畳ほどのスペースしかかなく、そこに工夫して棚が取り付けられ、作品達が並べられている。


 ニレさんは2階へどうぞと自分の住んでる部屋へ案内してくれた。


 ニレさんがいれてくれた温かいレモンティーを飲みながら、私は話し始めた。


 ママが縫ってくれた未使用の給食袋がまだあること、おばあちゃんは始末屋だから、きっと使えるものがあるのに新しいものは買ってくれないだろうなって事。何よりパパを傷つけてしまうかもしれないこと。


 すっかり話し終わった時、手の中のレモンティーは少しぬるくなっていた。


「君はやっぱり子供なのに少し気が回りすぎだな」


「ええ?」


「きっとお年寄りに育てられた事も影響してるんだろうね。聡いというか、子供ながら周りに気を遣う事が既に出来てる」


「でも、おばあちゃんに言われたことをやってるだけで」


「まあ、そうだろうけど、ね、さっきのエビフライ美味しかったね」


「うん?エビフライ?うん、美味しかった」


「あの時もそうだよね。好きな物たのみなって私言ったと思うんだけど、君はエビフライを気にしながらも1番値段の安いハンバーグランチにしようとしてた」


「……うん」


「あの時、自分の心に従っていたら、多分ハンバーグランチは選んでないよね」


 私はその通りなので俯いた。


「でも、ミックスグリルにしてみてどうだった?」


「美味しかったし、嬉しかった」


「心を喜ばせるってそういうことなの。まず自分の心がどっちを向いてるか、自分でちゃんと知っておかないと、楽しくないし、だんだん心が狭くなっていくんだ」


「心がどっちをむくか?」


「そりゃあね、いい子にして居ないといけない場面もあるよ。でもね、自分が信用してる人の前でくらい、少しくらいワガママ言ってもいいんじゃないかな?」


「わがままでもいいの?」


 なんとなく、りなちゃんを思い出した。


「自分の気持ちを知ってもらうためだよ。君が利口にいちごの給食袋を使い続けててもさ、それを心から望んでるわけじゃなかったら、笑顔にはなれないよね。そうしたら君の幸せを願ってるおばあちゃんやお父さんは嬉しいかな?」


「……ああ」


「ね?もしかしたら勿体ないから使ってからって言われるかもしれないけどさ、言うだけ言ってもいいと思うよ?」


「そうかな?」


「君を見てたらわかるよ。きっとおばあちゃは気持ちの良い人だし、お父さんだってご病気かもしれないけど君のこと大事に思ってるよ。君と同じでちょっと真面目なのかもしれないね、だから心が苦しくなったのかも」


「うん、将吉さんも前に同じこと言ってた」


「うん。ね?話してみなよ。今のままよりずっといいと思う」


「うん、帰ったら話してみる」


「良かった。どう?私に話してすこしスッキリしたんじゃない?」


「うん、した!なんかほっとした」


「心に溜め込んだものは吐き出さないとね。私も子供の頃は言えなくて、後悔したことあるから」


「ニレさんも?」


 ニレさんは目を細めて笑った。そして次は私の番、といって、子供の頃の話をした。


 ニレさんには小学校の頃とても仲の良かった男の子がいた。同じ小学校に上がって、クラスが離れても隣の家に行けばいつもいて、よく遊んだこと。


「でも4年生頃から彼は野球始めちゃってさ、なかなか遊べなくなっちゃってね」


 そんな時、ニレさんに弟が生まれた。体が弱くて、空気の良いところで育ててあげた方がいいと言われて、お母さんの実家のある田舎へ引っ越すことになったそうだ。


「私ね、その子と昔から約束してたことがあってさ」


 ニレさんは棚の引き出しから古くなった封筒をを大事そうに出した。その中には擦り切れた古いチラシが出てきた。星祭というイベントのチラシだった。


「大きくなったらこの星祭に一緒に行こうって話してたの。その年は引っ越す前の晩で、だから絶対にそのお祭りに一緒に行きたかったの」


 ニレさんは懐かしそうに言った。


「でもね、引越しを手伝いに来てた高校生の従兄に付き添いを頼んだ事が気に入らなかったのか、彼、その日の昼になって行かないって言い出したんだよ。悲しかったな」


「夜に子供だけで出かけちゃダメだもんね」


「うん、でも、彼に先に確認しなかった私が悪いの」


 ニレさんはそのチラシを畳んで封筒にしまうと、引き出しに戻した。


「それっきりその彼とは会ってなくてさ」


 ニレさんは紅茶のおかわりを勧めてくれたが、私は首を横に振った。


「だからさ、仲直りは出来るうちにしといた方がいいし、お互いが誤解しないように気持ちははっきり伝えた方がいいんだよ」


 そう言って目の前に、お持たせのいちご大福を載せたお皿を置いた。


「そっか」


「うん、そうなのだ」


 ニレさんは食べていい?と私に聞いて、いちご大福の包みを開け始めていた。


 私もそれに習う。パクッとかじりついたニレさんが目を見開き、うんうん、と頷く。わたしはその様子がおかしくて笑いだした。


「ここのは美味しいの。オススメだよ」


「今度なにかのお土産にする時は、これにするわ、ほんと美味しい!」




 4 本当の気持ち 本当の幸せ


 帰りの電車の中で将吉さんにばったり会った。娘さんの家でお孫さんと楽しく遊んだ帰りだという。将吉さんは帰り道が一緒なので、ニレさんとはホームで別れた。


「ニレさん、さよなら」


「またね、ことちゃん」


 私たちはホームでぎゅっと抱き合った。ニレさんは柔らかくていい匂いがした。乗り越し精算をした後、ニレさんは手を振りながら反対側のホームへと向かって行った。


 将吉さんと駅を出たところで仕事帰りだったパパが車で迎えに来ていた。


「将吉さんも良かったら」


 パパが勧めたが、将吉さんは、


「健康のために歩くよ」


「そうですか……。将吉さん、今日は琴音がお世話になりました」


 パパが頭を下げて言った。


「このくらい何でもねえや、またな、ことちゃん」


 そう言って歩道を行くのを見送り、私はパパの車の助手席に乗り込んだ。ロータリーから車を発進させたパパが、そうだ、と言った。


「なあ、りなちゃんのお母さん、おめでたで里帰りしてるんだってさ」


「え?」


「もう一週間になるかな?悪阻が酷くて、りなちゃんの世話も出来ないからって」


「そうなの?」


 私は、りなちゃんからの今日の誘いを断った事を、少しだけ申し訳なく思った。りなちゃんはママがいなくて寂しかったから、私がニレさんの所に行くことにヤキモチ妬いたのかも。


「さっきおばあちゃんから電話があってさ、りなちゃんお父さんと今、店にご飯食べに来てるんだって」


「ほんとに!?」


「お前が帰ってないって知ってしょげてるらしいよ。喧嘩でもしたのか?」


「うん、ちょっとね。待っててくれるかな?」


「電話してみたら?店に」


 パパは私にスマホを渡してくれた。


 私は少しドキドキしながらうちの店に電話をかけた。


 おばあちゃんが電話をとったので、ただいまを言って、りなちゃんに代わって欲しいと頼むと、しばらくして、りなちゃんの声がした。


「もしもし?」


 昨日1日話をしなかっただけなのに、りなちゃんの声を久々に聞いたような気がした。


「もしもし?りなちゃん?今日は遊べなくてごめんね」


「ううん、用事があったんでしょ?仕方ないよ。私こそ怒ってごめん」


 りなちゃんが謝ってくれた事で、私は心が温かくなった。


「明日は遊べる?」


 りなちゃんに言われて嬉しくなった。


「うん遊ぼ!あ、そうだ、いいもの持っていくね」


「いいもの?」


「ふふっ明日のお楽しみにしといて」


「うん、わかった。もう帰ってくる?私もう少しお店にいるよ?」


「ほんとに?じゃあ私もそこでご飯食べる!」


「やった!じゃあ待ってるね」


 そこで電話を切った。


「ほんとに仲良いなお前たちは」


 パパが前を見ながら笑ってた。久々にリラックスしたパパの笑顔に、私はニレさんの言葉を思い出していた。


 『ことちゃんが幸せだと心から笑っていなければ、そばにいるおばあちゃんやパパは嬉しいかな?』


 私は今りなちゃんと仲直り出来て、しかも遊ぶ約束も一緒にご飯食べる約束もしてめちゃくちゃ嬉しいんだ。そんな私を見てパパも嬉しいのかな。


「琴音、これ、開けてご覧」


 パパは信号待ちで、カバンからなにかの包みを出した。可愛い堤の留め具にはウォーターツムの小さなおもちゃがリボンの真ん中にくっついていた。


「これなに?」


「本当はクリスマスに渡そうと思ったけどさ、今日会社の方に届いたから。開けてみ」


 パパは目の端をきゅっと絞って笑う。


 私はその包みを開けると、中からウォーターツムの給食袋とナフキン、箸箱までが出てきた。


「え?!」


「こないだ開きっぱなしにしてたろ、その店の商品ページ。ハートマークついてたからこれが欲しいのかなって思って、その時クリスマス用に頼んでおいたんだ」


 私はびっくりし過ぎて、何も言えなくなった。


「君のママはさ、ちょっとなんでも作りすぎてしまう人だったんだ。料理でもなんでもいつも余るほど作るの」


 くくっと笑いながら、パパは車を発信させた。信号の緑色の光が後ろに流れる。


「足りなくて、琴音が泣かないように。だから充分足りたなら、それでママの気持ちは済んだと思うよ」


「気が済む??」


「ああ。それに琴音もいつまでも小さな子供じゃないもんな。欲しいものは自分で選べるようになっていくんだから。ママもその成長が嬉しくないわけが無い」


 パパの言うことに私は胸が熱くなった。パパもママも私の事ちゃんと見ててくれたんだ。



「パパ、ありがとう!すっごく嬉しい!……でもさ」


「うん?」


「おばあちゃん、なんていうかな?」


「引き出しの中の巾着のこと?」


「うん」


「今度1年に上がる子にでもあげればいいんだよ。小さい子はああゆうの好きでしょ」


「……そこまで思いつかなかった」


「まあ、おばあちゃんも大丈夫だと思うよ?琴音から話してみな」


「うん、そうする」


 ニレさんの言う通りだった。私は嬉しくて胸が熱くなった。


 パパは私の気持ちに気がついてくれたけど、自分の気持ちはちゃんと相手に伝えないとダメなんだね。


「ねえ、パパは、すばるって人と仲直りしたい?」


「うん?」


「こないだ話してくれたじゃない」


「ああ、どんな大人になってるんだろうな。謝るのもそうだけど、会ってみたいな」


 パパの晴れやかな横顔を見た時、私の胸にひとつの灯りが点った。サンタさんへの手紙をどうするか、ニレさんには相談しそびれてしまったけど、今、私の心は決まった。そしてもうひとつ思いついた事がある。


「お、りなちゃんがお待ちかねだよ」


 パパの言葉に顔を上げると、店の前でりなちゃんが私を待っていた。私の胸に、嬉しい気持ちがまた湧き上がってきた。




 5 勇気をだして


 その夜、おばあちゃんと一緒にお風呂に入った。私は帰ってからずっとおばあちゃんに伝えたくて、おばあちゃんが仕事を上がるのをずっとまっていたのだ。店は9時に閉まるけど、まだお風呂に入ってない私を見て、おばあちゃんに怒られそうになった。


「おばあちゃんと一緒なら入る!」

そういうとおばあちゃんは呆れた顔をして、用意しとくから準備しておいで、と弱く笑った。


身体を順番に洗ってお湯に浸かると、久々に一緒のお風呂ではお湯が多すぎてザーと溢れ出てしまった。


「勿体ないねえ」


おばあちゃんが言うので、なんだか笑えてきた。そして、私は言うべきことを話し出した。


「あのね、私、ウォーターツムの給食袋が欲しかったの。いちごのやつはちょっともう子供っぽいから、なんて言うか……その……」


 私が俯くと、おばあちゃんは目を丸くして濡れた髪が頬に張り付いたのをそっと耳にかけてくれた。


「なんやほんなことか。言われてみればたしかになぁ。もうすぐ3年生やもんな」


「そしたらね、今日その巾着をお父さんがプレゼントしてくれたんだ」


「へえ?珍しいやん。あの子そんな気ぃ回る人ちゃうのに」


「私もビックリしたよナフキンと箸箱まであったの」


「良かったなぁ。そや、なぁ?ニレさんのお家はどうやった?」


「木の匂いがすごくした。森の匂いみたいな」

「ほうほう」

「いちご大福すごく喜んでたよ、おばあちゃんのこと、きっと気持ちのいい方なんだろうって、私を見たら分かるって」


「まあまあ、そんなこと言うてはったん?カウンターの中でつまみ食いなんかしてたら減点されてしまうなぁ」


 ほほほと笑ったおばあちゃんに、私は言った。


「ほんとはね、給食袋の事言ったらおばあちゃんに怒られるんじゃないかってずっと思ってたの。いつも言うでしょ?勿体ないとか、使えるものはってわないとって。でね、私考えたの、あのね……」


 私はさっき車の中で思いついたことをおばあちゃんに話した。


 おばあちゃんは、


「お前のものやから好きにしぃ」


 と目を細めて頭を撫でてくれた。気持ちが伝わるだけでほっとしたし、嬉しい気持ちが込み上げてくる。


ニレさんの言う通りだった。私が嬉しいと、パパもおばあちゃんも優しい顔をするんだ。




 6 サンタへの手紙


 翌日、私はりなちゃんにお願いして、駅の向こう側にある教会についてきてもらう事にした。


「シスター宮野に用事があるの?」


「うん、講堂でまっててくれたらいいから」


 私は小さな紙袋を提げて、ポシェットには、小さな木彫りのキーホルダーをぶら下げていた。りなちゃんのポシェットにも同じものが揺れている。昨日ニレさんがりなちゃんと私にってくれた物だ。


 2センチ四方のクローバーの透かし彫りの細工だ。


『クローバーは友情の証なの。りなちゃんとことちゃんが仲直りできますように』


 ニレさんの気持ちは私の背中を押してくれた。


 教会のドアノックを鳴らすと、私たちはドアを開けて講堂へ入った。オルガンの音が聞こえていたが、その音が止まる。


「まあ、いらっしゃい。合唱の練習は来週からだけど?」


「ちょっと用事があって、シスター、ちょっといいですか?」


 私はシスターの隣まで行くと、そっとサンタの手紙を見せた。シスター宮野はそれだけで私の言おうとしてることを分かってくれたようだ。


「分かりました奥へどうぞ。りなさんはそこに座って待っててくれる?直ぐにすみますから」


 シスター宮野に促されて奥の部屋へとはいる。


「そこのポストにカードを入れてください」


「あの、この手紙、ずっと昔にパパに来たものなんです。叶うと思いますか?」


「さあ、それは、私にはわからないけど」


「アルバムに挟んであったのを、私が見つけたの。中のカードにはパパが昔書いた願い事があって、その気持ちは変わらないみたいだから、私がポストに出そうと思ったの。パパに元気になって欲しくて」


「叶うといいですね。琴音さんの優しい気持ちがサンタさんに伝わりますように。さあ、カードをポストにどうぞ」



 シスター宮野の笑顔に、私は不安になった気持ちがスっと和らいだ。ダメで元々なのかもしれない。だったら願おう。


「パパが少しでも元気になれますように」


 ポストに手紙を入れると、シスターの前に歩み寄る。


「こちらに寄付の品をお願いします」


 私は昨日の夜、透明のビニールの袋に入れた、いちごの柄の巾着2枚を、その台に置いた。


「誰かに喜んで使って貰えますように」


 心の中でママにありがとうを言った。


 りなちゃんは講堂の1番前の席に座ってステンドグラスを見上げていた。


「りなちゃん終わったよ、待っててくれてありが……」


「ね、ことちゃん、みて」


 最後まで言い終わるまでに、私の声は興奮気味のりなちゃんの言葉にかき消された。


 りなちゃんの指さした方を見ると、ステンドグラスのキリストの足元に、四葉のクローバーが2つ、並んでいる。


「わあ」


 私たちは手を繋いでそれを見あげ、顔を合わせて喜びあった。友情の印。


 サンタさん、パパに元気をあげて欲しいけど、私とりなちゃんがずっと友達でいられますように。それもお願いしとけばよかったなあ。



7 クリスマス会


 24日の土曜日、教会でクリスマス会の日。私とりなちゃんは合唱に参加する。参加したあとはお菓子の配り物を貰ったら帰るのだけど、今年はその後、うちのお店でパーティーをすることになっていた。


りなちゃんのママがいないから、おじさんもりなちゃんも来るし、将吉さんやほかの常連さんも来ることになってる。だけど、今日は嬉しい半面残念なこともあった。


「もう、琴音、ええ加減元気だしぃ」


「だって……」


「直人は仕事なんやから。代わりにほれ、ニレさんが代わりに来てくれはったんやろ?」


「ふふふ」


 ニレさんは2度目に会うおばあちゃんに少し遠慮しながら笑ってた。


 パパの急な仕事が入ったのは今朝だった。午後3時からのクリスマス会までに仕事は終わらなくて、今日はどうしても観に来れないと言った。私はいつものいい子ぶりっ子が、最近どうしても出来なくなってしまって、むくれて行ってらっしゃいも言えなかった。


「困った子ぉやなぁ」


「わかってるもん、仕事なんだから仕方ないって。私がいい子に行ってらっしゃい出来なかったのが悔しいんだもん」


「なんだ、ことちゃんそんな理由だったの」


 ニレさんがカラッと笑った。


「どうしても来て欲しかったこと、ちゃんとお父さんに伝わったんじゃないかな?残念だったけど、その分ほら、私が動画撮って後でお父さんに送るから、ね?」


「うん……」


 朝パパが出勤後、ニレさんにダメ元で来て欲しいと言ってみたら、ちょうど予定が無くなったからって、来てくれることになったのだ。ニレさんが来てくれたのは凄く嬉しい。この後のパーティーにも参加してくれるって言うし、わくわくする。


「すみませんね、楡崎さん」


「いいえ、こういう教会の催しは初めてなんですよ。ことちゃんに誘ってもらって嬉しかったです」


「楡崎さん、御家族は?」


「私は独り者ですから、恋人もいないしこの歳になるとなかなか友達も誘いづらくて」


 おばあちゃんは初対面の人にでも、難なく話しかけるタイプで、ニレさんもおばあちゃんに2度目に会う割に、とても気さくに話をしていた。


「ことちゃん、りなちゃんそろそろ準備してね」


 シスター宮野が私たち2人を呼びに来た。


「行かなくちゃ。じゃあね、おばあちゃん、ニレさん」


 私はりなちゃんと舞台の脇に並ぶために移動した。その時りなちゃんが私のコソッと話しかけてきた。


「ねえ、ことちゃん。ニレさんって綺麗な人だね」


「でしょ?憧れなんだ、私もあんな素敵な女の人になりたい」


「私も〜!」


 2人でくすくす笑いながらニレさんを振り返って手を振る。おばあちゃんと席に着いたニレさんが嬉しそうに手を振り返してくれた。もし、ママがいたらこんな感じなのかな?とニレさんと会って何度めかに思う。


 思えばニレさんとの出会いは不思議な感じがした。


 ものづくり市で、おばあちゃんがお友達の娘さんに手を貸している間中、私は周りの店を見て周り、ニレさんのお店のテントに行き着いた。


 ニレさんはテントの中で、背中を向けたまま椅子に座り、作業していた。


その後ろ姿が、生きていた頃のママとよく似ていて、私はしばらくその背中を見つめ続けた。


 視線に気がついたニレさんが私を振り返ったのはほんの少しあとで、よく見たら全然ママに似てなくて、小柄だったママとは違って背が高くて細くて、髪や目が少し色が薄くて、肌も白かった。


 肩までの少しうねった髪は耳の上を片側だけ器用に編み込まれて、木彫りのバレッタを付けていた。


「あの……」


 何か言わなきゃと思えば思うほど言葉が出なくて、いつも周りの人にしっかり者だと言われてる私は、その時だけは恥ずかしがり屋の女の子みたいだった。


「いらっしゃい。木彫りの小物ばっかりだけど、見ていきますか?」


 ニレさんの声は女の人にしては少し低くかった。7分袖の生成りのシャツに、色とりどりの草木染めの布を縫い合わせた長いスカートを履いていて、左の腕には何本かのブレスレットを巻いていた。


「おばあちゃんがお店のお手伝いしてる間、見ててもいいですか?」


「もちろん。今から1時間くらいは食べ物扱ってるお店はてんてこ舞いだし、良かったらここに居る?」


 そう言って、椅子を差し出してくれた。


 私はそこに腰かけて、ニレさんと沢山お話をした。穏やかで、話し方が少し他の女の人と違ってて、かっこよくて綺麗で。私はおばあちゃんが私を見つけるまでずっとそこにいた。時々ニレさんの常連さんが作品を買いにやってくる時だけ、私は木で出来たビーズを紐に通すお手伝いをして、それが済むとまたニレさんとお話した。


 ただそれだけだったのだけど、おばあちゃんが私を見つけてやってきた時、ニレさんが急に黙ったのだ。


「どうも、すんませんなぁ。孫を放ったらかしにしてしもて。何かお礼に買わせてもらおうかな」


 おばあちゃんが言うので、


「私これがいい!」


 即座に選んだのは星座を透かし彫りしたという直径7センチほどの丸い手鏡だった。


「ああ、そんな、お気遣いなさらないでください」


「いえいえ、孫も欲しいと言うてますし、これを頂けますか?」


「どうもありがとうございます。1500円になります」


 ニレさんは手鏡をプチプチで包んで、袋に入れて渡してくれた。


「ことちゃん、もし良かったらうちのお店にも遊びに来てね。これ、私の店のアドレス。あ、メールは難しいか」


「ううん!私、幼稚園からパソコンやってるから大丈夫!メールしてもいいの?」


「うん、大歓迎。またお話聞かせてくれる?子供向けの作品にも生かせると思うの」


 そう言って約束して別れたんだ。


 おばあちゃんが帰りに、いい人やったねぇと言って、黙り込んだ。


「どうしたの?」


「誰かに似てるんよ、あの人。どこで会うたんやろ」


 その時の言葉がどうしたわけか心によみがえってきた。


 私も、どこかでニレさんと会った気がするのだ。どこで?


 あんな綺麗な人なら絶対忘れるわけないのに。


 やがて合唱のグループの出番が来て、私たちは舞台の上に登った。



 7.5 NAOTO



 クリスマス・イヴの浮かれた街中を、車を走らせていた。休みの日に急に仕事が入ったが、先方に思わぬアクシデントが重なり、今日中に出来ることが無くなってしまい、早々に切り上げることになったのだ。仕事を上がったのが2時。


 琴音の合唱の出番は3時過ぎだ、急げば間に合う。


 自宅とは駅を挟んで反対側の教会へ急いだ。近くの運動場が駐車場代わりになっていて、車を停めると、鉛色の雲の下をひた走った。


 少し走っただけなのにダウンジャケットの中は温度が上がりきって熱い。教会のドアをそっと開けると、ちょうど琴音が舞台に上がったところだった。既に席は埋まっていたので、扉を入ってすぐのところで立ち見する事にした。


 オルガンの音が講堂に響く。歌い出した琴音を遠巻きながら見つめる。


 亡くなった妻と同じ柔らかいくせ毛をふたつに分けて結んで、顔立ちはどちらかと言うとうちの系統、母と似てる。背丈は背の順で真ん中ほど。8月に8歳になった。


 妻が亡くなったのは琴音が4歳になったばかりの秋で、毎年秋の風が吹きはじめると、情けないことに俺は自分の心が沈むのを抑えられない。


 妻とはいわゆる大恋愛だった。初対面の時から目が印象的だった。琴音の祖母に似た顔立ちの中で、あの意思の強い目は妻と同じだ。自分が弱くなってるせいで、琴音には無理させてきたと思う。聡い子だから、きっと無理してるに違いない。


その事に気がついてからは時々注意して琴音を見るようにしてるが、男親というものは雑にしか子を見られないのか。あとから気がついて後悔を繰り返してきている。


 先日、キャラクターの給食袋をネットで見ていたことに気がついた。そしてその後、久々に妻の墓参りに1人で行ってきた。


 "琴音の給食袋、作りすぎだって言ったろ?"


 墓の前で苦笑いしながら言っても、口をとがらせて言い返してくる妻はもういない。


 "悪いけど、新しいやつ、琴音に買い与えるね。ごめんな初音。"


 そう心で言って琴音に新しい巾着を買い与えた。


 いつまでも、幼い時はとどまってはくれない。琴音も成長していくのだ。それを初音がそばで見ていられなかったぶんも、俺がちゃんと見ててやらないといけない。


 琴音は、歌の途中でこちらに気がついた。歌いながらニコッと笑ったので、軽く手を振っておいた。全く可愛い子だ。



 出番が終わって舞台から降りた琴音は、真っ先に俺の方へと走ってくるのが見えた。その嬉しそうな顔を見るだけで、自分がここに在ることを許された気持ちになる。



8 めぐり逢う



「パパ!」


 私は嬉しくてパパに抱きついた。パパは仕事に行ってて、まさかここに居るなんて思いもしなかったんだから。


「来れないって言ってたのに!」


「先方のアクシデントで物か足りなくなったから、切りあげたんだよ。来れてよかった」


 パパは両手で私の頬を挟んだ。その手が汗ばんでいて、ダウンの上着からは少しムッとした湿気を感じた。


「パパ走ってきたの?」


「駐車場が遠かったからな。でも間に合ったよ」


「来てくれてありがとう、パパ」


屈んでくれてるパパの首にもう一度ぎゅっと抱きついた。パパの髪の匂いとか、首筋の湿った感じとかが全部嬉しい。


「ああ」


 私はパパの手を取った。


「ねえ!!ニレさんが来てくれたの!パパにも紹介するよ!」


グイグイとパパの腕を引っ張りながら、ニレさんの所へ連れていこうとすると、おばあちゃんが傍まで来ていた。


「アレアレ、あんた来れたんか?」


 おばあちゃんがパパに驚いていた。そばにはニレさんもいる。


「お仕事無くなったんだって」


「そうかい、良かったやんか……」


 おばあちゃんがパパを不思議な目で見た。私はパパの顔を見て驚いた。その目は真っ直ぐニレさんを見ていた。


 パパ、ニレさんが綺麗すぎてビックリしたのかな??そう思ってパパを見上げていると、パパの口が動いた。




「……すばる?」




 パパの声は掠れていた。耳にした名前を心で反芻する。誰のことか分からない。私は訳が分からなくてニレさんを見た。ニレさんは少し困ったように笑いながら、パパの問いかけに頷いた。パパは隣のおばあちゃんを振り返った。


「母さん、すばるだって知ってたの?」


「すばるって……え?榆崎さんやろ?え?なに?すばるって、ええ?あのすばるちゃんなんか?榆崎さんが??」


 おばあちゃんが目をぱちくりしながらニレさんとパパを見比べてる。私は余計分からなくなった。次の発表が始まると聞いて、私たちは一旦教会の外に出ることにした。


「琴音はりなちゃんのとこに戻りなさい。ちゃんと後で話すから」


「うん。……でもニレさん、絶対パーティーには来てね、帰っちゃやだよ?」


「うん、それは約束だもんね、わかってるよ」


 私は頭の中がこんがらがったまま、りなちゃんの隣の席に戻った。


「なんだったの?」


 小声でりなちゃんが尋ねてきたけど、私は頭の中の整理がつかなくて、首を捻った。


「なんだったんだろう」



9 奇跡と白雪


 クリスマス会のおやつを貰って、私たちは家に帰る事になった。車には助手席に私、後ろの席におばあちゃんとニレさんが。


「ほんまごめんな。あんまりすばるちゃん綺麗になってるさかいに、気が付かへんかったわ」


「いやいや、私の方こそごめんなさい。おばさんに気がついてたのに黙ってて。その、騙すつもりは無かったんです」


 後部席で2人が話してるのを聞いて、だんだん分かるようになったのは、ニレさんはあの写真に写ってたすばるという子だと言うこと。本名を榆崎すばるというらしい。芸名みたいだ。ネットでは個人特定されないように本名は載せていないそうだ。母方のおじいさんが亡くなる時に、苗字を継いだそうだ。



「ねえ、私、すばるって人は男の子だと思ってた」


 私がパパに言うと、


「ははは!すばるはよく男と間違えられてたよな、子供の時も」


 パパはくくっと可笑しそうに笑った。それにつられておばあちゃんもニレさんも笑いだした。


「そうそう、お父さんと床屋さんに行ったら男の子だと思って短く切られちゃったりね」


 ニレさんが可笑しそうに言った。


「私も初めは可愛い男の子だなぁって思ってたほどやんちゃでねぇ。すばるちゃんのお母さんに女の子だって聞いた時はびっくりしたもんね」


パパとニレさん、もといすばるさんは、すっかりとはいかないけど、すこしは打ち解けたのだろうか。


「ねえ、パパ」


 後ろの席の2人が昔話に花を咲かせているのを見て、私は小声でこっそりパパに言った。


「うん?」


「その、仲直り、出来たの?」


「うん、ああ、まだそれは謝ってない」


「ちゃんと謝りなよ?」


 言ってから思い出した。友達の男の子と星祭に一緒に行けなかったというニレさんの話を。あの男の子はパパだったなんて。


 暮れ始めた頃に家に着くと、将吉さんが既に店の前で待っていた。パーティーは常連さんや、そうじゃない人もちょこちょこ入って、カウンターの中のおばあちゃんをお手伝いするために私もエプロンをしめた。


 ニレさんが手伝おうとするのをおばあちゃんがとめた。今日はお客さんだからと。


 面識のある将吉さんとほかのお客さんに捕まってニレさんがお酒を飲まされているので、さりげなくパパがカウンターに席を移るようにしてるのをみて、将吉さん達に冷やかされていた。


 私はお手伝いが少なくなったので、ニレさんと並んでおばあちゃん特性のチキンの照り焼きを食べた。


「なんか不思議だね、すばるちゃん、初音ちゃんと似てるんだよ」


 さっきお手伝いしてる最中、おばあちゃんが私にだけこっそり言った。「見てくれや顔立ちは全然なのにね」と続けた。私も初めてニレさんを見た時そう思ったので、なんだか嬉しかった。


 チキンを食べていると、そこにりなちゃんがパパとやってきた。今日ママが家に帰ってきたので、家族で簡単にクリスマスのお祝いをしてきたんだって。


 私とりなちゃんにおばあちゃんがぶどうのカルピスを炭酸で割ってくれた。お客さんが帰ったりまた来たりしてる中で、入口の端っこにいたおじさんが席を立った。


「おカミさん、オアイソ、ここオイトクネ」


「はい、ありがとうございます。お気をつけて」


 外国の人なのか言葉がカタコトだった。立ち上がると驚くほど背が高くて、白い髪を束ね、モサモサの白い髭を生やしていた。


 私は不思議な光景を見た。そのお客さんが引き戸を開けて外に出た時、ぼんやりと光が差した。まだ夕方なのだろうか、と思ったが時計を見ればもう5時半だ。


 私はその人から目が離せなくなった。その光は膨らむように広がり、しずまりを見せた。するとその人は上下赤い服を着て、先に白いボンボンのついた赤い帽子をかぶっていた。さっき見たモサモサの白ひげは胸まで伸びて髪もまたフサフサしている。


「……え?」


 その人は振り返り、私と目が合った。


 私はあんぐりと口を開けたまま動けなくなった。


 その人はサンタクロースだった。半月型のメガネの奥の青い目を片方瞑り、口にソーセージのように太い人差し指を当てた。内緒だよ、というように。


そして私に手を振り、そのまま指をパチンと鳴らした時、鈴の音が聞こえて、辺りが元のガヤガヤとした元の店の光景に変わった。


 私はハッとして席を立った。引き戸はぴっちりと閉められていて、サンタクロースは影も形も見えなかった。


「ことちゃんどうしたの?」


 りなちゃんが言うのをちらっとみて、また外に目をやると、今度は違ったものが見えた。



 私はカウンターの席を降りると、急いで店の外へ飛び出した。



 暗い空から、白いわたのような雪が降り始めていた。


「わあ、雪だ!」


 私が思わずいうと、店の中からりなちゃんやニレさんも出てきた。



「ほんとね。寒いはずだね」


 ニレさんのそばにはパパが同じように空を眺めていた。


「ねえ、直人、私思うんだけど」


 ニレさんがパパに話しかけていた。


「うん?」


「来年の星祭に一緒に行かない?」


 私は2人を見上げた。パパはニレさんを見下ろして、やがて笑った。


「いや、待って、それは俺が言わないといけないんじゃないの?」


「ええ?」


「その、あの時は約束破ってごめん。出来たら、やり直しさせて欲しい」


「……いいよ」


 私は急いで二人の会話が聞こえなかった振りをして前を向いた。心臓がドキドキした。


「ことちゃん!明日雪積もるかな?」


りなちゃんの元気な声に、私は白い息を吐いて、空を見上げた。さっき聴こえた鈴の音が、また遠くかすかに響いて聴こえる気がした。


「うん、積もるよ、絶対」


「絶対はないだろ」


 私が言いきった事が可笑しかったのか、パパは笑った。その笑顔はとても嬉しそうで、私も嬉しくなって胸が熱くなった。


「だって、お願いしたもん、サンタさんに」


 ポストに入れたカードには、パパが書いたお願いごと、


「拝啓、セント·ニコラウス様。


 すばると仲直りがしたいです」


 と書かれていた。下にはたくさんスペースがあって、勿体ないな、とおばあちゃんの口癖かつい口に登った私は、こう書き足したのだ。



 パパが元気になりますように。

 出来たらクリスマスには雪を積もらせてください。


 

「きっとサンタさんはケチじゃないから、叶えてくれると思うよ」













 2023.12.24

『拝啓、セント·ニコラウス様』

 by kanoko(伊崎夕風)































































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拝啓、セント ニコラウス様 伊崎 夕風 @kanoko_yi

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