異世界勇者の末路

尾久沖ちひろちゃん

浦島太郎

 俺は勇者だ。


 十七歳の高校二年生の頃、突如として異世界に召喚された。


「ようこそ、勇者様、あなたにはこの世界を支配せんとする、恐るべき魔王を討伐して頂きたいのです」


 異世界の人類は魔王の侵略によって滅亡寸前、起死回生の一手として「勇者召喚の儀式」を行い、異世界に住む者を召喚した。


 そう、この俺を。


 魔術師達が言うには、魔力は、異世界に満ちる「マナ」という素子を吸収、体内で変換して生み出されるエネルギーなのだという。


 召喚された俺は、その魔力変換倍率が恐ろしく高い――要するに、ほんのちょっぴりのマナからでも、莫大な量の魔力を生産できた。


 王国が誇る騎士も、魔術師も、外界に棲息する魔物も俺の敵ではなく、赤子の手を捻るように倒せた。


 ただ、魔王とその魔族はそう容易く倒せる相手ではなかった。


 俺の方も仲間を揃えて、逃げる魔族を追って、罠を打ち破って――その繰り返しだった。


 本当に手強い連中で、そして魔王もまたかなりの強敵だったが、何事にも終わりは訪れる。


 二十年に及んだ戦いの末、遂に先日、ラスボスである魔王の討伐に成功した。


 十七歳だった俺も、今や三十七歳。


 まだまだ現役は務まるが、流石に体力の衰えを自覚せざるを得ない年齢だ。


 二十年間もハードな日々を過ごしてきたのだから、褒美に領地の一つでも貰って、戦いとは少し距離を置き、旅の過程で集まってきた美女達との間に子供を沢山作って、平穏な余生を過ごそう。


 そんな未来を思い描いていた。


 それなのに――


「勇者よ、長年本当にご苦労だった。当初の契約に従って、そなたを元の世界に帰還させよう。家族の元で平穏な人生に戻るが良い」


 愛想良く微笑みながら、国王はそう告げた。


 召喚から二十年が経過して、俺は三十七歳。


 次元が違う世界でも、時の流れは同じなので、あちらでも同じく二十年が経過している。


 元の世界に戻ったからと言って、俺の肉体が十七歳まで若返るなんて事も無い。


 俺は魔王を倒して人類を救った、人類史上最高の英雄だ。


 無敵の魔力、莫大な財産、苦楽を共にした仲間や人々、慕ってくれる美女達と、その間に設けた可愛い子供達――。


 力も富も名声も家族も得た俺が、どうして今更元の世界に戻らなければならないのだろうか。


 戻って何をしろと言うのか。


 子供の頃、母親に読み聞かせて貰った『浦島太郎』が思い出される。


 浦島太郎は、このまま竜宮城で暮らし続けていいと乙姫様に言われながら、結局は母親の待つ故郷への帰還を望み、乙姫様にプレゼントされた玉手箱で老人になってしまった。


 そのバッドエンドに、幼き日の俺は「乙姫様って酷いな」という感想しか抱けなかったが、大人になった今なら分かる。


 浦島太郎は「未来」ではなく「過去」を選んだのだ。


 だから、乙姫様はその選択を尊重、望み通り七百年分の過去が詰まった玉手箱を渡したのだ。


 俺はそんな轍は踏まない。


 家族や故郷への未練が無い訳ではないが、人生の絶頂を捨ててまで執着するようなものではない。


 死ぬまで竜宮城で暮らし続けてやる。


 いじめられていた海亀を助ける、なんてのとは比較にならない功績を挙げたのだから、相応の見返りがあって当然のはずだ。


 帰るつもりは無い、この世界に留まりたい、と帰還を辞退したのだが、国王も宮廷魔術団総帥も、


「二十年前の召喚直後に交わした契約魔法で、そう定められているのです」


 の一点張りだった。


 ここで俺はようやく、彼らは最初からそのつもりだったのだと理解した。


 全ての元凶である魔王が死んだ以上、奴らにとって俺はもう「用済み」だったのだ。


 俺は魔王を超越した、最強の存在。


 その俺をこの世界に長居させてしまうと、良からぬ野心を抱き、やがて第二の魔王となって自分達に牙を剥くのではないか、と儀式を行う前から想定して、その予防策を講じていたのだ。


 当時の俺は突然の召喚に戸惑っており、早く両親の待つ家に帰りたい、という想いしか無かった為、魔王討伐が完了したら元の世界に帰るという契約魔法を、実にあっさりと受け入れてしまっていた。


 そしてその後の魔族との戦いの日々で、そんな契約を交わした事自体も綺麗に忘れていたのだ。


 最上級の契約魔法は一度成立してしまうと、双方合意による破棄が無い限り、どんな手段を用いようと決して覆せず、契約者は従わざるを得ない。


 抵抗は無意味。


 そして俺は――浦島太郎になってしまった。


 帰還した俺が見た二十年後の故郷は、涙が出るほど懐かしく――そして随分と変わっていた。


 ゴミ箱の中から拾った新聞によると、現在は西暦二〇二二年。


 年号は俺が召喚された当時の「平成」ではなく、「令和」とやらに変わっていた。


 新型コロナウィルスなんてものが世界中で流行している上に、ヨーロッパのウクライナとかいう国が、隣国ロシアの軍事侵攻を受けているのだという。


 人々は「スマホ」とかいう小さな板状の携帯電話――俺の記憶にある携帯電話は折り畳み式だった――を、ボタンではなく、指先で滑らせるようにして操作していた。


 それにウィルス予防の為だろう、人々は全員がマスクを着用しており、着けていない俺に怪訝な視線を向けてきた。


 空飛ぶ自動車やドラえもんのようなロボットは見当たらなかったが、時代の変化は俺を大いに戸惑わせ、二十年という歳月の重みを味わわせた。


 警察や役所に相談したが、異世界に召喚されて二十年後に戻って来た、などと打ち明けた所で、当然信じてなど貰えず、酒か薬か病気でおかしくなっているのだろうと露骨に嫌な顔をされた。


 唯一の希望は両親だけだったが、かつて俺が暮らしていた家は跡形も無く、それどころか真新しい家が建っており、住人も見知らぬ家族だった。


 その家の住人も近所の者達も、両親がどこへ行ったのかを知らず、それ以上捜し様が無かった。


 何もかもを失い、最後の希望も砕かれた。


 人生の絶頂に上り詰めたのに、あっと言う間に絶望のどん底に叩き落とされた。


 魔王をも打ち倒した最強無敵の魔力も、魔力の素となるマナがこの世界に無い以上、僅かも発揮できない。


 この世界の俺は、金も家も家族も知人も学歴も職歴も一切無い、三十七歳のオッサンだ。


「ふざけんな……」


 これでどうやって生きていけと言うのか。


「ふざけんじゃ、ねえぞ……ッ」


 何故こんな目に遭わなければならないのか。


「ふざけんなあああああああああああああッ!! オレは勇者なんだぞおおおおおオオオオオオオッ!! 史上最強の勇者なんだああああああああああああああああッ!! こんな終わり方、絶対認めねえからなああああああああああああああッ!!」


 ただ、涙だけが溢れていた。



  ◆◆◆



 数日後、某市内のコンビニで、一人の男が万引きの現行犯で、警察官に取り押さえられた。


 男が盗もうとしていたのは、パンやおにぎりなどの食料品。


「オレを誰だと思ってやがんだぁーッ! オレは勇者なんだぞ! 魔王を倒して世界を救った勇者なんだーッ! 浦島太郎なんかじゃなああああああいッ!!」


 などと、泣きながら意味不明の言葉を叫び続け、連行しようとする警察官を振り切って逃走、車道へ飛び出した所で、走って来た二トントラックが衝突。


 結果、即死だった。


 所持金も身分証も自宅の鍵もスマートフォンも、一切の物を所持していなかった為、男の身元は不明。


 遺体は自治体が引き取って火葬、無縁塚へ葬られた。

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