名もなきコイル

天永哉

 とても奇妙な世界に生きている。

 この世界にはおかしなことに、移動速度に上限があり、光よりも速く移動することはできない。ビッグバンを起点に宇宙は膨張しており、その膨張する速度は、光の速度を超えているという。つまり、この宇宙から出られなくて、まるで閉じ込められているみたいだ。ぼくたちどころか、光でさえも、この宇宙の果てかもしれない景色を見ることはできない。


 空中を可憐に舞う、魅惑的な羽を纏った蝶は、自身の美しさを知らない。

 大海で生きる魚が、自身は生きれない外の世界があることを知るのは、人間によって捕獲されたときか、海岸に打ち上がるときだけだ。トビウオは海面を飛び出し、息もできぬ危険な世界へ滑空をする。外の世界があることを知っている唯一の魚だ。

 ぼくたちが、ほんとうの外の世界を知るのはいつだろう。もしかしたら、ないのかもしれない。この宇宙の広がりは、一体どこに向かっているのだろう。


 この季節、この時間、この場所で、ぼくがいま見ている星空は、ぼくが生涯健康に天寿を全うしたとしても、一生変わらない。というよりも、この星空は、人類が打製石器を使い、集団で狩りをして生活していた頃とか、まだ人類の文明がよちよち歩きだった時代からほとんど変わっていない。はるか太古の昔から、人類は畏敬と憧れの念を抱き、星空を見上げてきた。


 ぼくの視線の先にある、キラリと光る小さな星。これは何百年前の過去の姿で、途方もなく遠いところにある。だがぼくの母は、あの星よりも遠い。

 ここから見える、煌々と光るイルミネーションが飾られた、こじんまりとした建物に母はいる。いま、ぼくの知っている母ではない母が。


 新しい家に母を送り届け、帰ろうとするも次の電車は30分後。やることもないので川の流れる丘の上にただ呆然と座っている。思索に耽るには絶好のタイミングだ。


 ぼくが生まれた家庭は、裕福とは言えなかったが、サラリーマンの父が忙しなく働き、特にお金に困ることもなく暮らしていた。

 ぼくの古い記憶が残っている頃には、父と母の仲はすでに険悪で、精神の病みがちな幼少時代を過ごした。

 お互いに謝れない、意地っ張りな人たちで、どうしてこんな2人が結婚したのだろう、と幼心ながらに疑問を持っていた。家にいて耳を塞いでも聞こえる騒音に、ヘッドホンで音楽を聴いて閉じこもった結果、ぼくの耳はかなり悪くなってしまった。小学校の聴力検査に引っかかり、病院に行ったときには、音楽の聴きすぎだと母に叱られた。

 ぼくは家族団らんを知らなかった。長期休暇は決まって家族旅行をする周りの友達がとても羨ましく、とても悲しかった。


 母のことは、お世話になっていることをわかっていても、憎たらしく思うことの方が多かった。お世辞にも頭がいいとは言えない人で、そんな考え方しかできなくて可哀想だと思うことがたくさんあった。恩着せがましく、迷信を信じていた。過干渉で、過保護でもあった。


 厚かましくなることを年齢のせいにして、店員に敬語を使おうとしない母が許せなかった。少し反論しただけで「うるさい」と返し、解決のための議論すらできない母が愚かだった。他人からの贈り物に文句を言う母が恥ずかしかった。ぼくが遊びに行くときに相手の性別を毎回聞いてくる母が鬱陶しかった。

 何度注意しても変わらない、そんな母に辟易していた。消えてしまえと思ったことは数知れない。


 母の異変が見え始めたのは、ぼくが高校生の頃だった。

 病院内の多目的の男子トイレに間違って入ってしまい、「注意力が散漫になってきた」と嘆く母をみて、さすがに悲痛な思いに縛られた。

 ぼくは、母がこれから発症する病気がわかっていたから、すぐに病院に連れていった。結果は予想通りだった。


 ぼくが大学生の頃には、父の精神もずいぶん荒んでいて、母が自分より先に家を出ると悟った。

 衝突してばかりの人だったが、それでも恩のある母親。凄惨な老後を迎えられるのは気分が悪かった。

 母が施設に入ったとして、父に毎月の費用が払えるだけの収入も気力もないことは、火を見るよりも明らかだったから、ぼくは母の生活を支えるために、大学で必死に勉強をした。少ないバイト代も貯め始めた。

 頼むからもう少し時間をくれ、と常に願っていた。


 それから母は、穏やかに死んでいった。

 ご飯のことを異常に気にするようになった。自分の好きなアーティストの曲を一切聞かなくなった。冷蔵庫に場違いなものが入り込むようになった。母の散歩が徘徊に変わった。そして、母の世界から、ぼくがいなくなった。

これなら急に絶命されるほうがまだマシだと思っている。


 さっき、母は介護士さんに、ぼくのことを昔から可愛がっている近所の子だと紹介していた。なんと奇妙な病気だろう。まるで強力な魔法にかかったようだ。


 吹っ切れたというか、ぼくは正直ほっとしている。ひとまず母が、生活に困窮することは死ぬまでなくなった。病識もなく、この生活が誰によって支えられているのかも知らないまま、母はあの場所で最期を迎える。


 小学生の頃、テレビで「古代文明による人類滅亡の大予言」を知ったぼくは本気で恐れた。それから毎晩寝る前に、誰だかわからない神様に必死に手を合わせて祈っていた。どうか人類が滅亡しませんように、と。

 布団に入り、自分の人生が間もなく終わってしまうことを考えたら怖くてたまらなくて、涙をぽろぽろ流しながら寝た日もあった。あまりに怖くて母に言ったら、「そんなことはおこらん」と一蹴され、心が軽くなったことを覚えている。


 いまのぼくは無神論者だが、願いはする。

 様々なストレスや悩みにより、若くして希死念慮に囚われ、人生晩年には自己の崩壊した暗がりの世界に陥る人が増えた。こんなに惨い世界が、ほんとうに神が創りだしたものだろうか?

 こうして言葉を綴るのは、ぼくが生きた証をこの世に残したいという祈りでもあるからだ。


 人間は、自らの意思によって避妊をする唯一の生物であり、精神を病んでは自ら死を選ぶ存在でもある。ほかの生物とは一線を画すこのような人間は、遺伝子が望んだ生物本来の姿ではないはずだ。発達した技術により罹患した病気に対応し、遺伝子を操作し、死すべき運命に抗う。


 生命の回数券であるテロメアの短縮を防ぐ研究に進捗が見え始め、人類はついに不老不死への切符を切った。

 だが、寿命は遺伝子が進化で獲得したものだ。死とは、遺伝子のためのものだ。よって、老いに抗い、寿命を延ばし、不死に近づくことを、創造主の遺伝子は好ましく思っているだろうか。

 年々最低を更新する出生率、ならびに止まらない晩産化。子どもを産まない生物が、遺伝子にとって価値があるだろうか。

 ここまでの繁栄をみせた遺伝子が、なんの策もとらないとは思えない。


 母の病気のように、出産適齢期以降や老後に発症するものは、選択圧がかからないために、自然淘汰されることなく受け継がれる。ぼくは病気の起源をずっと追っているが、わからないことだらけだ。発症前は、生存に必要な遺伝子として働いているのかもしれない。


 昨日、約半年かかった解析がやっと終わった。ぼくのゲノムにも、この病気の遺伝子を発見した。やっぱりな、と思った。

 いまはまだ眠っている遺伝子が、いつかぼく自身に牙を剥く。いや、とっくの昔から目覚めているのかもしれない。もうトリガーは引いてある。


 これほどに医療が発達しても、残念ながら、この病気の完全な治療法は未だにない。がんなどの、器質的疾患は完治しやすくなったが、依然として精神疾患と並ぶ難題だ。

 治療法もなければ、この病気が消えることもおそらくない。不滅の遺伝子だ。人類の繁栄が続く限り、これからも罹患する人は増え、多くの人々に失望を与え続ける。

 だが臆することはない。ぼくたち人間こそ、生物を司る遺伝子の唯一の反逆者なのだから。


……もし、これら含めたすべての事象が、遺伝子の計算範囲内だったとしたら、遺伝子は初めから、生命に対してずっと自由を謳っていたのかもしれない。


 ぼくは、ぼくが研究していた病気に自らなることによって、この病気を真に理解することができる。不謹慎ながら、人生最後のたのしみでもあるというのが本音で、ここで絶望に陥らないのなら、それはいい事なのかもしれない。


 身も凍えるほどに寒くなってきた。そろそろ駅のホームに向かおう。今日は父と映画を観る。結婚前、実家で過ごす最後の夜だ。

 帰り道は、まだわかる。

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名もなきコイル 天永哉 @Tmg628

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