異邦人

十戸

異邦人

 真っ黒に濡れたアスファルトが、あちこちの光を映しこんできらきら、ちかちかと瞬いている。赤に、青に、黄色に。ところどころは虹色に。

 どうやら雨が降っていたらしい、と思いながら歩いていく。目の前に見えているのは、どこをとっても見覚えのある、勝手知ったる夜の上野駅。構内を通っていけば、そのまま六本木に出られるはずだった。歩道橋を渡るのはイヤだな、と思って、私は横断歩道を突っ切っていく。ロータリーから、駅のほうへ。

 これは帰り道だということは知っていた。私は帰る。この上野駅から。自分の家へ。

 歩いていく狭い道の両端に、居酒屋がいくつも並んでいる。酒と、熱した油がこもったようなあの独特のにおい。外まであふれる明るさと賑やかさを見るに、どこも盛況のようだった。店の前を横切る私のところまで、店内に詰まった客たちの上げる声が聞こえてくる。

 とちゅう、剥製に血のりを塗って逆さ吊りに飾った、やけに悪趣味な店の前を通り過ぎた。それも、剥製は一体だけじゃない、なんだかよくわからないごわごわした毛の塊が、店先にいくつもぶら下がっている。

 ……こんなところに、こんな店があっただろうか? 思い出せない。はじめて見た気がする。そもそも、一度目にしていれば忘れようもない店構え。けれど明らかに古い店だった。少なくとも三十年か四十年以上、どころか、もっとずっと昔からありそうなくらい、店先に吊るされた狸の剥製は不格好に膨れて、毛は油じみた埃で汚れていた。半ば開いた木製のドアはタバコの煙を吸って飴色に粘ついているし、入口に敷かれた玄関マットも灰色にささくれて縮んでいる。ガラスの目玉が飛び出して、笑ったみたいに歯をむき出した狸の腹には、あまりうまくない手書きの字で貼り紙がしてある。黄色の上質紙に、赤と緑の油性マジック。『お食事のみのお客さまお断り』。メニューもない、何が出てくるかもわからない店に?

 小さなトンネルをくぐって、ようやく駅のなかに入る。緑色に光る東口の表示を見上げて、「口」の字の部分の電気が切れかかっていることに気づく。

 階段を三階分上がって、一階分下りる。白い蛍光灯の群れに照らされながら。構内の床はよく掃除されて、文字通りぴかぴかに光っている。異様なほど。先ほどの居酒屋に胸の焼ける思いをしていた私は、その清潔さにほっと息をつく。この駅にはガムも落ちていないし、吸い殻もない。どころか、黒い染みやら傷やらも見当たらなかった。昨日できたばかりの建物みたいに。

 進むうち、構内は少しずつ暗くなっていく。

 最後は月明かりを頼りに西口へ出た。

 西口の外には、しばらく高い位置に通路が広がっていて――この通路の名称がわからない。身近にあって、よく見知ったものの名前を人は意外と知らないものだ。

 敷かれた橙色のタイルは乾いている。こっちのほうでは雨が降らなかったらしい。通路には大きな花に似た街灯がいくつも立っていて、足元はよく見えていた。それでも夜に歩いたことがないせいか、まるで知らないところにいるような気持ちになる。たしかここだ、と思い定めた階段を下りる。怪しい記憶をたよりに横道に入っていくうち、夜が明けた。

 狭い道の向こうは大通りだった。

 一瞬、足を止める。完全に知らない場所。道路の両側にいくつも店が並んでいて、歩道の上には灰色に角ばったひさしがついている。車道が走っている部分がぽっかり開いた、片側式のアーケード。その下を、右へ左へ、忙しく行きかう大勢の人。私は人ごみに紛れて、とりあえず地名のわかるものを探した。駅とか、バス停とかがあればいちばんいい。なければせめて、住所の書かれたプレートでも。

 店と店の間には、ところどころ小さな庭園が挟まっていた。本当にごく小規模なもので、一畳か二畳くらいの広さしかない。苔むした岩の上を滝が流れていたり、立派な牡丹がどっさり咲いていたり、池があって鴨と蓮が浮かんでいたりする。

 そのうちのひとつに、こんこんと雲が湧きだしているところがあって、私はしばらくそこで立ち止まって雨を浴びた。少しくらい休憩しても構わないだろう。家に帰るだけなんだから、時間を気にする必要はないし、迷子なんだし。とはいえ雷が鳴り出したあたりでそっと離れた。紫色のほっそりとした稲光は、すごくきれいだった。

 鞄に手を突っこんで、引っ張り出した時計を見る。十二時十分。昨日からずいぶん歩いたような気がする。

 少しして、バス停が見えてきた。半透明の白いプラスチックに、大きく赤いゴシック体で『豊洲行き』と書いてある。ああよかったこれで帰れる、と思いながら列にならんだところへ、ちょうどバスが走ってくる。人々が次々に乗りこんでいく。私もステップを踏んで乗車する。小さな箱型の機械が吐きだす整理券を、指の間に挟んでとる。機械はずいぶん古いようで、薄緑色の塗料がところどころ剥がれて、鼠色の下地が覗いていた。

 車内にはまだ座れるところがあったので助かった。私はバスのうしろのほう、白い髪をお団子にまとめた、いかにも上品な様子の老婦人の横に座った。腰を下ろすと同時に、思わず大きく息をつく。ここまでもうずっと歩きづめだったものだから、さすがに脚が疲れていた。整理券を握りしめるように持って、座席の背もたれに眠ってしまわないくらい深く寄りかかる。

 けれど、意識して気をつけていたわりにはどうやらそのまま、私はしばらくうとうとしていたみたいだった。自分では単に、少しぼうっとしていただけのつもりだった――隣に座っていた老婦人に肩をゆさぶられて、はっきり目が覚めた。

「大丈夫? どこまで乗るの?」

 訊かれる。私は豊洲まで、と答える。

「それなら、次で降りたほうがいいよ。このバスはさっき行き先が変わって、青山に行くことになったから。次で降りれば、そこから京成線が出てるもの」

 と教えてくれた。私は礼を言って、慌てて停車ボタンを押した。振り返ると、いちばんうしろの席にIさんとHさんが座っていたので、ふたりに頼んで小銭を借りた。ふたりとも高校時代の同級生で、ふたりはあのころの制服を着ていた。料金表に三百八十円と書いてあるから四百円借りたのに、財布を開けてたしかめたら、五百円玉が二枚入っている。バスが停まった。しょうがないなあと三人で笑って、私は「また今度何かで返して」と言いながら、ふたりにまとめて千円札を一枚渡して、降車口に走った。私は遠ざかるバスに大きく手を振った。

 バス停のすぐ近くに、なるほどたしかに地下鉄の入口がある。

 京成線の赤と青の色も描いてあって、私はあの都内の地下鉄に特有の、妙に傾斜が急な灰色の階段を下りて行った。どうしてか駅名の表示はないけど、もう少し近づいたらどこかに出てくるだろう。

 階段の先は、駅のコンコース兼、地下街になっていた。東京駅にある八重洲地下街に似てるけど、もっと天井が低くて、詰めている店がどれも古めかしい。それに、あそこまで広くはないようだった。喫茶店があり、ラーメン屋があり、パン屋やケーキ屋、レストランがあって、青果店があって寿司屋があった。もちろん、食券式の立ち食いそばの店も。

 寿司屋のショーケースは鳥小屋になっていて、なかでオウムやインコが数羽、きれいな羽で飛び交って遊んでいた。床はよく掃除されていて、どの小鳥も毛づやがいい。ここへ娘を連れてきたら喜ぶだろうな、と思いながら、ちょっとだけ店を覗く。肝心の寿司もけっこうおいしそうな色をしているように見えた。

 点字ブロックの横に大きな赤い矢印が書いてあるお陰で、私はその通りに進んでいった。天井にもちょこちょこ小さな看板が取り付けてあって、はっきり『←駅』という表示がある。

 五十メートルくらいぶらぶら歩いたところで、矢印が階段を上がれと言ってきた。このまま地下鉄に乗るものだと思いこんでいたけれど、どうも違うらしい。四ツ谷駅もそういえば一駅だけ地上に出てるもんな……、と思いながら、私はしぶしぶ階段を上っていった。階段なんておっくうなもの、できることなら一生の間、もうずっと上がらないで生きていきたいのに。

 外へ出ると、目の前は川だった。幅は一メートルあるかどうかというくらいの、ごくささやかな水場だ。川と言うより、用水路と言うのが近いのかも知れない。いずれにせよ、人工的な造りをしていた。白いタイルで覆われていたし、ところどころ赤と青のタイルでモザイク模様まで描かれている。タイルはいま私が立っているところ、つまり階段を出たところからずっと先までのびていて、水路にかかった橋にも敷かれている。水路が狭いために、橋は数歩ほどで渡れるくらい小さくて短い。そうしてその水路のなかには、びっしりと猫が泳いでいた。

 鯖、雉、三毛、黒、白、靴下、足袋……およそあらゆる柄の猫たちがくるくると、水中を、ひどく愛くるしく優雅な動きで泳ぎ回っている。猫たちは水のなかでよくよく回転していた。どの猫の動きも巧みで、泳ぐことを苦にしているようには見えない。全身の筋肉と尻尾を使って、猫たちは泳ぐ。肉球のついた前足が、後ろ足が壁を蹴っては勢いよくターンする。濡れた毛皮が、水面を飛び出すたび、いつの間にか昇っていた朝陽を浴びて、きらきらと光る。

 昔、どこかの水族館で見たカワウソに似ているかも知れない。もしかするとペンギンにも。そのうえで、どこか地球儀にも似ているな、と私は思った。

 水道水を引いているのだろう、猫たちがいる水はとてもきれいで、ぴかぴかに透きとおっていた。ほんの少し、カルキの匂いがするような気もする。

 水場に群れる猫たちの近くには、アルミ製のエサ皿がいくつもぷかぷかと浮いていて、猫たちがそばを通るたびに華やかに揺れてぶつかり、鈴のような音をたてて鳴った。よくよく見れば、水路には小さな階段がついていて、そこに梅の木のように腰を曲げたおばあさま方が座って、何やらきれいな模様の布を洗っている。

 ときおり、泳ぎ回る猫たちは通り過ぎざま、そこで頭や腹を撫でてもらっているようだった。うち何匹かは首輪をつけているのが見える。

 背後でふいに電車の走る音。振り返ると、ミントグリーンのフェンスの向こうに線路が見える。少し先に駅のホームも。いましも、そこに電車が入ってきたところだった。私が出てきた階段の入口には、見慣れた京成線の赤と青のラインに挟まれて、大きく『猫洗井駅』と書かれた看板がくっついている。

 まわりに人目がなければ、わっと歓声を上げていたかも知れない。私はいそいそと、橋のかかった水路とは反対のほう、猫洗井駅を目指して歩き出した。電車では座れるといいな、と考えながら。歩きやすい靴を履いてきてはいたものの、踵のあたりが痛くなってきていた。

 券売機で切符を買って改札を通る。路線図をしっかり見る元気がなかったので、買ったのは最低料金分。降りた先で精算するつもりで。

 駅構内に入ると、猫洗井駅は思っていたよりずっと広くて立派だった。緑色のリノリウムの床はだいぶすり減っていたものの、汚れはあまりない。あちこちに売店があって、お土産なんかを売っているふうだった。やっぱり、水路の猫にあやかった的なものを置いているんだろうか。……。

 でも今日のところは何も寄り道をしないで帰ろう、と思いながら、派手な蛍光色の値札がならぶ売店前を通り過ぎる。店先に置かれている商品の値段はどれも、黒の油性マジックで手書きされていた。

 どこへ行けばいいのかはわかっていた。3番線のホーム。向きからして上野に向かう電車に乗ればいいはずだから、上り方面。赤と青を目印に、エスカレーターを上がればいいはずだった。ホームへ上がったときには、もう夜になっていた。東京も外れのほうだからかも知れない、空にはいくつか星が見えていた。

 そこで、あれ、と思う。――私がやってきたのは4番線と5番線のホームだったのだ。屋根から看板がさがっていて、そこに『←3番線』と書いてある。どうも、秋葉原の山手線やら京浜東北線やらみたいに、出たところによっては別の線のホームを経由していくタイプの造りらしい。

 どっと疲れた気持ちになりながら、それでもほかにどうすることもできなくて、私はおとなしくそっちに歩いていく。とはいえ、さっき散々歩かされた地下道なんかと違って、駅の構内は階段を上り下りせずエスカレーターに乗ればいい。その分だけ、多少は気が楽かも知れなかった。

 ホームの端に着く。エスカレーターに乗る。降りる。ぴかぴかと光る看板が誘導するほうへ、私はどんどん歩いていく。でも、3番線はどうやらまだまだ遠い。猫洗井駅はどうしてこんなに広いんだろう? あちこちに自動販売機が置かれている。何か買おうかなとも思ったものの、飲み物を選ばなくてはいけないことが面倒で、どれも横目に通り過ぎてしまった。

 そうしてぼんやりと歩きながら私は、さっきのホームはどうして4番線と5番線だったんだろう、と思い返す。1番線と2番線があって、それだったら、次は3番線と4番線になるのが自然なような気がする。笑い声がする。またひとつ階を降りたところで、ふいに時間がかかりすぎている、と思った。私は家に帰ろうとしている。道を一匹の白い狐が走っていく。

 けっきょくのところ、電車に乗る前、次のエスカレーターに乗っているところで私は目を覚ました。

 起きてから、それまでずっとじっさいの地名だったのに、猫洗井駅はどこにも存在しようがない駅名だったな、ずいぶん長い時間歩き回ったものの、川を渡らないで済んだな、飲み物も食べ物もとらなかったな、と思い返した。もしかすると、ほかにも何かしらあるかも知れない。寝ぼけた頭では気づかないだけで。

 私は、どれかひとつでも違っていたら帰ってこられなかったかも、と口にして、それからまた布団に潜りこんで二度寝した。

 夢は見なかった。今度は少しも。

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異邦人 十戸 @dixporte

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