ぼくらはせんたくきのなか

夏野資基

ぼくらはせんたくきのなか

 むかしむかし、ある山のふもとの村で、お父さんとお母さんと、その息子である少年が、3人で仲良く暮らしていました。

 少年のお父さんは、小さな田んぼや小さな畑で、お米や野菜の世話を毎日せっせとしている、真面目な人でした。いつも少年とお母さんのことを気にかけてくれる、心の優しい人です。少年はそんなお父さんが大好きでした。

 少年のお母さんは、畑仕事以外をなんでもこなす、働き者な人でした。たいそうな力持ちで、家に忍び込んできた泥棒を、たった1人で叩きのめして追い出してしまったこともあるほどです。少年はそんな頼もしいお母さんが大好きでした。

 そんな2人の子供である少年は、お父さんゆずりの優しさと、お母さんゆずりの力強さで、家族のために大きな槍をぶんぶん振り回して山で動物を狩ってくる、勇敢な男の子になりました。

 3人の暮らしは貧乏でしたが、とても幸せでした。


 しかしそんな生活は、ある日とつぜん終わりを迎えます。

 少年のお母さんが、病気で死んでしまったのです。

 少年のお父さんは、お母さんが大好きでした。なのでたいそう嘆き悲しんで、田んぼも畑もほっぽり出して、毎日わんわん泣いてばかりいるようになりました。少年がなにを言っても、鼻水をずびずびと鳴らしているだけで、食事すらまともに手をつけません。少年には、どうすればいいのか分かりませんでした。

 そんな日々が、しばらく続きました。

 途方に暮れた少年は、どうにかしてお母さんに帰ってきてもらえないだろうか、と考えるようになりました。

 少年は、お母さんの葬式でお世話になった村の長老に、お母さんが何処に行ったのかを尋ねました。すると、この世のどこかには、この世とあの世のさかがあって、もしかしたらお前のおっかあもまだそこにいるかもしれないぞ、と教えてもらえました。

 ならば、この世とあの世のさかを探して、そこからおっかあを連れ戻してこよう。

 少年はそう決めて、家にあるだけの食料をお父さんに手渡すと、自分は大きな槍だけを持って、旅に出たのです。


 少年はずんずんと歩いていきます。

「ごめんください。この世とあの世のさかを知りませんか」

「知らねえなあ」

 こんな話を行く先々で何度も繰り返しながら、ずんずん進んでいきます。

 野を越えて、山を越えて、果ては海すら越えていきます。ずんずんずん。ずんずんずん。厳しい崖をわたり、真っ暗な洞窟を抜け、たまに襲いかかってくる山賊を返り討ちにしながら進んでいきました。

 しかし、どれだけ歩き回っても、全く手がかりは見つかりません。

 そうなると、さすがの少年も疲れ果ててきました。ぎゅるぎゅるとお腹も鳴っています。そういえば、旅に出てから歩きとおしで、もう何ヶ月もまともに食事をしていません。

 けれど少年は休みませんでした。お母さんが死んでから泣いてばかりいるお父さんを、早くお母さんに会わせてやりたかったからです。

 しかし、どんなに歩いても、どんなに尋ねても、この世とあの世のさかは、見つからないのでした。

 少年にも、とうとう限界がやってきます。これまでずっと、ほとんど眠らず、食べず、歩きどおしだったのです。いよいよ、頭のなかがぐるぐるとうずを巻いて、あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 少年はついに、道端でばったりと倒れてしまいました。


 少年が目を覚ますと、そこは周囲を森に囲まれた、なだらかな傾斜けいしゃの途中でした。

「どこかの山だろうか」

 どうやら、自分がばったり倒れた場所とは、ぜんぜん違うところにいるようです。

 少年は場所を確かめるために、大きな槍を杖の代わりにして、よろ、よろ、と山のてっぺんを目指して歩いていきました。

 やっと山のてっぺんにたどり着くと、少年は驚きました。

「なんだこれは!」

 山の下には、とてつもなく大きい、立派な川が広がっていました。でも少年が驚いたのは、その川の大きさではありません。

 川の中で、たくさんの人間たちが、白い異国の服を着た大人たちに、川に沈められて、石鹸を使ってじゃぶじゃぶと洗濯されていたのです。

 おかしな光景に少年があっけにとられていると、川でじゃぶじゃぶ洗われている人間たちの中に、見知った服の色が目に入りました。

 その色は、病に倒れた少年のお母さんが、死ぬ寸前まで着ていた服と、まったく同じものでした。

 もしやと思った少年が、疲れた足を叱咤しったして川へ向かうと、予想どおり。少年のお母さんがそこには居ました。

 少年は、やっとお母さんに会えたのです。

 しかしお母さんも、他の人間たちと同じように、白い服を着た大人たちに、川でじゃぶじゃぶと洗われていました。

 白い服の大人たちは、人間を、それはもう丹念に洗います。なので、洗われてる側の人間たちは、とても苦しそうです。ごしごし洗われるので、体や服はびちょびちょのぼろぼろですし、口や鼻に石鹸の泡や川の水が入ってきて、ごぼごぼ、がばがば、あっぷあっぷ。川は子どもの背丈くらいの深さがあるので、洗われている人間たちはみな、溺れまいと必死にもがいているようにも見えました。まるで殺人現場のようです。

 少年のお母さんも、みんなと同じです。白い服の大人に洗われているお母さんは、ごぼごぼ、がばがばと、とても苦しそうでした。

 少年は思わず、お母さんを洗濯している、白い服の大人の腕を掴みました。

「やめてください。おっかあをこれ以上いじめないでください」

 白い服の人は言います。

「いじめてなんかいない。これは罰なのだ」

「なんですって?」

「おまえのおっかあには、泥棒を痛めつけて、追い出した罪がある。おまえのおっかあは、その罰を受けねばならないのだ」

「そんなの、罪じゃありません。泥棒が泥棒をしたのが悪いのですから」

「泥棒への対応が問題なのだ。……仕方ないな、特別に教えてやろう」

 白い服の人がそれから話してくれたことは、不思議な仕組みのおはなしでした。

 なんでも、人間はこの世で死ぬと、あの世ですこし遊んだあとに、別の人間としてこの世に生まれ変わるそうです。

 だけど、この世は誰かが得をすれば誰かが損をする世界です。誰から喜ぶかげで、その人のせいで誰かが悲しまなきゃいけない世界です。

 なので、人間は生きていると、そんなふうに気付かないうちに色々な悪いことをしてしまうのだそうです。

 だから、その時に付いた体と心の汚れを、この世とあの世のさかにあるこの川で、ごしごしと洗い流しておかなければならないそうです。

 そうしないと、別の人間として生まれ変わった時に、また同じ悪いことをしてしまうようなのです。

 白い服の人は言います。

「悪いことをした汚れは、知らず知らずのうちに沢山こびりついていて、なかなか取れやしない。だからこうやって、じゃぶじゃぶ洗濯をして、気づかなかったぶんの罰を与えてやらなきゃいけないんだ」

 白い服の人の話を、少年は最後までしっかりと聞きました。この世とあの世のさかは、きっと、そういう不思議な仕組みで動いているのでしょう。それは分かりました。

 けれど、納得はできません。

 お母さんは、い人でした。

 泥棒にも、事情はあったのでしょう。けれど、お母さんが泥棒を叩きのめして追い出してくれなければ、貧乏な少年たち家族は、食べ物やお金を盗まれて、とても困っていたはずなのです。

 少年には、変な理由をつけてお母さんを洗濯をしている白い服の人たちのほうが、よほど悪い人のように思えました。

 おっかあは、悪いことなんかしていない。

 おっかあは、何も悪くない!

 そう思った少年は、お母さんを助け出そうと、白い服の大人に飛び掛かります。しかし力自慢の少年も、所詮は子ども。白い服の大人に片手で軽くいなされて、川岸に転がされてしまいました。普段から人間をごしごし洗っているような白い服の大人には、まったく歯が立ちません。

 転がされた少年は、考えます。どうすれば、お母さんが洗われるのを、止められるだろう。

 そして──ふと、ひらめきました。

 変な仕組みなんか、壊してしまえばいい。

 川の水が、無くなってしまえばいいのです。


 少年は、さっきまで杖の代わりにしていた槍をむんずと掴みなおすと、ずんずん川に入っていきました。白い服の大人たちがざわめき立ちますが、そんなもの、少年は気にも留めません。川は子供の少年にとって深いものでしたが、頭だけは川から出るので、溺れることはありませんでした。

 やがて川の真ん中にたどり着くと、少年は槍をたかくたかく振り上げます。

 そして、そのまま、ずどん!

 少年は、川底に槍を、深く突き立てました。

 すると、どうでしょう。栓を抜かれたように、川の水が、槍であけられた穴に向かって、どおどおと吸い込まれていきます。

 川の水がどんどん減っていき、川の底もどんどん浅くなっていきます。

 そのうち、川は空っぽになってしまいました。

 これでもう、白い服の大人たちは、お母さんをじゃぶじゃぶ洗うことはできません。ぼうぜんとしているみんなの視線が集まるなか、少年はふふんと鼻を鳴らします。おっかあを助けることができたぞと、少年は良い気分です。

 すると、ずぶぬれのお母さんが、少年のもとへずんずんと向かってきました。

 褒めてもらえるかな。そう期待した少年に、

 ばちん!

 お母さんは、その大きな手のひらで、少年の頬を思いっきり引っ叩きました。痛い! 少年は裏切られたような気持ちになりました。せっかく助けてあげたのに!


「おまえはあの白い服の人の話を聞いてなかったのかい!」

 お母さんが少年を怒鳴りつけます。

「あたしたちは、ここで自分たちの罪を知って、罰を受けなきゃならないんだよ」

「でもおっかあは、善い人です。悪いことなんかしてません」

 少年の言葉に、お母さんは悲しそうに首を振ります。

「いいや。したんだよ。泥棒を追い出すのは本当は悪いことだったんだ」

「なぜです。泥棒に食べ物やお金を奪われるのは、良いことなのですか」

「違う、違うよぼうや。人はね、助け合いなんだ」

 お母さんは言います。

「あたしたちの家に入ってきた泥棒の体は、骨と皮ばっかりで、痩せ細っていただろう」

 少年は頑張って思い出します。そういえば、そんな感じだった気がします。

「あたしは、自分たちが貧乏なことで頭がいっぱいで、泥棒を叩きのめして追い出すことしかできなかった。ほんとうは、事情を聞いて、握り飯の1つでも渡してやればよかったんだ。腕っぷしで負けないのは分かっていたからね」

 あたしがほっぽり出した泥棒は、もしかしたら、あのあと野垂のたれ死んでしまったかもしれない。あたしも、こうやって洗われるようになるまでは、そんなことぜんぜん考えもしなかった。そうお母さんがつぶやきます。泥棒への仕打ちを、悔いている様子でした。

「この川で、じゃぶじゃぶ洗われないまま生まれ変わってしまうと、あたしはまた泥棒が来たときに、同じ仕打ちをしてしまうだろう。だから私たちは、こうやってじゃぶじゃぶ洗われるべきなのさ」

 少年は、お母さんの話をしっかり聞きました。さっきの白い服の大人の話よりは、納得もできます。

 要するに、自分たちのことばかり大事にするのではなく、他人も大事にすべき、ということなのでしょう。

 お母さんは泥棒を大事にできなかったことを悔いて、罰を受けていました。お母さんは、望んでじゃぶじゃぶ洗われていました。

 ならば少年は、自分やお父さんだけでなく、お母さんの考えも、大事にしなければなりません。

 少年は、痛む頬を押さえながら、「ごめんなさい」と、お母さんやみんなに謝りました。


「それにしても、どうしておまえがここに居るんだい。ここは、この世とあの世のさかだよ。死にかけの人間か、死んだ人間しか来れないんだよ」

 なるほど、だからいくら探しても見つからなかったのか、と少年は得心します。

 この世とあの世のさかは、この世で、死にかけるか、本当に死にでもしないと、けっしてたどり着けない場所だったのです。

 いくら探し回っても見つからなかったのは、そういう道理だったのです。

 少年は、お母さんに旅について話します。歩きどうしで、ろくに食べず、ろくに眠らずで、お母さんを探し回っていたこと。そのおかげで、ばったり倒れて死にかけて、ようやくお母さんに会えたこと。そう伝えると、お母さんはものすごい剣幕けんまくで怒り出しました。

「おまえのおっとうは、子どもを死にかけになるまでほっぽり出して、なにをしているんだい!」

 少年は慌ててお父さんを庇います。お父さんは、お母さんが大好きでした。だから大好きなお母さんが死んで、田んぼも畑も手につかないほどつらくて、わんわん泣いてばかりいるのだ。少年はお母さんにそう伝えました。

 すると、お母さんは、ちょっと頬を赤らめつつ、大きな手で頬を引っ叩くような動きをしながら、豪快に言い放ちました。

「一発ぶっ叩いてやんなさい! おっとうにはそれがイチバン効くんだから!」


 いつのまにか、少年の足元に、水が溜まってきました。少年とお母さんがお話をしているあいだに、白い服の大人たちが川をどうにかして修復したようでした。

「ほら、おまえもそろそろ帰りなさい」

 お母さんは槍を持った少年の手を引くと、川岸まで連れ戻し、少年に横になるように言いました。少年はお母さんの言うことを聞いて、横になります。

「ぼうや、まぶたを閉じて。おまえがまだ死にかけなら、眠ればあちらへ戻れるはずだから」

 少年は目を閉じます。お母さんが、少年の閉じた目にやさしく手を添えます。大きくて優しい、懐かしの感触です。

 少年は、お母さんを連れ戻す旅に出てから、ほとんど眠っていませんでした。少年は、気付いていなかっただけで、本当は、眠くて眠くて仕方なかったのです。

 少年の意識が、だんだんぼんやりしてきました。

「おまえは優しい子だから、おっとうのために、死にかけになってまで、あたしを探しにきてくれたんだね」

 お母さんが、少年の髪をゆっくりと撫でます。

「ひさしぶりに会えて、本当に嬉しかったよ」

 僕もだよ……おっかあ……。少年は頑張って口を動かしますが、眠くて眠くて、ちゃんと伝えられたか、わかりません。

「先に死んじまって、ごめんね」

 少年の頬に、あたたかい水滴が落ちたような気がしました。ですが、少年は、どうにも眠くて、まぶたを開けられません。

「お父さんと二人で、しっかり生きてね」

 うん……わかった……よ……おっ……かぁ…………。

 少年は、ぐっすりと眠ってしまいました。


 ちちち、と、鳥のさえずりが聞こえてきます。

 少年は、ゆっくりとまぶたを開きました。

 起き上がるとそこは、少年がばったりと倒れた道端でした。

 さっきまで傍にいたお母さんは、もう居ません。

 少年はきょろきょろと少し辺りを見回すと、よろよろと立ち上がり、家に向かってゆっくりと歩き始めました。


 頑張ってほうぼうを旅しても、お母さんは帰ってきませんでした。

 せいいっぱい努力したのに、本当に欲しかったものは、手に入りませんでした。

 ぜんぶ、無駄だったかもしれません。ぜんぶ、最初から間違いだったのかもしれません。

 けれど、これから生きてくうえで大切なことは、お母さんから受け取ることができました。

 少年は、お母さんの手の感触を思い出します。

 少年は、お母さんのお願いどおり、無事に家へ帰って、お父さんと二人で、しっかり生きることにしました。

 そのためにはまず、槍で動物を狩って、食べて、よく眠って、ちゃんと家にたどり着くこと。

 そして、家に帰ったら、お父さんのために、お父さんを一発思いっ切りぶっ叩いてやらなければならないこと。

 やるべきことが判った少年に、もう迷いはありません。

 少年はお母さんの教えを胸に、確かな足取りで、一歩ずつ前へと歩みを進めていきました。


(了)

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