第16話 楯太郎の疑問

「以上で、私の発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」


 美法がお辞儀をした。審査員の数学者たちは全員、茫然としていた。

 内容がつまらなかったわけではないだろう。あまりにも衝撃的な内容だったのだ。「まだ見つかっていない魔法の存在を証明した」なんて発表は。


 最初に静寂を破ったのは国王だった。


「あー、ええと。いかがですか、数理魔法学の権威ゴーバさん?」


 国王は隣の数学者に投げた。


「え、あー……斜め上の発表だったもので、少し戸惑っています」

「ゼロ点の間隔と魔力量の間隔については、ご存知でしたか?」

「いえ、全く気付いていませんでした。おそらく世界でも誰も気付いていないのでは……」


 まず間違いなく新発見ということだ。


「ひとつ質問させてください。ミノリさんはどうやってこれに気付いたんですか?」

「魔法学の本を読んでいるとき、偶然気が付きました」


 堂々と嘘を吐きやがった。

 もちろん美法は、俺達の世界のことは一切話さなかった。だから、本当の理由は説明できないのだ。


「なるほど。うーん……」

「真偽値(正しさの度合いを表すこの世界の専門用語)はどのくらいあると思いますか?」

「正直わかりませんが、1よりは小さいでしょう。論理の飛躍もありますし。未知の魔法が存在すると言っていましたが、構成方法はわからないのでしょう?」


 最後のは美法に向けた質問だった。


「具体的にどんな呪文で実行できるのか、という意味の質問なら、答えはYESです。ですが、必要な魔力量と、どのエネルギー体がどう離合するのかなら、おおよそわかります」


 美法はスライドを先に進めた。想定していた質問だったのだ。

 表とグラフ、そして数式が表示された。各エネルギー体の離合に必要な魔力量などを分かりやすくまとめたもののようだ。元素の周期表みたいなもので、この世界では有名な図であるらしい。

 美法は、イリハの両親の証明から、ゼータ関数のゼロ点の間隔を正確に計算していた。その結果と既存の魔法の魔力量を対応させれば、未発見の魔法の正確な魔力量が計算できる。そこから、未発見の魔法に必要な魔力量と、それを実現するエネルギー体の量を、すらすらと発表した。


「そのエネルギー体の組み合わせなら、召喚系の魔法が近そうですね。ふむ……」


 ゴーバさんは一人で考えるモードに移行してしまった。彼にとってよほど興味を引かれるテーマだったのだろう。

 それから二、三の質問が出て、美法の発表は終わりになった。


 これは、どう評価されたのだろう? 数学の研究というより、魔法学の研究だった。しかし、魔王討伐という目的を考えれば、美法ほど適した人間はこの場にいないだろう。指を鳴らすだけで魔法を使えて、しかも新魔法の存在まで証明した。新しい封印魔法を作ろうというのなら、ピッタリの人材だ。


「では次の方、お願いします」


 国王が俺の目を見た。

 そうだ、美法のことを考えている場合じゃない。次は俺が発表する番だ。


「は、はいっ」


 俺は慌てて立ち上がって、部屋の中央に進み出る。

 国王と五人の数学者たちが、俺を見る。「どこの馬の骨だ?」という顔だ。俺はイリハのような有名人でもないし、美法のような魔力もない。


 そう、俺には魔力がない。つまり、皆みたいにプレゼンスライドが出せない。


 なので俺は、カバンから紙の束を取り出した。紙芝居形式での発表だ。


 俺の行為に、室内の全員が少なからず驚いた。スライドを出すのは、かなり初等的な魔法なのだろう。それすらできないというのは、魔法能力の低さを何よりも如実に表している。魔王討伐隊の選出という点から見れば、明らかに不利だ。

 その不利を跳ね除けて、俺は討伐隊の座を勝ち取らねばならない。


***


 三日前のこと、リーマン予想の証明を頭の中で反芻していた俺は、あることが気になった。それを確認するために、イリハに質問しに行ったのだ。

 イリハはまさに発表準備の佳境という感じだったが、俺の相談に協力してくれた。少し気分を変えたいところだったのだろう。


「何が知りたいんですか?」


 イリハの部屋は、なんだかふわふわした雰囲気だった。置いてあるものは美法の部屋と大して変わらないのだが、色使いが違う。カーテンもベッドシーツも淡い色合いで、見ているだけで癒される空間だった。

 俺は勧められた椅子に座って、単刀直入に聞いた。


「アルゴリズムを使って、対象が存在しないことを証明する方法だ」


 リーマン予想の証明において、拡張版ジェロノ・アルゴリズムは、かなりトリッキーな方法でその証明を行っていた。詳細は省くが、あのアルゴリズムは、与えられた実部にゼロ点がない場合、その実部での最小値を返す。証明の肝は、ゼロ点がない場合に確実に最小値が得られると示すことだった。

 俺が気になったのは、その方法が技巧的すぎて、拡張版ジェロノ・アルゴリズム以外に応用できそうにない、ということだった。


「リーマン予想があれで証明できることはわかった。しかしあの方法は、他では使えない。何かの非存在を証明するとき、普段はどうやっているんだ?」


 何かが「ある」ことの証明は、アルゴリズムでそれが構成できることを言えばいいから、まだわかる。しかし「ない」ことを言うのは、一筋縄ではいかないはずだ。マイナス無限大からプラス無限大まで、すべての実数を探索するわけにはいかないからだ。

 思った通り、イリハは首を振った。


「統一的な方法は知られていません。アルゴリズムごとに、証明の仕方は様々です。むしろ、いかに証明しやすいアルゴリズムを作れるかが、数学者の腕の見せ所とも言えます」

「なるほどな……。代表的な方法とかはないのか?」

「もちろんありますよ」


 イリハは本棚から本を取って、俺にいくつか説明してくれた。

 その本は数学書ではなく、教科書らしかった。たぶん、この世界の学校では当たり前に習う証明方法なのだろう。俺達の世界で√2の無理性の証明を習うように、こっちの世界ではフェルマーの最終定理の証明を習うのだ。

 ……え、マジか。高校レベルの教科書に、フェルマーの最終定理の証明が載っている。しかも俺の知ってる証明と全然違う。非存在を示す代表例のひとつとして、全国民が学ぶのに適した題材として扱われているのか。改めて、この世界の数学レベルの高さを思い知らされる。


「という方法があります」

「なるほど、よくわかった」


 俺はこめかみを抑えながら答えた。頭がくらくらする。この証明も、元の世界に持って帰らない方が良さそうだ。


「統一的な方法を作る試みはあるのか?」

「もちろんです。何百年も昔から試みられていますが、成功者はいません」

「だろうな」

「……まさかジュンタローさん、その方法を発表しようと考えているんですか?}

「まさか。俺もそんな方法は知らない」


 俺はふと、ある問題について聞きたくなった。俺達の世界の有名問題だが、こっちの世界にも同じ問題はあるだろう。それも、こっちの世界ではより重大な問題として扱われているに違いない。


「変なことを聞くが、例えば、なんらかの条件を満たす自然数をアルゴリズムで探す場合、ゼロから無限大まで探索しようとすると、無限回の計算が必要になるよな」

「本当に変なことを聞きますね。プリミティブなアルゴリズムを使えばそうなりますが、それが?」

「つまりこのアルゴリズムは、無限ループするわけだ。となると、あるアルゴリズムが無限ループするかどうかが判定できれば、そのアルゴリズムが探しているものが存在するかどうかもわかるってことになる」

「ああ、言いたいことがわかりました」


 イリハはうなずきながら聞いてくれた。やはり、こっちの世界にも同じ問題があるようだ。


「じゃあ、与えられたアルゴリズムが無限ループするかどうか、判定する方法は存在するか?」


 これは、俺達の世界で「停止性問題」と呼ばれる問題だ。コンピュータの父のひとり、アラン・チューリングが証明した問題である。


「停止性問題ですね」

 とイリハは相槌を打った。こっちの世界では別の名前だろうが、翻訳魔法は正しく翻訳した。

 数学の証明にアルゴリズムが多用されるこっちの世界では、俺達の世界よりもクリティカルな問題として認識されているはずだ。なら、俺達の世界よりも深く研究されている可能性が高い。俺は、その内容が気になってしまった。いったい、どんなことが知られているのだろう?


 だが、次にイリハの口から出てきた言葉は、俺を驚かせた。


「もちろん、判定する方法があるかどうか、


「……。えっ!?」


 驚いた俺を見て、今度はイリハが驚いた。


「え、まさか、ジュンタローさんの世界では、停止性問題がもう解けているんですか……?」


 教えていいのかどうか、わからない。

 だがもう、バレてしまった以上、教えざるを得ない。

 俺はゆっくりとうなずいた。


 停止性問題は、俺達の世界では解けている。アラン・チューリングが出した答えは、「そのような判定方法は存在しない」。この世界にとっては悲劇的なことに、アルゴリズムが無限ループするかどうか、常に判定することは不可能なのだ!


「停止性問題の答えは、Noだ。任意のアルゴリズムで無限ループを判定することは、できない」

「そう……なんですね……」


 イリハはショックを受けているようだった。


「ああ、まさか、そんな……」

「もしかして、イリハの研究テーマだったのか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……ただ、数学史上最大級の未解決問題で、過去に何人もの数学者たちが挑戦し破れてきた問題なんです。もちろん現代でも、何人もの数学者が追い求めています。それが、まさか……」


 数学の歴史では、よくあることではある。ギリシャの三大作図問題とか、平行線公準の証明とか、五次方程式の解の公式とか。いずれも「可能である」と信じられ、何百年も研究され続け、最終的に「不可能である」と証明された問題だ。

 それがわかったとき、数学者たちの衝撃はどれほどだったのだろうか。今のイリハみたいに、言葉を失い、頭を抱えたのだろうか。


 しかしイリハは、すぐに頭を上げて、気の強そうな瞳を俺に向けた。


「ジュンタローさん。そのこと、証明できますか?」

「え? あ、ああ、できるが」

 停止性問題については、数学研究部で勉強会をしたことがある。そのおかげで証明は覚えていた。

「それを発表してください。その証明は、絶対にこの世界の数学を大きく前進させます!」


 熱のこもったイリハの目を見て、俺は思った。夢破れた多くの数学者たちは、ショックを受けるよりも、新しい未来を見出したんじゃないか。今のイリハみたいに。

 歴史に残る未解決問題は、いずれも、その解決の過程で数学を進化させてきた。ギリシャの三大作図問題は、代数幾何学の発展とともに解決された。平行線公準の証明は非ユークリッド幾何学を誕生させ、五次方程式の解の公式はガロア理論と群論を生んだ。

 数学の世界において、「できない」は、敗北ではない。新しい世界を切り拓く第一歩に過ぎない。「できない」という確固たる足場を踏みしめて、次へ進むことができるのだ。


「わかった。発表しよう」


 この世界における、新規性のある知識だ。発表の題材としては申し分ない。


 ただし、ひとつだけ大きな問題がある。


 俺の知る限り、この証明には背理法を使うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界に行ったら背理法がなかった 黄黒真直 @kiguro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ