好物物件

星雷はやと

好物物件



「川崎様、こちらのお部屋になります」

「あ、はい。……お邪魔します」


 不動産担当の東山さんが鍵を回し、重厚な玄関ドアを開け僕を招き入れる。高級マンションということに、緊張しながら部屋へと足を踏み入れた。


「左側にはそれぞれの自室と寝室、それからシアタールームに図書室。右側は洗面所とお風呂とトイレ。あとゲストルームです。基本的にこのマンションは、全部のお部屋が同じ造りになっています」

「わぁ……凄いですね」


 東山さんの案内で大理石の廊下を進む。落ち着いた雰囲気と気品を感じる造りに、僕は圧倒される。ごく普通のサラリーマンである自分は、一部屋有れば充分なのだ。シアタールームや図書室、ゲストルームの存在に理解が追い付かない。

 僕が住む家を探している理由は、アパートが改築工事をする事になったからだ。退去まで一週間しかない。休日を返上し探しているのだが、予算の都合により見つけることが出来ずにいる。

 今日訪れたこの物件も本来ならば、候補に上がらない高額物件である。しかし空室が出来た為、格安で借りられるという話になった。マンションのオーナーと面接をする事になったのだ。

 因みに、この部屋はオーナーさんの部屋である。僕が入居予定の部屋は、清掃作業待ちだ。


「大丈夫ですか? 川崎様?」

「えっ……はい……。ただ……その……オーナーさんが、どんな方なのかなと……」


 不意に東山さんが立ち止まり、振り向いた。僕を気遣う優しい視線に、つい条件反射で応えてしまった。彼とは年齢も近い為、親身になって物件の相談に乗ってもらっている。『思ったことは何でも言って欲しい』と初対面の時に言われた。彼にとっては社交辞令だったかもしれないが、僕は極度の緊張を少しでも和らげたい。オーナーについて尋ねた。


「何も心配要りませんよ。川崎様のお話をしたら是非とも、と申し出でて頂いたのですから。安心してください」

「そ、そうなのですか……」


 人格が良くもお金持ちのオーナー。それ程の人物がサラリーマンの僕に、格安で部屋を貸してくれるのか理解出来ない。高級マンションでの暮らしに憧れないわけではないが、一般人である僕を融通してくれる利点がない。ただ幸運だったというだけなのだろうか。


「本当は秘密にしておこうと思っていたのですが……。これから紹介する彼と私は同郷の友人です。贔屓目を差し引いても、彼は優秀で物事に柔軟に対応してくれますよ。何も心配は要りません」

「……は、はい……」


 僕の不安を晴らすかのように、彼はオーナーについて力説しウインクをする。まさか東山さんと、これから会うオーナーさんが知り合いだとは思わなかった。信頼している東山さんが、そこまで言うのだから大丈夫かもしれない。少しだけ勇気を貰えた気がする。


「オーナー、東山です。川崎様をお連れ致しました」


 突き当りの扉に到着すると、東山さんが扉の向こう側に声を掛ける。すると、スリッパの音が響き勢い良く扉が開いた。


「やぁ! いらっしゃい、川崎くん! 待っていたよ! 態々ご足労頂いて悪かったね、さあ入って、座って!」

「……は、はい」


 扉の先から現れたのは、爽やかな笑顔を浮かべる初老男性だった。東山さんの友人と聞いていた為、同年代の人かと勝手に想像していたから少し驚く。如何やら彼がオーナーのようである。彼に勧められ、奥にあるソファーへと進む。

 白を基調した広々とした三十畳ほどのリビングだ。場違い勘に僕は声が裏返りそうになるのを抑えつつ、向かい側のソファーに腰を下ろした。


「初めまして、私はこのマンションのオーナーをしている西口と申します。本日はお時間を作って頂き感謝しています」

「ご……ご丁寧なご挨拶をありがとうございます。ぼ……私は川崎と申します。こちらこそ、ご多忙の中お時間を作って頂きましてありがとうございます」


 オーナーさんの丁寧な挨拶に僕は驚きながら、自分も挨拶を返す。僕は普通のサラリーマンであり、彼からすれば僕は若造だろう。しかし彼の対応からは、温かさを感じる。東山さんの話通り、オーナーである西口さんは人格者のようだ。


「西口様、仕事モードはお控えください。川崎様が緊張されてしまいます」

「え? いや……川崎くんに私の人柄を理解してもらい、安心して入居してもらいたくて……え? もしかして逆効果だった?」


 東山さんが溜息を吐くと、オーナーさんに声をかける。首を傾げた西口さんと目が合う。年齢を感じさせない澄んだ瞳である。


「あ……いや、大丈夫です。僕に対して丁寧な対応をして頂いたことに、驚いてしまっただけですので……」


 僕は慌てて、否定する。確かに驚いたのは事実だが、東山さんからの事前情報と違わない西口さんの対応についてである。


「聞いたかい? 西口くん! やっぱり川崎くんは、このマンションに住むのに相応しいよ! 実際に会って益々、川崎くんのことを気に入ったよ!」

「そうでしょう? 私の目に狂いはないです」

「あ……ありがとうございます……」


 目を輝かせて喜ぶ西口さんに、頷く東山さん。なんだか気恥ずかしくなり、背中を丸めて縮こまる。二人は年齢が離れていても、友人同士なのだろう。


「……あ、そうだ! いくら清掃業者が入るにしろ、前に住んでいた人のこと気になるだろう? この人たちだよ!」

「……は、拝見します」


 思い付いたように西口さんが声を上げた。そしてスマホを取り出すと、写真を僕に見せた。

そこには、四人の人物たちが写っている。

 眼鏡を掛けたエメラルドグリーンのワイシャツを着た男性と、ピンク色のワンピースを着た女性。サッカーのユニフォームを着て、サッカーボールを抱えた少年。それから笑顔を浮かべる西口さんの姿だった。


「高取さんご一家でね。ずっと仲良くしてくれていてね。でも突然、海外出張が決まってしまって、先日引っ越してしまったよ……これは記念に引っ越す当日に撮った写真だ」

「そうでしたか……」


 寂しそうな声だが、優しい瞳で写真を眺める西口さん。仲が良かった様子は、その写真から窺い知ることが出来る。


「西口様は、このマンションの住人の皆様を本当に大切に想っていらっしゃいます。他の入居者の方々とも写真を御撮りになっているのですよ」

「見るかい!?」

「あ……はい……」


 誇らしげな東山さんの言葉に、西口さんは笑顔でスマホを操作する。次々とマンションの住人さんとの想い出を見せてくれる。これだけ優しくて、気遣ってくれるオーナーならば安心しかない。きっと先の住人たちも、此処を離れることは名残惜しかった筈だ。


「……西口様。そろそろ、お止め下さい。本日は面接も兼ねておりますが、部屋の見学がメインの目的ですよ?」

「あ、そうだった!」


 腕時計を確認した東山さんが、西口さんの行動を静止させる。スマホから顔を上げた彼は、申し訳なさそうに眉を下げた。


「全く貴方という方は……。川崎様、私はお茶のご用意をして参ります。ご自由に部屋を見て回ってください」

「え? でも……」


 突然の提案に驚き、この部屋の主である西口さんを見た。今日会ったばかりの人間が、勝手に部屋を見て回るのは気持ちの良いものではない筈である。


「うん! 見て来て良いよ! 何処でも好きに見てくれて構わないからね。これなら、川崎くんに楽しんで貰える為に、お宝探しゲームを開催すれば良かったなぁ……」

「それは今度にしてください。さあ、川崎様」


即答で許可が下り、東山さんに促される。彼は友人ということもあり、西口さんの扱いにも長けているようだ。


「で……では、お言葉に甘えて少し見せていただきます」


 笑顔で手を振る二人にお辞儀をすると、廊下へと出た。






「広いなぁ……」


 僕だけしか居ない廊下に、感想が虚しく響いた。リビングを後にしてから各部屋を見て回る。勿論、自室やゲストルームなどプライベートな空間は、入り口から見るだけだ。いくら家主の許可があるとはいえ、自分の良心が咎めた。

 部屋を見て回り、僕の家の家具を運び込んでも問題ないことが分かった。逆に広すぎて、家具が無い部屋が出来るかもしれない。


「……あ、図書室だ」


 次に開けた扉の向こうには、沢山の本が並んでいた。図書室である。僕は本があまり好きではないが、何故か興味が沸いた。誘われるように、部屋へと足を踏み入れる。紙とインクの匂いが鼻を擽り、心地よい。

 西口さんが集めた蔵書だろう。迷路のように天井まで、本棚が並んでいる。背表紙の文字が読めないが、見て回るだけでも楽しい。その数に圧倒されながら本棚の奥へと進む。


「うっ!? わっ……」


 不意に膝に何かがぶつかり、僕は前方に転んだ。


「いたぁ……ん? 洋服?」


 手のひらと肘が痛みながら、身体を起こす。転んだのは本当に久しぶりである。一体何にぶつかったのだろうか?もしかすると、西口さんの大事な物である可能性がる。急いで確認すると、本棚の前にダンボール箱が積み重なり置かれていた。そして僕がぶつかった衝撃で一つの箱が横に落ち蓋が開き、服が床へと散らばっている。


「わっ! 西口さん謝らないと……あれ?」


 きっとクローゼットに収納出来なかった衣服を、此処に置いていたのだろう。僕は散らばってしまった衣服を掻き集める。するとその服に見覚えがあることに気が付いた。

 エメラルドグリーンのワイシャツ、ピンク色のワンピース。子どもサイズのサッカーのユニフォーム。


「確か……高取さんご一家の……」


 先程、西口さんから見せてもらった写真に写る人物たちが着ていた衣服である。しかし彼らは海外出張の為、此処を離れた筈だ。引っ越す当日に着ていた服が此処にあるのはおかしい。高取さんの部屋ならば忘れ物としての可能性もあるが、此処はオーナーである西口の部屋だ。何かがおかしい。


「如何かしたかい? 川崎くん」

「……っ!? に、西口さん……」


 弾かれたように顔を上げると、本棚の横に西口さんが笑顔で立っていた。彼の登場に、本来ならば安堵を覚える笑みも疑念を抱く要因でしかない。僕は慌てて立ち上げる。


「転んじゃったのだろう? 怪我はないかい? ごめんよ、そんなゴミ早く処分すれば良かったよね」

「……っ、高取さんご一家は……本当に海外出張ですよね?」


 笑顔のまま近づいてくる彼から、一歩さがり距離を取る。僕を心配するその言葉も、笑顔も胡散臭くて仕方がない。目の前にいる男は、先程までの優しく住人想いの彼ではないのだ。事前情報と服だけで何故、こんなにも心がざわつくのか分からない。ドラマや映画の観過ぎかもしれない。何かの間違いであってほしいと、高取さんご一家について尋ねた。


「ふふっ、大丈夫。何処にも行っていないよ?」

「……え?」

「皆、此処に居るよ」

「……っ!?」


 彼は愛おしそうに自身の腹を撫でた。その優しく手付きからは優しく、瞳は慈愛に満ちている。僕はその酷く歪な光景から、思わず後ずさると背中が壁にぶつかった。如何やら此処行き止まりのようだ。


「な……なんで……彼らを……」


 きっと他のダンボール箱にも元住人たちの袋が詰められているのだろう。秘密を知った僕の末路は想像するに難くない。答えてくれるか分からないが、せめてもの足搔きとして理由を震える声で口にした。


「好物だからね」


まるで明日の天気を告げるような気軽な声色でそう告げた。






「……うっ……」


 不意に目が覚めると、知らない天井だった。


「あ! 川崎くん目が覚めたかい? 大丈夫かい?」

「川崎様、心配致しました。ご気分は如何ですか?」

「……え? えっと……何も覚えていないのですが?」


 僕が目を覚ましたことを喜ぶ二人の男性。西口さんと東山さんだ。僕は自身が何故、寝ていたのか心配されているのか分からず起き上がると首を傾げた。


「ほら、自由に部屋を見てきて良いよ!と送り出してね? 西口くんが紅茶とケーキの準備が出来て私が呼びに行ったら、図書室で倒れていたから驚いちゃって!」

「ええ、嘗てないほどに驚いていらっしゃいましたね。最近は休日も物件探しをされていたので、きっと疲れが溜まっていらしたのでしょう」

「す……すみません。ご迷惑をお掛けして……」


 二人の話を聞き社会人になって何年も経つのに、自己管理が出来なかったことに申し訳なく思う。寝かされていたソファーに座り直すと、謝罪を口にする。


「気にしなくて良いよ。これからは、同じマンションに住む『家族』なのだから頼ってくれたら嬉しいよ!」

「そうですよ。川崎様が眠っていらっしゃる間に業者から連絡がありまして、三日後にはお部屋に入れます」

「あ、ありがとうございます」


 笑顔の二人に心が温まる。このマンションに住めることになって本当に良かった。東山さんから差し出された契約書にサインをする。


 幸福感に包まれる僕は、二人の影が人の形をしていないことには気が付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好物物件 星雷はやと @hosirai-hayato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ