おまけ
カツカツカツ
人気のない狭い路地。音ひとつないこの道を、甲高い音が木霊する。
編み上げ式の底の厚いブーツを履き、膝下まで伸びるコートを着込んだ男性が、暗い闇夜を疾走する。
「おい! 方向は合っているんだよな!?」
その道にはその男ただひとり。ほかに誰もいないこの場所で、男は息を切らせながら、必死に声を紡ぎ出す。
「はい。もうすぐ現場に着きます。」
どこからともなく女性の声がする。いつのまにやら、始めからそこにいたかのように、男性の脇に人影が現れる。
いや、人ではない。人の形をしているが、背中に大きな黒い翼。男性のすぐ脇に張り付いているというのに、足は全く動いていない。男の隣を浮遊しているかのよう。
「どうしますか?」
「考えてる余裕はない! 俺の体を盾にする!」
「いいえ、ダメです! それならば、私が盾になります!」
「いやそれ、結局俺の身体なのだが!?」
背中に翼を生やした女性は、ヒトではなく幽霊とかそのような類のもの。ゆえに実態はなく、訳あって今は、この男の身体という器に魂で共有している。
そのため、彼女が動こうとすれば男の身体に何かしらの影響を与えてしまうという、いわば二人羽織のような状態だ。
なぜそうなったかは過去のお話。
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ひたすら路地を真っ直ぐに走ると、やがて大通りの交差点へと出る。ここが目的の場所のようだ。
目当てのものはすぐにわかった。
男は躊躇いもせずにそこへ突っ込んでいく。
男が向かっていく先、交差点には横断歩道を渡ろうとしている人がいる。そこへものすごいスピードで近づくもの。どうやら車のようだ。
信号を無視しようとしたらしい。そこに運悪く人がたまたま通りかかってしまったようだ。
車に轢かれそうになっている人に向かって突進していく。突進の勢いをそのままに間一髪でその人を突き飛ばす。
「へ―――?」
なんとも間抜けな声を出して歩道の外へと飛んでいった。代わりに突き飛ばした男が車に盛大に跳ねられる。
激突する寸前、腹部を守ろうと咄嗟に出した腕がゴキりと鈍い音を立て、数メートル先まで吹き飛ばされる。
「ぐっ――!!」
こうなることは予想し、覚悟はしていたがそれでも身体全身に走る激痛に顔を歪めてしまう。
それでもまだ生きながらえているのは、神の御加護のおかげか、否、ヒトならざるものと魂を共有しているおかげか。
少しの間、道路のど真ん中で伸びてしまう。やがて騒ぎを聞きつけた通行人が何事かとこちらへ近づいてくる。
このままここにずっといれば、そのうち大勢の人々に囲まれることだろう。その前にここから去らなければ。
身体が動くようになるまで休んでいたいとこだが、無理やり状態を起こす。
「だ、大丈夫ですか?」
心配そうに男の顔色を伺う1人の女性。
「大丈夫だ。問題はな、――――!」
言い終える前に女性の顔を見て驚きと困惑で言葉を失ってしまう。この女性を知っている。名前も顔もよく知っている。柏木雪菜という人だ。
「どうかしました?」
男の表情を読み取れず、キョトンとする柏木。
「変わらないな、あんた。」
「へ? どこかで会ったことありましたっけ?」
「いや、すまん。独り言だ。変なことを聞くが、いいか?」
「はい?」
「最近のあんた、運はいいか?」
迷うことなく、彼女は満面の笑みでこう答える。
「うん! 毎日楽しいよ!」
その言葉を聞いて、彼の口元が緩む。そうか、と。今まで自分がしたことは無駄では無かった。それがわかっただけでも価値はある。
未だに痛みが抜けない体をその言葉で奮い立たせ、足を動かす。自分が突き飛ばした人へ向けて歩を向ける。
「ちょっと! 動いちゃダメだよ! いま救急車呼ぶから!」
「大丈夫だ。少し頭を打っただけ。それよりあの人が心配だ」
「全然大丈夫じゃないよ!? すごい血だよ!!」
せめて自身を支えにと、男の肩を担ぐ柏木。歩道の端に転がる件の人に近づく。
「突き飛ばしてすまん。大丈夫か? いや―――」
頭でも打ったのだろうか。こちらを見る瞳の焦点が定まっていないようだ。目の下にはクマのようなもの、髪はくせ毛が寝癖が少しパーマがかっていて猫背。
顔色もあまり良くはなさそうだ。控えめに言っても、死んだ魚のような目をしている。というかゾンビ……。
「すまん、大丈夫ではなさそうだな。」
「ちょっと!? いきなり失礼じゃない? ピンピンしとるわ! お陰様でな!!」
案外元気そうだ。陰湿でしつこそうな見た目の割に、キレのいい鋭いツッコミをしている。
「あんたの方がかなりヤバそうだけど」
「問題ない。すぐ治る」
「「治るの!?」」
2人に驚かれてしまう。む、普通は治らないか。そんなことはどうでもいい。安否が確認できたのだ。人が集まる前に逃げてしまおう。
「念のために病院に行くことだ。それでは失礼する」
「あんたは絶対に病院行こうな!? 名前なんて言うんだ?」
「ツカサだ。剣崎仕佐。次に会うときは忘れているだろうが」
「そんな罰当たりなことしねぇよ。相場だ。相場僚」
名前を言い終える頃には彼の姿はそこにはない。その場に取り残される柏木と相場。
「いいのかあんた。追いかけなくて」
「へ? なんで?」
「なんとなくだ。なんか知ってそうな間柄だった」
「そうかな? ふふ、そうかも。不思議と初対面な感じはしないんだよね。それに」
彼の背中を見送るように、姿を消したその先に温かな視線を向ける。
「また、どこかで会える気がするから―――」
――――――――
――――――
――――
――
未だに引かない痛みをどうにか堪え、人気の無いところまでどうにか走りきる。ここまで来れば大丈夫だろう。
その場にどかっと腰を下ろす。
「大丈夫ですか?」
「まあ、な。問題ない」
どこからともなく1人の女性が姿を現わす。背中に黒い翼を生やした、灰髪白肌の女性。肩でも当たりそうなぐらい、すぐそばに彼女も腰を下ろす。
「なあ、少し近くないか? 離れて欲しい。」
その言葉に対抗するように、さらに一歩近づく。思わず苦笑を浮かべる剣崎。
「もう! すぐ無茶するんですから。早死にしますよ!」
「死なないだろ。お前がいるのだから」
霊体である彼女と魂が繋がっている剣崎は、修復不能になるほどの傷を負わない限り、死ぬことはない。
彼の魂が消滅しない限り、ではあるが。
「その傷を修復するのに、生命力を使うんですよ! わかります!? 魂削るの、魂を!!」
頬を膨らませ、ずいっと顔を近づけて彼を睨む。相当怒っているようだ。
「む、すまない」
「ホント、冗談じゃ済まないですよ」
「む、返す言葉もない」
「あまり負担をかけ過ぎると、私消滅しちゃいますよ?」
「む! それは困る」
「だから、これからは気をつけてくださいね?」
「ぜ、善処する……」
もうすでにその言葉に怒気は含まれておらず、どことなく嬉しそうだ。
なんとなく泳いだ視線の先にふと、目につくものがある。
「む? なんだあれ」
よく目を凝らしてみると、小動物のようだ。全身黄色い毛に包まれ、サツマイモのような形をしたもふもふの尻尾。耳は長く、先っぽは黒。身体から伸びる4つの四肢も足首から先は黒いくつ下でも履いているかのよう。
一見キツネのようにも見えるが、よくみるとどの生き物にも当てはまらない。そんなことより、先ほどからそこをうずくまるように丸まっていて微動だにしない。
「生気を感じませんね。生命の灯火が消えかかっています。もう長くはないでしょう」
「なんとかならないのか?」
「神ならばなんとかなるかも知れませんが、何もしませんよ。してはならないのですから」
本来、生きとしいけるものすべて、この世に生を受けるとき、神から与えられる生気の量は決まっていて、後にそれを変えることは神に背くことに等しい。
平等さを欠くことになるからだ。
この小動物とて例外ではない。死期が他より少しばかり早かっただけのこと。運がなかったのだ。
「ならば、こいつの不運を俺が貰い受ける」
「ちょっと!? 聞いてました!? ねぇ!」
キツネ(?)に近づき、そっと手を添える。じんわりと手のまわりに熱を帯び、微動だにしなかった身体が徐々に細動を始める。
まだ弱々しいが、生気が戻ったようだ。
元々天使だった彼女と魂で繋がっているおかげで、自分の生命の一部を分けることができる。
分けることはできるが、そこで復帰するかどうかは相手の意思次第である。
「はぁ……聞いてませんよ、この人」
「聞いてはいる。自分のしたことも理解はしている」
「だったら……!」
「これのどこに平等さがあるのだ。こんなに幼い子供の生命が奪われる。これのどこが平等だという」
「だからって…………はあ」
「そんなものクソ喰らえだ。そんなもの俺がブチ壊してやる」
盛大にため息をつかれてしまう。仕方のない人ですね、まあそこに惚れたんですけど……と。
「む? 何か言ったか?」
「なんでもありませんよ。あ! 動き始めましたよ!」
ゆっくり起き上がると、剣崎と目が合う。キツネのような動物の目は赤い。ルビーのような綺麗な真紅色。
やがて、小さく鳴くと、尻尾を振ってどこかへと消えていった。
「あの子、お礼でも言ってたんですかね」
「さあ、な。どうでもいい。無事ならそれで」
「ふふ、そうですね」
誰もいないこの場所でただ2人笑い合う。今日も人知れず、彼らはこの世の不条理と戦っているのだ。
誰の目にも止まることはなく、誰にも理解されることもない影のような存在。されど、彼は皆の幸福を願い渦中へと身を投じていく。その身その魂を不幸という業火に焼かれ、それでも彼は立ち上がる。自身の信念を貫くために――――
―END―
Gift~天使からの贈り物~ 名奈瀬優作 @ynanase
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