ねこ駅長に癒やされないと出られない部屋

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

ねこネコ猫猫猫まみれ

 ねこ駅長は怒っていた。

 げきおこにゃ。

 お世話役の駅員が忙しく、前まで毎日二本もらえていたちゅ〜るが一本になってしまったのにゃ。

 最近太りぎみだからでは断じてにゃい。


 ……不景気が全て悪いにゃ。

 人間社会の闇がそうさせるのにゃ。

 飛び込み自殺では誰も救われにゃいのにゃ。


 仕方にゃいから今日も駅長としての仕事をしてやるにゃ。

 どうしようもにゃい人間たちを癒やしてやるのにゃ。


 ◯    ◯   ◯


 ――にゃ。


 願針杉ミヤコは微睡みの中にいた。

 久しく感じていなかった至福の空間に包まれている。

 心も体も癒やされていく。


 ――きるにゃ。


 陽だまりのあたたかさ。

 頬をペチペチ撫でるぷにぷにの肉球。

 香しくも艷やかな毛並みはさぞ名のある家猫様に違いない。


 ミヤコは一切の迷いなく猫吸いした。

 こんな気分が高揚することは就職してからなかったことだ。

 だから思いっきり猫をキメた!

 すーーーーーーーはーーーーーーーーー!


 ――にゃにするにゃーーーーーーー!!!


 そんな叫び声が聞こえて意識が覚醒していく。

 瞳を開けるとお猫様の白い毛並みが広がっていた。

 どうやら白猫様を猫吸いしていたようだ。

 吸わせていただいたことに感謝して、抱きしめていた手を離す。

 すると白猫様がひらりと軽やかにお腹に着地し、そのまま逃げてしまった。


「あっ! 待って……って……えっ!?」


 追いかけようとしたが身体が動かない。

 動かせない。

 というか動きたくない。


 ――にゃ~。

 ――にゃ~にゃ~。

 ――にゃ?

 ――にゃん。

 ――にゃぁ~~~~!


 ミヤコの身体は猫だまりのねこ布団に包まれていた。

 何匹のお猫様がいるのかわからない。

 とにかくたくさんの猫がミヤコにスリスリしてくれている。

 この楽園を壊してはならない。

 理性でも本能でもない。

 ただこの世の真理がミヤコに動くなと命じている。


 ここがどこかはわからない。

 真っ白な部屋にある猫だまりだ。

 太陽は見えないのに、陽だまりの中にいるかのように暖かくてぽかぽかしていた。


「……猫天国は実在したんだ」

「にゃにをバカなことを言っているにゃ。急に猫吸いするにゃんてこれだから人間は……って猫吸いってにゃんにゃ!? にゃんか当たり前のように人間は『猫を吸う』とか言ってるにゃけど、そんにゃ行為を猫は知らないにゃ!?」

「猫吸いは人間の持つ本能……って誰!?」


 猫しかいない天国だと思っていたのに話しかけられた。

 キョロキョロ辺りを見回しても誰もいない。

 周囲はねこまみれだ。

 異常といえば全てが異常だが、お猫様なので異常なしだ。

 先ほどミヤコから逃げ出した白猫様が駅長服を着ていても異常なし。

 二足歩行していても異常なし。


 猫だって二足歩行したいときはある。

 実際にあるのだ。

 世界の珍猫動画で見たことある。

 だから二足歩行しながら、紫色のふかふか座布団を自分で用意して、いつもの猫宮駅駅長部屋スタイルとは異なる座り方をしてもおかしなことではない。


「ってさすがに座布団に腰掛けて足組むのはおかしくない!? ねこ駅長!?」

「……人間真似してみたにゃ。やって後悔したにゃ」


 猫も後悔することがあるらしい。

 ねこ駅長は座布団にぽふりと座り直した。

 猫宮駅名物のいつものねこ駅長だ。


「それで身体と心は大丈夫かにゃ?」

「は、はい駅長様。すこぶる元気です」

「それはよかったにゃ。さっきまで死にそうにゃ顔をしてた……というか人間は自分が死のうとしたを覚えているかにゃ?」

「えっ……私が……あれ?」


 頬に涙が伝っていた。

 猫天国に浸っていて、まるで子供のようにはしゃいでしまっていたが、ミヤコは今日、通勤電車に飛び込み自殺しようとしたのだ。

 ……衝動的に。

 仕事に行くのが嫌で。

 涙を拭おうとする。

 でも両手がお猫様達にホールドされて、動かせなかった。


「今は泣くといいにゃ。ここには吾輩たち猫しかいないにゃ。人目を来にする必要がにゃいにゃ」

「ひぐっ……わた、わたしは死のうと!」

「生きているにゃ。だから大丈夫にゃ」


 ねこ駅長が号令はかけたのか猫たちが私の身体に集まってくれる。

 泣いている姿も覆い隠してくれる。

 心を慰めてくれる。


 ――にゃ~。


 どれくらいそうしていただろうか。

 上京して、就職して、社会人になって、働き始めて。

 忙しさに時間を追われて、上司からは罵倒されて、明らかにキャパシティを超えた量の仕事を押し付けられて、毎日夜遅くまで残業で、要領が悪いと罵られて、挙げ句の果てに残業の理由などという意味のわからないレポートを書かされて、時間内に終わらせれないお前が悪いと言い切られて、残業代も出なくて、ストレスを溜め込んで、自律神経もおかしくなって、寝れなくて。


 全てが嫌になっていた。

 だから走る電車に身を投げ出そうとしたのだ。

 今になって死の恐怖がやってくる。

 まだ生きている。

 その言葉に安心する。

 自分から死のうとするなんてまともじゃなかった。


 自殺に疑問を覚えなかった。

 計画的に自殺しようとしたのではない。

 電車がやってくるのを見て、飛び込んだら楽になれると思ったら動いていたのだ。

 それが怖い。

 自分のことなのに理解できない。

 いつの間にか正常がわからなくなっていた。


 ひとしきり涙を流し終えて、自分がおかしかったことを自覚できた。

 ミヤコが冷静になるのを待っていたのだろう。

 ねこ駅長が語り始める。


「人間は最近実家に連絡取っていにゃかったにゃ」

「はい……仕事が忙しくて」

「忙しいのはいいにゃ。頑張るのもいいにゃ。でも死にたくにゃるようにゃ仕事にそれだけの価値があるのかにゃ?」

「それは」

「ないにゃ。反省するにゃ。人間は猫を見習うにゃ。命大事ににゃ。優先順位を間違えすぎにゃ」

「……はい。仰るとおりです」

「つらいにゃら逃げるにゃ。そんにゃことだから人間の実家のココアから我輩宛てに手紙が届くにゃ」

「ココちゃんから!?」

「ミヤコから連絡がにゃいと怒っていたにゃ。この手紙を読むにゃ」


 二足歩行する三毛猫がねこ駅長から二つ折りの手紙を受け取り、ミヤコに手渡した。

 一体どんなことが書かれているのか期待してミヤコは手紙を開く。

 そこに記載されていたのは。


『みゃこやば』


 五文字だった。


「これだけ!? ここちゃんからの手紙これだけ!? これ怒っているの? というか猫もヤバいを使うの!?」

「うるさいにゃ! 伝われば十分にゃ。ココアは連絡もせず、帰っても来ない人間を心配して、わざわざ吾輩に連絡を取ってきたにゃ! 面倒臭がりの猫がそんな行動を取るほど人間はダメダメということにゃ!? 猫に心配させんにゃ人間!」

「うっ……そうですよね」

「大体そんなにつらいにゃら。家族や友達や猫に相談するにゃ。人間は心配はするし、吾輩たちはスルーするにゃ!」

「スルーするんだ」

「人間の領分は人間に任せるにゃ。他にも労基や産業医とかいうのにちゃんと相談するにゃ。死ぬほどつらい環境にいようとするのが理解できないにゃ。さっさ逃げるにゃ。そして猫にちゅ~るを貢ぐのにゃ。そうすれば上司の顔を爪でひっかくぐらいは手伝ってやるにゃ。わかったかにゃ?」

「はい……はい!」


 どうも猫に心配されるほどやばかったらしい。

 今はそのことを受け入れられる。

 思いっきり泣いて、猫に包まれて、いつの間にか心が楽になっていた。


「あと猫は時間に追われて毎日イライラと過ごしている人間は嫌いにゃ。近寄りたくないにゃ」

「……猫ちゃんに嫌われたくない」

「だったら心にゆとりある生活を目指すにゃ。あとちゅ~るくれる飼い主が好きにゃ。全ての人間は猫に好かれることを目指すべきにゃ」

「私も猫に好かれる人間になる」

「わかったならそれでいいにゃ。さて本日の駅長としての仕事は終わりにゃ。この空間を閉じるので人間はさっさと起きるにゃ」

「えっ!? この猫天国を閉じるなんてそんな!? ここに住まわせてください!」

「いやにゃ! この空間維持するの疲れるにゃ! 吾輩が過労死するにゃ! だからいい加減人間はさっさと目を覚ますにゃ!」


 ねこ駅長が跳び上がり、ミヤコの額に猫パンチした。

 視界がクラクラと暗転していく。


 ――にゃ~。

 ――にゃ~にゃ~。

 ――にゃ?

 ――にゃん。

 ――にゃぁ~~~~!


「人間は頑張りすぎないように頑張るにゃ。今回の仕事の報酬はちゅ~る一本でいいにゃ」


 最後にミヤコはそんな声を聞いた。


 ◯    ◯   ◯


 ――ペチンッ。


「こら駅長! 顔を叩いちゃダメでしょ!」


 目覚めるとミヤコは、駅内の従業員スペースに寝かされていた。

 今は医者が到着するのを待っているのだとか。

 そこをねこ駅長に叩き起こされたみたいだ。


 ミヤコは通勤電車を待っている間に貧血で倒れた。

 寝不足がたたったのかもしれない。

 現実で起きたことはそれだけ。

 でもミヤコの記憶の中に、飛び込み自殺しようとしたことも確かにあって。


「私の目を覚まさせてくれてありがとうね。ねこ駅長。お礼はちゅ~る一本でいいんだよね」


 ――にゃん!


 猫が喋るはずがない。

 全ては夢の中の出来事だ。

 とても幸せな猫と陽だまりの白昼夢。


 そのあとミヤコは実家に相談して、仕事をやめた。

 残業代とパワハラで揉めたが、今は無事再就職できている。

 実家の愛猫ココアがもう二度と『みゃこやば』と手紙を送る必要がないように。

 猫に好かれる人間を目指して。


 ◯    ◯   ◯


 猫宮駅には名物ねこ駅長がいる。

 真っ白でふてぶてしい。

 気まぐれで、最近太り気味。

 ずっと座布団のうえから動かない。

 ちゅ~るが大好き。


 猫宮駅には毎日のように感謝状とちゅ~るが届けられる。

 真っ白な猫天国でねこ駅長からお説教される。

 その感謝状の内容から、そんな都市伝説まで生まれるくらいに大人気だ。


 実はその都市伝説を裏付けるデータが存在する。

 ねこ駅長が猫宮駅に来てから、その路線全体で飛び込み自殺者がいなくなった。

 事故率も格段に減ったのだとか。


 都市伝説が真実かはわからない。

 でもねこ駅長はとても働き猫である。

 けれど最近は太り気味。

 ちゅ〜るの量に制限がかけられている。

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