2021年5月7日 2年目の廃線

 ひらひらと桜が舞う。


 すくい上げるように手を広げてみれば、私の掌に、桃色のそれがひとひら降りる。

 そのとき一瞬だけ、ばッ、とあの光景が蒸し返る。

 少し苦笑を漏らした。まるで、昔日せきじつを乞っているようだったから。


 思い出のプラットホームに腰掛けた私は、静かにため息をつく。

 5月にようやく開花が訪れる桜は、毎年この駅を見事な春色に染め上げてきた。


 毎日、列車の窓の脇をかすめていく大きな桜木を眺めてきた。

 焦がれるほどに美しい青色の時代を通じて、毎日。


 けれど。たった一年で、桜は線路の上にかぶさるまで枝を伸ばしてしまった。

 枝を切る者はいない。もういない。



 咲き誇る桜の下に、レールがある。


 私の記憶では磨かれた銀色をしていたのに、視界に映るのは――焦げたようにRUSTびついた色。紛れもない「過去LAST」の色だ。


 誰もいないホームの上に、"札幌方面"と書かれた白い木板がある。

 そのすぐ横に目を移せば、パイプの枠組みが残っていた。



 一年前までその枠の中に、駅の名前があった。



「もう…列車は、来ないんだっけ。」


 もはやどこへも続いていない線路の先へ目をやる。


 少しばかり――昔の話をしよう。









 私にも青春と呼べる時代があった。

 それが止まったのは――いいや、のは、ちょうど一年前の今日だった。


 厄災だった。

 それは私にとって、いいや世界の誰もがそう言うだろう。

 必死にあがいたし、もがいた。けれど、私たちは無力だった。


 組み立ててきた道すじも、覚悟して挑んだ正念場も。

 一歩及ばなくて、だから目指した私たちなりのけじめも。

 繋いで、叶えたかった小さな願いも。


 全て散った。


 残酷だった。


 だから、何も整ってない中で。

 心の踏ん切りもついていないうちに、来てしまった最終列車の前で。

 キミに伝えたこの想いが、どうなるかも知らないうちに――扉が閉まってしまった。


 滑り出す景色。窓を隔てたプラットホーム、駆けだすキミの姿。

 なにか口を動かしたキミの声を、私は拾うこともできず。


 10:49発の最終列車は、青色の日々から私を連れ去っていった。





 季節がひとめぐりして、春。

 あの日から数えて2度目の雪解けを迎えながらも、この駅に列車は戻らない。同じように、ひたすらに焦がれた惜日も戻らない。


 プラットホームからひょいっと線路の上へ降りる。

 私の栗色の髪を揺らす風は、まだすこし冷たい。


 線路を渡って駅舎へ入る。

 ホームの時計はまだ動いていて、10時40分を示していた。

 そろそろ駅員さんが出札台に立ち、案内札を『石狩東別行き』へ回して、二、三人のお客さんが待合室から出てくる頃かな――。


 硝子戸を開ければ、そんな記憶は散ってしまう。

 誰もいない駅舎の中に『2020.5.6 札沼線さっしょうせんラストラン!』のポスターだけが、時を止めたかのように貼り出されていた。


「キミとは、ここで出会ったね」


 忘れもしない放課後。ここに貼り出された札沼線の廃止宣告へ、キミを引っ張っていったときのことは、今でも夢に見る。



 ふと、椅子の隅に一冊のノートがあるのを見つけた。

汽跡キセキ Vol.2』――まさか残っているとは思わなくて、声が漏れる。


「……わぁ」


 思わず手に取った。


 "2020.5.10 ずっとお世話になりました"

 "2020.5.18 汽車来なくても僕は行き続けますよー!"

 "2020.6.4 ありがとう石狩月潟駅。ファイト!月潟町!"


 廃止の直後からずらりと並んだ筆跡。

 全て、列車が来ないのも関わらずこの駅へ訪れた人々の言葉だった。


「すごい……」


 "2021.1.30 早くも一年か…時が経つのは早いものです"

 "2021.2.12 夏も来るからなー!待ってろよ😁✊"


「今でも、ここに来る人がいるんだ…!」


 びっしりと書き込まれて、ノートは8割が埋まっていた。


「あはは。こんなことなら私も、もっと早く…」


 ちょっと笑いながらページを捲って、偶然目をやったメッセージ。

 手が固まった。


 "2021.3 中ノ岱なかのたいです。碧水へきすいさん、お久しぶりですね"



「――え?」



 "あなたならいつかは来てくれるだろうと思って、書き残します。"


 これを私が手に取るのを、疑わない書き方だった。


 "この駅を訪れるのは…これが最後になると思います。

  春に東京へ進学するので、滅多には行けなくなりますから"


 息を呑んで続きを読む。


 "貴女と、北竜、部長。旧交通部で過ごした日々は、俺の全てでした"

 "正直、あなたと、北竜と部長となら俺は何でも出来る気がして。"


 "護りたかった全てで、守れなかった全てでした。"


 たまらずに立ち上がった。

 窓の向こうのホームに、あの日と変わらない面影を探して。


 "若くて世間知らずだっただけで、だから青春というものが、憧れとか焦がれとかと一緒に語られる……のかもしれません。"


 ノートの続きを反芻しながら、硝子戸を開けてホームへ出る。

 駅名だけが外されたプラットホームへと。


 "けれど、その分強烈に記憶へ焼き付くものなのでしょう"


 息を切らして、ホームの端へ走る。

 あの日、キミがそうしたように。


 "もう忘れたくても忘れられません。失ったものは戻らないのに。"


 錆びて、寂びた線路に、列車は二度と来ないというのに。

 線路脇の桜の根本で倒れて、呆然と最終列車を見送るキミの面影が見えたから。




 "どうやら人は、これを「恋」と呼ぶらしいです"




「……っ!」


 追いついて抱きしめたはずの、大きなキミの背中は――光となって散る。幻だとわかっているのに鼓動が止まらない。だって、初めてのだったから。


 "優劣なんてつけられないほど、あの日々の全部が愛おしくて。だから、きっと誰か個人への思慕になることはないんです"


 まだだって、薄々わかっていた。けれど、遅かれ早かれの問題だとも思っていた。きっと、ちゃんと送別会ができていれば――私はずるいから、そんな仮定を考えてしまう。


 "あの日貴女に返しそびれた言葉をここに書き残すのは……凄く情けないですよね。でも、これが俺の嘘偽りない気持ちです。"


 風が吹いて、私の栗毛が靡いて、うららかな陽の光が廃駅を包む。


「ありがとう」


 溢れ出そうな涙をこらえて、それでも私は笑う。

 褪せてしまったその色を、少しだけ思い出せたから。



 "『奇跡』を魅せてくれてありがとう、碧水楓さん。"



 だから言う。私はそれでも、あなたが。


「中ノ岱くん――……大好きでした」


 決して叶わないけれど、ようやく届いたその想い。やっぱり私は涙を零してしまう。けれどこれは、悲しくて、悔しくて流すような涙じゃない。

 この線路のように淋しく寂れて、錆び切ったしまった記憶を潤す。そんな涙だ。


 桜舞い散る2年目の"旧札沼線"は、残されたふたりの思いを繋げてしまう。

 もう廃線であるにも関わらず――。




 人影が消えはや一年、随分と寒々しくなったプラットホーム。

 季節は流れ、二度目の春が訪れたのに、もうここに駅はない。

 あの光景は未だ雪を被ったままだ。


 されど、その一隅には確かな温もりが残っていた。




 __________

 2023年12月 旧石狩月潟駅 解体

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