九 ぼくの疑問
軒下の薪をかたづけるとき、ぼくは仏像を彫ろうと思っていなかった。薪を見ていたら顔が埋もれているように見えたから、彫りだしただけだった。仏像彫りと薪のなかから顔を彫りだしたことは、どこがちがうんだろう。ぼくはこれまでのことを思いかえした。
冬休み、ぼくは円空が彫った仏像のように、荒削りでも、人が何か話しかけているような仏像を彫りたいと思って丸太を彫った。彫れたのは、長年雨風にさらされたような、表情のない木彫りの像だった。
夏休み、かたづけていた薪の中に顔が見えた。彫りだしたらモアイに似た像で、顔は人のように何か話しそうな感じだった。そのあとも、薪の中に顔を見つけて彫りだしたら、うれしそうに笑っている北アメリカ大陸先住民が出てきた。モアイも先住民も何か話しそうな感じがした。
もしかしたら、円空は仏像を彫ろうと思って、丸太や薪や材木を彫ったのではなかったのかもしれない。村人や商人に頼まれ、人々の思いを現すものを丸太や薪や材木のなかに見つけて彫りだしたのかもしれない。そして、彫りだしたものが、僧侶の円空のイメージでは仏像だった。
仏像についてぼくは何も知らなかった。仏像の顔を薪のなかに見ることはなかったけれど、イースター島のモアイやアメリカ先住民に興味があったから、それらに関係する像が薪の中に見えたのだと思う。
その後、丸太にも顔が埋もれているかと思って、丸太の表面を見たけれど、顔は見えなかった。顔が見えるのは、割れた薪の木肌に多いのがわかった。
顔が見えた薪それぞれに、やさしい顔、こわい顔、きみわるい顔など、いろいろな顔が埋もれていた。ぼくは何かが気になり、それらを彫りださなかった。
夏休みの終りにちかいある日、軒下に積んである一番下の薪に、なんとなくなつかしい顔が見えた。大人の太腿ほどの薪だった。ぼくは何も考えずに、父から丸鑿を借りてその顔を彫りだした。顔のまわりが彫れて目や鼻がはっきりすると、母が、薪のなかから現れた顔を見て、
「私の父親に似てる。父親だわ・・・」
といった。母の父は、母が二十歳前に亡くなったと聞いている。
彫りだした母方の祖父に似た像は胸像だった。ぼくはその胸象を、丸太の仏像といっしょに板の間の戸棚の上に置いた。
母方の祖父に似た像を彫りだしてから、薪を見ても、ぼくは薪に埋もれた人の顔を見なくなった。そして、円空がどうして仏像を彫れたのか、わかった気がした。
もしかしたら、母方の祖父が、ぼくの疑問に答えたのかも知れない・・・。
(ある次郎の物語①円空仏 了)
ある次郎の物語 円空仏 牧太 十里 @nayutagai
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