第6話
ルーシーはレトロな食器棚のガラスをスライドさせ、少し迷って蝶の柄の茶碗を選んだ。
天井に頭を擦りそうな長身が動く度に照明で影を作る。
俺は次の言葉に怯えて唾を飲み、全ての所作を注視した。
「お菓子好きですか?」
「は?」
「縁起のいい焼き菓子頂いたんです」
ルーシーは長い足を投げ出して向かいに座ると、顔くらい大きく艶良く焼き上げられ、独特の模様が入ったパイみたいな焼き菓子を箱から出した。
丁寧にナイフで切り出し「どうぞ?」と小皿に取り分ける。
少し癖はあるが美味い。
「好きかもしれない」
「
名前に聞き覚えがある。そうだ、中国出張から戻った上司が配っていたのだ。
土産でもらった手の平サイズの月餅は、ボロボロと手元で崩れて食べ難く、独特の生薬っぽい匂いが鼻についた。
「パサパサして不味いとか、薬臭い、とよく言われますが、良い物を選べば美味いんです」
確かに「俺は臭くて好きじゃないけど土産の定番」と言いながら配られた。
「量産すると質が下がりますが、価格も手頃で万人受けします。
それを口に合わなかった誰かが「不味い」「なんか臭い」などと先に言って渡すから、みんな身構えてそれ自体を否定します。
知らなければ、ほら。素直に受け入れる」
疲れ切った体に甘い菓子はとても馴染み、美味い。
「しっかり食べてください、お茶も用意しますね」
「ありがとう」
「
「あ!」
思わず出た大きな声と同時にピーッ!とケトルから甲高い音がした。
ルーシーはケトルに向かって人差し指を立て、シーッと尖らせた唇に当ててガスを止めた。
テーブルの上の籠からティバックを選び、茶碗に入れて湯を注ぐ。
本格的な中国茶でなく拍子抜けしたが、お茶からは嗅いだことのある花や蜜みたいな匂いがした。
今日行った中華飯店でも嗅いだ匂いだ。あぁでも、日付が違う、もう昨日の話だ。
俺は本当に撃たれたのだろうか?
恐る恐る額や眉間を触ってみが、全く何の手触りもなく、つるりとした自分の肌で、
固まった血の赤黒い粉が、パラパラとテーブルに落ちる。
しっかり茶を出し、ティバックを避けながらルーシーは話を戻した。
「眉間を真っ直ぐ撃ち抜かれた場合、命を取り留めた事例があります。なので、銃の扱いに慣れた者は斜め45度に打ち込みます。
まぁ、周さんは流れ弾なので運の問題ですが」
自分の月餅を切り分け、ルーシーは大きく口を開けた。艶りと白い歯が剥き出しになり、ざくり、と口の中に茶色い塊が消える。口いっぱいに頬張ると、幸せそうに鼻から息を抜いて香りを楽しんだ。
「理屈はわかったけど、だから傷が塞がるもんじゃないだろ?」
俺の質問に「うんうん」と頷きながら口元を覆い、しっかり噛み砕いて二回に分けて飲み込むと、茶碗のお茶を飲み切った。
「なので、周さんは誤魔化したんです」
「ちょっと、よく分かんない・・・」
「あなた、占い通りに行動するでしょう?」
「え?なんで知って・・・?」
「1ヶ月前に
「夢?ルーシーが?」
こんな男なら印象に残りそうだが、全く記憶にない。
「大体夢は覚えてないものです。特に私は朝方でなく深夜の夢に伺いましたから」
運が良ければ予約ができる。真谷子の言葉を思い出す。
「それは、俺達が運に選ばれたってこと?」
ルーシーはもう一切れ月餅を切り出し勧めてくれたが、真谷子の記憶と共にあの惨状を思い出し、俺は胸を押さえて小さく首を横に振った。
「いえ、統計の為です」
「は?」
「占いは統計、あなた達はただの経験値です。臨時収入で懐も暖かかったし、
言い方を変えれば、暇つぶし」
「舐めてんな」
「ふふふふ!ですが大当たりでした」
ズキっと頭の芯が痛む。
「周さんは一生を得る可能性があったのです」
「と、言うことは?」
俺の本当の占い結果は?
毎朝見るテレビの占いは無難なことしか言わない。
それは世間一般、不特定多数の為に、今日一日を無難に過ごせるように解釈された簡易なもの。
だが、対面の占いは俺だけの結果で俺だけのもの。
頭の芯の熱さがズブズブと吹き返し、眉間を伝って鼻の横を生暖かい一筋の液体がどろり流れだす。
「蟹が運気を左右してました。周さん、ちゃんと守ってくれましたよね」
震える俺の顔を見て、ルーシーはパンパンッと大きな手を叩く。
「切り替えましょう、今日はもう違う日です」
うすら笑いの大きな男は綺麗な顔を歪ませる。
鼻歌混じりで立ち上がり、まだ熱いケトルを持って俺の茶碗に湯を足した。入れたままのティバックから薄黄色い茶が滲む。
「起きたことは変えれませんが、運命はあなた次第で変わります」
息が浅くなり、上手く吸えない。
必死に吸い込んだ空気は、異国のお茶の匂いが染み込んでいて、肺を通って心臓から全身に巡る。
ちゃんと脳へ供給したいのに、上手く吸えず、脳が傷み出す。
「ルーシー・・・俺、どうすればいい?」
ぼたぼたとテーブルに血が滴りだす。
ケトルを置いたルーシーが、慌てて俺をしぃぃっと宥めながら大きな胸に抱き寄せた。
白いシャツが赤黒くなり、煙みたいな硝煙の匂いと、肉が焦げる匂いがする。
それを大きな手が優しく拭うたび、立派な腕時計の規則正しい音が、カチカチと歯の根のような音を立てる。
「ねぇ周さん?よく寝て、現世の物をよく食べれば、体は大丈夫。魂は、誰かの夢に潜り込んで、こっそりとって食っちまえばばれません」
くる道すがらルーシーが言っていた出稼ぎの意味がようやく理解できた。だが。自分の生死は理解出来ない。
「このルーシー、毎日あなたを占います。信じれば永遠、狭間も住めば都です」
隣の住人がドンドンッ、と壁を叩いた音に「あぁいけない」と上品に口を窄め、今度は耳元で甘やかにささやいた。
「チェックをサボらなければ大丈夫」
その声は甘い蜜の香りがした。
狭間のルーシー #73 @edv3
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おちる/#73
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 4話
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