短編「you scope」

みなしろゆう

「you scope」


「あたし、20歳になる前にしにたぁい」


 立ち入り禁止の紙が貼られたドアを開き、殺風景なコンクリートの上へと飛び出した彼女は、にへらと笑いながら下手くそなダンスを踊った。

 ダンスというかあれだ、「きみょうなおどり」だ、何とも言葉では言い表し難い、可笑しくて気色悪い動き、手足をジタバタ、不安定になった頭がぐらぐら揺れる。


 こんな寒いのに元気だなーとぼくは思ったけど、寒いからこそ踊っているのだろうか。


 職員室からくすねた鍵が、彼女の踊りに振り回されてチャリチャリとリズムを刻んだ。

 キープレートにはマジックで「屋上」とだけ書かれている。


「フェンスも何も無いんだね」

「だから立ち入り禁止なんでしょ」


 ぼくは何にも考えていない顔で、遠い夕焼けを見た。

 隔てる物が何も無い空は何処までも続いているけれど、地上を見下ろせば住宅街があって、数える気にもならない屋根の下で灯りがぼちぼち点き始めている。


 本当に難しいことを何にも考えないぼくは、呑気にあー、日が暮れるのも早くなって来たなぁ、とか思った。

 綺麗な夕焼けはほんの一時だけしか見られない、小学校に上がる前から知っていることだった。


「真子は何でそんなに早死にしたいの」

「んー、大人になるのだる〜みたいな?」


 彼女の……真子の返答を聞いて、なんだ、と呟きかけたのをぼくは呑み込む。

 真子は昔からおちゃらけていて、ぼくとはまた違ったタイプのバカだけど、心の隅っこの方で独自の哲学を捏ねくり回す子でもあった。

 自分なりの考えや理由を聞いてほしい時、真子はこっちを横目でちらちら見る、そう、まさに今みたいに。


「そのこころはー?」

「あっは適当すぎんじゃん、いいけど。

 んとねー、七斗にも分かりやすく言うとぉ……」


 ぼくの適当な問い掛けに笑いながら、真子はポケットの中から缶コーヒーを取り出す。

 寒いからとか言うからさっき、購買の横にある自販機でぼくが買ってあげたのだ。

 聞いたことのないメーカーのまずいブラックコーヒー、それは高校三年生も終わるという今でもずっと真子のお供。


「大人になったら仕事するでしょ、んでよく分からん手続きとかも自分でしなきゃいけなくって、恋愛も今みたいに何となーくでしちゃいけなくて、子ども産んだり育てたり」


「そういうの考えると全部だるくね?

 人生の面倒くさが二十代に入ると倍の倍になってく気がしない?」


 真子の言いたいことは分からなくもなかった、なるほどね、それがきみの人生観なわけだと賢そうなフリしてぼくは考えた。

 わざとらしくふむふむと頷くぼくの姿を見て、真子は声を上げて笑う。


「ちょーわかる」

「絶対わかってないじゃん、あは!

 七斗はさ……」


 缶コーヒーは結局、真子の足元に置かれてしまった、喋り終わる頃には冷えているに違いない。

 ルール違反なんて今日初めてしたぼくらの頭上では、空の奥から覗く暗がりが一番星を抱き締めている。


「七斗はいつ死にたい?」


 薄い唇から放たれた囁き声、にへへと笑う真っ赤な頰。

 喉の奥で息が詰まって、うっとぼくは俯いた。


 視界に映るのは上履きのまま飛び出して来た自分の足と、汚い灰色のコンクリート。


 彼女からそう問われるのを、ぼくは随分と昔から知っていた気がする。

 用意していたみたいにすんなりと答えは頭に浮かんでいて、口にするのも簡単そうだ。

 気掛かりがあるとすれば、今から放たれるだろうぼくの言葉を聞いた君が、何て言うかってことくらい。


「いますぐ、かな」


 素直な気持ちを口にしてぼくは気付いた、喉の奥に詰まっていたのは息ではない。

 もっと深い場所の、体の中を分け入った先の、心臓の裏に近い場所にあるような無いような、形が掴めない、不安定な自分の柔らかい部分に蟠っていた何かなのだと。


 真子の方を伺えば、彼女はふうん?と首を傾げてぼくを見ていた。

 何だか知らないけど、ぼくの返答は彼女の興味を唆るものだったらしい。

 ゆらゆらと上半身を揺らしていた、落ち着きのない彼女が一歩、踏み出してくる。


「意外だなぁ、七斗ってもっと人生謳歌してると思ってた、毎日たのしそうだし」

「そう?」

「だって友達沢山だし、女子にも男子にも好かれる性格だし、先生からも大人気じゃん、勉強も運動も出来て……顔も良いと思うし」


 しげしげとこっちを見つめてくる目から逃れたくてぼくは身を捩った。

 長いまつ毛の向こうにある、真子の必要以上にギラギラしている瞳に頭から爪先まで見られるのが耐えられない。


 真子は純真無垢すぎるが故に頭がおかしいのだ、ぼくは昔から知っている。

 彼女の本質をありありと表している瞳が何だか怖くて、いつも目を逸らしてしまう。


「親だって優しいでしょ、バイトも楽しくやってんでしょ?

 色んな人に七斗は愛されて、ここにいてもいいよって言われてるのに、何でそんなに死にたいの?」

「……そんなの、ぼくだって同じことをきみに訊きたいよ」


 さっき20歳前に死にたいとか言ってた口で何を、とぼくはため息を吐いた。

 真子は興味本位で聞いているだけなのだ、他意は1ミリも含まれていない、だから嫌だった。


 薄っぺらい言葉で怒ってくれた方がマシだ、と思った時、ぼくは真子に怒られたかったんだなと自分を知った。

 今更知ったところで何も変わらないような気がする、なんて意味のない思考だろう。


「愛されてるのも優しくされてるのも必要とされてるのも分かってる。

 それでも死にたくなっちゃう人はいるんだよ」

「そりゃたいへんだ!!」


 突然大きな声を出した真子は、えーとね、とバカ丸出しの間抜けな顔でぼくに言う。


「人生って10代だけじゃないから、悲観しなくても大人になったら楽になるらしいよ、相談ダイヤルのおばちゃんが言ってた」

「どうせパートのおばちゃんが適当に言ってるだけだろ、あんなの」

「あは、実態知らないんだからそういうこと言わないほうがいいって」


 何かが可笑しかったらしく真子は腹を抱えて爆笑していた。

 奇天烈という言葉を人間にしたみたいな人だな、とぼくは改めて思う。


「というか、大人なんて面倒くさいことだらけだからなりたくないって真子言ったよね」

「えー、そこまで言った?

 言ったかぁ、あはは!!」


 今度は爆笑しながら猿みたいに両手を叩く真子を見て、ぼくはちょっとだけ引いた。

 おかしいおかしい、と終いにはぼくを指差して真子は笑った、可笑しいのはどう考えてもこいつの方だろう。


「七斗しんだら、あたしどうなるのかな。

 どう思うのかなぁ……あ、そうだ!」


 真子は良いことを思い付いた、とはしゃぎながら足元の缶コーヒーを拾い上げる。

 彼女の名案は大体碌な物ではない、顔を顰めるぼくの目の前で、真子は缶コーヒーのプルタブを起こした、そして。


「あっっつ!!」


 ひいひい言いながら温いコーヒーを一気飲みして、空になった缶を持って、真子は駆け出した。


 猫舌の彼女が飲めたんだから、予想通り冷めていたんだろう、と何にも考えていない顔で奇行を見ていたぼくは、真子が屋上の端まで辿り着いた時にやっと目を見開いた。


「ちょっと……!」


 頭がおかしい、奇妙、奇天烈、バカ。

 確かにそう思っていたけれど、行動があまりにも唐突すぎて頭が追いていかれる。


 消えかけの夕暮れに向かい真子は大きく右手を振りかぶって。


 ぽーんと、空き缶を投げ捨ててしまった。


「ばか、バカバカ、何してんの!?」


 慌てて真子の隣へ駆け寄ってぼくは、恐る恐る下を覗き込む。

 放り投げられた缶は、当然だけど地面に叩きつけられてひしゃげていた。

 その様が、ロゴすらよく見えないくらい離れた位置から見下ろしているというのに、何だか生々しくてぼくは目を背ける。


「……人に、当たったらどうすんだよ」

「ごめん」


 真子は素直に謝った、ぼくと同じようにひしゃげた缶を見下ろして、暫くの間黙って。

 何だか気まずい沈黙だ、もう帰ろうよ、とぼくは声を掛けようとしたけれど。


 弾かれたように空を見上げた真子を見て、ぼくは言葉を失った。


「うわぁああああん!!!

 やだよぉ、七斗があんなになったらいやだぁあああ!!!!!」


 何かのスイッチを押されたみたいに、いきなり真子は泣き始めた。

 泣くというか大泣き、発狂に近い、呆気に取られたぼくは身動き一つ取れず、真子は小さい子どもみたいに全身を使って泣き喚く。


 わんわんと響く泣き声を聞きながら、ぼくは本当に、本当にこいつは頭がおかしいと再認識した。

 だけど今まで付き合ってきた年数と、彼女との色々な思い出が助言をしてくる。


 ぼくは真子の独自の哲学や世界観を割と理解できる方だ。

 たぶん真子は、あのひしゃげた空き缶のことをぼくに見たてたんだろう。


 地面に叩きつけられてひしゃげ、飲み残しのコーヒーを口から吐いたあの空き缶は、彼女の世界観を通して見るなら、確かにぼくの死体だった。


 この場合、自殺じゃなくて彼女が手を下しているわけだけど、そのあたりはどう処理されているのだろうか。


 ぼくは真子の肩に手を置いて、まあまあ、と宥めてみる。


「落ち着きなよ、ぼくまだ死んでないから」

「うぅ、ぁああ……おえぇ」


 泣き過ぎてえづきながら、真子はぼくの方を見上げる。

 ……つまり、ぼくが死んだら真子はこれだけ泣いてくれるということだ、それはなんだか気分が良い。

 性格が悪いなぁと自分でも思う。


「ぼくも、真子がああなるのは嫌だなぁ」


 二人でもう一回、仮初の死体を覗く。

 ぼくと彼女の目にはあれは、紛れもなく互いの死体に見えている。


「じゃあ、死ぬのやめるぅ……」

「あれ、意外と簡単に諦めるね?」


 真子が鼻を啜りながらそう言うから、ぼくは何だか可笑しかった。


 ぼくらはお互いにバカだから、簡単なことが難しくて、難しいことが簡単なんだ。

 これは今更じゃない、割といま気付けてよかったと思える事だった。


「あたし、生きて七斗が死なない様に見張り役するからぁ!」

「じゃあぼくは、真子が人生めんどくせーってなったら助ける係をするよ」


 夕暮れはもう見えない、広がる夜空は落ちて来ないし、残念ながら明日世界は滅びない。

 ぼくたちはきっとこれから先、なんとなーくで死にたくて、面倒臭いと文句を言いながら何だかんだで大人になる。

 そして今日のこともいつか、思い返しもしなくなるのだ。


 高校三年生の終わり、真子が隣にいなかったらぼくは、きっとここから飛んでいた。

 高校三年生の終わり、真子が独りぼっちなら、彼女の哲学は言葉にすらされなかった。

 

 風が強くて寒いから、帰ろうとぼくは言う、真子は制服の袖で涙と鼻水を拭いていた、汚過ぎてぼくはドン引きした。


「まあ、帰るより先に叱られるかな」


 複数人の大人が階段を上る音を聞きながら、ぼくがため息を吐けば、真子はにへらと笑う、まつ毛についた涙が飛んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編「you scope」 みなしろゆう @Otosakiaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ