さんさん惨語

白木錘角

【三題噺#47】木箱のペット

 昔、私は“ピョン”という名前のウサギを飼っていた。住んでいたマンションではペットを飼う事が禁止されていたため、万一誰かが突然入ってきてもその存在に気づかないよう、おがくずを敷き詰めた大きめの木箱の中に入れてひっそりと愛でていたものだ。犬や猫と違って鳴かないので普通ならまず気づかれない。たまに箱の外から出して運動させてやったが、爪で畳や柱に傷をつけることもないのもよかった。


 ある日、私が学校から帰ってくると、横倒しになった木箱の横で、父がぼんやりと煙草を吸っていた。父の足元には真っ二つになった箱の蓋があり、その頭上では大した太さもない縄が所在なさげに揺れている。


 おそらく父を病院に連れていけば何らかの病名が与えられたのだろうが、自尊心だけは人一倍だった父は自分が病んでいる事を頑なに認めようとしなかった。そのくせ、他の父親が我が子にしている事のほんの一かけらだろうと、この男は私にはしてくれなかった。父が目を背けている不都合な事実、そこから生じた全てを黙って受け入れてきた結果が、吐血し冷たくなったピョンの体だ。そう考えるともはや自分を抑えることができなかった。


 踏み台にするにはちょうどいい大きさだった。蓋が割れるかもと思ったが、どうせ死ぬんだからとどうでもよくなった。


 胸倉をつかまれたまま、ヤニ臭い口で言い訳めいた言葉を吐き続ける男を見ているうち、私も次第にどうでもいいという気持ちになっていった。殺意にまで昇華していた激情が急激に冷めていく。仮に怒りに任せて殺したところで、きっとこいつは何かを悔い改める事なんてない。たとえ閻魔の前であろうと。今までのように全てを無かった事にするだけだ。精一杯の抵抗として、どこかニヤついたように見える顔に振り下ろした拳は驚くほど軽かった。


 明日の早朝、誰にも見つからないように埋めてやろう。そう思い木箱を抱えて眠ったのが日付が変わる直前だっただろうか。近くから聞こえる物音で目を覚ました時、薄緑に光るデジタル時計は午前3時を示していた。

 物音のする方向を凝視するうち、目が暗闇に慣れてくる。何か四角い物がゆっくりとした動きで畳を這っている。それが先ほどまで抱えていたはずの木箱であると気づくのと同時、箱の中から黒い影が頭を出した。長い耳を2本、ピンと立てたその影は、すぐそばで寝息を立てていた父の口に滑り込んでいく。丸っこい尻尾が口の中に消えて数分経った時、寝ているはずの父が激しく咳き込み、一際大きなくしゃみをしたかと思えば何か大きく丸い物を吐き出した。

 近くまで転がってきたそれを撫でてみると、滑らかなようでいて微かに凹凸がある。もっと間近で眺めて見たかったものの、撫でているうち私は再び眠りについてしまった。


 次に目覚めた時、目の前にあったのは虚ろな眼窩だった。やはりというか、昨日のあれは夢ではなかったらしい。しばらくそれを眺めたり放り投げて遊んだりしていたが、やはり土に埋めてしまう事にした。こんなものを持っていても扱いに困るし、取っておくほど愛着があるわけでもない。

 学校に行く途中にある広場に埋めていこうと、手早く支度を済ませて玄関の戸を開けた時、起きてきた父が黙ってこちらを見ている事に気がついた。いつもとはまるで違う穏やかな表情をした父を、私はその時初めて愛おしく想う事ができたのだ。


「いってきます」

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